神保町シアターで、55年日活佐藤武監督『スラバヤ殿下(260)』。長宗我部究太郎は、世界的に著名な物理学博士で、日本に向かう航空機に乗っていた。機内には究太郎の研究を狙う秘密諜報部員たち、アカレンド連邦のズルコフ(千葉信夫)とドルマニア国のジョー(有島一郎)の姿も。羽田に着いた博士を出迎えたのは助手のみどり(島秋子)、乳母のおきん(飯田蝶子)とその孫娘直枝(馬渕晴子)だった。
一方、太平洋を航海する貨物船では、究太郎の実弟でペテン師英二(森繁久弥)が南洋の島での極楽のような生活を船員たちに自慢する姿があった。ビキニ諸島近くで放射能に汚染された雨が降ってきた時に、金儲けのアイデアが思いつく。英二は、帰国次第、ビキニ諸島近くの放射能汚染した雨から作った薬品、ビキニールAと、北海道の雨から作ったサハリンSを、兄究太郎監修と偽って売り出し、大儲けをする。しかし、労働争議が起きて会社のお金が回らなくなって、兄の家に無心に現れる。究太郎は、懲りずに悪さばかりする弟を叱責し、乳母と直枝も、外見はそっくりだが、中身は正反対な英二を毛嫌いしている。だが、実は直枝は英二の娘だった。
英二の詐欺がばれ、頭髪が抜け落ちた被害者や兄と間違えられたことをいいことにお金を騙し取ったスパイたちに、英二は追い掛け回される。追い詰められた英二は、房総の海岸に漂着したスラバヤ殿下という南洋人になりすます。その真偽も含めスラバヤ殿下は一躍マスコミの寵児となる。その人気に目を付けた、歌手真野加代子(丹下キヨ子)とプロデューサー(三島雅夫)は、スラバヤ殿下をメインにショーを企画する。英二は悩んだが、バレリーナを目指す直枝にデビューのチャンスを与えられることと、南洋に戻る資金になると考え契約書にサインする。いよいよ、満員御礼な状態でショーが始まった…。
なんとも馬鹿馬鹿しいミュージカル(?)コメディ。ビキニ諸島での水爆実験や東西冷戦など当時の世情を取り入れつつ、森繁の二役で、真面目な人情男と、いい加減な調子者というある意味森繁の二面性を演じ分けている。歌も踊りも器用な人だったんだなあ。スラバヤ殿下と、三木のり平の留学生役とのドーラン塗りたくったインチキ南洋人のインチキ外国語の掛け合いなど当時のコメディアンのレベルの高さを思い知らされる。ナレーションは徳川夢声。
続いて55年日活川島雄三監督『銀座二十四帖(261)』。銀座で花売りをしているコニィ(三橋達也)は、弟分のジープ(佐野浅夫)が、最近またヒロポンを打ち始めたらしいことに胸を痛めている。花屋には、銀座の孤児院の少女たちがおり、その中のルリ子(浅丘ルリ子)は夜間の学校に通いながら健気に働いている。ある時京極和歌子(月丘夢路)が花を買う。彼女は、夫と離婚話が進行中で、一人娘を義母の下において、自活しようと銀座の料理屋菊川にいる。自活の元手にしようと、亡父のコレクションの絵画を画廊に預ける。GMという署名のある和歌子の少女時代のポートレートがあり、彼女は売る気はなかったが、誰が描いたのかを知りたいなら飾りましょうと画商に言われ同意する。大阪から和歌子のいとこの仲町雪乃(北原三枝)が両親に内緒でミス平凡コンテストに出場するために上京してくる。両親に雪乃は、そのスタイルのように伸び伸び成長した奔放な性格である。当時の銀座の魅力に、コニィを始めとする和歌子を取り巻く銀座の男たちのラブロマンスと思いきや、中盤から、和歌子のポートレートのイニシャルMGが誰かということと、和歌子が夫との離婚を考えたのは夫の非合法なビジネスに関係していたことや、銀座の闇の部分に迫っていくサスペンス風に。歌とジョッキー森繁久弥というクレジットが冒頭に出て、割と軽妙な話しぶりで進行していたので、前後半でだいぶ趣が違うが、破綻はしていない。個人的な見どころとしては、石原三枝さんになってからしか知らないに等しいので、この映画での北原三枝のかっこよさ、それに、浅丘ルリ子の美少女ぶりはやはり群を抜いている。
川島雄三監督『雁の寺(262)』水上勉直木賞受賞作品。昭和の初め、京都洛北の狐念寺に、画家岸本南岳(中村鴈治郎)の襖絵が完成した。南岳は、1年以上も狐念寺に居続けをいいことに、愛人の桐原里子(若尾文子)を囲っている。しかし、南岳は倒れ、今わの際に狐念寺の和尚慈海(三島雅夫)に里子のことを託すのだった。
慈海は、南岳の初七日に里子を寺に呼び、南岳の遺言を伝えながら強引に自分のものとする。貧しく、生計を立てる術もない里子は、慈海の囲われ者としての道を選ぶのだった。狐念寺には、小坊主の慈念(高見国一)がいたが、貧しい育ちで逃げようもないと高を括る慈海の、修行というには余りに酷な扱いを受けていた。禅寺の修行僧が行く中学に通わせてもらっていたが、勉学はできても、教錬(軍事訓練のようなもの)が嫌いでさぼりがちであった。ある時担任の僧、宇田竺道(木村功)によって、慈海たちにばれてしまう。里子は、当初無口な慈念を気味悪がっていたが、慈海の仕打ちのあまりの酷さに、徐々に慈念を気遣い、生い立ちなどに興味を持つが、かたくなに拒絶する慈念。
ある日、福井から慈念を連れてきた本田黙堂(西村晃)が、総本山に来るついでに狐念寺に来ることになった。門のところで、黙堂を捕まえた慈念は両親のこと、自分の生い立ちを一切話さないように懇願するのであった。しかし、酒好きな黙堂は、酔ううちに、里子の質問に、慈念は、捨て子であり、乞食谷というところに住む、子供が5人いる宮大工が拾って育てたが、生活が苦しくなって、口減らしのために、坊主にされたことを話してしまう。慈念の本名が捨吉で、その名を、心の底から嫌がっていることも。
しかし、その話を聞いた里子は、慈念の身の上に強い同情を覚え、ある晩、慈念と関係を持ってしまう。その頃から、慈念の心の中に狂気が育ち始めた。
囲われ者里子の若尾文子、哀しく美しい。慈念役、乞食谷のころと、京都に出てから、本人が成長したかのようで、凄い役者なのか、技術だなとビックリしながら見ていたら、兄弟だったようだ(苦笑)。
最後、急に現在の京都に場面が変わり、雁の寺が観光ルートになっており、外国人の観光客に通訳を通じて襖の雁の絵の由来を説明するのが、小沢昭一。 原作井伏鱒二、脚本川島雄三藤本義一 。
59年宝塚映画川島雄三監督『貸間あり(263)』。大阪の郊外にある珍妙な構造のアパートに、英仏中露、5ヵ国後に堪能で、文系理系、料理のメニュー作り、無痛分娩の方法など、何でも知っている与田五郎(フランキー堺)という男がいる。人に頼まれると嫌とはいえない性格と、何でもできるが、何かに専念をしないということに、何か屈託のある男だ。そのアパートに陶芸家の津山ユミ子(淡島千景) 海外に陶芸を紹介するパンフの翻訳を五郎に依頼しようとやってくる。ユミ子は、入口に下がっている「貸間あり」という表札に、ただちにこのアパートに住むことに決める。五郎は、懸賞探偵小説の代筆やら、怪しげな浪人生江藤(小沢昭一)の予備校の実力テストへの身代わり、アパートの住人谷洋吉(桂小金治)が営むコンニャク製造やキャベツ巻のアドバイザーにして営業担当など何でもありである。
アパートの住人は、谷洋吉以外にも、三人の旦那を持つ妾のお千代(乙羽信子)、保険代理業野々宮真一(増田キートン)、洋酒の密輸屋ヤスヨ(清川虹子)、夫とラブラブで妊娠中の教子(市原悦子)、エロ写真売りのチンピラのハラ作(藤木悠)、蜜蜂を飼いそのロイヤルゼリーに怪しい回春薬品を発明する熊田(山茶花究)、妻お澄(西岡慶子)の性欲の強さに悩む骨董屋宝珍堂(渡辺篤)、豪つくな管理人おミノ(浪速千栄子)を始め強烈なキャラクター揃い。複雑なつくりのアパートの建物の構造も含め、ドタバタ凄いなあ。しかし、あまりに何でもありすぎて少し散漫な印象も。
ポレポレ東中野で、72年創造社日本ATG大島渚監督『夏の妹(264)』。菊池素直子スータン(栗田ひろみ)は、自分のピアノ教師で父親と結婚することになった小藤田桃子(リリィ)と沖縄にやって来た。舟で知り合った男桜田拓三(殿村泰司)と一緒だ。桜田は、自分を討ってくれる正しいウチナンチュウを探しにやってきた。
港で、体に沖縄語教えますと書いた不思議な若者(石橋正次)と出会う。素直子は、大村鶴男という男からの手紙に、自分が素直子の兄かもしれなく、東京に行った際に、家の庭にいた素直子を見かけ、自分が異母兄かもしれないこと、夏休みに沖縄においでとの手紙を受取り、鶴男に会いたくてやって来たのだ。桃子は、素直子の話を聞いて鶴男は自分と素直子を間違えていることに気がつき、付いて来た。
まず、二人は鶴男の母の大村つるを探す。ホテルを経営していたが、3ヶ月前に売却し、小さな島に住んでいるらしい。北部行きの観光バスに乗り、ひめゆりの塔などを見学しながら向かう3人。ビールを飲み続ける桜田。つるの家に着いた時には、酔っ払って昼寝をする。素直子も寝かしつけて、桃子は、帰宅途中のつる(小山明子)に会う。鶴男の所在は知らないというつるに、桃子は鶴男の勘違いを伝えて、素直子には内緒にするように頼むのだ。
つるに会えなかった素直子と桜田を連れて、桃子は那覇に戻る。何だか腑に落ちない素直子と桜田は、夜の街に出て、不思議な若者に再会する。桃子は、ホテルで大村鶴男からの手紙を受け取り、翌朝鶴男が指定する場所に出かけた。素直子は、街をさまようと、酔って地べたに寝ている不思議な男照屋林徳(戸浦六宏)に会う。林徳は、自分が殺すにふさわしいヤマトンチュウを探しているのだと言う。その後、警察に行って大村鶴男のことを聞くが、家出人名簿などを見ろと言われて途方に暮れる。彼女が警察内で、「大村つるさんの息子の大村鶴男さんを探しています」と叫ぶと、一人の制服の男(佐藤慶)が現れる。男は、国吉真幸と名乗り、素直子の父、菊池浩佑(小松方正)と大学時代の同級で大村つると前後して交際、菊池か国吉のどちらかが、鶴男の父親だと伝えるのだ。
東京で判事をしている浩祐が休暇を利用して沖縄にやってくる。空港で桃子だけではなく、国吉が出迎えたのに驚く。少し遅れて、その日の朝に鶴男と会っていた桃子も合流した。その晩一緒に食事をする約束をして国吉と別れる、国吉の部下が浩祐たちを、市内観光に案内する。夜、国吉がセッティングした場に浩祐が出向くと、照屋林徳を沖縄民謡の名人と紹介、更に大村つるが現れる。その頃、鶴男を探す素直子と桃子の前に、鶴男が現れる。鶴男には真相がわかったようだ。結局、鶴男、素直子、桃子の三人も、国吉たちの宴席の場に出向く。また、林徳の歌に魅かれて、桜田も現れる。素直子の奔放な発言に、大人たちは会のお開きを決めるが、桜田と林徳は、二人残り、杯を重ねる。
翌朝、浩佑、桃子、素直子は釣りに出かける。その船上で、桃子は鶴男に関しての話を浩佑にすべて話すのであった。浩佑と桃子は一足先に飛行機で東京に帰って行った。船で帰る素直子には、もう少し時間がある。改めて鶴男と会う素直子。
栗田ひろみとリリィの棒読みのセリフさえ、何か栗田ひろみの純粋性と、リリィの透明感を表現するための手法に見えてしまうというのは甘い評価だろうか。つるは、本当に気高い美しさに輝いており、母性、あるいは沖縄の自然の象徴のようでもある。日本の法制度の権威の番人としての裁判官である菊池浩佑と、国吉真幸という沖縄官吏の、どちらが父親か特定できないという鶴男は、何か沖縄を象徴した存在なのかもしれない。うがった見方かもしれないが、鶴男の、本土からの観光客に沖縄の言葉を教えて100円もらうという昼間の怪しげな生業と、沖縄の曲も、日本の曲もろくに知らない、三線ではなくギターを抱えた流しという夜の生業も、何だか象徴的ではないか。海上の小舟で、正しい沖縄人に殺して貰うためにやってきた桜田と、ヤマトンチュを殺す為に生きてきた林徳が揉み合い、桜田が林徳を海に突き落とすシーンで終わるのだが、桜田の姿はこの映画を撮りに沖縄にやってきたヤマトンチュである大島渚自身かもしれない。
アイドルを使って撮った理屈っぽい分かりにくい映画にも見えるかもしれないが、むしろシンプルに、沖縄に対する、揺るがない大島渚の思想を表現した作品といえるのではないだろうか。
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