2008年4月19日土曜日

西荻ユトリアム

土曜日、洗濯をしながら、出汁をとり、ひじきの炒め煮を作り、家の掃除をして、地元で買い物。いい鯖があったので、衝動買いし、さば味噌に。主夫だな。高級銭湯に行って、休憩室で本読みながら、居眠り。駅前の中華屋で、餃子二人前と肉野菜炒め。ビール2本。〆にチキンライス食いたいのをなんとか我慢する。

2008年4月18日金曜日

ナン、んまいな

今日の午前中は、自宅で棚卸しシートと悪戦苦闘。かなりの大雨だが、昼は外で食べようと外出、といっても、一番家から近いインド料理屋。サグチキンとタンドリセット。うーん、ナンがうまいなあ。封印していた昼ビール。そのまま、伊勢丹クイーンズシェフで食材漁る。積読だった「普通の家族がいちばん怖い・・徹底調査!破滅する日本の食卓」読み始めたら止まらない。既に、この国は壊れているんだな。ちゃんと伝える子供を持たない自分も同罪だが、10年後、20年後、どうなっているんだろうか、この国と自分は・・・。いかんいかん!!生来のペシミストぶりが全開だ。最後まで読むのを止めて、時代小説に戻る。これはこれで逃避だな(苦笑)。夜は赤坂で、元同僚とメシ。歓迎会の時期だし、金曜だからか、大雨にも関わらず、どこの店もいっぱい。赤坂サカスが出来て、人の流れも変わった気がする。歩き続けて、ようやく少し前に行った店を思い出す。飛行機事故で亡くなられた女性脚本家の妹さんが赤坂でやっていたM屋が閉店してからずいぶん経ち、同じ名前の店が昨秋赤坂に開店しているのを発見。復活かと思い、行って見ると、名前が一緒なだけであったが、野菜を中心としたメニューが気に入って、また来ようと思っていたのだ。みんなに大好評。ちょっと今日は食べ過ぎて、飲み過ぎた。好きな女子には絡んでしまう(苦笑)。小学校3年の時に、おかっぱの同級生が、好きだったけど、口ではいつも敵わず泣かされていた。そのトラウマだろうか(苦笑)翌朝、少し反省。ごめんねー。

2008年4月17日木曜日

秋葉原>>神保町>>水道橋>>飯田橋

 御徒町にある産業雇用センターに行く。厚生労働省の外郭団体(?)の財団法人、公益法人やら、外郭団体やら、はっきり行って偏見も含めて大嫌いだが、職員の多くは、元の会社含めて民間各社から出向しているようだ。希望年収は?と聞かれて、思わず、本音ではぞれじゃあ厳しいなあという金額を言ってしまう小心な私(笑)。でも、机上の端末で、「Mさんの年齢を入れて、試しに検索してみましょう。」ということで出た来た数字は、更にその半分以下。そうだよなあ、普通自動車免許しか資格ないし(苦笑)、中高年の再雇用問題の該当者だと自嘲的に自覚。その後、徒歩で、秋葉原から神田淡路町界隈から、神保町。水道橋の再雇用支援会社まで歩く。そこで、3時間ほど職務経歴書の基になるキャリア棚卸しシートとやらと格闘する。さすがに26年のサラリーマン人生を振り返ると、相当都合のよい記憶しか残っていずに、我ながら呆れる。
 その後、同期だった中堅出版社(失礼?)の映像、WEB担当の取締役と食事。途中から、先日結婚したばかりの、後輩が合流。辞めた理由やこれからのことを、根掘り葉掘り聞かれるが、本当に思いつきで退社してしまったので、説明に困る。

2008年4月16日水曜日

バンドブームとライブハウス

 もう20年程前(20年も前か)のバンドブームの時に、担当していてヒットした、というか本当によい意味でも悪い意味でも(笑)最高に面白い体験ができたバンドの所属事務所の社長のIさんに、退職の報告に行く。こんなこと考えているけと手伝わない?と悪魔の誘惑。就活しながら手伝います。とぎりぎりのところで冷静に。でも、面白そうで、昔から、この人に「Mちゃん君しか出来ないよ!!」と言われると弱いんだな。他の人間にも言っている筈なのに(苦笑)。
 そのあと、元の会社の人事に書類提出に。今年は、新入社員が既に配属になっている。自分が面接した新入社員は、女の子だけ顔を覚えている。各部門で、新入社員を紹介され、ああ面接したよねというと、「覚えていてくれたんですね。」とうれしそうな顔をされると、その時だけ、退職したことをとても後悔する。
 26年前に入社した時には、制作、宣伝要員だけ、レコード店員やらライブハウスのウェーターやらの長期間の研修をさせられて、配属されたのは、その年の年末だった(笑)。 ライブハウスは研修というより、出向だったな。普通のレストランも併設されていたので、そちらの勤務のシフトもあり、普通に、アイスコーヒーの仕込みやら、トロピカルドリンクを見よう見まねで、適当に作ったり、トイレ掃除やったり、洗い場入ったり、入社した筈の会社の社内イベントのケータリングに派遣されたり、レコード会社の制作、宣伝部門に入ったつもりだった同期三人は、気持ち的にどんどん荒み、掃除が終わって、自分たちだけ残って、オーダーミスで残ったトリカラつまみに、生ビール勝手に飲んで宴会したり、そのまま、朝まで湘南あたりまで車で遊びに行って、帰ってきてそのまま仕事したり、酷いもんだった(笑)。
 夜は、そんなライブハウスがある思い出深い(苦笑)渋谷で、元会社の後輩と飲む。彼は、早くにキャリアアップを考えて退社、西海岸に留学、帰国後外資系の映画会社の放送部門の営業マネージャーをやっている。一緒に仕事をしていたときのありえない話やら、これからの日本経済と自分たちの先行きについて話す。楽しいなあ。
 明日は、ライブハウス出向時の同期に会う。楽しみだなあ。

2008年4月15日火曜日

再就職支援会社

 元の会社が、セカンドキャリアとして用意してくれている再就職支援会社のオリエンテーションに参加。参加者6名のうち二人が元の後輩。そのあと、ロビーで他に二人ほど会う。秋に退社した元営業部の販促担当者は、まだ就活中とのこと。甘くないなあ。自分の担当者というキャリアコンサルタントと1対1で、今後の説明を受ける。質問がないかというので、あなたはどうして、この仕事を選んだんですかと逆質問。なかなか興味深いキャリアだなあ。
 水道橋で、遅い昼食、目移りするが、調子にのって「いもや」で1年ぶりくらいの天丼。夕方まで、全く空腹を感じない。胃がもたれるので、2度ほどコーヒーを飲む。久しぶりの神保町、古本屋を冷やかしつつ、神保町シアターで、木下恵介没後10周年記念上映をやっていたので、「カルメン故郷に帰る」ニュープリント観る。平日昼間にもかかわらず、シルバー層でいっぱい、3分の2程度埋まっているだろうか。吉本興業経営の劇場の番組は、なかなかに、年配の映画ファン好みで渋い。先日も、時代劇映画の特集をやっていて気になっていたのだ。「カルメン・・・」は学生時代に観た気がするが、ほとんど覚えていない。 寝ていたのだろう。今回も肝心な部分寝てしまった。すごいイビキがして、やばい!!と思って目が覚めたら自分ではなく、後ろの席の爺さんだった。高峰秀子が、子供のときに頭を牛に蹴られて、精神の成長が遅れ、ずっと洟を垂らしていた娘が東京に出てストリッパーになり、その芸術を持って故郷(もっと遠いかと思っていたが、浅間山のふもとだから、今で言う奥軽井沢(笑)か)に錦を飾る話。知能はともかく、伸びやかに育って健康な娘の高峰秀子の天然美が秀逸だな。今のダンサーたちとのリズム感の差が、本当に時代を感ずる。衣装提供は、高島屋。いまでも悪くないサマードレスとか、 彼女達の、時代を超越したスタイルのよさとあいまって、なかなか格好いい。
 夜は、同い年のあるFM局の東京支社長が渋いホルモン屋に誘ってくれる。場所も新江古田。んまい!!そのあと、元会社の後輩も合流、中野に出てもう1軒。眠くなり途中で二人を残して退散。

ハロワ、ワロタ。

 つい何分か前に、人からのメールでハロワという略し方を知ったが、職安に行く。
 せっかくなら新宿職安通りに行こうと思うが、面倒くさくなって西新宿。 すごい人だ。所狭しと端末があり、そこにひとりずつが、真剣な顔をして向かっている姿を見て、なぜか養鶏場のケージに一羽ずつ入れられ、餌をついばんでいるブロイラーを思う。
 夜は自分たちが大学生時代に大学生相手のビジネスで起業した代理店の若者と飲む。20代と飲むのは楽しいなあ。自分がそこから全く成長していないからかもしれないが(苦笑)。自分は、彼のお母さんと同い年だそうだが(更に苦笑)。
 10代にどうしたら音楽をもっと聴いてもらえることが出来るかとか、「恋空」は、どうしてああなんだ?とか酔っ払って話す。彼が言うには、今の大学1年生は、i-modeの登場が小学生のころで、モバイルではあるが、インターネット接続が普通な世代だそうだ。示唆することは多いなあ。今日も、携帯やらメールに辞めたねという連絡いただき、感謝。

2008年4月13日日曜日

今週読んだ本

風野真知雄「耳袋秘話深川芸者殺人事件」「耳袋秘話谷中黒猫殺人事件」「耳袋秘話両国大相撲殺人事件」「耳袋秘話新宿魔族殺人事件」「耳袋秘話麻布暗闇坂殺人事件」、佐伯泰英「居眠り磐音江戸双紙白桐の夢」「ダブルシティ」「ピカソ青の時代の殺人」「ゲルニカに死す」小西康陽「ぼくは散歩と雑学が好きだった。小西康陽1993-2008」