2010年7月24日土曜日

美女だらけの自宅居酒屋。

   秋田にUターンする友人S氏の美女限定送別会を拙宅で。自宅居酒屋は何度もやっているが、美しい女子ばっかり20人近く、こんなに沢山自分の家に集まって、自分の料理を食べているのは壮観だ。夏風邪はなかなか治らないが、こりゃ幸せだ。自分が料理を作るのは、酔っ払ってクドイオッサン達に酒飲ますためではなく、こういうことなんだと再認識(苦笑)。しかし、S氏の人徳というか、女性に対してのマメさの結実というか、改めて思い知る。
   0時頃眠り、1時過ぎに目を覚ますと、誰もいない。トイレに行くと、S氏がいた。出て来たS氏が「気がついたら、誰もいないんだよ。ソファで眠っていたらみんな帰っちゃったよ。何だか、最後まで、俺らしいなあ」と苦笑している。女の子に囲まれて幸せそうに眠っているS氏を起こすのを、みんな躊躇したんだろう。
   中央線の沢山の女子に愛されているS氏。上京する際には、いつでもウチに泊まってくれ。

2010年7月23日金曜日

自宅送別会前夜。

   体験入学の講師。数日振りに、ゴミ捨て以外で外出したがツラい。スペリオールを買って、表4の広告で、怪盗ロワイヤルのCMに出ているのが、戸田恵梨香だと確認。いや、急に華が無くなった。同じ誕生日なだけに悲しい。
   受講生は、高校2年の女子1名。マンツーマン。賢くていい娘だなあ。
   四谷のハナマサで明日の仕込みをして帰宅。更に野菜を地元で買い回り、博華で餃子とビール。風邪で、ビール美味くない・・・。人生の唯一の楽しみが・・・。
   
  

2010年7月22日木曜日

この内容を無断借用という報道はどうなんだ。

『龍馬切手販売中止…お龍やあの寺田屋の写真』(2010年7月21日23時11分 読売新聞)

 郵便局会社近畿支社(大阪市)は21日、京都市内の109郵便局で扱っていたオリジナルフレーム切手「龍馬が駆け抜けた町 京都・伏見」の販売を中止した。

 切手に使われた坂本龍馬の妻、お龍(りょう)とみられる写真について「無断使用では」との指摘を受けたためで、同支社は「調査して対応を検討したい」としている。

 この商品は龍馬やお龍、ゆかりの寺田屋などの写真を用いた80円切手10枚セット(1200円)。8日に発売されたが、お龍の写真は古写真研究家の井桜(いざくら)直美さん(45)(東京都)所有のものと似ており、13日以降、「無断で使ったのでは」との複数の指摘が同支社に寄せられたという。

 商品は同支社と神戸市内の印刷会社で製作し、お龍の写真は印刷会社側が用意した。印刷会社は取材に対し、「二十数年前に提供を受けた印刷物から使用した。版権について注釈はなく、問題はない」と説明。同支社は「発行に問題ないと考えているが、井桜さんとも連絡を取り、きちんと調査したい」としている。

 井桜さんは「切手の写真は、私が所有する写真と同じに見える。もし私の写真の複写物などを無断で使用しているのなら、やめてほしい」と話している。

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写真の著作権は、カメラマンのもの。所有者には、何の権利もない。無断使用、版権・・・(苦笑)。著作権について、何の解説もしないで、こんな記事書くな!読売新聞。新聞社の著作権への無知、馬脚を露す。

今日もまたまた昨日の朝日。

  ザ・コラム(外岡秀俊)『スピードと便利さのわな』

  あれほど日本代表の活躍にわいたサッカーW杯も、固唾をのんで見守った参院選開票も、なぜか遠い日々のように思える。
  同僚と話していて、ふと、そんな話題になった。以前は遠い昔のことを「つい昨日」のように思い起こすことが多かった。記憶の保持力や喚起力が衰え、昨日のことをつい忘れるほど忘却のスピードが加速している。
  私たちはパソコン文書を上書きするように記憶をあっさり更新し、体験の集積としての過去をやせ細らせていないか。どうもその傾向は、私たちの暮らしがデジタル化されたことと無縁ではなさそうだ。
  そんなことを考えたのは、11日まで開かれた東京国際ブックフェアに足を運んだからだった。「電子書籍元年」といわれる今年、大会場には、デジタル化の激流が渦を巻いていた。
  書籍や雑誌を、携帯やiPadなどの端末に編集し、変換するソフト。携帯コミックに、効果音や音楽を入れる技術。出版も印刷も雪崩を打って競争に参入し、「スピード」と「便利さ」を求めるデジタル化が本流になりつつある。
   だが「日本では普及まで、あと2、3年はかかる」と日本文芸家協会副理事長の作家、三田誠広氏はいう。奔流をせき止める堤防がいくつかあるからだ。
   第一は日本語特有の問題だ。「今の読み取り技術では、カタカナの『カ』と漢字『力』の判別は難しい。端末によって異体字を反映できないなどの問題もあり、校正がかかせない」  
   さらに、電子化にあたって新たな契約が必要だ。そのルールづくりもできていない。紙の本の印税率は10%が多いが、三田氏は「電子本では売り上げに応じて段階的に印税率をあげ、最高で約50%」にする案を模索している。
   奔流は避けられそうにない。「下手をすると出版社も書店も倒れかねない。限られたパイを分けるのではなく、パイを大きくする発想への転換が必要だ」

  「デジタル化によって、仮想の裏社会が、現実の表社会になっていくように」
   そういうんは「近代書史」などの著作で知られる書家の石川九場氏だ。「いま起きていることの本質は通信の異様な発達。文化を創造するという生産行為には、何のかかわりもない」
  書物は、書き手が無意識の領域から、必死で新しい言葉を汲み上げてきた歴史の累積だ、と石川氏はいう。過去に公にされた意見や論を一つ一つ全部つぶし、ではその上で何をいうか。抜き身で向き合う勝負の気迫が、かっての書物にはあった。
  「チャットはおしゃべり。ツイッターはつぶやき。言葉を生む行為を軽視し、通信だけが異常に特化した結果だ。電子書籍は個人でも出版できるが、編集や校正という自制もなく、私的な言葉を垂れ流すだけだ」
  石川氏はさらにいう。「言葉は本の手触りや質感に根差し、色やにおいを引き連れて立ち上がる。ツルツルの触感しかない端末では、情報は伝わっても、言葉は立ち上がるまい」
 だが、紙の本の将来については決して悲観していない。
 「消える本は要らない。たまたま書物の携帯をとっただけの本が多すぎた。出版や新聞は、バブル期と比べて売れ行きが落ちたと嘆く。貧しいながら、苦しいなりに、前向きで生きたバブル以前の原点に戻るべきだ」
  紙の本は残るのか。本物なら残る。それが石川氏の確信だ。

  便利で無料。個人が多様な意見を発信すれば、「衆知」が瞬時に形成され、ウェブ上に民主主義が実現する。デジタル化は、そんな「夢」をもたらした。
  「ネットには、無料で人々にサービスを提供し、衆知を結集して社会に役立たせるという理想主義もあった。だが、現実にはそうなっていない」
   東大の西垣通教授はいう。たとえば米検索大手グーグルの場合は、「キーワード連動型」や「内容連動型」広告で、巨額収入をあげている。たとえれば「ネット民放」に近い。グーグルは、無料で検索する個人の情報を大量に集め、広告に結びつけるが、個人情報をどこまでどう使うかは企業秘密だ。
   もう一つは「ウェブ民主主義」の内実だ。グーグルでは、人気サイトからより多くリンクされているサイトほど検索上位にあがる。人気のあるサイトは検索上位に現れるので、より多くの人の目にふれ、影響力も増していく。「強者はますます強く、弱者はますます弱くなる」仕組みだという。これでは少数意見を排除し、むしろ同調を強いることにもなりかねない。
   「ネットの民意といっても、それは刻々と変わる最大瞬間風速にすぎない。人々はいつも主体的に選択しているわけではなく、流れに巻き込まれる。それを『民主主義』と標榜するのは、危うい」
   このところ、内閣支持率などの世論調査によって政治の評価が定まり、影響を与える傾向が強まっている。「人気投票」で政治が動くなら「ポピュリズム」に限りなく近づく」
   私たちは、「スピード」と「便利さ」のわなに落ち、何かを失ってはいないか。デジタル化の巨大なうねりにのみ込まれる前に、たまにはパソコンの電源を切って、しばし考えてみたい。

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   うーん。いくつかのブログに引用されていたが、中略が多く、ある意味揚げ足とりになるかもしれないので、古新聞袋を探して、打ってしまった暇人(苦笑)。

  本は残るのか?本、新聞というものをモノと考えれば、そりゃ残るだろう。しかし、出版、新聞と言った場合は、仕組みだ。作家と編集者、記者がいるだけではない。
   出版社であれば、取次業者との間で、出版部数を決め、見積もりを取って、印刷会社に発注し、検品して、取次の倉庫に納品する。大手書店には販促プラン含め、場所取りの提案をする。出版社だけでなく、日販、トーハンなどの取次会社、1万数千店の書店を含めた『本』なのだ。「下手をすると出版社も書店も倒れかねない。」のではなく、どこが生き残るかなのか。

   新聞社は、113社50,042人(情報メディア白書2009(苦笑))だけではなく、20,424店424,778人が働く新聞販売店までが、『新聞』なのだ。
   多分、川上のこの3人と記者には、その認識はないだろう。感傷的になっている場合ではない。小田光雄さんの出版状況クロニクルで書かれている現実との失笑するしかない御目出度さ。

   『本』『新聞』本当に必要なのか?その前に、押し紙、官房機密費・・・自浄することが出来るのか。書籍、CDの再販制度と新聞の特殊指定は、いつまで説得力を保てるのか。

   しかし、大手新聞社は、関連会社のTV局が、放送通信法の改正で地方局の救済を図ったように、自分たちもJAL並みに巨額の資金で、国に救済させるよう大衆を誘導していくんだろう。

     もう一つだけ付け加えると、何かと、旧メディアの人間は、政治のポピュリズムを、ネットのせいにするが、新聞とテレビこそがポピュリズムの元凶だと思っていないのだろうか。マイノリティの意見を吸い上げることこそが、ジャーナリズムの使命だと思うが、ジャーナリスト面したマスメディアの高給サラリーマンたちには、そんな矜持は一切ない。新聞でもテレビでも、ポピュリズムな意見しか書かれていない。むしろ、マイノリティ、弱者の意見を吸い上げているのはネットジャーナリズムだ。政治ポピュリズムの原因をウェブ民主主義と本当に思っているのなら、余りに見えている社会が偏狭だし、分かっていて責任転嫁しているなら卑怯者だ。
   
  

プチ熱中症から夏バテで、夏風邪(失笑)

  遊び過ぎたのか、ダウン。

2010年7月20日火曜日

夏休み映画2本立て。

    赤坂のメンタルクリニック。

   新宿ピカデリーで、夏休み映画2本立て。

   米林宏昌監督『借りぐらしのアリエッティ(115)』
   翔(神木隆之介)は、おばあさんの妹貞子(竹下景子)の運転する車に乗って郊外の洋館にやってきた。翔は12才、生まれついて心臓が弱く、近々大手術を受けることになっていた。両親は離婚し、親権を取った母親は仕事が忙しく海外に行っている。
   車を降りた翔は、大きく太ったネコが、赤紫蘇の株にしきりと挑みかかっているのを見掛ける。大きなカラスが飛んできて猫に舞い降りて突いたので、猫は植え込みに逃げて行った。その時、赤紫蘇の株から小人の少女が根元に滑り落ちたのを見た。
  翔が貞子に呼ばれて屋敷に入って行くのを確かめて、小人の少女は屋敷の軒下に入って行った。少女はもうすぐ14歳になるアリエッティ(志田未来)。床下の通風孔の鉄柵に、先ほどの猫が来て、思い切り前足を振り回したが、届かなかった。
  アリエティが自分の部屋に窓から入ると、母親のホミリー(大竹しのぶ)が入って来た。「あなた、また外に出たの?危ないじゃないの」「大丈夫よ。部屋に飾るために採ってきたのよ」「何だか私には散らかっているようにしか見えないけれど」「はい!!これ、誕生日プレゼントのつもりだったけど、ばれちゃったからあげるわ」とミントの葉をホミリーに手渡した。
  屋敷には、女中のハル(樹木希林)が一人で守っている。貞子は、体力が落ちている翔を、手術までこの静かな場所で過ごさせようと考えたのだ。

  夜になり、父親のポッド(三浦友和)が帰って来た。「屋敷に子供が増えたようだな」「ええ、見掛けたわ。勿論、見られていないわ」その話を聞いたホミリーは心配のあまり気絶しそうになる。「しばらく様子を見よう」というポッドに、「今日は借りに連れて行ってくれるんでしょう」とアリエッティ。「不安だから、延ばした方が・・・」と心配するホミリーに、「我々に何かあったら、アリエティは一人で生きて行かなければならないんだから」と説得するポッド。心配しながらも、大きな赤紫蘇の葉一枚で、お砂糖があれば、紫蘇ジュースを作れるので、角砂糖と、ティッシュペーパーを借りてきてというホミリー。
  豆電球で足許を照らすポッドと、洋館の壁の裏側に梯子のように張り巡らされた釘を登り、ウインチで引き揚げられ、台所まで辿り着く。途中、恐ろしい鼠の目が光り、アリエッティが初めて借った待ち針で戦うわと言うと、ポッドは戦わずに済めばその方がいいと自重を説いた。人間の台所は巨大で、初めて見るアリエッティには途方もないものだった。角砂糖を一つアリエッティは鞄に納めた。
  次は、ティッシュペーパーだ。2階の寝室には、精巧に出来たドールハウスがあった。家具、食器、素晴らしいものばかりだったが、「ここの物を借りると、直ぐにばれてしまうので、絶対やってはいけない」と注意をするポッド。二人で、ベッドサイドにあるティッシュボックスから1枚抜きだそうとしていた時に、アリエティは眠っている筈の少年の目が明いていて自分たちを見ていることに気がつく。慌てた拍子に角砂糖を落としてしまった。落ち込むアリエッティに、自分の調査不足だ、暫く様子を見よう、お母さんは心配するから黙っていようと言うポッド。

   94分。最近の冗長な邦画に比べて、すっきりしていていい。



   本広克行監督『踊る大走査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!(116)』× ⇒ 『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!(116)』○

   本部長がいらっしゃいますという予告があり、青島俊作(織田裕二)が入って来る。「本部長お願いいたします」「


  しまった。今(7月22日)気がついたが、大走査線だった。まあいいか(苦笑)。


   午前中の炎天下と、午後の映画館の冷房により、何だか絶不調に。二日間で疲れ果てたということか。twitterで新宿吞み会のお誘いあるも駄目だ。2時間ほど寝たら、少し復活して、夏野菜とシーフードカレー作る。夏はカレーだなあ。

2010年7月19日月曜日

連日の真夏デート

   25歳美人画家と渋谷で待ち合わせ、連日の真夏デート。

   浅草に出て、浅草寺にお詣りをして、アミューズミュージアムで行われる地元浅草の歌姫辻香織の新ユニットARUYOの初ワンマン。流石地元だけあって、満員の上、彼女がとても楽しそうなのを見て、こちらも楽しい。

   都営大江戸線の蔵前まで歩き東新宿、職安通りのネイキッド・ロフトに、萩原健太さん、能地裕子、レココレ寺田さんたちのCRTと言うイベントに、我らがジャズ番長KOZO渡辺氏が特別出演するのだ。30分程遅れて到着、満員の会場の隅に案内される。ジャズと言う無謀なテーマ、2時間やそこらで、音楽を流し語るのは厳し過ぎる。ただ、極私的ジャズ論は、これはこれで全く問題なく、久し振りにJAZZを楽しんだのだ。終わって、そのまま打上げに参加していると、24時近くになり、慌てて新宿駅に。

2010年7月18日日曜日

夏フェス参戦(?)

  実籾の歌姫おがさわらあいの地元を一度見ておこうと、関東3大ロックフェスの一つ『習志野きらっと』のステージを見に、25歳美人画家と京成津田沼まで。(他の二つは、茨城ひたちなかのロックインジャパンと千葉幕張のサマソニらしい。自分も音楽業界から離れて2年も経つので、知らなかった)
   夏祭りデートだと誘ったので、安物の紺の浴衣と西村兄妹キモノ店のストレッチ素材の兵児帯と雪駄で出掛ける。風呂敷が見つからず、京都繋がりというだけで一澤帆布のピンクのトートバックだ(失笑)。炎天下、飲んだ生ビールで瞬時に汗まみれになりながらも、久し振りの夏祭り楽しい。焼きそば、胡瓜一本漬け、焼き鳥・・・、気がつくと3曲の小笠原のライブは、身内の大盛り上がりのうちに終了。