2010年7月17日土曜日

再び朝日新聞の記事を引用して、酷評。

    7月15日の夕刊の「ツイッターに異論 続々『閲覧数へのこだわり なぜ?』」という藤生京子という記者の記事が掲載されている。

  『140字のミニブログ「ツイッター」がもてはやされる一方で、批判意見も表に出るようになってきた。「いま沸き上がる『ツイッター亡国論』」(週刊ポスト5月7、14日号)、「ツイッターに疲れた・・・なう」(SPA!6月22日号)など雑誌の特集が続いたほか、疑問を投げかける識者も現れた。 
  ツイッターは「情報量ゼロ」のコミュニケーションであり、「日本人の未熟化」の表れだと週刊ポストでコメントしたのは、精神科医の斎藤環さん。同じく精神科医の香山リカさんは雑誌「創」7月号の連載コラムで、フォロワー(読者)の数に一喜一憂する世間の風潮が「わからない」と書いた。
  斎藤さんと香山さんに話を聞いてみた。二人が揃って首をかしげるのは、ツイッター利用者がフォロワー数にこだわり、それが多いほど価値があるとみなす風潮だった。
 「ブログは市井の人の潜在的な才能を知らせる効果があったけれど、ツイッターで注目されるのは著名人。内容のよしあしでなく名前優先で読む人が多いのは、反動的ですらある」(斎藤さん)
 「数が多い人が勝っているという思い込みに基づく競争は、まさに市場原理。こんなところまで新自由主義的な論理がまかり通っているかと思うと、うんざりです。有名人にとててゃ宣伝の道具なのに、普通の人たちに、有名人とコミュニケーションできたかのような幻想や錯覚を抱かせているだけ」(香山さん)
 ツイッターが話題を集めて約1年、積極的な効用を指摘する声が目立つ。政治家のツイッター利用を、政治と有権者の距離を縮め、政治参加のしくみに変化を促す機会と期待する声も少なくない。しかし、香山さんは「刹那的な高揚感にすぎないのでは」と懐疑的だ。本物の政治参加になりうるかは疑問だという。
 議論の場をブログからツイッターに移しつつある論客が増えている点も、斎藤さんは危ぶむ。「少ない字数での瞬間的な応答が増えれば、ますます、まともな論壇の議論が少なくなる。対立があっても単なる感情的なぶつかりあいばかりで、論争に発展しない。限りなく一方向に向かう内輪メディアだと思う」
  クリエーティブな表現が現れてくる可能性に期待すればいいのでは?そう尋ねると、香山さんは「飯食ったとか、新幹線乗ったとか、書かれているのは、あくまでもリアル。80年代の『ビックリハウス』のように、別の自分になれるという願望もないし、意外にクリエイティブでない気がする」。
  確かに雑誌のツイッター特集などには、うさん臭いもうけ話やマーケティング利用の進めも多い。どんな力学が働いているのか。さらなる議論を歓迎したい。』(藤生京子)

  いやー、自分の発言では説得力がないので、論客(笑)、識者、有名人のコメントを繋ぎ合せて、あたかも中立的な立場で書いているような新聞記者の偽善の見本のような文章だ。

   「さらなる議論を歓迎したい』(!?)。おいおいメディアやコミュニケーションツールの今後について、積極的に発言しなければいけないのは、精神科医じゃなくて、ジャーナリストだと思っているメディア人だろう。

  「数が多い人が勝っているという思い込みに基づく競争は、まさに市場原理。こんなところまで新自由主義的な論理がまかりとおっていると思うと、うんざりです」「限りなく一方向に向かう内輪メディア」おいおい、自分たちのことじゃないのか。ひょっとして、斎藤&香山両氏は、朝日新聞に強烈な皮肉を言ったのに、気がつかなかったとか・・・。

   藤生京子googleで検索するとツイッターがトップ。まったく中身のない、小学生のようなツイット。フォローしている8人。フォローされている7人。フォロワー(読者)の数に一喜一憂する世間の風潮が気に食わないのは、発信力弱者のご自分のことではないのか。(https://twitter.com/kfju )

   更に、この取材での斎藤&香山コメント、朝日新聞ギャランティ払っているのだろうか?原稿依頼の場合は、勿論支払うだろう。記事を書いた記者のみにギャラが支払われているのだとすると、毎月販売店の兄ちゃんがこつこつ回収し、自分が支払う購読料もったいない。新聞取るのやめようかと本当に思う。まあ、あと2、3年の辛抱か。

2010年7月16日金曜日

夏野菜手当たり次第カレー。


     梅雨が明けたかのような快晴。洗濯は1日延ばしにし、洗い物をして冷蔵庫をチェックしていたら、自宅居酒屋の残りの食材の処分を。夏野菜の揚げ浸しをしようと思っていたので、夏野菜手当たり次第カレー作る。豚肉をしばし赤ワインで漬けたら、なかなか絶品に。まあ、カレールーは、随分前に酒屋に貰った“こくまろ中辛”なので、チョー簡単だ。鍋一つ作ったので、暫くご飯炊くだけだ。カレーは良いのだが、米食い過ぎるからなあ。

    午後渋谷でN氏と打合せ。なかなか売上が上がらなず、金欠の二人だが、いい話しが進んでいるんだがなあ(苦笑)

     神保町シアターで、映画少年の夢 川本三郎編
     64年日活中平康監督『おんなの渦と淵と流れ(114)』
   昭和23年初夏金沢。沼波敬吉(仲谷昇)に女中の三重(雨宮節子)が声を掛ける。「お目ざめですか」「ああ。今日は宴会か?奥さんお目ざめか?」「ええ、居間にいらっしゃいます」化粧台に向かう妻の須賀子(稲野和子)。敬吉がやってきたので「お出かけ?図書館だったら、三重にお弁当を届けさせますから」「2、3日、湯涌温泉(?)に行ってこようと思っているんだが」「行ってらっしゃい。いいわね、私も後から行こうかしら・・・・。でも駄目だわ、御座敷が入っているもの」須賀子は、料亭青栁を経営していた。三重に送られ家を出る沼波。近くの河に懸かった橋は途中から崩れている。渦巻く川面を睨む沼波。須賀子が外出するのを確認して、三重の目を隠れて書斎に戻り、押入れに潜む。壁の穴をナイフで広げる沼波。
    須賀子は、土建屋の大谷浩平(北村和夫)の事務所に出かけ、北海道に役人と出張に出かけるというのを取り止めさせ、夫が出かけるなんてめったにないことなんだから、店に来て、ゆっくりしようと誘う。事務員の松川(二階堂郁夫)がニヤニヤしていると、須賀子に、下品な社員は首にしろと咎められる。
   昭和14年初夏の大連、縁があって満鉄の大学で英文学の教鞭を取っていた沼波は、ある人の勧めで、23歳の須賀子と見合い結婚をした。見合いというよりも、美しい須賀子の写真を見て一目で気に入った沼波は、写真結婚をしたのだ。須賀子は母を早く亡くし、役人を退官し満鉄の嘱託になっていた父と二人暮らしをしていた。純潔というよりも、男女関係は面倒くさいものだと言う感覚のあった沼波は童貞であった。初夜のこと、自分を迎え入れる動きをした須賀子の処女に疑惑を感じた沼波であったが、新婚生活は充実したものだった。しかし、沼波は、自分好みの女に育てようと、海外の文学書を薦め、文学について得意げに滔々と語る。しかし、高尚な議論に付いて行けない須賀子は、家庭でも学校の先生のような沼波に苦痛を感じ、東京に帰ってしまっていた父に沼波との結婚が失敗だったという手紙を出していた。
   19年秋、大学の同級の小説家の田所(神山繁)が大連に講演にやってきて、沼波の家庭を訪ねた。戦況は芳しくなく、敗戦濃厚だなと話す。満鉄という新しい実験は目を見張るものがあり、新しい国家とコンツエルンとしては素晴らしいが、結局、植民地という実態のないものの上に築かれたものであるし、根なし草だと言う。翌日、急に帰国するという田所を駅まで送って行った沼波。須賀子が誘惑してきたのだと言いにくそうに告白する田所の言葉に沼波の表情は固まる。
   戦況は更に悪化し、久し振りに妻を誘って街の喫茶店に入る沼波。「素敵なお店。わたしはこういうお店を持ちたいわ」美しい妻を眺め悦に入る沼波。非情にも空襲警報が響き渡る。20年夏、日本は全面降伏をし、在留邦人たちは、苦力のような中国人たちに、衣類などを売って糊口をしのいでいた。また夫が出征したままの近所の若妻(谷川玲子)が、露軍の将校を相手に春をひさいでいた。
    須賀子は、日本酒が手に入るという的場(小池朝雄)の勧めもあって、社宅で小料理屋を始めた。須賀子目当ての怪しい男たちで店は流行った。的場たち、ブローカーたちが逮捕されると、次に特徴的な長靴が玄関に並ぶようになった。長靴の主、関東軍軍属であった瀬川(加藤武)も、酔って好色な目で須賀子を舐めまわした。2階の書斎で沼波は、下で上がる須賀子の嬌声を不快に思いながらも、何も言わなかった。長らく続けていたシェークスピアの翻訳に没頭し、時に耐えられなくなると、数冊の本を持って外出した。ある日、沼波が帰宅すると、酔ってうつぶせの須賀子と瀬川の二人を見て、情交を確信したが、何も言わない沼波。しかし、その日以降、須賀子との同衾を拒絶する。
   2年後、夫婦は帰国する。須賀子は金沢にある実家を料亭青栁に改築して、営業を始めた。大谷は、県の局長(雪丘恵介)県庁の役人(八代康二)の接待に店を使う時に、自分でも店を持っている君子(楠侑子)がやってきた。君子は、尋常小学校の頃は勉強が好きで級長まで務め、女学校に行きたがったが、家が貧しく色街に売られたのだと言い、いつも黙々と本を読む沼波のことを尊敬していると言う。全く文学を理解しない須賀子と違い、かって学生の客に借りて「カラマーゾフの兄弟」を読んだという君子に、色事なしで付き合って欲しいと言われる。
  冒頭のシーンに戻る。押し入れの穴から須賀子と大谷の情事を眺める沼波。同衾を拒絶しておいて、妻の情交を覗き見る自分の高揚感に、恍惚とする須賀子の表情を美しいと思う沼波。翌日、用事を済ませた須賀子が帰宅すると、三重が「旦那さまがお戻りになっています」と告げる。家で一緒に食事をしようと言う沼波の言葉に喜び、自ら買い物に出掛ける須賀子。しかし、須賀子の留守中、沼波は、自分の部屋に鍵を取り付ける。更に、食事はいらない、眠るので起こさないでくれと須賀子に言ってくれと三重に告げる。奥様はお食事の買い物にいらっしゃったのにと当惑する三重。
   部屋に入り、鍵を掛け、睡眠薬を飲む沼波。帰宅した須賀子は困惑して、戸を叩き、どうして私を拒絶するの?と泣く。翌日、須賀子に、自分は大谷との情交を覗いていたのだと告白する。私は貴方だけを愛していると言う須賀子。君子から電話があり、大谷が贈収賄で逮捕されたと告げられる沼波。久し振りに須賀子を抱きしめ唇を交わし、何もぜず、学問に逃避していた自分が悪いのだ、東京に出てやり直そうと言う沼波。
   沼波が東京に出て、プラトン出版社で働くようになって1年が経った。須賀子の伯父で中国学者の片瀬直彦(巌金四郎)の家で、須賀子との穏やかな生活を送っていた。家の庭には、巨大な中国の石像が飾られている。隣家には、寡婦の関口富子(沢村貞子)が息子の研一(川地民夫)娘の陽子(標滋賀子)と暮らしている。
   沼波は、会社での昼食時同僚の影山昌三(下絛正巳)から女事務員の志村広子(谷口香)は貧しい暮らしの中、働きながら大学に通っているので、いつも昼食抜きだと聞き、自分は腹の調子が悪いので、悪いが自分の弁当を食べてくれないかと押しつける。昼休み、ビルの屋上で佇む沼波のところに、広子がやってくる。「私は人に同情されるのが最も嫌いなのだ」と複雑な心中を明かす広子。英米文学を学んでいるという広子の、須賀子とは正反対の知的さに好感を覚えた沼波は、自宅に広子を誘う。英米文学の話をする夫と若い娘の会話を嬉しそうに眺め、食事を用意する須賀子。広子が帰った後にも、自分の研究の助手にしてやりたいと熱っぽく語る沼波。
   須賀子は、女学生時代のことを思い出していた。父の妹である伯母の身体が弱かったため、度々、この家に手伝いに訪れていた。ある日、伯母の入院中に、書斎にお茶を持ってきた須賀子を呼び止め、片瀬は「気がついていないだろうが、お前には魅力があるのだ」といい、部屋に横にならせて、目をつぶらせた。その日から、須賀子は性の喜びを覚えて行ったのだ。
  
  
   2度目。前回も「第3部流れ」でうとうとしてしまい、判らなくなったが、今回も駄目だ。中平として珍しく、込み入った人間関係を台詞で説明しようとしているのが鬱陶しいからなのかと自分を棚に上げて、決め付けることに(苦笑)。「第1部渦」は、相当好きなのだが…。

  恵比寿にある天窓switchで、和をモチーフにした女性シンガーソングライターエコツミのライブ。CMヒーローS氏と、昨日に続いてデザイナーN氏。他にも、カメラマンMさん、Uさん・・・。感想は改めて。車で来ていたN氏に今日も甘えて、外苑前粥屋喜々経由で、家まで送って貰う。

2010年7月15日木曜日

あぁ上野駅

     田町のアニメ制作会社のT氏を訪ねる。
      池袋新文芸坐に行くつもりで、山手線に乗る。五反田で前の座席が空き座ってしまうと、渋谷過ぎた辺りで、意識なくなり、気がつくと上野だ。そのまま、もう一眠りし、新宿に。
     楽器屋覗こうと炎天下歩いていると、声を掛けられる。振り返ると、失速バンドの御大にして、タワー・オブ・パワーのファンクラブ会長のチェリさんだっ。今日失速の打ち上げなのに行けないかもしれないと言い出せない。すみません皆さん。
    
    美人画家と一緒に、高田馬場四谷天窓で、実籾の歌姫小笠原愛のライブ。ライブ終わりで、失速打ち上げに行くつもりだったが、色々巻き込んで迷惑かけてしまったデザイナーN氏が、TV番組のプロデューサーを連れてきてくれたので、ライブ終了後、小笠原を連れて一杯。皆さん、本当に申し訳ありません。

2010年7月13日火曜日

千駄ヶ谷で新メニュー。

    外苑前粥屋喜々の店主Sの紹介で、N氏と千駄ヶ谷のTさんの事務所に。車から自転車を極めようとする趣味人。趣味どころか生活に貧する自分が情けない。N氏と別れ、Sと近くに出来たばかりのカフェで、ビール一杯のつもりが…。しかし、つまみ旨い!!ペゴロスのキャラメルオニオンマリネと鰯のポケロネス。これは自分で作りたい。

2010年7月12日月曜日

惣菜デリバリ。

    自宅居酒屋の残りの惣菜を持って、独身美人OLに差し入れに、一応タッパーに入れ冷蔵庫で保管、保冷剤を付けて持って行ったが、こんな気候なので少しだけ気になる。
  
   外苑前の粥屋喜々で、冷やし胡麻タレ付け麺。うまいっ。

   代々木駅行きのハチ公バス。座って考え事をしていると何だか気分がとことんダウナーな気分に。調子悪いなあ。
   独身美人OLからメール。美女軍団に惣菜好評だったらしい。鶏レバの粒マスタードマリネのレシピを知りたいとの声が!!しかしいつものように適当な塩梅なので、次回どうなるのか(苦笑)。褒められて、少し持ち直す。

2010年7月11日日曜日

にちようびはとうひょうび。

   2日連続の深酒に、昼から参加予定のセミナーをキャンセル。

   午後、後期用のカリキュラムのPPをブラッシュアップし、投票所に行くと凄い行列が。杉並は、区長選と区議補選も同時なので、手間は掛かるのは事実だが、それにしても前回の衆院選よりも人手多いようだ。それに投票所前の選挙ポスターを見比べている人も多数。政権交代と言う二者択一と違って、どれがマシかと言う消去法。票が割れると面白いのだが…。とはいえ、結果が分かってしまうのは数時間後。

    府中駅前のグリーンホールで、高校の後輩たちの定期演奏会。ビッグバンドスタイルの軽音楽部だった。高校を卒業したのは34年前か (苦笑)。父兄と変わらない、あるいはそれより上の年齢になり、同期の部長だったSと、2年後輩のYと怪しいオヤジ3人組。タワー・オブ・パワーの「ワット・イズ・ヒップ(お尻はどーれ)」(苦笑)など、当時の自分たちがやりたくても出来なかった曲を何とかこなしている女子高生たちを眺めていると、五十オヤジの目に涙。
   自分が金持ちか秋元康だったら、10代の女の子だけのKON48(K-ON = 軽音)と言うプラスファンクグループ組んで、世界三大ジャズフェスティバル&ニューオリンズ・ジャズフェスティバルと普門館とスウィンギング・バッパーズに闘いを挑むんだが…。
  
   後輩Yと、府中駅前の250円均一居酒屋で飲み帰宅。

   既に大勢は判明。しかし、つくづく大都市の1票は軽い。小選挙区制の死に票の問題より、選挙権の1票を平等にしてくれ。出来ないなら道州制か?

   しかし、昨晩、選挙戦最終日0時前、西荻駅前で、運動員と何十回と、「杉並に初の女性区長を!宜しくお願いします!」とだけ復唱し、全員でお辞儀を繰り返す異様な光景を目撃してしまった自分としては、荻窪駅前の女性眼科医だけは勘弁してとだけ祈る。