2008年10月25日土曜日

藤純子、和服の似合う女優。よっ日本一!!!

   池袋新文芸坐で加藤泰監督特集65年東映京都『明治侠客伝 三代目襲名(217)』明治40年、大阪の木屋辰組の二代目(嵐寛寿郎)が流れ者に刺された。木屋辰の野村組への建築資材納入を競う星野組が唐沢組を使って仕組んだのだ。二代目は一命を取り留めたが、息子春夫(津川雅彦)は、こんな時にも女に現を抜かし若頭の菊地浅次郎(鶴田浩二)を悩ます。唐沢組によりセメントの納入を妨害され取引停止の危機に陥るが、浅次郎の誠意ある対応に野村組社長(丹波哲郎)は取引継続を認めるのだった。唐沢組組長(安部徹)が入れあげている女郎お初(藤純子)に、岡山の父親の死に水を取らせるため、浅次郎は3日彼女を買い切る。お初は、浅次郎を心から愛し、そんな彼女を浅次郎も愛おしいと思う。彼がそんな逢瀬から朝帰りすると二代目は亡くなっていた。浅次郎が三代目を襲名するが、自分はヤクザ稼業だけで、木屋辰組は、春夫に継がせて堅気になれと言う。春夫は心を入れ替え働き始め、浅次郎は野村の勧めで神戸港の工事の監督に向かう。しかし星野(大木実)達の妨害は更に露骨になり、お初も唐沢に引かされ、春夫も野村組の仕事から手を引くよう脅迫の末、重傷を負う。その話を神戸で聞いた浅次郎は、子分達に神戸での工事を続けさせて、単身大阪に馬を飛ばすのであった。組の客分石井仙吉役の藤山寛美がいい。藤純子の和服の似合い具合は半端でなく、その後お竜さんで東映きっての人気女優になることも頷ける。ということで、
    シリーズ最高傑作の呼び声高い、70年東映京都『緋牡丹博徒 お竜参上(218)』。もうストーリーは面倒臭いので書かない(笑)。まあ、浅草の6区を仕切る人情に厚い鉄砲久の親分(嵐寛寿郎)は、息子に東京座という芝居小屋を任せて大盛況、それを狙い6区を一手に握ろうとする鮫洲政(遠藤辰雄)は、徐々に牙をむき始めるのだった。偽お竜の娘を探して、客分として草鞋を脱いでいた“九州熊本人吉矢野組二代目矢野竜子”(藤純子)が、組の窮地を救う話。菅原文太との雪の振る中の別れのシーン素晴らしすぎる。映像美の極致。蓮實重彦は、タランティーノが『キル・ビル』の青葉屋雪のシーンを、太秦で撮影しなかったことを失敗だと断言したと聞いたが同感。スタジオの中で、四季を表現するテクニックは、歌舞伎から始まって映画に受け継がれ、CGよりもリアルな演出として、日本映画界の至宝だ。
  日本橋で、セミナー『映画化時代のセミナー 撮影講座』に参加。セミナー(講演)の映像は素人でもポイントを掴めば簡単に出来、それを、youtubeを使うことでビジネス化することが出来るという実技編と、CGMをはじめとする投稿作品や、バイラルマーケティングとして実際成功している実例を紹介するビジネス編と言った内容だが、分かり易くよく纏まっている。30人前後の受講者は、職業、参加目的
様々で全国各地から集まっていて、当然のことだが、意欲も非常に高い。映像とネットとの連携に関しての世間の関心の高さに意を強くする。セミナーの後の懇親会にも参加、本当に色々な人が参加していて面白いなあ。調子に乗って飲みすぎたかもしれない。日本橋駅から東西線、中野行きに乗った筈が、何だか葛西という文字が・・・・。

2008年10月24日金曜日

戦後の日本の原風景とこれからの放送と通信

  午前中本当に久し振りに水道橋の再就職支援会社、1ヶ月振りくらいか。一件求人の紹介があり、それ用に職務経歴書をブラッシュアップ。いもやで天丼食べ(天丼前にたべたのはいつだったか)、
  神保町シアターで55年日活久松静児監督『警察日記(215)』。福島の田舎町の警察署を中心に貧しい故に起こる小さな事件を通じて人間の暖かみや切なさが描かれる。子沢山の巡査(森繁久弥)が保護した捨て子の幼い姉弟(本当に幼い二木てるみの演技が泣かせる)の話や紡績工場に身売りされていく娘と若い巡査(三國連太郎)との話、子供の為の万引き、食い逃げで直ぐ捕まる引き揚げ者(千石規子)、地元出身の大臣のお国入りの珍騒動など笑って泣かせるエピソード満載だが、単なる人情喜劇に終わらない洗練さが、どこかある。若い伊藤雄之助、宍戸錠、三國連太郎らも見ものだか。脇役もとてもよく描かれている。現代の日本にはどこにも無くなった人間と風景。
   六本木ミッドタウンでWIRED VISION主催のセミナー『IPTVビジネスはどのようにデザインされるか~コンテンツ制作の現場から』。IPTVを切り口に、放送通信に関してNHKからのMさん、東海大学の広報メディア学科の水島教授、角川グループホールディングスの角川歴彦会長の講演。それぞれなかなか面白かった。NHKのオンデマンド放送について、かなり誠意溢れる現状と今後の課題説明、水島教授の放送の意味と意義についての歴史的、法理的なところから言及する懇切丁寧な放送通信が持つ問題点、角川会長の業界のリーダーとして、フランクで熱意溢れる2011年に向けた課題。質問者がなかったので、会長に著作権の質問をさせていただいたが、時間をオーバーしているにも関わらず詳細を語って下さった。魅力的な人物だなあ。
   神保町に戻って56年日活久松監督『神阪四郎の犯罪(216)』。石川達三原作の法廷劇。神阪(森繁久弥)は雑誌編集長だが、会社経費の横領と梅原千代(左幸子)と心中を装った殺人と彼女のダイヤの指輪を略取した容疑で逮捕された。著名マスコミ人の女と金に関する大スキャンダルが世間を騒がす中、裁判は始まった。神阪の後見人でもあった評論家の今村(滝沢修)や出版社の事務員(高田敏江)らの証言は、神阪の虚言に満ちた人格と不誠実を激しく非難し、彼が犯人と断定する。愛人のシャンソン歌手(轟夕起子)や、妻(新珠三千代)らは、彼の無罪を主張するが、神阪の生活と性格の謎は深まるばかりである。また、元今村の内弟子で、死んだ千代の日記も神阪との恋愛と裏切りについて書いてあり、更に事実を分からなくする。果たして真実は?証言の相違を分かり易くするために、各証人ごとに、同じ場面を全く異なるやり取りで再現するシーンも多く、全体が111分になり流石に長く感じるが、最後に神阪が、今まで各証人が自分に都合のよい事実だけ述べ、不都合なことを話していないことを、幾つかの衝撃的事実も含め滔々と陳述するシーンは見もの。第三者も、当事者も、誰にも真実は判らないのだと熱弁をふるう。若き森繁の役者としての凄さを思い知らされる。また、神阪と心中をする(殺される?)梅原千代役の左幸子の肺病で弱っていきながら心中(無理心中?)に至る、狂気を感じさせる演技は壮絶で美しい。

2008年10月23日木曜日

加藤泰、鈴木清順。日本には何人凄い映画監督がいたんだろう。

   池袋新文芸坐で加藤泰監督特集。新しくなってから初めて。学生時代には随分通った。椅子や設備が凄くよくなっていて、昔オールナイトでは、狭くスプリングが弱り気味の椅子で朝には身体中バリバリになっていたのが、懐かしく思い出される。今より40Kg近く痩せていても駄目だったから現在は10分持たないだろう。
   61年東映京都『怪談 お岩の亡霊(212)』。勿論原作は鶴屋南北の『東海道四谷怪談』で加藤泰自身の脚本。民谷伊右ヱ門(若山富三郎)は、外道の御家人。辻斬りをしたことで妻お岩(藤代佳子)に実家に逃げられている。お岩の父は次女のお袖(桜町弘子)を年季奉公に出して金を貰うが、本当は女郎にさせられる。お袖の恋人与茂七(沢村訥弁)が、友人の助けで女郎屋まで追い掛け2人は結ばれる。与茂七が参勤交代で藩に戻って親の許しを得て江戸に戻る一年間辛抱することを誓い合う。民谷の悪仲間の直助(近衛十四郎)はお袖に惚れ、民谷と図り、お岩の父と与茂七を殺し、その敵討ちを理由にお岩と復縁し、お袖に近付くことに成功した。お岩を取り戻した民谷だったが、金もないことでお役に付くこともできず、生活は再び荒れ始める。そんな民谷を薬種問屋の娘が街で見初め、親バカな薬種問屋は民谷に妻子がいることを承知の上縁談を持ち込む。民谷はお岩が邪魔になった。そこに、薬種問屋は策略を持ってお岩に顔が醜く崩れ落ちる毒薬を飲ませるのだった。そこからはご存知の通り。最後のお袖が与茂七と直助の助太刀で父と姉の敵を討つ殺陣シーンなど見所多数。
    64年東映京都『幕末残酷物語(213)』(ネタバレでし)甲州の若い郷士、江波三郎(大川橋蔵)が新撰組の入隊試験を受けるが、木刀での勝負で三人破ったら、仮入隊というもので、死人続出で、度胸のない江波は立ち合うことも出来なかった。ただ、門を出た所で隊士たちにからかわれて、腹立ち紛れに腹を切ったことで気に入られ、入隊を許される。気を失っていた江波を看病したのは、宿舎の下働きの美しい百姓の娘のさと(藤純子)だった。脱走者や隊則を破ったものへの処分は切腹または斬首という過酷なものだった。江波は斬首役を志願することで近藤局長(中村竹弥)山南副局長(大友柳太郎)土方副局長(西村晃)らの信頼は厚くなって行った。沖田総司(河原崎長一郎)は、肺病だけでなく、芹沢鴨を勢力闘争の為に騙し打ちにしたことなど近藤らに屈託がある。政情はとても不安定であり、また近藤、土方と、山南との路線対立もおき、隊内に動揺は広がっている。脱退しようとした山南他隊士は次々と斬殺されていく。そんな中、さとは変わっていく江波を心配しているが、薩長との戦の前夜に二人は結ばれる。いよいよ夜が明け、本懐を果たし無事帰還した時には一緒になろうと江波がさとと別れを惜しんでいると、局長に呼ばれる。実は、江波は芹沢鴨の甥で、復讐のため、倒幕派の間者として潜入していたことが露見したのだ。近藤、土方たち新選組幹部を前に、近藤体制の非人間性を非難し、隊士たちと壮絶な戦いを行う。最後に沖田によって斬られ、さとに看取られ命を落とすのだ。やはり殺陣の素晴らしさは言うまでもないが、ローアングルだけでなく、自由自在なカメラアングル。江波が隊員たちと斬り合うシーンは本当に凄い。藤純子の初々しさは格別。
  阿佐ヶ谷ラピュタで、65年日活鈴木清順監督『春婦傳(214)』。やはり清順の傑作の一つといってもいい。美術の木村威夫さんも素晴らしい。セット、ロケ、広い大地が広がり、砂でじゃりじゃりする満州を見事に表現している。勿論清順木村コンビの非現実感いっぱいのセットも。天津で裏切った男を傷つけて満州の奥地に流されてきた娼婦はるみ(野川由美子)。千人以上の日本陸軍を13人の慰安婦が相手をする非人間的な場所である。部隊の副官に酷い扱いを受け、ハルミは当てつけに部下の当番兵三上(川地民夫)を誘惑する。次第に三上の純粋さにハルミは心引かれていく。八路軍との戦闘は激しさを増し、三上は前線で怪我をし失神しているところを、戦火をくぐって探しに来たハルミと共に八路軍の捕虜になる。三上は、日本軍人として捕虜になることをよしとせず、戻れば軍法会議にかけられ死刑になることを分かっていても、軍隊に帰っていくのだ。女の側から見た日本陸軍の実情。従軍慰安所の問題は、郷愁を持って語ることは許されないし、現実に、日本の軍隊の組織の一部であることは明確で、どう取り繕っても日本の恥だ。野川由美子は、エネルギーに満ち女としての気持ちのまま行動するハルミを演じきっている。素晴らしい女優!朝鮮人慰安婦が、「日本人はすぐ死んで卑怯だ。生き続けることの方が勇気がいる。絶対死んでは駄目だ。」と吐き捨てるように言うエンディング。ストレートで好き嫌い別れるかもしれないが、ハルミらおんなたちの生き方を見ていると、むしろ強く残った。

2008年10月22日水曜日

東京国際映画祭 ニッポン・シネマ・クラシック

    渋谷イメージフォーラムのモーニングショーで『春琴抄(209)』。しかし今何故谷崎春琴抄?観ても謎は解けない。著作権切れたから?没後50年にはもう少しだよなー。更に長澤奈央がヒロイン。忍法戦隊ハリケンジャー出身、今年は『芸者VS忍者』の忍者、『ロックンロール☆ダイエット』のロックギタリスト。で今回は、盲目のお琴のお師匠さまツンデレの春琴。何の役でも体当たり(笑)。更に佐助は、今風のイケメン、斎藤工。自分以外は見事に彼目当ての女子高生から30代の女性。何故か眼鏡をかけた娘多く、メガネっ子萌の自分は、少し幸せな気分に。佐助は、もっと貧相な感じじゃないと倒錯感でないよう気もするが、2人とも頑張っている。ただ、確か船場のお嬢さんだった筈。商家の離れというより、かなり鄙びた山の中にある別宅という感じ。畳もかなり古い。こういう映画を撮影する苦労が偲ばれる。更に、何だか古い関西弁みんな消化しきれていない。基本的には商家なんだから、口調ちょっと違うんではないのか。田中絹代や京マチ子版どうだったかなあ。更に欲を言えば、せっかく佐助を主人公においたのだから、春琴に対するカメラ、倒錯的に、もっと主観的な迫り方あったんじゃないだろうか。エロチックとは裸や絡みがなくとも成立する。
    昼からル・シネマで東京国際映画祭のニッポン・シネマ・クラシックで66年大映増村保造監督『陸軍中野学校(210)』クールで“歌舞伎役者のように(笑)"顔立ちの整った市川雷蔵主演。帝大を卒業文武両道に優れた陸軍幹部候補生次郎は、母親と婚約者雪子(小川真由美)残して入隊したが、配属先は、出来たばかりの非公式なスパイ養成学校だった。徐々に、国家と学校の為に学友や婚約者の死を選択出来るように変化していく陸軍中野学校一期生たちの一年間を描く。婚約者を探す為に陸軍暗号本部の英文タイピストとなったことを、英国のスパイに利用された挙げ句、次郎と再会し、最高の幸福を感じた途端毒殺される雪子が哀れ。最期と知らず、女としての喜びを肉体全てで表している彼女だけが体温を感じる。増村保造監督情緒的に走らず、時代を非常に客観的に描くことで、人間の選択の不条理さなどを浮かび上がらせている。
    67年東宝岡本喜八監督『日本のいちばん長い日(211)』。鈴木貫太郎首相(笠智衆)阿南陸軍大臣(三船敏郎)米内海軍大臣(山村聡)他、当時の日本映画男優陣正にオールスターキャスト。なんせ女優のクレジットは首相の家人役の新珠三千代のみだ。昭和20年の暑い夏、日本がポツダム宣言を受諾して敗戦を迎えるまでの各自にとっての“とても長い一日"を描く。青年将校役の黒沢年男や、鈴木首相を襲撃する横浜警備隊長天本英世たちの振りきれている演技。精神が壊れるほど苦悩した人々。狂気を美化せず、客観的なカメラが冷静にとらえている。東京国際映画祭の関連上映なので、最初に品田雄吉先生の講話があるのだが、この映画と『肉弾』は岡本喜八の太平洋戦争に関して対になる作品だと話していたが、確かに、同じ監督が作った作品とは思いがたい。しかし、岡本監督は、本当にレンジの広い監督だったんだな。
    元会社の後輩Kと同い年の某FM東京支社室長Kと更に同居人4人で、有楽町で飲む。ワイン飲んでいたら、結構ベロンベロンに。あー、帰りはかなりエネルギー必要に。今家でブログ打ちながら結構やばいっす。

2008年10月21日火曜日

川島雄三と篠田正浩

  午前中赤坂のメンクリ。昼ご飯を元会社の同僚たちと。
  新宿ピカデリーで『ゲットスマート(206)』。70年頃のスパイコメディドラマ『それいけスマート』の2度目の映画化。リメイクコメディならハリウッドは安心。大技小技最高。脇役も、テレンス・スタンプ、ビル・マーレイからヒーローズのマシオカまで。ヒロイン エージェント99のアン・ハサウェイ『プリティプリンセス』『ブロークバック・マウンテン』『プラダを着た悪魔』からパワーアップして(道をはずれて?)、身体を張っての肉感的お色気からアクション、スタントまで。久し振りにハリウッドもので楽しんだ。
   阿佐ヶ谷ラピュタで、60年東京映画川島雄三監督『赤坂の姉妹より 夜の肌(207)』。夏生(淡島千景)秋江(新珠三千代)麦子(川口知子)という3姉妹。長女は、元々新劇の女優を目指していたが、両親を無くし妹たちのこともあり、水商売で生計を立てるうちに、女を武器に男たちを乗り換え乗り換え、のし上がって来た。次女は、姉の元愛人で調子のいいだけの男(フランキー堺)が姉から捨てられるのを見て、彼と家を出る。最後に上京した麦子は、心臓が弱かったが、学校に入り、当時の若者が誰でもそうであるように、社会正義から学生運動に参加、姉の女としての生き方に反発し、より激しい闘争現場に参加するようになる。女好きな保守党の幹事長役で伊藤雄之介。したたかな料亭の女将に山岡久乃、印刷屋の妻菅井きんなど脇役揃っている。更に、学生たちに露木茂や若き日の蜷川幸雄(笑)なども。淡島と新珠の幕末太陽伝を思わせる長回しの姉妹喧嘩や、赤坂料亭や永田町など、さすが職人!川島雄三、巧みに描いている。それよりも東京オリンピック前の赤坂。日枝神社、豊川稲荷、氷川神社、一ツ木通り、ホテルニュージャパン。溜池。ああリアル三丁目の夕日。確かに、TBSテレビは当時テレビ東京だった。ラジオ東京にテレビ東京が出来てTBS(笑)。
   61年松竹大船篠田正浩監督『三味線とオートバイ(208)』。小唄の師匠をしている母(月丘夢路)に育てられた高校3年生の初子(桑野みゆき)は、卒業記念に同級生やボーイフレンド(川津祐介)たち大学生とツーリングに出掛けるが、川津と桑野は、交通事故に遭う。入院した病院の担当医師(森雅之)は、偶然にも初子の本当の父だった。2人は結婚しようと東京に駆け落ちし、初子を妊娠したが、親に捕まった上、医師の出征もあり、生き別れていたのだ。初子の事故をきっかけに出会った2人に、若い時の思いが蘇るが、初子は事実を知らされていなかったこともあり、母親の恋愛を頭では分かっていても、受け入れることが出来ない。母娘の関係がギクシャクしたことに胸を痛めた医師は、九州の病院に転勤することで仲直りさせる方法を選ぶ。医師が去ってから一年が経ち母娘は元の穏やかな生活を取り戻していたが・・・。ストーリーだけ書くと母娘もののメロドラマだが、篠田監督は素晴らしい。母と娘、実の父という3人の気持ちをきっちり情感たっぷりに描きながら、ウェットなだけの映画に終わらせていない。オープニングからタイトルバック、2人が事故に遭うまでのかっこいいこと。桑野みゆきかわいい!だけではなく素晴らしい女優だったんだな。博華で餃子とビールでしみじみと。

2008年10月20日月曜日

消される前に提言を。

   たまには固いことでも書こう。
   今朝の日経新聞の春秋が、伝説の宮大工故西岡常一翁について触れていた。翁は、若者に『自分で考えなはれ』『学校の先生やない』と言って仕事を教えなかったそうだ。職人の修行は、そういった部分がある。
   昨日のカンファレンスで、林海象監督は、現在51歳、自分が観てきたような日本映画を作りたかったが、当時日本映画界がどん底で撮影所に若者を採用するどころか、映画製作さえ取り止めていた時代、仕方なしに自分で借金し、バイトしながらお金を返す方法で、『もがきながら』20年以上映画を作り続けている。彼が、『撮影所は映画の学校』と言う学校は、多分翁がいう学校とは違う。立命館の先生の『撮影所が若い人材を育てる余裕がないので、各大学が映画学部や映画学科で映画人養成を担うことが出来れば』という発言は、更に少しニュアンスが異なる。
   日本映画界に多くの素晴らしい監督を送り出したのは、京都太秦の東映・松竹・大映や松竹大船を初めとする撮影所であるが、東大や京大出身の彼らが最初に撮影所でやっていた仕事は、日本映画のプロ、職人の徒弟制度の末端だ。フォース助監督など、不眠不休で、鉄拳で可愛がられる映画小社会の下っ端だ。そこで5年10年かけてチープ助監督に這い上がって、運と才能に恵まれた一握りの人間が初監督としてデビューできたのだ。一本撮れただけで終わった監督はまだましで、結局撮れない助監督は沢山いただろう。キャメラ、照明、製作、全てのスタッフはチーフになるためには同じ努力が必要だったろう。そこが、アメリカの大学の映画ビジネスマン養成の場としての映画学科とは少し違うかもしれない。アメリカ式のメソッドを教える学校を否定はしないが、今までのやり方を知識として学んでも、瞬時に周りの状況と解決方法を判断する現場で通用しないだろう。と言って、ただ映画監督になりたい人間が、いつ卒業できるか判らない撮影所の下っ端で辛抱出来るのかとの問題は勿論ある。学校と違って授業料を払う必要はないし、バイトとして割りは悪いが、少ないながら給料を貰えて、身を持って映画作りの現場を体感出来る幸せ、中長期的な展望は全くないにしても(笑)悪くない職場だと思うが、他人の人生価値観は人それぞれである。クリエイティブな自己表現を目指して映画業界に入ったら、自己を否定されひたすら肉体労働に勤しむ、監督や役者のエゴの奴隷である。
   では、大学の映画教育は意味ないのか、そうとは思わない。映画監督という職業につく資格を与えるような幻想を振り撒くのではなく、今の若者に圧倒的に欠けている映画のメディアとしてのリテラシーと、一般的な教養を学ぶ場としてである。林監督が、教授を勤める京都造形大学の普段アニメしか見ない教え子にマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』を全話観せたら、次郎長も何も知らない若者がものの見事に嵌ったと言っていた。そんな、映画館で映画を観たことのない人間の目から鱗が落とす場は不可欠だ。ただ、一昨年だったか、キネ旬主催の映画プロデューサー養成講座で、アスミックの担当者が、当時話題の『さくらん』を見た人と聞いたら、その前大コケした映画と変わらない人数、百人中4、5人しか手を挙げず傷ついていたのを目の当たりにしたが、話題の映画さえ観ない人間が、自己の潜在的な才能を見出してくれる場として映画業界に入りたいと思っているのだ。
   映画館で映画を見ない人間に、映画商売出来ないのではないか。 決してスクリーン至上主義ではない。映画は、スクリーンで見えることと、テレビモニターで見えること、YouTubeで見えることは確実に違う。映画は、テレビモニターで見ているものを拡大して大きなスクリーンに映写しているものではないのだ。それは技術的な情報量やbit数のことではなく、油絵で絵を描くのか、水彩画を描くのかの違い。いや、大きな号の油絵を描くことは、小さな油絵の引き伸ばしすることとは全く違うということだ。表現の世界では、大は小を兼ねないし、勿論小は大を兼ねない。その違いを体感させる教育だ。監督やキャメラマンが、小さなファインダーを覗いて撮影している時に、最終的に上映されるサイズと情報量を自分の脳内で変換させていることを理解させることだ。その為にも、面白いもの、難しいもの、考えるもの、つまらないものを沢山観せることだ。
   林監督も言っていたが『シルバー層は、映画を観に行って、自分たちの青年性を感ずる喜びを持っているからもいい。問題はこれからの若者だ』『映画を作るということは観客がいなければ成立しない』。本当に同感だ。何度もここに書いているが、シルバー割引や夫婦50歳割引はいい。後期高齢者医療制度のように、若者たちの負担増を防ぐというお為ごかしのような名目で(若者には仕事さえないし、多分若者の負担も際限なく増えるのだ)、官僚達の既得権保護でしかない本音を隠して、敬老という美徳を世代間の不平等にすり替える偽善的為政者を選んでいる社会としての罪滅ぼしとして、映画を観たい人間に映画を観る場を無くすことはない。かって映画界を儲けさせた世代に娯楽としての映画を提供しつつ、若者も見たければみるようなチャンスを作ることは素晴らしいことだ。しかし、本当に必要なこと、とにかく大事なのは、若い連中に映画館に行く習慣を植え付けることだ。それこそが映画業界の最優先事項だ。浸透しなかったということで打ち切られるらしい『高校生3人なら1人1000円』ではなく、2人で来れば1人1000円! いっそのこと、二十歳未満、全部子供料金800円位の施策の導入を、思い切って検討してくれー!! その成果が表れるのは、5年10後かもしれないが、その習慣はずっと続くのだ。わざわざ、携帯やi-podの液晶向けの映画を開発するよりも、手っとり早いし、安上がりなことなんだ!!!

京都錦小路で鷹の爪買ったので、新宿で鷹の目(魚の目じゃないよ)

  朝早起きしてチェックアウトして、祇園から四条河原町をダラダラ歩き、錦小路で買い出し、京都駅伊勢丹地下で味噌と弁当を書い、帰京。上洛の逆だから江戸に下る。新幹線内で、ふと 月曜日だったと気がつく。まあ、こんな時間に戻るのも、職安の認定日で、就職活動をしているが、失業したままですと報告に行かなければならないからだが、京都で会った人には、お元気そうで安心しましたと誰からも言われる始末、そろそろ、ちゃんと考えなければと改めて思う。職安で無事に認定貰い帰ろうかと思ったが、週末映画観てない。
  新宿バルト9で『イーグル・アイ(205)』。(完全なネタバレ注意でし)。何だこりゃ?!只の2008年版HAL(2001年宇宙の旅)じゃねえか。HALは宇宙船の閉ざされた空間だったのが、現代は地球の至る所がコンピューターで繋がっているという話は、現実社会の日常に過ぎない(テロに関する言葉が、電話やメールにあると、ピックアップするシステムは、既に動いているのだし)。似ているや、リスペクトしている、影響を受けているというレベルではなくて、人間がカメラの死角になる狭い部屋に入るが、読唇術で読み取られる(まあ、駄目な場合は、コーヒーの振動を音波として読み取るという新ネタも)や、最後にはメモリを引き抜いていく方法まで一緒(苦笑)。しかし、システムを止められるのは、主人公の死んだ双子の兄だけ。兄がシステムに寄って殺される前にロックを掛けたので双子の弟をおびき寄せて外させようとする音声認識、生体認証。一卵性双生児は、全く一緒なのか?指紋、掌紋、眼球の虹彩まで同一ってありうるか?双子はクローンか?そのあたりかなりお粗末。めざましで軽部大絶賛してなかったか?(苦笑)。スピルバーグ原案、製作総指揮。ハリウッドは、スピルバーグさえアイディア枯渇。リメイクばかりなのは分かる。しかし、googleブログサーチ見る限り、HALに言及しているブログ少ない。ひょっとして、書いちゃまずいのか・・・(笑)。もし、このblogが今日で終了したら、この映画が現実ということかもしれない。さすらいの会社員は、ハリウッドに対するサイバーテロリスト(笑)。 しかし、まあ自分が映画ライターしていたら、仕事が無くなって抹殺されるだろうが、ただの失業者でよかった(苦笑)。
   京都で和食系だったので、地元西荻の美少女インド料理屋で、タンドリチキンとビール 。

2008年10月19日日曜日

京都の紅葉はまだまだだ。

   朝から、嵐山方面に出掛けるものの、紅葉どころか上着を着ていなくても少し歩くと汗だくに。段々観光客が増え、渋谷駅前的な状況になったので、嵐電で太秦に 戻り、昼飯取ろうとするも日曜で太秦映画通り商店街は、ほとんどシャッターも降りている。やっと中華見つけて、餃子炒飯ビール。炒飯うまいなあ。何気に京都の町の中華料理屋うまいのだ。
   映画村へ行って、メタル侍ブースで手伝いもせず昼寝(苦笑)。池田屋のオープンセットの座敷は風が抜けてとても気持ちよい。撮影所で『クロスメディア時代の映画を考える』というカンファレンス。『メタル侍』の我らが兼崎監督がパネラーの一人として林海象監督やニワンゴの溝口さんらと登壇(笑)。その前の第2部の対談は、中島貞夫監督松原信吾監督なので、ちょっと可笑しい。ただ、クロスメディア時代というよりも、プロダクションとしての映画業界の話が中心だったな。ちょっとメディアが変わる時のコンテンツプロダクトの方法の変化という視点は3部の三人だけだった。林監督がとてもフランクに話す問題意識、非常に同感。
   このカンファレンスは、クリエイティブ・インダストリー・ショーケースin関西2008(CIS)の一環として行なわれたので、関西財界、京都市、京都府、関西マスコミなどのお歴々が、その後、映画村内で実施されたオープニングセレモニーに出席。パーティの末席に参加。晩御飯代を浮かす。兼崎監督は、ドワンゴの溝口さん、林海象監督と意気投合している。何だか、夕張~ハワイ~京都CISといい流れが来ているなあ。