2008年11月29日土曜日

映画観ない日だった筈が。

   久しぶりに映画を見ない日と言っても、京橋のフィルムセンターで『映像アーカイヴの未来』というシンポジウムに参加していたので、何をか言わんやと言う感じ。シネフィルなんて上等なものじゃなくて、フィルムジャンキーというかシネマジャンキー。シネジャンと略すと軽い、軽い(笑)。時代小説と時代劇とフィルムノワールで1日が終わると、江戸時代の尾羽打ち枯らした初老の浪人になった気分で、これはこれで気持ちがいい(苦笑)。主持ちの侍が江戸に出奔して、どこぞの長屋で浪人になって、貧しいがせいせいするなんて話は随分読んだ気がするが。
シンポジウムはカナダ、 フランス、韓国とせっかく海外からパネリストを呼びながら、テーマの設定が緩すぎるのと、どう話を持っていくかのビジョンもないので、辛い。1人10分で6人に話させて1時間で討論は無理がある。また映像アーカイブと一言で言っても、国立近代美術館がやっている映画の文化資産としての保存公開活動と、カナダの国立映画制作庁(NFB)や、フランスの国立視聴覚研究所(INA)が、自分達が持っているフッテージを素材の映像アーカイブとしてセールスしていることと、NHKアーカイブがやっていことはビジネスモデルが違う(まあフィルムセンターはビジネスでもないが(笑))。 
   映像の権利処理と一言で片付けられない、権利の束である映画の著作物として、クリエーターや出資者へのインセンティブとなる利益配分と、アナログフィルムをアーカイブ活用するためのデジタル化の経費を、ごっちゃにして“映像アーカイブのコスト”として一括りにしてしまう乱暴さでは、議論にならないのではないか。どこも以前の権利者探しの大変なのは一緒ですねでは、なんの提言にもならない。
   映像作りの技術の大衆化で、CGMやら、ホームビデオやら、携帯の動画カメラやら、映像コンテンツを誰でも作れて、玉石混交な代物が
ネット上に氾濫している時代なのだ。アーカイビングのコストを誰がどう負担するかというのが、分かり易いが、絶対答えが出ない問題だ。
   司会者は、書籍の国会図書館のように、法律で、映画も提出義務化なんて考えているみたいだが、プリント代いくらか知っているのだろうか。フィルムセンターの人も日本映画の製作本数を劇場公開数で考えているが、Vシネや、テレフューチャー、記録映画やら、広告用短編とかは切り捨てるのか。そもそも、ビデオ、DVDパッケージは全て国会図書館に提出されているのか。AVは?とか考えるだけでも気が遠くなる。
   自分は、どう考えても、国宝や重要文化財のように、国の文化政策の一環として、選んだものだけ、維持管理の費用を出すしかないのではないかと思う。NHKの方は、アーカイブ事業は受信料ではなく受益者負担の有料課金に制限されていることに、不満そうだったが、であれば、NHKの受信料は、あんな乱暴な定額制でいいのかという議論があると思う。公共性の意味を、もっと厳しく問われるのではないか。公共放送の根底の問題だ。
  更に司会者は、アーカイビング事業の従事者の育成を、自分達芸大のような教育機関にみたいな本音が見え隠れしていたが、今必要なのは、評論家や学者や文化庁の役人ではなく、世界に通用するクリエーターを輩出することと、クリエイティブをビジネスに変えることが出来る人材の育成じゃないのか。農業従事者を増やすことをしないで、農林省の役人増やしても、ろくなことにならないと、明治以来の官僚組織が物語っているじゃないか。アーカイブ用倉庫を充実させても、新しい作り手と新しい観客を作らないと、只の墓場の番人だ。と、4時間を費やしながら、主催者だけ嬉しそうなので、少し腹もたつ(苦笑)。
  映画見ない日だと思っていたら、シンポジウムの最後に、松本俊夫が1955年に日本自転車工業会の依頼で、海外向けに作った宣伝用短編映画『銀輪(327)』が上映される。確かに、松本俊夫監督で、特撮を円谷英二、音楽は武満徹らが作ったコンクレート・ミュージックという伝説的な作品が、2005年に発見されたというのは、ニュースだ。55年のカラー映画なので安定しない色調も、殆ど擦っていないプリントなので非常に高画質だと思う。しかし、実験映画が、宣伝用短編映画として仕事だったのかというのは、正直疑問だ。自分がクライアントだったら、この映画を海外で上映して、何と説明するのだろうか。アーカイブにする映像の価値を考える上で割切りない問題を、この映画が象徴しているという皮肉な感想を思った。
  京橋から帰宅しようとすると、元会社の後輩で、ヤメ同期が就職決まったという連絡が・・。就職祝いをしてあげることになって、高円寺きよ香で、久米仙と海ぶどう。

2008年11月28日金曜日

長門裕之と浜村純の映画、このところ何本みたのだろうか。

    池袋新文芸坐でマキノ雅弘監督生誕百年記念上映会
   40年日活京都『続清水港 清水港代参夢道中(323)』。
   劇場の演出家石田勝彦(片岡千恵蔵)は、次の公演「森の石松」の直前になっても、ホンは悪く役者は大根で、苛立って稽古を取り止める。劇場専務(志村喬)は、石松を殺さない話にしたらとか、給料分くらいは働いてくれと言い出す。照明部員(広沢虎造)は、石田の嫌いな浪曲を唸りだし、秘書の黒田文子(轟夕起子)も、ホンがダメなら2人で考えましょうと出過ぎた真似をする。怒鳴り疲れて石田は眠ってしまう。
   目が覚めると不思議な光景だ。江戸時代にいて自分はどうも森の石松になっている。秘書の文子も石松の許嫁のお文になっている。ここは清水の次郎長一家だ。次郎長(小川隆)、お蝶(常盤操子)、大政(上田吉二郎)、小政(団徳麿)は、舞台のキャストと一緒だ。突然公方様の世の中はもうすぐ終わるだの、自分は殺されるなどと言い出した石松の頭がおかしくなったと皆思っている。
   そんな時、次郎長が、静養を兼ねて、四国の金比羅様に自分の代参で詣でてくれないかと言う。清水にいるよりも気が晴れると思ったが、よく考えると四国の帰りに小松村の七五郎のところに寄って都鳥の兄弟たちに石松は殺されるのだ。一度は断ろうとすると、お文が自分が一緒に行けば運命も変わるのではないかとと言って、旅に出る2人。途中、斬りかかったきた勝沼の嘉助(香川良介)を返り討ちに。今和の際の子供芳太郎(沢村アキヲ)を預かってくれという頼みに、3人の旅に。
   無事金比羅さまへの代参も済み、伏見への舟の中で、次郎長一家を褒める浪花節語りの虎造(広沢虎造)に会う。嬉しくなって一家の子分たちの喧嘩の強さの順番を聞く。1に大政、2に小政…と挙げて貰うが、自分の名前が一向に出て来ない。意気消沈する石松。客人は、あっ大事な人を忘れていたと言って、喧嘩が一番強いのは石松だ、あいつは馬鹿だがと余計なことも思い出す。しかし、すっかりご機嫌を直して虎造と打ち解ける石松。いつの間にやら石田も石松並みにお人好しの馬鹿になっているのだ。
   虎造も含め4人で宿屋に泊まろうとしていると、小松村の七五郎がやってきて、水臭いと言う。自分が落ちぶれて貧しい暮らしだから兄弟分の杯を忘れたのかと言う。仕方なしに七五郎の家に行くが、貧しく、酒も肴も無い。女房のお民(美ち奴)に、自分たちの着物を質入れしろと言うが、工面できたのは一升にも満たない酒だ。仕方なしに水を足して出すと、金魚の水の味がする酒になった。布団も無く、褌と襦袢だけの夫婦を見て何も言えない石松。なんちゃら一家が親分の仇討ちに決闘したいとやってくる。七五郎やお文たちに黙って約束の場所に向かおうとする石松。虎造が待ち受け、助っ人は出来ないが、今作った森の石松のくだりを聞いてくれと言う。それを冥途の土産に、斬り込む石松。しかし、都鳥吉兵衛(瀬川路三郎)の騙し打ちだけ避けて、吉兵衛を斬り捨てる。七五郎とお文が石松のもとに走る、走る。
   石松はお文の名を呼びながら斬り合いをしていると、夢が覚めた。無事「森の石松」の舞台の初日が開いた。沢村アキヲとして長門裕之が子役で映画初出演。当時は、誰でも知っている森の石松が一捻りされている分、テンポよくあっという間に見れてしまったんだろうな。さすがに、森の石松は知っていても出てくるヤクザの名前が分からなくなってくると、誰でも知っている前提で端折った部分が分からない。次郎長三国志全巻見ているマキノファンの方々には全く不自由はないだろうが、今年50歳になっての次郎長デビューの私には勉強になることばかりだ(笑)。面白いなあ。轟夕起子、洋装、和装決まっていて、かっこいい女優だ。
   50年東横映画『殺陣師段平(324)』。
   大正初め、一世の名優沢田正二郎(市川右太衛門)は、新しい演劇を目指して劇団新国劇を立ち上げた。そこで頭取(役者の束ねみたいな仕事らしい)をしている市川段平(月形龍之介)は、今度の出し物が国定忠治だと聞いて張り切った。彼はかって殺陣師をやっていたのだ。しかし稽古の場でやってみせると、沢田は、そういう歌舞伎の型のような殺陣ではなく、リアリズム、写実的な殺陣をやりたいのだと言う。文字も読めない段平には、沢田が言っていることはさっばり解らない。
   張り切って出掛けたのに落ち込んで帰宅した段平に、髪結いをしている妻のお春(山田五十鈴)と住み込みの弟子おきく(月丘千秋)は優しい。8年連れ添ったお春は夫に気の置けないやり取りをするが、しっかり立てるよくできた女房だ。お春は誰とも知らない父親と亡くなった母親の間の子で身寄りがなく段平が連れてきた。なかなか沢田の意図するものが解らない段平。沢田がある時今人気の殺陣師と繋いでくれと言われた時には、従ったものの流石に落ち込んだ。かって自分が殺陣を教えた人間だったからだ。泥酔した段平はチンピラと喧嘩をする。駆け付けた沢田は柔道でチンピラをやっつける。見かねた兵庫市(杉狂児)らは、段平に殺陣を付けさせてくれと頼む。
   苦悩の末出来上がった段平の殺陣が入った国定忠治は大当たりした。連日の大入り袋で、お春も嬉しそうだ。国定忠治に続いて、月形半兵太、新撰組と次々に段平の殺陣は冴えわたる。東京進出が決まり、意気揚々と上京する筈が、どうも忠治の反応が今一で会社が殺陣をやりたがらないらしい。お春は肺病で健康が思わしくないが、段平を送り出す。沢田が一命をかけて上演することになる。湧き上がる観客たち。新国劇は日本全国で一世を風靡した。何度も京都からはお春の容態が思わしくないとの速達が届くが、段平は劇団を離れない。新しいトライアルとして沢田たちは殺陣の芝居を組まなくなっている。段平は沢田らと口論の末、劇団を飛び出す。ちょうとその時にお春が亡くなったとの電報が届いた。
   数年がたち、新国劇が京都南座で国定忠治をやることになった。段平は、その頃中風にかかっていたが、兵庫市に舞台を見たいという。天井桟敷で見ながら、もどかしげな表情の段平。帰宅するなり、兵庫市が持ってきた日本酒を飲み階段から転げ落ちる段平。兵庫市、おときに、沢田の中風の忠治は、リアリズムじゃないと言う。兵庫市に、沢田のもとに出向いて、殺陣を30円で買って貰って来いという段平。
   翌日、開演時間が迫っても段平は現れない。仕方なしに幕を開けようとした。そこにおときが駆け付けた。迷った末、沢田は観客に時間の猶予を貰う。おときの動きを見つめる沢田たち。段平が死に際につけた最後の殺陣はまさに、リアリズムに溢れたものだった。終演後舞台上でおときを囲む団員たち。殺陣の30円は、おときからの仕送りをこつこつ貯めた50円と合わせ、劇団を飛び出した時に懐に入っていた金の返金だという。沢田は、おときの父親は本当は段平だったに違いないと言う。おときの目に涙が。
   時代劇の殺陣を作った立役者のような人だったんだなあ。山田五十鈴、テンポのいい関西弁を操って、お春を好演。いいなあ。12月の神保町シアターの山田五十鈴特集。通いたくなってしまう。やばいなあ。
   京橋フィルムセンターで東京フィルメックス08で藏原惟繕監督特集~狂熱の季節~。
  59年日活『われらの時代(325)』。
   大学生の靖夫(長門裕之)は、アメリカ人の妾の頼子(渡辺美佐子)のヒモとして生活している。彼の唯一の望みは、今応募している論文が通ってフランスに留学して、日本から脱出することだ。彼は学生運動に熱中する学友たちを醒めた目で見ている。カンパを断ったために殴られていたところを八木沢(神山繁)に助けられる。八木沢の組織にオルグされるが、断った。
  靖夫の弟の滋はクラブでジャズを演奏しているが、正規のバンドの開いた時間を埋めるために出して貰っているに過ぎずクラブのマネージャー大黒(金子信雄)からは、いつも文句を言われている。滋のバンドはクラリネットの真二(山本勝)とドラムの韓国人高(小高雄二)のピアノトリオ。高は差別を受けて育ってきており、朝鮮戦争の時には米兵たちの男娼として同行していたらしい。滋は、トラックが好きで、それを手に入れて旅に出たいと思っているのだ。
   滋がクラブで歌っていた明子(吉行和子)が芸大を受験するので、靖夫にフランス語の家庭教師を頼んできた。頼子の男は、日本人を馬鹿にして、ドブ鼠と呼んでいる。頼子は、男に靖夫のことを弟だと紹介しているが、2人になると私の天使と呼ぶ。靖夫は、そのことに辟易している。
   靖夫と明子が結ばれるのは簡単だった。フランス語を喫茶店で教えていると(2人は水しか頼まないが)激しい雨が降り、傘を持たない2人は、バス停まで走ろうとするが、運動神経のない靖夫は転んでびしょ濡れになり、目の前の連れ込み旅館に入ったのだ。
   滋たちは、マネージャーに仕返しするために、高が朝鮮戦争時代に作っていたという手榴弾作りに熱中するが、マネージャーがオーナーにペコペコしている姿を見て、もっと大物を相手にしたいと考える。財界の大物の車を目標にするが、肝心の所で、真二がビビって失敗する。3人の関係にもひびが入り始める。靖夫の論文が1等に選ばれる。急に力が溢れてくるような気になる靖夫。明子が妊娠を告白した時も赤ん坊と一緒に渡仏しようと言って明子を喜ばす。また頼子の所へ行き、男を殴りつけて頼子との別れを一方的に宣言する。
   八木沢が、アルジェリア独立運動の活動家であるアラブ人を連れてくる。彼は、フランス軍に家族を殺されている。靖男は、自分のフランス行きに差障りがあるので、支援を断るが、アラブ人は握手を求めてくる。拒否しながらも、最後には曖昧に握手に応じる靖男。
   秋子のもとへ行く。夢を語る靖男を前に秋子の表情は固い。妊娠が分かった時に、念のため胸のレントゲンを撮ったら、重度の肺結核に罹っていたことがわかり、中絶しなければ命の保証はないらしい。翌朝ゆっくり考えようと言って、睡眠薬を飲んで寝る二人。靖男が苦しくなって目が覚めると、秋子がガス栓を捻って無理心中しようとしていたのだ。やっとの思いで栓を締め、窓ガラスを割る靖男。自殺を図るような日本的なつまらない女と一緒に死ぬのは嫌だと秋子をなじる靖男。
   高は、朝鮮戦争時代に付き合っていた米兵に再会する。彼は密輸入で作った大金を持っており、高にアメリカに来ないかという。これで日本から脱出できると喜ぶ高。しかし高が友人にトラックを買ってあげる金をくれと言ったら、米人の態度は一変する。東洋人は金に汚いと言いだして、高を民族的に卑しめる。激怒した高は米人を殺す。
   金を持った高はクラブに戻って、滋に一緒に逃げようと言って、真二と争いになる。残った手榴弾で、どちらが卑怯かを証明しようということになった。火をつけた手榴弾を間に挟んで先に逃げだした方が、卑怯だというのだ。しかし、その勝負は、二人を爆死させる。靖男を頼ってくる滋。靖男とアラブ人は、アラブ人の宿舎に連れて行く。しかし、滋が寝ている間に、クラブに隠してきた現金が滋の立場を危うくすると考えた二人は急いでクラブに向かう。しかし、目が覚めた滋は、兄とアラブ人が自分を警察に売ろうとしていると思いこむ。彼は、クラブの事務の女の子に隠したお金を持って、ここに助けにきてくれと電話をする。しかし、そのことは更に混乱をさせた。爆弾を持ったアラブ人に滋が監禁されていると警官に訴えたため、パトカーが殺到し、パニックになった滋は、ビルから転落死し、走ってきたトラックの下敷きに。警察でことの経緯を説明し、容疑は晴れて取調室を出る靖男。そこに、大学の関係者とフランス大使館の人間が待っていた。アルジェリアの独立運動家との関係を聞かれる。靖男は、運動を支持すると言って、フランス留学を自ら放棄した。警察には頼子が迎えにきていたが、靖男は拒絶する。また八木沢も、組織に来いという。全く興味がないという靖男を殴る八木沢。八木沢に、君の運動もバイクと同じだと言う靖男。鉄道自殺をしようとするが、その勇気もない靖男。
   自分も15歳くらいから20代は、閉塞感で窒息しそうだった。しかし、本当は、周りの問題というより、自分自身の問題だ。回りを圧倒するほど凄い人間でありたいという願望に自分が到達できないのだと思い知らされる日々への逆恨みだ。悔しいなあ。   
60年日活『ある脅迫(326)』直江津の町にサングラスを掛け、見るからに怪しい男熊谷(草壁幸四郎)が降り立つ。彼は新潟銀行の直江津支店に行き、営業時間外に、通用口から入って用務員(浜村純)を驚かす。次長に用があると言う。
   次長滝田恭介(金子信雄)が本店に栄転するので、送別会が開かれているのだ。芸者も上げた宴会は盛り上がっていた。主賓の滝田は頭取の娘婿であり、本社転勤は役員昇進が約束されたもので、支店長も、露骨におべっかを使っている。滝田と子供の頃からの友人の庶務係の中池又吉(西村晃)は、お燗番をしている。支店長に呼ばれ滝田の本に行くが、如才ない対応とはかけ離れた中池。滝田が大学を出て頭取の娘久美子(小薗蓉子)と結婚したが、中池は地元の中学を出て、かって交際していた久美子を取られたのだ。また、芸者として宴会に出席していた中池の妹の梅葉(白木マリ)は、滝田の愛人で、兄の不甲斐なさをなじる。
   熊木は滝田を脅迫する。かっての不正融資の証拠を握っており、300万を用意しろと言う。灯台下暗しなので、支店長が自分の銀行を襲うことはないと、依りによってピストルを渡して銀行強盗を示唆するのだ。
   悩んだあげく、滝田は決行する。当夜の宿直が中池だと知って、二人で飲んで酔いつぶす。用務員を縛ったところで中池と会う。中池にピストルを突きつけ、金庫を開けさせる。300万を盗んだところで、中池に名乗って、あくまでも防犯訓練だと言う。その後熊木との待ち合わせ場所に行き、1週間待ってくれというが拒否される。しかし、揉み合っているうちに熊木は崖から転落死する。滝田の憂鬱の種は、全てなくなった。
   翌朝、支店の朝礼で、得意げに、防犯訓練としての銀行強盗を語る滝田。当日当直だった中池は、全行員から嘲笑を受ける。滝田のもとに、中池がやってきて、熊木という来客があると告げる・・・。
   プログラムピクチャーとして、2本立て用に作られた70分程度の中編だが。素晴らしい。どんでん返し続きのストーリーもそうだが、滝田の不安感や、支店内の人間関係を、テンポを落とさないまま、深く描写する。うまいなあ蔵原監督。

2008年11月27日木曜日

蔵原惟繕監督特集 ~狂熱の季節~

   京橋フィルムセンターで東京フィルメックス08 蔵原惟繕監督特集
   60年日活『狂熱の季節(321)』。アキラ(川地民夫)ユキ(千代侑子)マサル(郷栄治)の3人は、渋谷のジャズ喫茶で外人客から財布を盗もうとしたところをカップルに通報され少年鑑別所送りになった。出所した2人は、車を盗み、売春しようとしていたユキを連れて海に出かける。そこで、自分たちをブタ箱に入れたカップルを見つけた。男をハネて女を攫い、アキラは砂浜で女を犯した。しばらくしてジャズ喫茶に行くと、女がいた。女は文子(松本典子)といい抽象画家である。文子はアキラの子を妊娠したという。また、婚約者の柏木(長門裕之)は、全く何事もなかったように週末連絡をしてデートをするが、そのことに文子は耐えられない。
    電車が通る度に潰れそうに揺れる線路脇のボロアパートに3人は暮らしている。マサルは関東組に入るという。アキラは刹那的に衝動に任せた生活を送っている。文子の個展に行き、観客をからかったり、脅したりするアキラ。また文子の家に行くと彼女の芸術仲間がいた。スノッブな連中を煙に巻くアキラ。再びアキラとユキの前に現れる文子。紳士的で聖人君子の柏木を自分と同じように貶めてくれと頼む。そうしないと元の対等な2人に戻れないと。ユキは電車の中で柏木を誘惑し寝る。待っていた文子に聖人君子でも何でもない。売春なんて仕事は父親がムショに入っていなければ、誰がやるもんかと言う。
     柏木と文子のデートの場にやってきて、高級レストランで下品極まりない食べ方をするアキラ。柏木は、社に戻らなければいけないと言って、文子を置いて逃げ去る。ユキが柏木の子を妊娠した。マサルはどっちの子でも生んで結婚しようという。よろこぶユキ。ジャズ喫茶でユキに寝てくれとギル(チコ・ローランド)が迫ったが、ユキは黒人は嫌だと言う。アキラはジャズを作ったのは黒人で、白人は盗んだ。日本人は物まねしているだけだから最低だという。ジャズに浸っているアキラ、ユキ、ギルの前に文子が現れる。彼女の話に耳を傾けないアキラに、文子はいきなりレコードを止める。ジャズの音が途絶えると、空気が無くなったかのように、文子に飛びかかろうとするアキラ。ギルが押し止める。2人で海に行く。笑いながら泳ぎ続ける2人。
   数日後、アキラは文子の家にガラスを割って侵入し、隣家の鶏を締めて羽を毟って丸焼きにして食べる。満腹で寝ているところに、柏木と文子が帰宅する。2人はようやく元の関係に戻ったようだ。文子がガスストーブの栓を開け、酔ったアキラがガス事故で死んだように見せかけて殺してしまおうと提案する。しかし、アキラが寝返りを打つとレコードが鳴りだして、失敗した。
   対抗勢力の親分を殺しに行ってマサルは死ぬ。3日間泣き通してから、ユキは中絶をしにアキラを連れて産院に行く。待合室には、柏木と文子の姿が。あんたたちも堕ろしに来たんだと言うユキ。ふとアキラはユキと文子を入れ替え、文子の子の父親はアキラ、ユキの子供の父親は柏木だと言って笑い出す。
   フィルメックスなので、外国人の観客も。終演時に拍手が起きる。確かに、全編流れるジャズと相まって動きのあるカメラ、スピード感あるし、溢れ出る若者の衝動と無軌道な行動をスタイリッシュに描く、日本発のヌーベルバーグとして誇るべき作品なんだろうな。しかし、ちょっと新聞記者の柏木と抽象画家文子は、少し分かり易すぎるというか、なんとも理屈っぽさが典型的過ぎるというか。まあ、スピード感を優先させるために、説明的な演出を排して、単純なキャラクター付けしたのだろう。それこそがヌーベルバーグなんだろうが、ちょっと物足りないと思ってしまう50歳の餓鬼であった。
   59年日活『第三の死角(322)』東邦造船に久保会長(東野栄二郎)がやって来た。会社側の一方的な人員整理の通告に反対する組合員たちが抗議を始めたところを芳川(長門裕之)が間に入って組合員を排除する。そのことは、会長始め役員たちに評価される。一方経理課長木村は会社近くの喫茶店で、加治(葉山良二)に極秘の会計資料と引き換えに金を受け取っていた。木村は、その後交通事故死を装って殺される。加治が資料を届けた先は彼がマネージャーを務めるクラブのオーナー青山(森雅之)。彼らは東洋造船の乗っ取りを仕掛けていた。また、東邦造船は、造船局の認可を受ける前にタンカーの建造を始めていたことがバレて作業がストップし多大の損害を被っていた。そのことは造船不況と相まって株価を下げていたのだ。造船局宮地課長(山田蝉二)も、規則を盾に認可を渋っている。それも設計課長杉山(浜村純)から情報を買い、造船課長に圧力をかけている青山たちの仕業である。
  芳川は調査部の係長に昇進、専務(小泉郁之助)と牧調査部長(芦田伸介)から、会長の娘秋子(稲垣美穂子)との見合いの話を持ち込まれるに至る。しかし芳川には社内で恋愛関係にあるかず子(渡辺美佐子)がいる。加治は秋子に近づく。本来は娘の名義株の取得だったが、久保の娘として生きて来た秋子と、典型的な会社員で、会社の為に自殺した父親を持つ不幸な2人には、通い合うものがあり、次第に惹かれあう二人。芳川は、木村の死を調べるうちに、加治の近くにいる小泉(深江章喜)というボクサー崩れの男の存在が明らかになる。小泉を追ううちに、芳川は加治に出会う。二人は大学時代の親友で、4年ぶりの再会だった。数日後、加治と秋子が会っているところに出会い3人で飲む。久保を尊敬しているという芳川。
   粘り強く調べていくうちに、芳川は、杉山と小泉の接触を見つけて、杉山に迫る。その結果、真相を知り、宮地を脅して、タンカー建造の認可を受けることに成功した。面子を潰され、文句を言う監査課長の嶋(河野弘)に、当然のことをしただけだと冷たくいう芳川。社内の人間は、会社人間の芳川に対して厳しい目を向けている。もっと大切なものがあるのではというかず子、彼女から芳川の子を妊娠したという話を聞いて、すぐに中絶しろという芳川。やはり交通事故で亡くなる杉山。また、かず子が自殺し、更に社内的に苦しい立場に追い込まれる芳川。牧から秋子との見合いの話も白紙になり、株主総会が最後のチャンスだと言われる。
  秋子が、自分名義の株券と委任状を持って、加治のもとにやってきた。久保の家を出ると言う。二人で新しい生活をやりなおそうと言う秋子。自分と秋子の住む世界は違い過ぎるのだと言って、秋子を残して出ていく加治。
  株主総会が始まった。無事進行するかと思ったところで、加治が挙手、裏帳簿の写しを提示しながら、政治家への献金などこの予算報告は信頼できず、60%の株主として経営陣の退陣を要求する。その頃、久保の自宅を青山が訪れる。株主総会の紛糾を電話で聞いた久保は、流会にしろと言いつつ、青山の提案した裏取引を飲む。会社の屋上で、芳川と加治が話し合っている。下を歩く会社員たちを軽蔑していたが、自分も一緒なんだ。かづ子が言い残したもっと大切なものという言葉が耳をついて離れないと言って、非常階段から飛び降りる芳川。
  青山のもとに戻った加治は、この世界と縁を切って、まっとうな人間になるという。引き留めようとした青山だったが、加治の意志が固いのを知って、秋子名義の株券分のお金をもらいたいと言う話を了承する。部屋で小切手を切ろうとして、インクをこぼす青山。インクを持って来いと電話に、やってきたのは、サイレンサー付きのピストルを持った小泉だった。早く始末しろと小泉に言って部屋を出る青山。小泉の銃が火を噴き、加治の右胸を貫くが、反撃する加治。揉み合いの末、小泉を射殺する加治。銃を持ったまま、クラブの店内に行き青山も倒す。意識が薄れる中で、残る力を振り絞って、加治は自分の部屋に電話をした。ちょうど加治の部屋を出ようとしていた秋子が、受話器を取る。加治は、最期に秋子に愛していると伝えたかった。秋子の自分を呼ぶ声を電話越しに聞きながら、加治は倒れた。

2008年11月26日水曜日

六本木珉珉で餃子とビール。

    朝一で職安に寄って、大門の歯科。ようやく歯が復活。
    池袋新文芸坐でマキノ雅弘生誕百年記念上映会
39年日活京都『江戸の悪太郎(318)』。 信州伊那の豪農手代木家の箱入り娘浪乃(轟夕起子)は、名家の暗愚な跡取りとの気の進まない祝言の場から、深い雪の中を逃亡し行方不明に。
    江戸の貧しい者たちが肩を寄せ合って暮らす割銭長屋と呼ばれる一角があった。そこで、島崎三四郎(嵐寛寿郎)は、寺子屋を開き長屋の悪太郎たちに、読み書きと、人としての道を説いていた。長屋で暮らす寡婦お栄(星玲子)は、貧しいながら身持ちも堅く、息子弥一(宗春太郎)の成長を楽しみに慎ましく生活している。秋山典膳(市川小文治)という旗本の屋敷で、祈祷師の道満(瀬川路三郎)が評判を呼んでいた。その門前で、菓子を売っていた弥一は、掏摸騒ぎの混乱に商売道具を壊されてしまうが、身寄りも住む所もない三吉(轟夕起子)と出会う。弥一は三吉を島崎のもとに連れて行き、三吉は寺子屋で暮らすことになった。
    商売道具が壊されお栄は、高利貸しの勘兵衛(香川良介)に一両借りる。しかし弥一は虎の子の一両を無くしてしまい。母に合わせる顔も無く、帰宅できなかった。弥一を探すお栄や三吉、島崎。途方に暮れたお栄は、道満のもとへ。お栄の美しさに襲い掛かった道満。ふと我に帰ったお栄は、守ってきた貞操を奪われたショックで大川に身を投げる。翌朝弥一が長屋に帰ってきた。島崎は、どんなことがあっても真っ直ぐ生きろと言って母の死を告げる。
    長屋に住む島崎の友人の講談師、楽々亭三山(志村喬)とガマの油売り長井兵助(原健作)と話すうちに、お栄の懐中にお札が入っていたことから、道満に毒牙にかかってお栄は亡くなったのではと推理する。
   島崎の寺子屋の場所に、道満の祈祷所を建てるために立ち退けという話が、地主からきた。50両払えと言う。清貧の暮らしを送る島崎には支払う術もない。長屋連中が少しずつお金を出し、高利貸しの勘兵衛でさえ、無期限、無利子でお金を貸すと言う。足りない分は講釈師の三山が説得するという。なかなか三山が戻ってこないため、小屋の客たちは怒り出す。そこで、三吉は、歌を歌って、舞を踊る。なかなかに達者で、観客からは大受けだったが、本当は、三吉が女性であることがバレてしまった。やっと50両集まり地主のもとに行く島崎。しかし、地主は道満側は100両出し、更に売らなければ神罰がおちるぞと脅して、強引に契約をしていったという。一方、三山らの話で、母親の死に、道満らが関わっていると知ってしまった弥一は、道満の屋敷に一人で乗り込み、暴れ回った末、捕えられた。
   島崎が長屋に帰って来た。女であることを隠していた三太は島崎に嘘をついていたことを謝る。しかし、島崎は、長屋の人々に寺子屋は大丈夫だと言って安心させてあげなさいと嘘をついて、秋山の屋敷に乗り込む。お栄の死について、道満たちを問い詰め、斬り合いになる。縛られ押入れに閉じ込められていた弥一を見つけ、屋敷を脱出しようとする。しかし足を斬られ、危機一髪。そこに、急を聞いた長屋の人々が駆けつけた。怒りに燃える町人たちに侍たちはタジタジに。
   割銭長屋に、大がかりな花嫁道中がやってきた。駕籠から出てきたのは、美しい花嫁姿で浪乃に戻った三太の姿が。今日は、島崎と浪乃の祝言だ。
   清順の『悪太郎』を見てこちらがどうしても気になっていたら、素晴らしいタイミング。自分の子供の頃悪太郎と言ったら、巨人の堀内のことだった。悪太郎、今では死語なのか。
  2年大映京都『すっ飛び駕(319)』。千代田城のお数寄屋坊主だが、練塀小路に住んで、賭場を開き、ゆすりたかりを業とする河内山宗俊(大河内伝次郎)。ある日、銭湯に入っていると、追われて逃げ込んだ浪人を、助けてやる。浪人は奥州棚倉藩の金子市之丞(南条新太郎)。市之丞の父は棚倉藩の筆頭家老であったが、江戸詰家老大村典膳の河川改修工事に関わる公金横領を暴こうとして、逆に腹を切らされた。
   宋俊は市之丞を森田屋清蔵に匿ってもらうことにする。清蔵は、かって生き別れた妹が、吉原の花魁、三千歳(長谷川裕見子)だということが分かり、その身の振り方を相談していた。
三千歳には、片岡直次郎(河津清三郎)という小悪党の情夫がいる。宗俊は、三千歳を身請けし、直次郎と別れさせ、市之丞の嫁にと考える。清蔵は、お上が密貿易に目をつけ始めたことを潮に、森田屋に火を放ち、三千歳のことを宗俊に託して江戸を去る。
  直次郎は、宗俊の屋敷で働く娘お春(伏見和子)に懸想してストーカー化していた男から100両騙し取るが、かって金を取り川に投げ落とした座頭に復讐され、金を奪われた上に袋叩きにされて川に捨てられる。宗俊は、死にかけていたところを蘇生してやり、二度と三千歳に会うなと言い聞かせる。しかし、直次郎は、三千歳のもとに行って、心を惑わせる。更に典膳のもとに情報を流し、市之丞の証拠書類を奪われせる。
  時間の猶予もなくなった宗俊は、一世一代の賭けに出る。上野の将軍家ゆかりの吉祥院から将軍家の使いの僧に化けて、棚倉藩上屋敷に乗り込み、藩主にことの次第を告げたのだ。河内山宗俊とバレ、囲まれるが、田舎侍とは迫力が違う。家老典膳から金を取って帰宅する。更に、逃げようとしていた典膳のもとに、市之丞を伴って急襲し、市之丞に仇を討たせる。直次郎に自分を裏切ったことを責めるが、十二分な路銀を渡し江戸から去って、二度と自分の前に現れるなと脅す。その後、三千歳のもとに連れて行き、市之丞に三千歳を娶るか側女にしろと迫る。市之丞は、三千歳を心憎く思っているが、金子家再興がなって家老に命じられた以上、吉原の元花魁を連れて帰るわけにはいかないと言うのだ。侍の心の狭さに自分の不明を恥じる宗俊。三千歳に、愛し合う者同士生木を裂くように、直次郎と別れさせたが、兄の清蔵との約束だから許せと三千歳に頭を下げる。しかし、三千歳に未練のある直次郎が再び現れた。三千歳は応えず、代りに現れた宗俊の姿に腰を抜かす直次郎。宗俊は直次郎を斬り捨てた。吉祥院の僧を名乗ったことで、沢山の捕り方が宗俊を取り囲む。獄門に自分の首を曝されることは、元より覚悟のことであった宗俊は、高笑いしながら捕り方たちの方に歩んでいくのであった。
  この映画を見る限り、「すっ飛び駕」ってなんだろうという疑問は残る。まあ、例によって、一瞬の居眠りもままある私なので、なんとも言えないが、どうも、市之丞は、三千歳を一旦断って郷里に戻りかけるが、思い直して三千歳のもとに引き返す。その駕籠よ急げということのようだ。まあ、有名な話なので、このタイトルで、あああの話ということなんだろうな。まあ教養がないといかんなあ(苦笑)。子母沢寛、もう少し齢を重ねたら読むことにしよう。
  「江戸の悪太郎」もそうだが、マキノ監督テンポいい。情感溢れるシーンとの緩急自在なスピードチェンジ、やっぱりうまいなあ。
   京橋フィルムセンター東京フィルメックス特集上映
   65年日活藏原惟繕監督『夜明けのうた(320)』。緑川典子(浅丘ルリ子)はミュージカルスター。ウェストサイド・ストーリーの公演打ち上げが終わるなり、溜まっていたテレビ出演、グラビア撮影、ディスクジョッキーなど立て続けに仕事をこなしたところで、彼女のもとに、白いスカイラインのオープンカーと次作「夜明けのうた」の台本が届く。彼女は夜の東京にドライブに出かける。そして、あるホテルに車を止める。相手は妻子ある作曲家野上(岡田真澄)。しかし彼は妻子の待つ自宅に帰って行った。そのまま典子は小田原まで車を走らせる。マネージャーとドライバーに何度電話をしても不在だ。ほとんど寝ていない典子は、ドライブインで見ず知らずの青年、利夫(浜田光夫)から運転させてくれないかと頼まれる。彼は千加子(松原智恵子)とい少女とヒッチハイクで信州から出てきたようだ。また彼女の目は、徐々に光を失っている。
    典子は知り合いの医者の下を訪れ、二時間の睡眠と千佳子の目の検査を頼む。医者は典子を起こして千加子の目は6ヶ月で失明すると告げる。駐車場の車には心無い傷が付けられていた。涙を流す典子。帰宅した典子を待っていたのは、マネージャーとドライバーが、典子の宝石と現金を一切合財盗んで逃げ、警察に言ったらスキャンダルをバラすという置き手紙だった。次作の打合せにプロデューサー神山(戸浦六宏)や脚本家の眞木(小松方正)がやってきた。まだ台本に目を通していなかった典子は、眞木の説明で、主人公が、ほとんど典子の私生活のままであることを知って激怒、出演はしないと言って家を出る。
   都内を走っていると、眠気のあまり追突事故を起こす。自分の額に血が流れているのを知って気絶する典子。怪我自体は大したことは無かったが、緑川典子の事故ということで、マスコミが殺到して大騒ぎに。野上の自宅に、典子が声色を使って電話をすると妻子を連れて遊園地に出かけるところだった。
   自宅に友人たちを呼んで乱痴気パーティーを開いて踊り狂っている典子。その後、取り巻きたちとクラブで飲んでいると、夜明けのうたを歌う岸洋子がステージに出てきた。典子に相談なしに花束贈呈をやらせ、既成事実化しようとしているプロデューサーたちに、腹を立て店を出ようとすると、昼間の若いカップルに会う。利夫は千加子に失明の話をして2人で一緒に闘っていくと言う。手術費用として貯めたお金で東京を堪能して信州に帰るというのだ。しかし、千佳子が実は睡眠薬を1瓶隠し持っているので、一緒にいてくれないかという青年。
  典子は二人を連れて、ボーリング場と会員制バーに行く、若い2人はようやく本音で向かい合えたようだ。一晩を共にして、これからの事を決めるという2人を、野上が待つホテルに連れて行く典子。 2人を残して部屋を出た典子は野上に別れを告げる。典子の部屋はパーティーのまま、とても散らかっている。急に部屋を片付け始める典子。綺麗になった部屋で「夜明けのうた」の台本を見つける典子。読み始めて、最後には正座をして真剣な表情で台本を読んでいる。読み終わった典子は眞木に電話をして、この話はぜひ自分にやらせて欲しいと言う。窓の外には、正に夜明けの東京が広がっていた。
   素晴らしい映画だ。ヒット歌謡の企画映画だと触手が伸びなかった自分が恥ずかしい。しかし、勝手なことをひとこと言えば、「夜明けのうた」がモチーフになっているのでしょうがないのだが、音楽をいずみたくが担当しているからなのか、ジャズがどうも古い。勿論現代でということでなくて、当時を前提にしてだ。蔵原惟繕監督の映像のシャープさが、いずみたくのセンスを超えてしまっているのか分からないが、かなり音楽が残念だ。
何だか人寂しくなって元会社の後輩Kを誘って六本木珉珉に。

2008年11月25日火曜日

けんか、喧嘩、

西新宿のハローワークに行き、神保町シアター、日活文芸映画の世界
  66年日活鈴木清順監督『けんかえれじい(315)』新藤兼人脚本。
  昭和10年頃、南部麒六(高橋英樹)は、備前岡山、旧制の岡山二中の四年生。反骨精神といえば聞こえはいいが、生来のひねくれ者で、喧嘩に明け暮れている。下宿先の娘で天使のように清らかな道子(浅野順子)に惚れている。道子がクリスチャンなので、日曜学校にも通っている。喧嘩の師匠は協会で知り合ったスッポン(川津祐介)。数々の喧嘩修行をつけて貰う麒六。学校にはバンカラ学生たちのOSMS(オスムス)団という結社がある。団長のタクアン(片岡光雄)に気に入られ入団するが、上級生だろうと、軍事教練の教官(佐野浅夫)だろうが、平気でかみつく麒六。イースターの夜、教会から道子と2人で帰る途中、麒六は、勇気を振り絞って手を繋ぐ。しかし運悪くタクアンに目撃され呼び出しを受ける。
   スッポンの助けを借りてOSMS団を急襲するが、結局決闘をすることに、スッポンのゴロツキ仲間とOSMS団の決戦の火蓋が切り落とされようとする瞬間、制服巡査がやってきた。蜘蛛の子を散らすように逃げだす両軍。逃げ遅れた麒六の前に現れたのは、道子の警察署長だった亡父の制服を来た父(恩田清二郎)だった。心配した道子が連絡をして、一緒にやってきたのだ。
   5年に進級して、麒六は、OSMS団の副団長になった。学生服の背中に鷹の絵を描いて、軍事教錬に出席、担当教官は激怒する。間を取り成すと言って学校に行ったスッポンは教官たちと大ゲンカをしてしまう。岡山にいられなくなった、スッポンと麒六。麒六は会津若松の叔父を頼って転校することになった。
   会津若松では、編入が認められたのは、隣町の喜多方中学だった。そこでも、つっぱり続ける麒六は、会津魂、会津魂と連呼する会津の人間にムカつき、担任で弱そうなアヒル先生(浜村純)の時には、授業をボイコットしたりするのに、強いマンモス先生(加藤武)のときには、静かに従う級友たちの姿に、会津は田舎者だと言い放って教室から出ていく。しかし、道の端を歩いていて、会津の人間なら真ん中をどうどうと歩けとイチャモンをつけてきた生徒と大ゲンカして肥え溜に突き落としてから、金田(野呂圭介)や橋谷田(香川景二)たち仲間も出来た。ある日、俳句を趣味としている金田が、師匠と仰ぐカフェの女給美佐子(松尾嘉代)に会わせる。気だるい雰囲気を持つ美佐子。次に訪れた時に、カフェにいた客は東京の言葉を話すインテリ風だ。
   ある日、会津中学と決闘をすることになる。麒六たち喜多方中学が5人に対して、数倍の戦力の会津中。いよいよ戦いが始まった。多勢に無勢、麒六たちは捕まって鶏小屋に閉じ込められた。しかし、何とか抜け出して、勝利の美酒に酔う会津中を叩きのめし、逆転勝利をする。
   麒六の下宿にある日、道子がやってくる。彼女は修道院に入ると言う。卒業したら結婚したいという麒六に、道子は自分も麒六が好きだが、身体的な問題があって出来ないと言って、走り去る。追いかけないでという強い道子の言葉に、佇む麒六。雪の中、会津若松駅に向かって歩いていた道子を、雪中訓練で走ってきた軍隊に、突き飛ばされ、踏み躙られる道子。遅れて駅にやってきた麒六に友人の
橋谷田が東京で起きた大きな喧嘩(226事件)が起きていることを告げる。熱くなる麒六。今から東京に行かなければいけないと行って汽車に飛び乗る麒六。駅の号外には、蜂起軍人の思想的背景として北一輝が取り上げられている。その顔は、かって会津のカフェにいた東京の言葉を話す男に似ている。
   青春映画の傑作。自分の好きなベスト5に確実に入る10~20本の映画のひとつ(苦笑)。実は、中学1年くらいのときに、偶然図書館で原作を見つけて読んだ。まあ、ハンドボール部の不良の先輩たちからのシゴキに対するガス抜きだったんだろうが、スッポンの喧嘩指南をまじめにやろうとしたことも、高校に入って、この映画見られた時は感激したなあ。まあ、北一輝のところは、唐突な感じがしなくもない。しかし、何だか時代の混迷感というか、その中での危険な高揚感のようなものは見事に表していると思うが・・・。
   テアトル新宿で若山富三郎×勝新太郎の軌跡。70年東宝岡本喜八監督『座頭市と用心棒(316)』。激しい風雨の中、殺伐とした地獄のような世界で人を斬った市。死体から身ぐるみを剥ぐ百姓たち。市は、3年程前に訪れた里を思い出していた。そよ風とせせらぎと梅の香りがする里を。市が訪れると、どうも雰囲気が一変している。鍬などの農具を叩いていた鍛冶屋の留(常田)は長ドスを作っている。宿屋まヤクザたちが大騒ぎをしている。この里を仕切っていた兵六爺さん(嵐勘寿郎)も、今では棺桶屋をしながら、烏帽子屋からの依頼で、130体の石像を作っている。今の仕切りは、村一番の金持ちの生糸問屋烏帽子屋弥助(滝沢修)の不肖の長男小仏の政五郎(米倉斉加年)の一家だ。そこには凄腕の用心棒佐々大作(三船敏郎)が雇われている。政五郎は、弥助がどこかに金の延べ棒を隠していると信じている。
   市は、宿屋で按摩を頼む。俄か按摩(砂塚秀夫)の腕は酷く、逆に揉んでやっていると、政五郎の子分たちが勝手に商売しやがってと因縁をつけてきたので肩を外して懲らしめる市。
  俄か按摩と宿屋を出て歩いていると、襲いかかる一団があり、俄か按摩は切り捨てられた。市の首に百両掛かっていると聞いて後を追ってきた佐々は、市の居合いの実力を知る。市は、梅乃(若尾文子)と再会する。3年前には父親思いのよく働く百姓の娘だったが、飲み屋の女将となっていた。梅乃は、政五郎にボロボロにされ、その父親の弥助から200両を借金して囲われ者になっていた。
  佐々は、梅乃に惚れているが、ツケで飲み続けている。
  市は、岡っ引き馬瀬の藤三(草野大悟)に捕らえられ番屋の牢に入れられる。同じ牢に小仏一家の三下余吾(寺田農)が入っていたが、差し入れのお結びに毒が入っていたが、落した結びを鼠が食べて昇天、済んでのところで命拾いする。二人は毒に苦しむふりをして、脱走する。
  夜、烏帽子屋に火が出る。火事になれば、大事な金の延べ棒を持ちだすだろうと言う読みで佐々が考えた筋書きだったが、動きはない。
  八州廻り脇屋陣三郎(神山繁)がやってきた。脇屋は、上司の勘定奉行と、弥助、弥助の息子で金座の御用を務める後藤三右エ門(細川俊之)たちと組んで、小判の鋳造の際の金を誤魔化して私腹を肥やしていたのだ。脇屋を斬ろうと、佐々や政五郎たちが待ち伏せしていると、弥助に雇われた九頭竜(岸田森)に、斬られる。九頭竜は、真相を市に話そうというしていた兵六も、射殺する。九頭竜とは、2連装のピストルなのだ。九頭竜の真の姿は、跡部九内という隠密だった。佐々も隠密でこの金の不正のためにここに潜り込んでいたが、動きが全くないので、九頭竜が派遣されたのだ。
   いよいよ、烏帽子屋と小仏一家の争いの火蓋が切られた。悪党同士の喧嘩で斬り合い、次々に死んでいく。途中から佐々、九頭竜も加わり、残ったのは、市、二人を除けば、弥助たち親子三人、梅乃、余吾くらいのものだ。市は、130体の石像に金が隠されていることに気が付き、隠されていた砂金を山に積み上げていく。弥助たち親子は揉み合っているうちに、三右衛門の刀は誤って父弥助を斬ってしまう。九頭竜の銃は火を噴き、梅乃と余吾が倒れた。佐々は九頭竜を斬る。弥助は傷を負いながらも、金の隠し場所に急ぐ、追う三右衛門と政五郎。しかし、砂金の山を目の前にして、三人は死ぬ。市と佐々は、向かい合った。相打ちかと思われた瞬間、梅乃が一命を取り留めたという声があり、二人は剣を引く。二人が山分けしようとした砂金の山は、強い風に吹き飛んでいた。
   三船、勝、宮川一夫のカメラを通じた姿は、何もしていなくても絵になるなあ。存在感として、世界に通用する役者の二人だな。
  60年大映森一生監督『不知火検校(317)』。祭の御輿や山車を縫うようにして友達に引かれた盲目の子供が歩いている。菰樽の酒を目敏く見つけて鼻糞を入れ、酒をせしめるのが、後の不知火検校である。成長して七の市(勝新太郎)は検校の使いで、川崎に出向く。途中、しゃくを起こして苦しむ浅草の見せ物小屋の主人、骨無し女を二百両で買いに行くと聞いて市は、針で男のとどめを刺す。目撃していた生首のに半分の百両を渡し、からお守り袋を貰っておきながら、死体にお守りを握らせる。また、検校からある大名の奥方からの内密な借金の依頼を断る伝言を、自分が代わりに貸すと言っておいて、大名の留守をいいことに奥方(中村玉緒)に乱暴した上、旦那の前で、50両を取り戻す極悪非道は七の市。翌日奥方が恥を忍んで現れると、毎日5両ずつ証文を書いて10日間弄ぼうとする七の市。七日目に夫にバレて自害する奥方。更に師匠を殺して、ついには不知火検校の座を手中に収める。
  座頭市の原型とも言われるが、盲人の按摩であることは同じであるが、こちらは全くのピカレスク。
貧しく、盲目な育ちの中で、血も涙もない大悪党。
  スポーツ系のエージェントをやっている10年来の友人が会わないかというメールが来たので、喜んで渋谷に。

2008年11月24日月曜日

男と女

    阿佐ヶ谷ラピュタで、
    69年東映京都山下耕作監督『日本女侠伝 侠客芸者(312)』。新橋で売れっ子芸者だった信治(藤純子)は、陸軍大臣(若山富三郎)に絡まれ、徳利で頭を殴って、博多に流れ、侠気溢れる馬賊芸者になっている。博多は石炭景気に沸いていた。特に大須賀(金子信雄)は、番安と呼ばれる番場安次郎(遠藤辰雄)率いる番場組と組んであくどいやり方で、九州の全炭坑を手中に収めようとしていた。
    ある時町屋に花田組の坑夫たちが一生の思い出に芸者遊びがしたいとやってきた。本当は大須賀の宴会が入っているにも関わらず、彼らの相手をしてやる信治。そこに坑夫を探しに花田炭坑の納屋頭島田清吉(高倉健)がやってくる。彼らに、お前らの金では全く足りないと言って金を払おうとするが、信治は私が了解したことだからと取り合わない。大須賀からは何度も催促があった。お座敷に行くと、現金をばらまいて芸者、幇間に拾わせている大須賀。妾になれという大須賀に、女たちを猿扱いする男は嫌だという。また大須賀は、清吉に花田炭坑を売れという。お世話ななった先代から預かり日本一の炭坑にするので駄目だという島田。
   番場組の遊郭の余りに酷い扱いに幸太と足抜けした鈴江(伊藤栄子)を助けた信次は、番場組の追われているうちに入った家で清吉と再会する。幸太を清吉に預かってもらい、大須賀のもとに乗り込んで鈴江を救う信次。
   博多に陸軍大臣がやってきた。大臣は、自分を殴ったのは、西郷と母親と信次だけだと言って笑う。末席に座っている清吉を呼び、大臣の酒を飲めという。酒は一滴も飲めないので断ると、代りに飲むといった信次に、馬賊芸者なら一升杯を飲み干せという大須賀。見事飲み干して一舞する信次。気を失った信次が明け方気が付くまで看病する清吉。
   河原炭鉱を卑劣な方法で手中に収める大須賀。河原(田中春夫)は拳銃で自殺する。河原に引かれていた粂八(桜町弘子)を慰める信次。粂八は大須賀を刺そうとして捕まる。大須賀からの芸者置き屋組合への圧力に怒った、信次を始めとする馬賊芸者は、団結してお座敷に出ることを拒否する。最初は、甘く見ていた大須賀たちだが、陸軍大臣が再び来福した際にも、宴席がカラなことには参って、芸者たちに頭を下げる。
  大須賀は、しかし花田炭坑の石炭を若松港からの積み出しに圧力をかけ、石炭の出荷をストップさせた。その頃、花田組に先代の娘弥生(土田早苗)が東京の女学校を卒業して帰って来た。清吉の許婚だと知った信次は、大須賀のもとに行き、妾になるので、花田組への圧力を止めるように頼む。そこに清吉が大須賀に直談判しにやってきた。話を聞いて清吉は、信次を殴って、俺が惚れている女にそんな目に合わせないといって、信次を連れ帰る。そのまま数日圧力は続いたが、清吉の熱意に若松港の人々は折れた。
   石炭の出荷が出来るようになったという報を聞いて、坑夫たちが作業に取り掛かろうとした時に、ダイナマイトを仕込んだトロッコを坑道に突っ込ませようとする番場組。命をかけて防ごうとした3人の坑夫の命が奪われた。番場組に殴り込もうとする坑夫たちを、あいつらは炭坑を守るために死んだんだと言って止める清吉。一人山を降りる清吉の前に、信次が現れ、行くんですねと言い、更に弱々しく行かないでとつぶやいて、河島が残した拳銃を渡す。
   単身、大須賀の家に行く清次。大須賀、番安を斬るが、自らも絶命する清吉。死人が戸板に乗せられ運ばれていく。清吉に取りすがって無く弥生、離れた場所で涙を流す信次の姿。鏡を見ている信次。お座敷の時間が来て支度を始める。化粧をする信次の顔には2すじの涙が流れている。
  シリーズ1作目のせいか、少し未消化なところはあるが、やはり山下監督、将軍と呼ばれた男、さすがに、清吉と信次の男女の愛の情感は素晴らしい。寡黙な中に、それぞれの想いは溢れている。
    池袋新文芸坐、マキノ雅弘生誕百年記念上映会、39年日活京都『鴛鴦歌合戦(313)』。
    浪人浅井禮三郎(片岡千恵蔵)をめぐって、隣人の日傘屋志村狂斎(志村喬)の娘お春(市川春代)、近くに別邸がある豪商香川屋の娘おとみ(服部富子)、禮三郎の亡き父が決めた許婚藤尾(深見藤子)の3人の恋のさや当てに、骨董狂いの大名峯澤丹波守(ディック・ミネ)が絡むオペレッタ時代劇。
   まあ、ストーリーはそれ以上でもそれ以下でもなく、軽快、軽妙、最軽量の洒脱なオペレッタ。気持ち良くなって寝てしまう。まあ、何度も見てるからな(苦笑)。
   67年東映東京『侠骨一代(314)』。昭和初期、初年兵として伊吹竜馬(高倉健)と小池文平(大木実)は出会う。何事にも生真面目で間違ったことが嫌いな伊吹とやくざの小池は気が合った。上等兵の言われない鉄拳に反抗した二人は懲罰房に入れられる。そこで、伊吹は8歳の時に別れたきりの母たか(藤純子)に白い米の飯を腹いっぱい食わせるのが夢だと言って涙を流す。ある日訓練中に母たかが亡くなったという電報を受け取る。帝国軍人が母親の死亡如きで涙を流すのはと叱責する上官たちに、重機関銃を乱射する伊吹。
   兵期満了で徐隊になった伊吹は母親の墓参をする。この寺の住職、呑海和尚(石山健次郎)は、亡父の親友で、母親の死に水もとってくれた人間だ。自殺しようと、服に石炭を入れて飛び込むと海は浅く呆然とする伊吹。そこに通りがかった老人が死ぬ気ならなんでもあるだろうと言って去る。空腹で横になっていた伊吹は、乞食たちに乱暴している宍戸組の連中を止める。彼らを追っ払ったが空腹で倒れた伊吹を、乞食たちは自分のねぐらに連れて行って面倒を見てくれる。数日過ごしてシャバに戻るときに、乞食の房州(山本麟一)が着いてきた。
   宍戸組の港湾荷役現場で働いていると、宍戸組は、夜は、イカサマ賭博で荷役たちから金を巻き上げていた。伊吹は金を取り戻してやるが、宍戸組の事務所で、以前出会った老人坂本(志村喬)によって、宍戸(南原宏二)に取りなされる。坂本は田町で阪本組をやっているのだ。また、そこで月島がシマである岩佐組の代貸しをしている小池にも再会した。荷役たちと飲みに行った飲み屋で、女郎のお藤に出会う。お藤は、母のたかに生き写しだった。何もしないで、ただただ見つめて帰る伊吹。
   伊吹と房州は、阪本のもとへ行き、働かせてくれと頼む。坂本の娘綾(宮園純子)を女中と間違えたりするが、受け入れてもらう。ある日、安いバナナを大量に抱えた荷主が、坂本に相談に来ている。通常の荷役代なら安く売りさばけるのだが、日もちもあり足元を見た宍戸組と岩佐組が荷役代の法外な釣り上げを脅すので困っているというものだった。宍戸組と岩佐組とのいざこざを恐れた坂本が断ると、伊吹は坂本組の法被を脱いだうえ、身寄りのないものだけで荷役作業を行う。一人だけ波紋してくれと頭を下げる伊吹を許す坂本。
  しばらく後、坂本は、伊吹に芝浦に出す予定の支店を仕切ってくれと言う。固辞する伊吹だったが、結局受けることに。また綾が突然やってきて、支店でみんなの世話をするといって伊吹を驚かす。ある日、東京水道局が下町の水道工事に伴う荷役事業を入札制で行う。岩佐組の縄張りだったが、下町の人々のために落札する坂本。しかし帰り道、坂本は宍戸組の刺客の銃弾に倒れる。坂本は一命を取り留めたが、伊吹に命をかけて水道敷設を引き継いでくれと頼む。
  いよいよ工事が始まった。人手が足りなかったが、宍戸組の現場で働いていた仲間や乞食仲間が加わった。しかし、宍戸組がトラックに火をつけるという妨害に出た。これでは、仕事を続けられない。坂本は、家屋敷を売り、組員たちも家財道具を質に入れ、呑海和尚も大金をもってやってきた。頭を下げる坂本。しかし呑海和尚の金は、坂本の苦境を知ったお藤が満州に渡る約束で前借りした金だった。真相を口止めされていた綾から教えられ、お藤のもとに走る伊吹。だが、お藤は既に旅立ったあとだった。女郎仲間から、母親のつもりで伊吹に着物まで縫って消えたのだという。
   現場に戻った伊吹に、房州は岩佐組宍戸組が今夜殴り込みがあるようだと告げる。固く口止めして、工夫たちに今日は早じまいだと告げる伊吹。お藤が縫ってくれた着物を着て現場に戻ろうとすると、小池が立ちはだかる。斬り合いになるが、小池の腕を斬る。小池もまた伊吹に斬らせたのだ。そして、現場でひとり佇んでいるt、次々に現れる宍戸、岩佐組の面々。多勢に無勢だが、次々に切り倒していく伊吹。撃たれ斬られながらも岩佐たちを斬る伊吹。組のみなも現れ歓声があがった。
   
   

2008年11月23日日曜日

日活文芸映画の世界は続く。

  神保町シアターで、59年日活西村克己監督『不道徳教育講座(308)』
  山城市に文部省次官の相良文平(大坂志郎)がやってくることになった。相良は道徳教育の大家で、道徳教育モデル都市に選ばれると一千万の交付金が貰えるので、市長(松下達夫)、警察署長(天草四郎)、消防署長(高品格)、校長の朝吹(信欣三)らは大騒ぎ、市内の風俗営業は全て閉めさせて何とか誤魔化そうと大わらわだ。
   ちょうどその頃、刑務所を藤村良助(大坂志郎)が出所した。殺し以外は殆ど手掛けた稀代の悪党。大野(植村謙二郎)小島(佐野浅夫)の二人組は復讐しようと付け狙う。山城市に向かう汽車の中で、自分とそっくりな相良を見て、寝台車で寝ているところを気絶させ入れ替わる藤村。狙い通り、相良は二人組に連れられ途中下車して行く。
   寝台車で隣り合わせた人気女優大槻麗子(月丘夢路)と山城駅で降りようとすると大歓迎団が、実は相良の歓迎なのだが、大槻を見た群集は押し寄せパニックに、藤村は逃げ出す。喫茶店でコーヒーを飲んでいると、校長の娘和美(清水まゆみ)が友達と話している。そこに道徳教育反対運動のメンバーがやってくる。そのリーダーの桐野利夫(柳沢真一)は和美と付き合っていたが、校長の娘と言うことで、組合員の突き上げを食らって困っている。上着から名刺を出すと文部次官のもので、仕方なしに相良となのる。
   校長の家に宿泊することになり案内される。朝吹の妻美也子(三崎千恵子)は賛美歌を歌う敬虔なクリスチャンだが、賛美歌の楽譜の隣によろめき小説が置いてある。長男の圭一は、東京の学校を出て市の戸籍係をしている。役所のかな子という美人が気になっているが、自分は東京時代女たらしだったと言う話ばかりしている。次男の康二は、ロカビリーに飽きて推理小説にはまって、友人の作った模造銃で、誰かを殺して完全犯罪をすることに憧れている。
    警察署や学校の視察に連れ回される。生徒の前で何か訓示をと言われて、最近は道理のない犯罪者が多いので、泥棒学校や人殺し学校を作って、駄目な奴をどんどん落第させれば、犯罪者が減ると言う珍妙な話をして生徒たちからは大受けだ。夜は、校長の家で、市長、警察署長らを囲んで夕食会が行われ、藤村は大きな金庫を見つけて思わず鍵を開けて、中の金を盗みだす。その金は教科書業者からの賄賂で、朝吹メモなるリストまで入っていた。ちょうど教科書業者で贈賄がバレてクビになった田沢たちが押し掛けた。校長は金庫に受け取った金やメモなどを隠していると言う。警察署長ら立ち会いのもと金庫を開けると中は空っぽだ。藤村のつもりで、相良を攫った2人組は締め上げても要領を得ないので、山城市にやってくる。
    二人組学校の前で康二に相良との繋ぎを頼む。言われるままに、校長の家に行くと、康二は、相良の部屋を狙撃したので、2人は追い掛けられることに。藤村は、校長の妻の美也子を呼び、朝吹メモの手帳を渡して処分するよう命じて、自分は知らなかったことにするからと言う。昼間、校長の娘の和美は、自分の貞操を賭けたスピード籤を1000円で何人かに売りつけていた。怒りながらも1000円出す桐野。夜和美が待っていると、当り籤を持った藤村と外れ籤を持った桐野が現れる。桐野に当り籤を売ったつもりだった和美は驚くが、藤村は桐野と和美の中を校長夫婦に了解させる。
  狙撃事件のせいで、藤村は校長の家から大槻の山荘に移されることに。女好きの藤村には願ってもない。大槻は固いばかりだと思っていた相良の意外な一面を見て2人は結ばれる。翌朝大講演会が開かれるが、相良は見つからない。駅に行くと、ようやく脱出した本物の相良が現れる。講演会で本物の相良は、この町は素晴らしいと言う。しかし、交付金は1千万ではなく、たった10万円だ。その頃藤村は、大槻と二人きりの生活に向かっていた。
  オープニングとエンディングに原作の三島由紀夫が出演している。非常にコメディとしては良く出来た作品だが、三島は出来上がりを満足していたのか、聞いてみたい作品だ。
    59年日活西村克己監督『風のある道(309)』。
    竹島高秋(大坂志郎)と宮子(山根寿子)には、ファッションモデルの恵子(北原三枝)、華道を嗜む直子(芦川いずみ)、学生の千加子(清水まゆみ)の3姉妹がいた。長女恵子の結婚式の日、ウェディングドレスを届ける直子と千加子のタクシーが、子犬をハネた。急いでいるが、直子は犬を病院に連れて行く。直子は矢田流の跡継ぎ光介(小高雄二)という婚約者がいた。式に着ていた家元は倒れ、直子の手を握りしめた。華道の腕で後を託せるのは直子だということらしい。
   結婚式の後、矢田流の発表会がある。奇をてらった光介の作品に違和感を感じる直子。メインの作品の蝶のオブジェを知能障害の子供茂太が取ってしまう騒ぎが起きる。児童養護施設の小林(葉山良二)が茂太に、何が悪いかをキチンと教えながら謝罪する姿に直子は好感を持つ。小林が働くみどり学級を訪ねる直子。子供に誠実に向きあう小林の力になれればと思う。恵子の結婚の支度などで疲れが溜まっていた母と高原に旅行すると、何故か光介が現れた。母が教えたらしい。夜ホテルのバーで3人で飲んでいると、千加子から電話があり、小林から速達が届いているという。気になりながらも、光介とダンスを踊る直子。酔った直子に激しいダンスを強要、目の回った直子を自室に連れ込む光介。
  高秋と宮子は、小さな言い争いが絶えない。この夫婦には、何かのわだかまりがあるのだ。ある日、直子は小林を家に招いた。やはり、なぜか光介が現れる。光介が、矢田流のアメリカでの展覧会のために、直子と渡米したいと言いだすと、用事があると言って小林は帰る。千加子は、小林に気があるようで、大学で専攻している児童心理のために、手伝わせてくれないかと頼む。数日後、小林を訪ねる宮子。小林の父親のことをそれとなく触れる宮子、何か事情がありそうだ。矢田流の矢田会館が出来上がった。対外的な宣伝の場であり、海外進出など事業欲を、直子に語る光介。矢田会館オープンパーティの日、小林の父親の命日だった。宮子が墓参りに行くと、小林に会った。実は小林の父雄之助(芦田伸介)は、かって宮子の恋人だった。日本人の起源は蒙古にあるという主張の民族学者。家の経済的な事情で、満州に渡るという雄之助に付いていくことなく、竹島と結婚したのだ。そして、その選択が今でも宮子は苦しませている。
  渡米前に、婚約発表を大々的に行うことになった。記者会見の場に小林が現れ、騒ぎになる。仲人の慶子の義母(細川ちか子)に、釘を刺される宮子。小林は、園の発表会でも出し物に茂太を出演させるかで悩んでいた。園長の近藤(信欣三)からは慎重にと言われていたが、強引に出演させたところ、茂太の父で区会議員の大川源三郎(高田仲次郎)は自分の息子を曝しにものにしたと怒り、今までの援助を打ち切るか、小林を首にするかどちらかにしろと言う。近藤は小林にブラジルに渡って児童教育を続けないかという。
  光介と直子の渡米と、小林のブラジル渡航の日がやってきた。玄関で直子に父は、本当に光介でいいのか?と聞く。羽田空港に向かうタクシーで、両親と、直子と千加子と2台に分乗。羽田と横浜港の分岐点で千加子は、直子に聞く。直子は横浜行きを選ぶ。しかし、埠頭に着いたとき、既に出港していた。呆然としている直子の前に、小林が現れる。直子が現れなかったので下船してしまったのだと。
  川端康成原作。気持ちが優しくて、みなの気持ちを慮って、何も決められずに、ぐずぐず悩む直子。
芦川いずみにぴったりの役だが、あまりにはっきりしなくて、魅力はもう一つ。くりくりと動く瞳と、はっきりしたもの言いが魅力的な三女千加子役の清水まゆみがいい。『不道徳教育講座』の女子高生役も可愛かったが、こっちのほうがはるかにかっこいい。
    62年日活西村克己監督『草を刈る娘(310)』。
   津軽では、長い冬の前に、馬に食べさせる草を刈りに出掛ける。そこは、他の部落の若い男女の見合いの場でもある。そで子婆さん(望月優子)は姪のモヨ子(吉永小百合)を、隣の部落のため子婆さん(清川虹子)は、分家の息子の時造(浜田光夫)を連れてきている。モヨ子も時造も草刈りは初めてだ。モヨ子の部落の娘たちが川で野菜を洗っていると、煙草が流れてきた。誰か男がいると行ってみると、千種という白馬を洗っている時造がいた。下で飲み水を取っているので、駄目だというと謝って去って行った。娘たちは、裕次郎に似た若い男の出現に大騒ぎだ。草刈りが始まった。2人の婆は、モヨ子と時造を2人で草刈りするように命ずる。その思惑通り親しくなる2人。
    オールドミスのはま子(小園蓉子)は10万円以上貯金をしているらしい。ちょっと頭の弱い庄吉は、はま子に毎日ラブレターを渡して求愛している。去年の草刈りで夫婦になった左吾治(山田吾一)とヤス子(安田千永子)は今もラブラブだ。モヨ子の幼なじみで、東京にぶらりと出て何年も音信不通だった一郎(平田大三郎)が突然帰ってくる。モヨ子にイミテーションだが真珠のネックレスを渡す。
   モヨ子と時造の親密さは増し、千種に2人で乗る。落馬して転がった時造は思わずモヨ子にキスしようとする時造の腕に噛み付いて抵抗するモヨ子。それ以来、ふたりはどうも素直になれない。 
  お祭りがある。のど自慢の舞台に無理やり上がらせられるモヨ子。きれいに澄んだ声のモヨ子は、醤油一升瓶2本もらった。そで子婆さんが湯当たりで倒れた。時造はてきぱきと介抱する。婆を背負って、送り届ける。その帰り、モヨ子と時造が歩いていると、一郎が現れ、モヨ子に、自分が戻ってきたのは、モヨ子を嫁にするためだと言い、時造と自分のどちらを選ぶのかと聞く。困惑するモヨ子。一郎と時造は殴り合いの喧嘩に。倒れた時造に駆け寄るモヨ子。モヨ子は時造に結婚しようと言う。そで子婆と、ため子婆は、思惑通りことが進んだことを喜び、来年の草刈りに、お互い誰を連れてくるか思いを巡らすのだった。
   石坂洋次郎原作。やっぱり、顔がぱんぱんで、明るく健康な吉永小百合の魅力に尽きる。彼女の初主演映画らしい。キューポラのある街が都市の貧しい人々だとすると、田舎で暮らす人々や、故郷を離れて都会で働く人間たちは、当時やはり、この映画を見て、光を見たんだろうな。
     63年日活鈴木清順監督『悪太郎(311)』。
    大正はじめ、今野東吾(山内賢)は、素行不良で神戸の神聖学園を退学になるような問題児で、“悪太郎”と呼ばれていた。手を焼いた母親(高峰秀子)は、城之崎温泉に行くと騙して、横浜の叔父の友人で、豊岡で、中学の校長をしている近藤(芦田伸介)に預ける。豊岡中学4年の編入試験を白紙提出すれば神戸に帰れると思った東吾だが、近藤は、4年の試験が出来ないのなら3年に編入だと言う。これ以上島流しが長引くのは堪らない。慌てて答案を書いて何とか4年に編入した東吾。
   何も無い田舎町だと思っていた東吾だが、ある時、岡村医院の箱入り娘の女学生恵美子(和泉雅子)を見かける。更に彼女が買った本を本屋に聞くと、ストリンドベリの「赤い部屋」だと言う。こんなところに文学を理解する人間がいたなんて。地方の旧制中学の規則に従わない東吾の不遜な態度は直ちに上級生達に目を付けられる。恵美子との交際は、更に深いものに。恵美子の母は肺病で亡くなっており、自分も母と同じ病でなくなるのではという思いが彼女をとても引っ込み思案な性格にしていたが、東吾と付き合ううちに、元気になっていった。
   毎週日曜日、恵美子の友人の丘野芳江(田代みどり)の家の旅館で逢い引きしていたが、恵美子が京都の叔母の家にいくことになった際に、二人で京都に出かけ一線を超える。結局恵美子は叔母の家にいかないまま帰省する。しかし、このことは二人を追い詰める。一旦芳江のところに行くが、それを目撃した上級生たちが、今野を出せと芳江の母に言う。さすが旅館の女将、追い返したが、恵美子の父(佐野浅夫)が激高して現れ、連れ戻した。岡村は学校にも怒鳴り込んで厳格な処分を要求、東吾は、初めて自分の責任を感じ、校長に頭を下げた。母からの援助なしに東京に出て、文学の道に真剣に進もうと決意した。最後に恵美子のもとに行き、一緒に東京へ行こうと言うが、恵美子は頭を下げて泣いた。
   1年が経ち、東吾は昼間荷車を牽いて夜間に通っている。やはり理不尽なことに納得できず、喧嘩をして帰宅、小説を書いたまま寝てしまう。翌朝部屋の入口に芳江からの速達が来ていたことに気が付く。恵美子は肺病で亡くなったとのことだ。1年前東吾の誘いを断ったことを後悔していたが、実は自分の病気に気が付いていて足手まといになることを気にしてのことではないかと。
   やはり鈴木清順は、この時期の青春屈託ものいいなあ。東吾と恵美子が、京都の寺院でお堂の前を切りもなく往復し続けながら、二人の夢を語り合うシーンや、芸者ぽん太(九里千春)とのやり取りをする人形浄瑠璃小屋近くの橋の上が、あたかも舞台上の芝居のように見えるシーン、障子に紅葉の影がゆっくり舞い降りていくシーンなど、きめ細かい演出が素晴らしい。山内賢のぼんぼんらしい厭味のない顔が、東京に出て苦学の一年で、人相が一変しているのも唸る。ひとつだけ余計なことを言えば、和泉雅子があまりに健康的過ぎて、肺病だった母の死の影に怯える深窓の令嬢に見えないことだろうか(笑)。
  博華で餃子とビールの筈が、先日に続いて餃子売り切れ、切ないのう。