2008年11月25日火曜日

けんか、喧嘩、

西新宿のハローワークに行き、神保町シアター、日活文芸映画の世界
  66年日活鈴木清順監督『けんかえれじい(315)』新藤兼人脚本。
  昭和10年頃、南部麒六(高橋英樹)は、備前岡山、旧制の岡山二中の四年生。反骨精神といえば聞こえはいいが、生来のひねくれ者で、喧嘩に明け暮れている。下宿先の娘で天使のように清らかな道子(浅野順子)に惚れている。道子がクリスチャンなので、日曜学校にも通っている。喧嘩の師匠は協会で知り合ったスッポン(川津祐介)。数々の喧嘩修行をつけて貰う麒六。学校にはバンカラ学生たちのOSMS(オスムス)団という結社がある。団長のタクアン(片岡光雄)に気に入られ入団するが、上級生だろうと、軍事教練の教官(佐野浅夫)だろうが、平気でかみつく麒六。イースターの夜、教会から道子と2人で帰る途中、麒六は、勇気を振り絞って手を繋ぐ。しかし運悪くタクアンに目撃され呼び出しを受ける。
   スッポンの助けを借りてOSMS団を急襲するが、結局決闘をすることに、スッポンのゴロツキ仲間とOSMS団の決戦の火蓋が切り落とされようとする瞬間、制服巡査がやってきた。蜘蛛の子を散らすように逃げだす両軍。逃げ遅れた麒六の前に現れたのは、道子の警察署長だった亡父の制服を来た父(恩田清二郎)だった。心配した道子が連絡をして、一緒にやってきたのだ。
   5年に進級して、麒六は、OSMS団の副団長になった。学生服の背中に鷹の絵を描いて、軍事教錬に出席、担当教官は激怒する。間を取り成すと言って学校に行ったスッポンは教官たちと大ゲンカをしてしまう。岡山にいられなくなった、スッポンと麒六。麒六は会津若松の叔父を頼って転校することになった。
   会津若松では、編入が認められたのは、隣町の喜多方中学だった。そこでも、つっぱり続ける麒六は、会津魂、会津魂と連呼する会津の人間にムカつき、担任で弱そうなアヒル先生(浜村純)の時には、授業をボイコットしたりするのに、強いマンモス先生(加藤武)のときには、静かに従う級友たちの姿に、会津は田舎者だと言い放って教室から出ていく。しかし、道の端を歩いていて、会津の人間なら真ん中をどうどうと歩けとイチャモンをつけてきた生徒と大ゲンカして肥え溜に突き落としてから、金田(野呂圭介)や橋谷田(香川景二)たち仲間も出来た。ある日、俳句を趣味としている金田が、師匠と仰ぐカフェの女給美佐子(松尾嘉代)に会わせる。気だるい雰囲気を持つ美佐子。次に訪れた時に、カフェにいた客は東京の言葉を話すインテリ風だ。
   ある日、会津中学と決闘をすることになる。麒六たち喜多方中学が5人に対して、数倍の戦力の会津中。いよいよ戦いが始まった。多勢に無勢、麒六たちは捕まって鶏小屋に閉じ込められた。しかし、何とか抜け出して、勝利の美酒に酔う会津中を叩きのめし、逆転勝利をする。
   麒六の下宿にある日、道子がやってくる。彼女は修道院に入ると言う。卒業したら結婚したいという麒六に、道子は自分も麒六が好きだが、身体的な問題があって出来ないと言って、走り去る。追いかけないでという強い道子の言葉に、佇む麒六。雪の中、会津若松駅に向かって歩いていた道子を、雪中訓練で走ってきた軍隊に、突き飛ばされ、踏み躙られる道子。遅れて駅にやってきた麒六に友人の
橋谷田が東京で起きた大きな喧嘩(226事件)が起きていることを告げる。熱くなる麒六。今から東京に行かなければいけないと行って汽車に飛び乗る麒六。駅の号外には、蜂起軍人の思想的背景として北一輝が取り上げられている。その顔は、かって会津のカフェにいた東京の言葉を話す男に似ている。
   青春映画の傑作。自分の好きなベスト5に確実に入る10~20本の映画のひとつ(苦笑)。実は、中学1年くらいのときに、偶然図書館で原作を見つけて読んだ。まあ、ハンドボール部の不良の先輩たちからのシゴキに対するガス抜きだったんだろうが、スッポンの喧嘩指南をまじめにやろうとしたことも、高校に入って、この映画見られた時は感激したなあ。まあ、北一輝のところは、唐突な感じがしなくもない。しかし、何だか時代の混迷感というか、その中での危険な高揚感のようなものは見事に表していると思うが・・・。
   テアトル新宿で若山富三郎×勝新太郎の軌跡。70年東宝岡本喜八監督『座頭市と用心棒(316)』。激しい風雨の中、殺伐とした地獄のような世界で人を斬った市。死体から身ぐるみを剥ぐ百姓たち。市は、3年程前に訪れた里を思い出していた。そよ風とせせらぎと梅の香りがする里を。市が訪れると、どうも雰囲気が一変している。鍬などの農具を叩いていた鍛冶屋の留(常田)は長ドスを作っている。宿屋まヤクザたちが大騒ぎをしている。この里を仕切っていた兵六爺さん(嵐勘寿郎)も、今では棺桶屋をしながら、烏帽子屋からの依頼で、130体の石像を作っている。今の仕切りは、村一番の金持ちの生糸問屋烏帽子屋弥助(滝沢修)の不肖の長男小仏の政五郎(米倉斉加年)の一家だ。そこには凄腕の用心棒佐々大作(三船敏郎)が雇われている。政五郎は、弥助がどこかに金の延べ棒を隠していると信じている。
   市は、宿屋で按摩を頼む。俄か按摩(砂塚秀夫)の腕は酷く、逆に揉んでやっていると、政五郎の子分たちが勝手に商売しやがってと因縁をつけてきたので肩を外して懲らしめる市。
  俄か按摩と宿屋を出て歩いていると、襲いかかる一団があり、俄か按摩は切り捨てられた。市の首に百両掛かっていると聞いて後を追ってきた佐々は、市の居合いの実力を知る。市は、梅乃(若尾文子)と再会する。3年前には父親思いのよく働く百姓の娘だったが、飲み屋の女将となっていた。梅乃は、政五郎にボロボロにされ、その父親の弥助から200両を借金して囲われ者になっていた。
  佐々は、梅乃に惚れているが、ツケで飲み続けている。
  市は、岡っ引き馬瀬の藤三(草野大悟)に捕らえられ番屋の牢に入れられる。同じ牢に小仏一家の三下余吾(寺田農)が入っていたが、差し入れのお結びに毒が入っていたが、落した結びを鼠が食べて昇天、済んでのところで命拾いする。二人は毒に苦しむふりをして、脱走する。
  夜、烏帽子屋に火が出る。火事になれば、大事な金の延べ棒を持ちだすだろうと言う読みで佐々が考えた筋書きだったが、動きはない。
  八州廻り脇屋陣三郎(神山繁)がやってきた。脇屋は、上司の勘定奉行と、弥助、弥助の息子で金座の御用を務める後藤三右エ門(細川俊之)たちと組んで、小判の鋳造の際の金を誤魔化して私腹を肥やしていたのだ。脇屋を斬ろうと、佐々や政五郎たちが待ち伏せしていると、弥助に雇われた九頭竜(岸田森)に、斬られる。九頭竜は、真相を市に話そうというしていた兵六も、射殺する。九頭竜とは、2連装のピストルなのだ。九頭竜の真の姿は、跡部九内という隠密だった。佐々も隠密でこの金の不正のためにここに潜り込んでいたが、動きが全くないので、九頭竜が派遣されたのだ。
   いよいよ、烏帽子屋と小仏一家の争いの火蓋が切られた。悪党同士の喧嘩で斬り合い、次々に死んでいく。途中から佐々、九頭竜も加わり、残ったのは、市、二人を除けば、弥助たち親子三人、梅乃、余吾くらいのものだ。市は、130体の石像に金が隠されていることに気が付き、隠されていた砂金を山に積み上げていく。弥助たち親子は揉み合っているうちに、三右衛門の刀は誤って父弥助を斬ってしまう。九頭竜の銃は火を噴き、梅乃と余吾が倒れた。佐々は九頭竜を斬る。弥助は傷を負いながらも、金の隠し場所に急ぐ、追う三右衛門と政五郎。しかし、砂金の山を目の前にして、三人は死ぬ。市と佐々は、向かい合った。相打ちかと思われた瞬間、梅乃が一命を取り留めたという声があり、二人は剣を引く。二人が山分けしようとした砂金の山は、強い風に吹き飛んでいた。
   三船、勝、宮川一夫のカメラを通じた姿は、何もしていなくても絵になるなあ。存在感として、世界に通用する役者の二人だな。
  60年大映森一生監督『不知火検校(317)』。祭の御輿や山車を縫うようにして友達に引かれた盲目の子供が歩いている。菰樽の酒を目敏く見つけて鼻糞を入れ、酒をせしめるのが、後の不知火検校である。成長して七の市(勝新太郎)は検校の使いで、川崎に出向く。途中、しゃくを起こして苦しむ浅草の見せ物小屋の主人、骨無し女を二百両で買いに行くと聞いて市は、針で男のとどめを刺す。目撃していた生首のに半分の百両を渡し、からお守り袋を貰っておきながら、死体にお守りを握らせる。また、検校からある大名の奥方からの内密な借金の依頼を断る伝言を、自分が代わりに貸すと言っておいて、大名の留守をいいことに奥方(中村玉緒)に乱暴した上、旦那の前で、50両を取り戻す極悪非道は七の市。翌日奥方が恥を忍んで現れると、毎日5両ずつ証文を書いて10日間弄ぼうとする七の市。七日目に夫にバレて自害する奥方。更に師匠を殺して、ついには不知火検校の座を手中に収める。
  座頭市の原型とも言われるが、盲人の按摩であることは同じであるが、こちらは全くのピカレスク。
貧しく、盲目な育ちの中で、血も涙もない大悪党。
  スポーツ系のエージェントをやっている10年来の友人が会わないかというメールが来たので、喜んで渋谷に。

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