2008年8月9日土曜日

ゆうばりで観られなかった『片腕マシンガール』☆☆☆☆

  北京五輪、開会式、女子重量挙げなどTVで見ても退屈で眠くなってしまうので、渋谷シネマヴェーラで内田吐夢監督『宮本武蔵二刀流開眼』『妖刀物語』。不覚にも武蔵居眠り。映画として殺陣など見せ場多く面白かったのに。その分『妖刀物語』に集中。佐野で機織り業を、人柄と商売熱心さで大成功を納めながら、顔に痣があるために女性と全く無縁だった主人公が取引先から吉原に案内され、深川の岡場所上がりの女郎に入れ揚げ、身代を滅ぼす話だが、流石に東映時代劇の黄金時代スケール、ストーリー、役者最高。特に壮絶な終盤は必見。吉原ものの時代劇の傑作。散髪して、酒抜きで夕食。
  シアターNで『片腕マシンガール』レイトショー。結構賑わっていて、池袋に行けばよかったと思ったが、見終わってこの気分のまま池袋の街を歩くと、人生の転機を迎えてしまったかもしれず、結果渋谷でOK。久しぶりのスプラッターだが、元々海外向けに制作されただけあって、中身の中途半端な自主規制や、キャスティングによる事務所NGみたいなもの無くて、ものすごく楽しめた。ヒロインに、全くノーネームながら八代みなせを選べたことが、最大の成功要因だと思う。イラスト版メインビジュアルの江口寿史の絵が、そのままスクリーンに登場したような、正に江口寿史好みのセーラー服、表情は勿論アクション含めた動きもよかった。井口昇監督は、どうもあのビジュアルでの異形役者とAV監督出身という偏見(ヒトは見かけが90%だからな)が自分にはあったが、凄い!三池崇史監督を初めて見た時のような気分というと褒め過ぎか。現在のところ、2008年下半期の邦画ベスト3に、2008年年間でもベスト5に入れたいな。主演女優賞にもノミネートが決定(笑)。

2008年8月7日木曜日

樋口可南子似の美人ママ@歌舞伎町

  宅急便待ちで昼から外出。地元で鰻、我ながら贅沢しているな。
  阿佐ヶ谷ラピュタで『二十歳の原点』。当時、原作と少し経って映画も見たが、今の感想は、主人公たちは、自分の中にあるものを整理出来ずに、かなり幼く自己陶酔的に苦悩しているなあというものだった。苦悩する大学生を下から見上げていた当時は、もう少しポジティブな印象だった筈だ。
その後、阿佐ヶ谷から高円寺に歩いて、古着屋でアロハ探す。何だか掘り出し物多く、大荷物に。
  夜は、新宿三丁目で、アニメーション制作会社ZのTさんと馬肉。エンタメ業界が食べられない時代が続くという印象は完全に合致。新しい業態の飲酒業でも一緒にやろうかという話に(笑)。それから歌舞伎町のニューハーフ・ソウルバーに。樋口可奈子似の美人ママ、本当にソウル好きなんだなあ。70年から90年にかけてのブラックミュージック最高だったと話合う。朝まで飲むというTさんと別れ、タクシーに手を挙げたくなる誘惑を必死に抑え、歌舞伎町の奥から新宿駅まで歩き、JRで帰宅する。

2008年8月6日水曜日

ゴーヤチャンプル、海ぶどうと菊の露うっちん割り2合。

  渋谷イメージフォーラムシアターで『天安門、恋人たち』。天安門事件があったのは、もう20年近く前になるのか。日本の70年安保で学生運動の活動家だけでなく、団塊世代全体が喪失感の中で40年生き抜いて今の日本と日本人を作りだしてしまったように、中国の当時の学生達は今エリートとして、中国と中国人をどこに導いているのか。正に北京五輪が明日から始まる。チベット、新彊ウィグルなど小数民族支配、史上ないスピードで急速に進む資本主義化、社会主義国家の大いなる矛盾、持てる者と持たざる者、資本家と労働者、搾取する側と搾取される側、他人事ではなく、目が離せないこれからの20年。
   昼は百軒店ムルギーでタマゴ入りカレー。20年振りくらいだろうか。そもそも昼しか営業していなかったし、しばらくずっと閉めていたりして、昔は入れるほうが珍しかった。頑固な老夫婦がいたが、さすがに代替りしていて、同じ髪型の女性二人がいる。姉妹なのか、娘なのか、孫なのか、全くの他人なのか。2時過ぎでも、満席で賑わっていた。
   シネマヴェーラ渋谷で内田吐夢監督『血槍富士』『大菩薩峠第一部』学生時代は黒澤明か『幕末太陽伝』くらいしか、時代劇は手が回らなく未見だった。しかし、さすがにシルバー料金。かなりの繁盛。入れ替えで出て来る爺さんのあまりの多さに度肝を抜かれる。席に座れば、ほのかに加齢臭が(苦笑)自分が60歳になった時は、超高齢化社会更に進む筈だから、シルバー料金なんかなくなっているかもしれない。そもそも映画館に出掛ける習慣は、年配の我々にしかなくなって、平成レトロを感じさせる渋い枯れた趣味になっているかもしれない。映画自体は、娯楽時代劇として、さすがに傑作。脚本、役者、演出、カメラ文句なし。殺陣は、黒澤以前、以降という形容詞が、こういうことだったんだと実感できる。
   夜は、西麻布の沖縄料理屋で、元会社の後輩と男女2名ずつで個室利用。雰囲気、料理ともに、最高。こりゃいい店だ。盛り上がって、支払う段になって、それなりの金額を聞いて納得する。最近、地元での飲食ばっかりだったからなあ。桁違い。

2008年8月5日火曜日

西荻>吉祥寺>渋谷>池袋>大泉学園>西荻窪

 午前中に渋谷Q-AXで『愛流通センター』。ホリプロスカウトキャラバングランプリの足立梨花の初主演作。和田アキ子、井森美幸、平山あや、ホリプロ全面協力。うーん。久しぶりに寝た。映画というより、ドラマ仕立てのアイドルビデオだな。であれば、女の子たちみんな、もっとかわいく撮ってあげればよかったのに。『きみの友だち』に主演した石橋杏奈だってホリプロスカウトキャラバングランプリ出身の筈なのに、随分な差だ。ロケーションどこかで見た風景だと思ったら、日野の実家のほんとに近所で撮影。昔我が家の犬の散歩コースだった(笑)学生映画みたいだな。我ながらひどい言い様だが、これで一般1800円で劇場公開はないよ!愛流通センター製作委員会さん。昼飯に、量だけやけに多くて、馬鹿にまずいパエリアを食べながら更にムカつく(苦笑)。
  口直しに、シネマライズで『闇の子供たち』。平日昼過ぎでも、かなり入っている。見応えあるなあ。幼児買春、臓器売買。人間の暗部の底。日本人の恥と対岸のように片付けられない、何もしない限り、自分も共犯者なんだろう。サザンの主題歌、違和感あるのは自分だけか。持ち道具のクレジットに今村昌平という名前があって笑う。続けて『闘茶』戸田恵梨香と香川照之の父子、台湾のF4カップルという二組の男女が絆を取り戻す話ストーリーに、お茶についての蘊蓄フィクションを織り交ぜた映画。かなり無理矢理なまとめ方。なんかSTUDIO4℃のオープニングアニメーションやらエリック・ツァンの出演やら京都のロケ、セット、茶道具など、各場面は凝った作りなのに、ストーリー展開が非常に安直なので、まじめな映画なのか笑う映画なのか?でも戸田恵梨香が自分の娘だったらと香川照之が羨ましい。
 もう一本、気になっていた音楽もののドキュメンタリで、劇場公開がずっと先になりそうな作品を観に、西武池袋線大泉学園ゆめりあホールまで。『ゆめみたか~愛は歌田川律~』。自分が13,4の頃に読んでいた新譜ジャーナルやニューミュージックマガジンなどに関西フォークとかディランとかの原稿を書いていた田川律さん。確か労音のスタッフとかから音楽評論家になったような文章を読んだ記憶がある。アコースティックギターの名手に村上律さんという人がいて、「律とイサト」というアルバムも出していたりして、当時から人の名前を覚えることに弱かった松本少年は、この律さんという人は、ミュージシャンでありながら、ちゃんとした文章も書けるオールマイティな凄い人だなと思い込んでいた。こういう勝手な勘違いによる思い込みは、自分のかなり得意ワザである。今でも、田川律さんと村上律さんは違う人だと解っていても、何故だか、新譜ジャーナルを見ながら、スリーフィンガーピッキングの練習をしていた中1の頃が思い出されて、フォークの血が騒いでしまう。この前、近所のリサイクルショップにあったモーリスギター8000円まだあるだろうか。『モーリス買えばスーパースターも夢じゃない』中学生時代の深夜放送でよくラジオスポットが流れていた(笑)。そんな話ではなく、70歳を超えて、あっちこっち出掛けて、ライブの企画をし、舞台監督をし、料理を作り、セーターやニット帽を編んで、音楽に関して評論するだけではなく、数年前から人前で歌うようになったけったいなおっちゃん。先週の『半身反義』でみた山岸達児さんの姿とは全く違う元気な田川さんの姿。でもひょっとして山岸さんだって五年前、いや半年前には同じように、元気で行動していたのかもしれないのだ。誰にも明日のことは分からないし、あの時こうしていれば、ああしていればと考えてもしょうがない。人生は残酷だと考えるのか、だから今後悔しないことを選択するのか。しかし、ああいうけったいなおっちゃんで、若い女の子にハグして貰える明るいじいさんだったらいいなあ。 バスで西荻へ。今日は西荻(中央線)吉祥寺(井の頭線)渋谷(山手線)池袋(西武池袋線)大泉学園(関東バス)西荻と周回。我ながら何をやっているんだろうか(苦笑)。場当たり行動的ニート。

バリウム呑みの悲劇

    朝から成人病検診。今回からメタボ検診でウェスト計られる。言い訳のように「この数字だけでメタボと決まる訳ではないですから」と気休めなのか誰にも言うのか看護師、相手のウェストをよく見て言って欲しい(苦笑)。バリウムの量は随分と減った。
    昼ご飯を元会社の同僚と。パン食べ放題で調子にのる。六本木シネマートで『地球でいちばん幸せな場所』観る。六本木通りを登る途中、バリウム対策の下剤とパン食べ放題効果がダブルで来た。脂汗と登りに息も絶え絶えでなんとかシネマートに。間一髪。やばかった。映画を観る前に達成感あり、ただ予告編途中に第二波が来る。空いている小屋でよかった。作品は、ヌーベルバーグなのかドグマなのか、手持ちカメラと同録の音声がホーチミン市の街と人々の温度を伝えてくる。両親を亡くし、叔父が経営する工場で学校にも行かせずに働かされている10歳の女の子が家出をし、ホーチミン市内で花売りのストリートチルドレンになり、知り合ったフライトアテンダントと動物園の象の飼育係と新しい家族となるお伽話だが、青山真司監督『EUREKA 』の頃の宮崎あおい(まあ今もたいして変わらないが)のような主人公トゥーイがいい。『闇の子供たち』の前に、こっちを観られてよかった。もし、逆だったら。どの子供の笑顔を見ても、切なくなっただろう。といっても、まだ観ていないのだが(苦笑)。監督、脚本、カメラのステファン・ゴーガーは、ホーチミン市で生まれてアメリカで育ったアメリカ軍属の父とベトナム人の母を持つベトナム系アメリカ人、熾烈だった南ベトナム解放戦争のイメージを持つ自分には、ドイモイ政策とはいえ社会主義体制下にある筈のベトナムで、政治的ではないが、ある種社会の断面を提示している映画をアメリカ人が作れることに、違和感を感じてしまう。やはり、そこに行って自分の目で見ないと何も分かっていないということだろう。なんせアメリカに勝った国ベトナム人は、我々日中韓、東アジア人のような狭量なわだかまりなんかを超えて、タフなんだろう、トゥーイのように。
  いったん帰宅してよかった。洗濯ものを取り込んだところで、スコール的夕立。なんせ、この部屋は一度、数年前に床上浸水している。すぐ小降りにはなって、もわっと、多分ホーチミン市のスコール後のような高い湿度の中を下北沢から茶沢通りを三軒茶屋に。かっての同僚と数年振りに飲む。寿司屋だけど沖縄料理の店。寿司屋で飲んでいるのか、那覇の居酒屋で飲んでいるのか途中で見失う。あー飲んだ、飲んだ。ベロンベロンのまま、下北沢の古本屋に入店。時代小説手当たり次第買って井の頭線に乗るが、かなり怪しい。酔っ払った勢いで外苑粥屋の予約を入れて帰宅。

2008年8月3日日曜日

歯には目を。

  昼は同居人と地元の蕎麦屋、鞍馬。やっぱり美味い。つまみがないので、ちょうどいいと思ったが、ビールやら日本酒やら、調子に乗ってしまう。ほろ酔い加減で阿佐ヶ谷に出て、ラピュタの京都映画特集で、中島貞夫の『狂った野獣』。やっぱり面白い。大学生以来、意外と覚えているものだ。主演の渡瀬恒彦、脇役も、室田日出夫、川谷拓三、志賀勝、今ではやれないような公道でのカーアクション凄い。1976年製作、既に邦画がどん底な中でも、面白い映画作りに撮影所は熱い、熱い。企画として、メタル侍でとてもお世話になった東映京都撮影所長のクレジットがあり、感慨深い。
  映画まで少し時間があったので、前から気になっていた阿佐ヶ谷の眼鏡屋で、二つ目の遠近両用作る。気に入ったフレーム見つけたのだが、しまった!高い。犬歯が抜けてしまっているのを、あと半年経たないと新しい歯に保険はきかないと言われているので、保険外で、歯を入れるか、いっそインプラントにするかと悩んでいたが、その目は完全になくなった。歯より目を、ということか。悩み解消。
  その後、渋谷で散髪して、シネマライズで『闇の子供たち』観るつもりが、ソールドアウト。松竹セントラルで『カンフーパンダ』。どうも動物のデフォルメが、ディズニー的でない、つまり手塚治虫的でないので、日本人のキャラクター感というより自分か、自分のキャラクター感と違和感があって触手が伸びなかった。しかし、観ているうちに、これも『崖の上のポニョ』と同じように、児童の気持ちで楽しめばいいのだと思い直すと、勇気と信頼を忘れなければ、夢は開けるというあまりに簡単なメッセージと、最後には龍の戦士としてヒーローになるという太ってだらしないパンダの主人公の体型が自分を見ているようで、自己投影。映画館を出るときには、自分がカンフーマスターになった気分。しかし、声の出演、ジャック・ブラック、ダスティン・ホフマン、アンジェリーナ・ジョリー、ルーシー・リュー、ジャッキー・チェン・・・・。日本語吹替版を観ているわけではないが、アメリカのアニメの吹替えと日本の吹替えの声の高さと1オクターブ低いのではないか(笑)。特に、アンジェリーナ虎とルーシー蛇。中2男子メンタリティの自分からすると、大人の女の人という感じ(笑)。喋り方も、理性的。アメリカのアニメが日本に入ってきたとき、ディズニーの劇場アニメーション映画と、カートゥーン(まあ、これも吹替えだったか)とかなり乱暴に決め付けると、日本のアニメは、テレビアニメとして浸透したので、カートゥーンアニメーションから、子供向き、幼児向きな方向に行き、その当時の子供が大きくなってもアニメを見続け、テレビの倫理規定も緩いことで、大人子供(子供大人でもどっちでもいいけど)のオタクのためのエンターテイメント的進化をし、テレビの規制の大きいアメリカは、子供だけで観るテレビアニメーションとしてのカートゥーンと、大人が子供を連れて劇場に行く習慣の強いアメリカならではの大人も楽しめるエンターテイメントとしての劇場アニメーションとに分かれていった。なんて、思いつきで書いてしまうと安直なので、押井守の『スカイクロウ』を観た上で、改めて考えてみようっと。

今週読んだ本

松本賢吾『八丁堀の狐赤い十手』、牧秀彦『松平蒼二郎無双剣陰流・闇始末宿命斬り』、風野真知雄『同心亀無剣之介わかれの花』、米田憲司『御巣鷹の謎を追う日航123便事故20年』、酒とつまみ編集部『酔客万来』、ばるぼら『NYLON100%』、新宅純二郎・柳川範之編『フリーコピーの経済学』、神谷雅子『映画館ほど素敵な商売はない』