2011年1月23日日曜日

嗚呼朝日。

  昨年末で朝日新聞を取るのを止めたが、それ以来我が家への来客は増えた。それは朝日新聞を名乗る人々だ。朝日の販売店の前任者、前々任者には全く不満はない。むしろ色々お世話になった。月末給料日前の集金には、何度も再訪をお願いした(苦笑)。特に自宅が床上浸水した時に、床に浸み込んだ水を吸い取るために、古新聞を貰いに訪ねたら、その後、わざわざ、新聞の束を持って様子を見に来てくれたことにも恩義は感じている。それに、済まなそうに、契約を止めたことの理由を尋ねている姿には、何だか申し訳ない気がしてくる。
  しかし、最初に訪れた人間は違った。スーツ姿の30前後の高橋と名乗る青年は、非常に低姿勢に理由を尋ねたあげく、名前、住所、電話番号を聞くと、手元の黄色い用紙に書き込んでいる。ああ、会社への報告書を記入しているのかと思って、彼の手元を覗くと契約書だ。リボーン・グループ、そして何故か彼が名乗った“高橋”と違う名前が記入された用紙には、○○新聞とは半年契約だと言った翌月の7月からしるしがついている。「何ですか?契約書とは?7月から○がついているし、おかしいんじゃないか」と言うと、「いえ、○○新聞さんの半年契約後、もし朝日をお取りにならない場合は、お電話いただけば取り消せますから」と言う。その時点で、その用紙を破かせ、名刺を貰えばよかったが、夜9時過ぎに帰宅し、寒い外でのやりとりだったので、再契約するつもりも、その予約をするつもりもないと抗議し、逃げるように帰って行く“高橋”を見送った。
  リボーングループという名称のセンスの無さも失笑だが、かって、勧誘の質の悪さで別の新聞社は“押し売り”だと非難されていたと思うが、これは、押し売り以上の訪問販売詐欺だ。
  貧すれば鈍す。朝日新聞の質の低下は、記者が書く紙面だけではなく、全社的な問題だったのだ。オーナー一族と経営陣の不毛な権力闘争は、一切読者のことなど考えたことなどない。元の会社のボスが、「新聞業界ほど、顧客満足という視点に欠ける業界はない」と断言していたが、本当に実感する。朝日新聞にとって、契約者≒読者は、高邁な自分たちが、知性で導く愚かな大衆でしかない。
   契約者≒お客さまという意識は、下請けの販売店にとっては切実であるが、新聞記者と新聞社の経営者にとっては、自分たち“ジャーナリスト”の正義(笑)を支える下々の衆愚である。だから、こんな時代になっても、未だに政財官と並び君臨する第4権力だと特権意識を持っていられるのだろう。金融機関、JALに続いて、新聞、テレビの経営状況の悪化を、我々の税金で救済することだけは阻止しなければならない。早く沈んでしまえ!!朝日タイタニック。