2010年2月27日土曜日

2月も終わる。

朝から食事抜きで、丸の内まで糖尿病の経過観察検査。血圧と血糖値は正常だが、γーGTP、中性脂肪など、アルコール関係の数値だけ悪化。眠くて一度帰宅し、ブランチし、フィギュアを見て、昼寝。夜は渋谷で浅草の歌姫辻香織のライブに。明後日東京マラソンなのに、余裕だな。

2010年2月25日木曜日

2月は節分だよ、酒が飲めるよ。酒が飲める、飲めるよ、酒が飲めるよ。

    何だか天気は良いのだが、花粉飛散激しく、家で読書。   
   夕方、マスクをして代々木の学校に請求書など届け、外苑前の粥屋喜々へ。元会社の関連会社のAと後輩Kで飲む筈が、Aが同期で元部下のTに声を掛けてくれていて、15年程昔のプロジェクトが勢揃いし、調子に乗って飲んでしまう。明日朝、検診があったのだが…。

2010年2月24日水曜日

昨年公開のロック映画2本、観ていないことを後悔。

    多分大学卒業以来なので、28年振りの早稲田松竹で、

    サーシャ・ガヴァシ監督『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち(61)』
  日本のスタジアムイベント、スーパーロック84(西武球場を始め全国を回ったらしい)。スコーピオンズ、ホワイトスネーク、ボン・ジョビと共にカナダのメタルバンドアンブィルも出演していた。他のバンドはアルバムを数百万売るスーパーグループとなったが、アルバム「メタル・オン・メタル」がスマッシュヒットしたもののアンブィルだけは売れなかった。
   雪景色のカナダトロント、スティーヴ・“リップス”・クドローの朝は7時から始まる。車でチョイス・チルドレン・ケータリングに行き、バンに毎日の給食を積んで、幾つかの小学校に配達するのだ。車の中で、超ポジティブに語り続けるリップス。
   リップスと15歳の時からバンドを組み始めたドラムのロブ・ライナーは、建築物の解体の仕事をして食べている。
   オンタリオ州エトピコのクラブで、アンヴィルはライブをやる。奇しくもその日は、リップスの50歳の誕生日だった。決して多くはないが、熱狂的なファンを前に熱い演奏を繰り広げるアンヴィル。マッド・ドッグと?という二人の熱烈なファンは300本以上アンヴィルのライブを観たと言う。
   15歳のリップスは、ある日近所の家から、ブラックサバスやグランドファンク、カクタスが大音量で聞こえてきた。それがロブとの出会いだ。それから、ずっと一緒にバンドを続けて来たのだ。ある日、ティジーナというツアーマネージャーからヨーロッパツアーをやらないかという熱烈なメールを貰う。久し振りの本格的なツアー、それもギャラは1500ユーロ出るという最高な話だ。このツアーに成功すれば、話題を呼びレコード会社も見に来るだろう。
    飛行機に乗り、最初の会場は、スウェーデンのセルベスでのスウェーデン・ロック・フェスティバルだ。マイケル・シェンカー、カーマイン・アピス・・・・メジャーのロックミュージシャンに、本当に久し振りに再会し、子供のように喜ぶリップス。日本人の熱烈なファン(実名)やコンサートイベンターの江藤昌宏にも会い、スーパーロック84の思い出とぜひ日本に来てくれという声もかけられる。昼間の出演だが、観客の反応も悪くない。最高のヨーロッパツアーの始まりだとリップスは確信する。
    しかし、翌日乗車する筈の列車に、前売りを買っていなかったことで乗れなかったことからケチが衝きはじめる。電車やレンタカーでの移動、リップスは健気に「ビッグになるまでは我慢しないと」前向きに言うのだが・・・。スペイン、ヘルシンキ、ギリシャ、コペンハーゲン、クロアティア・・・。小さなクラブで演奏をするアンヴィル。満員の会場もあるが、ガラガラでメンバーよりも少ない観客の前で演奏することもしばしばだ。ブタペスト、ポーランド・・・・。プラハのスミホフでは、読めない道路標識に2時間遅れで会場に到着し、演奏したものの、ギャラは払えないと言う。リップスとロブはブチ切れる。やっと5週間に及ぶヨーロッパツアーの最終日、ルーマニアのトランシルバニア、トランシルバニア・ロック・フェスティバル。ティジーナによれば1万人のアリーナだと言う。しかし、入場者174人。ガラガラのアリーナ、それでも全力で演奏するアンヴィル。
    5週間に及ぶヨーロッパツアー、ギャラは0円、レコード会社は1社も来なかった。時折、愚痴も出るが、あくまでもリップスは前向きだ。オンタリオ州のペリアーナ、ティジアーナがギタリストのアイヴァン・ハードと結婚した。やけに広い披露宴会場でアンヴィルは演奏をする。全力で演奏するステージの前には、親戚が3人。他の着席している親類は耳を塞いでいる。ただ一人、ティジアーナは満足げだ。
    リップスは、かって「メタル・オン・メタル」をプロデュースしてくれたクリス・タンガリーディスにデモテープを送る。クリスは、シン・リジィ、ブラック・サバス、ジューダス・プリースト、デペッシュ・モード、マウンテンなどをプロデゥユースしたブリティッシュ・ヘビーメタルの名プロデューサーだ。リップスは今までのプロデューサーはクリスを除くと酷かったと思っている。カセットを封筒に入れ、切手を舌で舐めて貼り、大事そうにポストまで運ぶ。希望を込めるように投函するリップス。
    再び、給食の配達の仕事をするリップス。ある日、電話が鳴る。クリス・タンガリーディスだ。ドーバーのスタジオにいると言う。良かったら、会ってこれからのことを話そうじゃないかというクリス。喜ぶリップス。リップスとロブは飛行機に乗りドーバーに出掛ける。しかし・・・、200万出せばアルバムを作れると言うクリス。自分たちで費用を出して、最高のアルバムを作り、レコード会社に持ち込めばいいじゃないかと言うのだ。
    喜びも束の間、200万なんて大金は、リップスにもロブにも作れない。ファンの?が経営している電話セールスの会社で一攫千金を狙うが、突然見も知らない他人の家に電話をして、適当なことを言って売りつけるインチキな商売は、リップスには向かない。3日間で1件も、契約出来なかった。失意のリップスを、姉がお金を貸してくれることになった。父親の反対で、兄弟姉妹の中で、ただ一人成功をしていない弟の夢を叶えてやりたいと思ったのだ。さっそく、ドーバーのクリスのスタジオでレコーディングが始まる。13枚目のアルバムのタイトルは「This is Thirteen」。とても順調にレコーディングを進んでいく。しかし、ストレスを感じていたリップスは爆発し、ロブと激しく衝突してしまう。ティムが間に入り、冷静にこんがらがった感情を整理させる。苛立った気持ちのぶつける相手として、家族のようなロブに甘えているのだと泣いて謝るリップス。
   仲直りした二人は、ベースのG5、ギターのアイヴァン・ハードたちと、ストーンヘンジを見に行く。巨大石遺跡は、彼らを癒す。レコーディングは終わった。
   帰国した彼らは、今までの失敗が、メジャーレーベルと契約してこなかったことだというクリスのアドバイスもあり、西海岸にある米メジャーに自信作を持って回る。しかし、どこからも彼らと契約しようと言う声はなかった。最後に、地元カナダのEMIミュージクのA&Rプロデューサーの元に二人は会いに行く。CDを掛けるプロデューサー。しかし1曲目の途中で音を止め、「今我々が求めている音楽とは違うようだ」と言う。しかし、「ずっとバンドを継続してきたことが大変重要だ」という一言に、最後の望みをかけ、リップスとロブは、EMIミュージックカナダを後にする。
   数日後、届いたメールは、リップスを失望させる。残念ながら、我々が求めている音楽ではないというものだった。肩を落とすリップス。しかし、二人は、自分たちでCDを1000枚プレスし、自分たちの音楽を求めているファンに届けることにする。
   リップスの家の電話が鳴る。日本のプロモーターから、ニューアルバムを聞いて、アリーナコンサートへの出演依頼して来たのだ。大喜び、ロブの家に報告に行く。
   成田空港に着いたリップスには、既視感を味わった。25年近く前に来日した時と同じ成田空港だ。成田山新勝寺だろうか、再び日本を訪れた幸福に抱き合うリップスとロブ。ホテルの部屋に入るリップスとロブ。明日は、幕張メッセで開かれるラウドパーク2006だ。昼間の最初の出演だと聞いた二人に、不安がよぎる。2万人入るという会場に果たして客はいるのだろうか・・・。また観客が5人しかいなかったら・・・、自分たちを呼んでくれた日本のプロモーターは・・・、それ以上に自分たちを求めている人間が世界に誰もいないのではないだろうか・・・。考えれば考えるほど、心は塞いでいく・・・、ステージに上がる直前まで。
   しかし、ステージに上がった彼らを待っていたのは、アンヴィル!!と叫び続ける満員の観客だった。84年のステージと同じように、日本の観客は熱くアンヴィルを迎える。全力で歌い演奏をするメンバー。「メタル・オン・メタル」のコールアンドレスポンスも最高だ!!!
演奏を終え、4人並び観客に頭を下げるアンヴイル。
   渋谷のスクランブル交差点にやってくるリップスとロブ。行き交う人々を満足げに眺める二人。

ラーズ・ウルリッヒ(メタリカ)/レミー(モーターヘッド)/スラッシュ(ガンズ&ローゼズ)/トム・アラヤ(スレイヤー)/スコット・イアン(アンスラックス)

   最高だ!!!!!!!!!!!

   リチャード・カーティス監督『パイレーツ・ロック(62)』
    母親に寝る時間でしょと言われ、自分の部屋のベッドに入る男の子。しかし、机の引き出しからトランジスタラジオを出して、枕の下に隠す。夜9時、今から刺激的な音楽といかしたDJの番組が始まるのだ・・・。
   1966年、英国はブリティッシュロックが席巻していた。しかし、当時唯一の放送局BBCラジオには、1日たった45分しかポップスを流す番組がなかった。そんな状況に不満を持つ若者たちに、圧倒的な支持を受けていたのは、北海の公海上の船からの海賊放送局だった。
   英国の閣議、首相は、放送担当大臣のアリステア・ドルマンディ(ケネス・ブラナー)に、海賊放送を1年以内に決着をつけるように命じた。ドルマンディは、現在の長髪の担当者が無能であるとクビにして、トゥワット(ジャック・ダベンポート)を担当にする。
   そんな海賊放送局の一つ、RADIOROCKがあるポンコツ船に、荒れた海の中、近付くタグボートがある。煙草と大麻で放校処分を食らった17歳のカール(トム・スターリッジ)が母親に言われて、名付け親のクエンティ(ビル・ナイ)のもとに、送り込んだのだ。しかし、ラジオ・ロックは思春期の若者が更生するには、真逆の環境だった。


ザ・カウント(フィリップ・シーモア・ホフマン)/クエンティ()/ギャヴィン(リス・エヴァンス)/ニュース・ジョン(ウィル・アダムズデイル)/シック・ケヴィン(トム・ブルック)/アンガス(リス・ダービー)/デイブ(ニック・フロスト)/カール(トム・スターリッジ)/ドルマンディ(ケネス・ブラナー)サイモン(クリス・オダウド)フェリシティ(キャサリン・パーキンソン)マーク(トム・ウィズダム)ハロルド(マイク・ハミルトン)ボブ(ラルフ・ブラウン)マリアン(タルラ・ライリー)デジリー(ジェマ・アータートン)エレノア(ジャニュアリー・ジョーンズ)シャーロット(エマ・トンプソン)トゥワット()ミスC(シネイド・マシューズ)

  1960年代後半、正にスウィンギングロンドンの時代を綺麗にいい話しに纏めようとしているところが鼻につくが、ストライクゾーンの名曲の数々、更に可愛い女の子が出てくる青春映画には全く点が甘くなる(苦笑)。最後に水に浮かぶLPレコードのシーンは、床上浸水で、壁一列分のLPを駄目にした自分には切ない。小品のようで、邦画の世界だと異様にハイバジェットの作り方に、製作者たちの身を心配する。ずっと自分だけは貶そうと思いながら観た映画に、好感を持ってしまうのは悔しいなあ。
   買わないつもりのプログラム買ってしまう。映画で流れる曲の解説を1970年生まれの宇野維正というライターが書いている。何だかWiki臭が感じられてしまう。やっぱりせいぜい若くても萩原健太さんとかに依頼して欲しかったというのは、50代のオヤヂだからなのか・・・。

  その後、高田馬場王将で、餃子とビール。安いなあ。

2010年2月23日火曜日

大雷蔵祭はもう予約で一杯だった。

    ラピュタ阿佐ヶ谷で、昭和の銀幕に輝くヒロイン【第51弾】若尾文子
     65年東京映画豊田四郎監督『波影(58)』
     雨が降る中、泊(とまり)の船着場に渡し舟が着く。レインコート姿の須賀世津子(大空真弓)が船を降り、近くの海岸に立つ墓に手を合わせる。私にはいつまでも忘れられない人がここに眠っているのです…その人は私がどこに行っても波を越えて呼び掛けてくるような気がします。美しく、しかし自分のものを全て他人に惜しみなく渡してしまうような人でした。昭和9年のことでした…。
     法事で田舎の泊に行っていた、福井県小浜の赤線街三丁町、柾木楼の主人吉太郎(山茶花究)が、隣り村の倉本かね子(若尾文子)を連れて帰って来た。遣り手婆のおうた(浪花千栄子)や店の娼妓たちがおかえりなさいと出迎える。吉太郎は、妻で女将のまさ(乙羽信子)を呼び「この子の父親は、三丁町に入れあげて、山、畑全部売っぱらったあげく死によってな、法事で会うなり、三丁町で働かせてくれと頭下げてきよったんだ。びっくりしたで。うちの子はみんな売られてきたけど、自分で志願してきたんや」
    かね子は、職人の兄に仕事を続けさせるため、三丁町で働かせてくれと頼んで来たのだと言う。まさは、雛千代と夫とのあいだを勘ぐって、直ぐには柾木楼に置くことに同意しなかったが、一度嫁ぎながら、働かず暴力を振るう夫から実家に逃げ帰ったと言う行き場のないかね子を雇うことにする。とりあえず、客を取る部屋だかと行って部屋に案内をするまさ。かね子が窓の障子を開けると、模型飛行機が飛び込んでくる。向かいの母屋で暮らす主人夫婦の息子の忠志と娘の世津子だった。海が見たいと世津子に母屋の反対側の障子を開けて貰うかね子。
    かね子が柾木楼に来て、雛千代となって一年半が過ぎた。8歳の世津子を連れ、渡し舟に乗り、泊に父親の墓参りに出掛ける雛千代。「ねえさんがウチに来て、どの位になるん?」「もう一年半やねえ」「母さんは、店の女の人と仲良くするのを嫌がるけど、雛千代ねえさんだけは別や…」「あてなあ、節子ちゃんくらいの時に、お父ちゃんが三丁町に行ったきり、帰ってこんようになって、お母ちゃんと迎えに行ったことがあるんよ…。お母ちゃんは、お父ちゃんに何て言えばいいかわからんさかい、お父ちゃんに会ったら泣きよしと言うんよ…。だからお父ちゃんに会うなり泣き出したら、なんやらお父ちゃんが憎くて憎くて、しょうがなくなったんよ…」泊の家並みは、日陰で暗い。「日が当たる所は、畑にしてるさかい、家はみんな日陰になるんよ。お父ちゃんはそんな泊が嫌で、三丁町から帰って来なかったのかもしれんなあ・・。そんなお父ちゃんも、"まいまいこんこ"してもらって、泊に帰って来はったんや」「"まいまいこんこ"って何?」「お墓に埋めて貰う時に、村中の人に、周りを「南無阿弥陀佛」と言いながら回ってもらうんや」
     雛千代の生家には、職人をしている兄と、末期の子宮癌で寝たきりの姉がいる。「何の病気なん?」「世津子ちゃんには、まだ分らんかもしれんけど、お姉ちゃんを入院させようと、あてが三丁町に行ったんやけど、ずーっと我慢してはったさかい、もうあかんのや」雛千代の父の墓に詣でる二人。「あんなあ、泊の村に生まれた人はどこで死なはっても、魂になって生まれた在所の泊へ帰ってきなはるんや。ホンマどっせ。」
    必死に駆け帰宅する世津子。中風で2年寝込んでいた吉太郎が亡くなり、学校に報せがあったのだ。「世津子ちゃん、お父さんの顔を見てやり」「怖いから、うち嫌や」枕元には、まさと忠志(中村嘉津雄)が座っている。そこに、柾木楼をぷいと出て5日になっていた照子(木村俊恵)が帰って来る。京都に遊びに行っていたという。お線香をあげながら毒づく照子。多感な中学生になっていた忠志は、二階に駆け上がり泣く。雛千代は追いかけて行き「忠志さんがこれからは大黒柱や、しっかりせんとあかんよ」と声を掛けるが、女郎屋に産まれた屈折を泣きながら訴える忠志。女郎屋を継がず、海軍士官学校に進み、立派な兵隊になるんやと叫ぶ忠志にしがみつかれた雛千代は、耳元に出血したのか、鏡を見ながら、忠志の純粋さに打たれる。
    再び日が流れ、雛千代が泊からの渡し船に乗って小浜に着くと、女学生に成長した世津子(大空真弓)が自転車に乗り待っている。雛千代の兄が出征するのだ。「お姉ちゃんが死んで、お兄ちゃんが出征しはって、家は隣の部屋に預けてきたわ」「お姉ちゃん、帰ってこんかったらどうしようかと思ったわ」「あては、三丁町で働かせて貰うしかないんや」世津子にラムネを奢った雛千代は、京都の女子大に合格した報告を受け、我が事のように喜ぶ。


   引き続き、百万人の作家 石坂洋次郎の映画アルバム
   58年東宝岡本喜八監督『若い娘たち(59)』
   砂浜を水着姿で駆ける三人の娘石沢カナ子(雪村いずみ)野村友子(水野久美)と柴田澄子(野口ふみえ)山と海に囲まれた街。
  石沢家に五女のタマ子(笹るみ子)が帰って来る。郵便配達から大きな封筒を受け取り玄関の中に入る。表札の横には、和裁お受けいたしますと貼り紙がある。母の美保子(三宅邦子)に「ただいま!!郵便が届いているわ!!きっとシズ子姉さんからよ。写真に違いないわ」封筒を開ける美保子。四女カナ子を呼ぶ美保子。

   角川シネマ新宿で、大雷蔵祭

   64年大映京都森一生監督『博徒ざむらい(60)』
     甲州身延山、久遠寺の祭だ。津向一家の賭場が開かれている。そこに武居の安五郎の乾分黒駒勝蔵(玉置一恵)がやって来て、甲斐の祐天こと仙之助(市川雷蔵)を出せと言う。津向一家貸元の文吉(香川良介)は、「知らねえ!!たとえ知っていたとしても出せないな」と突っぱねる。一触即発の事態に、祐天が「あっしのために無用の斬り合いは止めておくんなせえ」と言って現れた。
     その時賭場は、武居の安五郎(通称,吃安)(富田仲次郎)の一家が賭場を取り囲んでいた。出入りだ。争いの中で、祐天は、吃安(どもヤス)の剣術指南役の桑原来助(杉山昌三九)を斬った。そこに代官たちが駆け付け、津向の文吉と武居の吃安は捕らえられ、島流しと決まった。唐丸駕籠で運ばれる途中の津向の文吉を、津向の代貸、獅子山の佐太郎(本郷功次郎)と祐天が待ち構えていた。祐天は、文吉に、帰ってくるまで、津向一家を盛り立てて待つと言い、唐丸駕籠越しに杯を受けた。
      勝沼の絹市に、石和代官宇津美大次郎の絹の貫目改めを行うという触れ書きが立てられた。絹の取引に冥加金を課すというものだ。現れた役人に、恐れながら、市の最中に、このようなことをされたのでは、絹を売りに来た百姓も、買いに来た商人も大変困ると甲州屋助蔵(清水将夫)が言うと「町人風情が何を言う」と、甲州屋を捕らえようとする。そこに、祐天や佐太郎たち津向一家が取りなした。
     祐天が、代官所に出頭すると宇津美(植村謙二郎)は、笛吹山(?)に立て篭もる武居の安五郎を捕えれば、冥加金のこともなかったことにしてやると言う。初めは、博徒と十手持ちの二股は、博徒の名折れだと断った祐天だったが、町の人々のためだと考え直し、吃安を召し捕った。しかし、それは宇津美の嘘であり、吃安だけではなく、津向一家を捕縛しようとする代官所の捕り方たち。
     何とか逃げ延びた祐天は、横浜に逃れ、甲州屋で手代仙之助として働いていた。助蔵の一人娘のおせい(坪内ミキ子)も、博徒の足を洗い商いに精を出す仙之助を心憎く思っているようだ。ある日、旅疲れで息も絶え絶えになった佐太郎を見つける。佐太郎は、祐天を探し、甲州から上州、房州と渡り歩いたが、見つけられず横浜に辿り着いた。二人で津向一家の再建をしようと説く佐太郎に、首を縦に振らない仙之助。やけになった佐太郎は、遊女お辰(紺野ユカ)の部屋に居続けだ。しかし、ある日運試しだと出掛けた近くの賭場で40両を摩った上に、イチャモンをつけ、簀巻きにされて危うく海に投げ込まれそうに。そこに、仙之助が駆け付け、商いの元手の40両を出し、佐太郎を救う。しかし、素直に喜べない佐太郎。
     数日後、仙之助は、外人居留地のバーネット商会に掛取りに出掛ける、外人居留地は、鑑札がないと出入りが出来ない。一帯の警護は、別手組(ベッテン組)が行っていたが、きしくも隊長は、かって石和代官の宇津美だった。英国人バーネット(ピーター・ウィリアムス)は、甲州屋の絹の反物にイチャモンをつけ、半額しか払わないと言う。更に、荷は既に出航した船だと言う。余りに馬鹿にした対応に、仙之助は「騙りじゃねえか」というが、居留地の裁判権は英国領事にあり、更に別手組は、あからさまにバーネットの味方をする。やってきた宇津美は、甲州屋の鑑札を取り上げる。鑑札がなければ、甲州屋の商いは出来なくなってしまう。
     甲州屋に戻った仙之助は、刀を持ち鑑札を取り返しに行くと甲州屋に言うが、助蔵は「商人には商人の闘い方がある」と、おせい共々思いとどまるように言った。佐太郎は飲み屋で甲州屋が別手組の宇津美に鑑札を取り上げられ、店が潰れるんじゃないかという噂を聞く。
     果たして、深夜別手組屯所の近くで、佐太郎が待っていると、仙之助が現れる。手伝うぜと言って、忍び込む二人。その時、別手組屯所では、バーネットが宇津美に金を渡しているところだった。二人はグルだったのだ。仙之助と佐太郎は二人を脅し、鑑札を取り返すことに成功するが、佐太郎はバーネットの拳銃で腕を撃たれる。
     別手組に追われ逃げ続ける二人だったが、出血が続く佐太郎に次第に追い詰められていく。瓢々堂という骨董屋に、別手組が、この辺りに盗賊が逃げ込んだと思うがと乗りこんでくる。一人の侍(芦田伸介)は、さっき屋根の上で物音がしていたが、猫かと思っていたと答える。別手組が追って行った後、女房おきく(荒木美重子)は、「そんな音しませんでしたよ」というと「そりゃそうだ。台所にいるぞ」という。そこには仙之助と佐太郎が隠れていた。おきくに手当をさせる男。
     別手組は、甲州屋を囲み、仙之助を出せと言う。助蔵が断ると、捕縛されそうになる。そこに仙之助が現れ、鑑札を助蔵に渡し、素直に連れて行かれる仙之助。仙之助は伝馬町の牢に入れられた。牢名主の男は、イカサマ賭博で同じ牢の囚人たちからなけなしの銭を巻き上げていた。仙之助は牢名主の銭を取り上げる。生きて出られない伝馬町の牢でイカサマ働くんじゃねえと言い、牢名主が袋叩きになりそうになるが、牢屋同心(岩田正)が現れ、放免の者を読み読み上げる。殆どが侍ばかりだったが、何故か仙之助の名前がある。狐につままれた気分で伝馬町の門を出た仙之助に、駕籠が待っていた。
     駕籠は仙之助を、瓢々堂に連れて行く。佐太郎とともに助けられた男だった。出羽の浪人、清河八郎と名乗り、「甲斐の祐天こと、仙之助。甲州ではいい顔だったらしいな」「なんであっしのことを?」「名前が分らんと、放免の手続きをとれんでな」清河は、自分に命をくれと頼み、京に将軍が上るが、自分たちはその警護のために浪士隊を結成して同行するので、その隊に参加してくれないかという。清河の人物に感服した仙之助は、どうせなら世の中の為に捨てたかった自分の命、ぜひお預けしますと頭を下げる。
      伝通院の境内で、浪士隊の志願者の腕試しをしていた。水戸天狗党の芹沢鴨(北城寿太郎)らがいた。そこに、仙之助が連れた、殿様の伝蔵(伊達三郎)身延の半五郎(志賀明)たち津向一家の面々が慣れぬ二本差しで現れる。勿論、佐太郎の姿も。大村達尾(伊藤孝雄)は、仙之助が、自分の父桑原来助を斬ったのは、山本仙之助を名乗る甲斐の祐天であることに気がつき、仇を討とうとするが、私怨は許さぬと清河に止められる。
      浪士隊は、新徴組として京に向けて出発する。仙之助たちは、五番組となったが、所詮博徒上がり、侍と言っても泊る宿では博打を打たずにはいられない。ある夜、芹沢鴨の横車に腹が立った仙之助たちは衝突する。何故か、清河は仙之助たちを除名し横浜に帰れと言う。しかし、一人仙之助を呼んだ清河は、将軍守護のための上京は、実は偽りで、天子より攘夷の勅諭を貰い、尊王攘夷運動を行うのだと真相を告げる。そのために、実は、仙之助たちは横浜に戻り、軍資金稼ぎをやってほしいのだと言う。清河を信頼していた仙之助は、その申し出を承知する。
      新徴組から分かれ、いよいよ津向一家の再興だと意気込む佐太郎に、仙之助は清河の語った話をし、みんなの命を俺に預けてくれと頭を下げる。津向一家を再興するまで仙之助を待って来た自分は、いつまでも一緒だという佐太郎を含め皆横浜居留地で金持ちたちの財産を盗ことを始めた。
  まずは、バーネット商会に忍び込む仙之助。ベッドに眠っていたバーネットを起こし、刀を突き付け、絵画の下に隠されていた金庫を開けさせる。中には拳銃が入っており、形勢逆転かに思えたが、絨毯を引き、バーネットを転ばせ、拳銃を奪い、溜め込んでいた財産を懐に入れ逃げた。佐太郎と、やっとうを下げて侍の真似をするよりも簡単だなと笑い合う。それから立て続けに成功し、金銀、宝飾品を隠れ家に溜め込んだある日、好事魔多し、別手組に追われることになる。取り囲まれ間一髪、飛び込んで来た大村に助けられる。大村は、清河の命により、仙之助たちを見張っていたと言う。攘夷の勅命を手に入れた、清河は江戸に戻って来ると言う。いよいよ蜂起するのだ。
     新徴組のメンバーと共に横浜に戻った清河は、仙之助と佐太郎が持って行った多額の軍資金と居留地の地図を「こんなことは君たちにしか出来ない」と言って大層喜んだ。しかし、侍たちは、既に不要になった津向一家を秘密保持の為に斬ると言う者が多かった。しかし、清河は、彼らを宥めるためか、「まだ、使えるうちは利用すればいいのだ」と言う。横浜外人居留地への攻撃は明後日に決まった。決行後船で、甲州に逃げることになっていた。甲州の足場作りのために、佐太郎は一足先に、身延山に行き、津向一家を再興してくれと頼まれ、喜び勇んで出掛けることになった。
     しかし、仙之助は、武装蜂起し、外国人を斬った上、居留地に火を放つと言う、清河の計画に納得出来ない。居留地には日本人も大勢住んでおり、焼け出された町人は困ることになると、侠客として仙之助は、世の中のためになると言えないのではないかと思うが、清河は大事の中の小事だと取り合わない。
    甲州に向かう最後の晩、お辰に気が向いたら甲州に来いと別れを告げて旅立とうとした佐太郎の目に、別手組隊長宇津美の姿が飛び込んで来た。思わず、刀を抜き宇津美を斬る佐太郎。宇津美は絶命したが、街中でもあり、佐太郎は拳銃で撃たれ追い詰められる。
     傷付き逃げて来た佐太郎は、以前と同じく、瓢々堂の戸を叩く。仙之助は助けようと戸に近付くが、清河は、今捕り方たちに踏み込まれたら明日の決起が露見すると言って、戸を開くことを許さなかった。「開けてくれ!!佐太郎だ!!」と必死に戸を叩く佐太郎の叫び声は途絶えた。涙を流し、「人助けだと言いながら、自分かわいさに仲間を見殺しにするあんたたちには、愛想が尽きたぜ」と潜り戸を抜ける。店の前の路地には、佐太郎の姿はなく、大量の血だけが流れていた。そのまま、よろよろと去って行く仙之助。清河は、大村を呼び、「斬れ。親の敵討ちと秘密保持だ」と命じた。数人の浪士と駆けて行く大村。一人残った清河は痛恨の表情で、天を仰ぐ。
    遊郭が立ち並ぶ通りの人混みを、茫然と歩く仙之助の姿がある。そこに、大村たち追っ手が抜刀して、取り囲む。悲鳴を上げて、逃げていく人並み。「用済みなった私を斬るってわけですかい」仙之助は、喧嘩剣法で、必死に身を守る。多勢に無勢、生きるためには、侍たちを捕まえ、転んで刃を逃れなければならない。必死の戦いが続く。懸命な仙之助の前に一人一人倒れていく浪士たち。最後に大村一人が残ったところで、既に傷ついていた仙之助は、かって吃安の出入りの際に斬った侍が大村の父だったことを知る。
  

新地の七兵衛(水原浩一)石坂周造(中村豊)壷ふり勘蔵(越川一)井出の久四郎(堀北幸夫)樋渡八兵衛(南条新太郎)佐伯紋三郎(尾上栄五郎)農民(東良之助、天野一郎)絹買商人(石原須磨男、愛原光一)丑松(木村玄)別手組侍(浜田雄史、舟木洋一)近藤勇(原聖四郎)源八(大林一夫)池田徳太郎(竹谷俊彦)万沢の久次(薮内武司)相撲の半次(千石泰三)留(黒木英男)斎藤熊三郎(有村淳)絹宿商人(芝田総二)長吉(北野拓也)

  その後、麹町で一件打合せ。帰宅。

2010年2月22日月曜日

赤坂ランチ事情。インフォーマントとインビクダス。

   赤坂のメンタルクリニックに行ったついでに、久し振りに独身美人OLに自宅居酒屋で残った惣菜を差し入れる。

    昼時で凄い人出の、赤坂見付と神谷町を、徒歩で往復して感じるのは、飲食店の閉店が目立つことと、店の前での弁当販売だ。ワンコインどころか、400円、380円と言う値段も目立ち、そうした店に客が群がっている。中での800円とかのランチは厳しくなり、弁当を販売すると、益々中に入って来なくなる。分かっちゃいるけど、止められない悪循環。厳しいなあ。
   弁当を売らない店も、手当たり次第路上に看板を出して、少しでもアピールを図っている。昔赤坂で働いていた時に、ランチタイムに行っても、いつも入れなかった店が潰れているのを見るのは辛いなあ。

  新宿ピカデリーで、クリント・イーストウッド監督『インビクタス 負けざる者たち(57)』
   1994年、早朝と言うより夜中、ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)がベッドから起き上がる。マンデラの家の前には、黒人のSPが二人待っている。警護班責任者のジェイソン(トニー・キゴロギ)たちだ。門が開いてジャージ姿のマンデラが出て来るのを見て「時間通りだ、狙われやすいな」「お早う!」「マディバ!お早うございます」早朝散歩するマンデラの警護に来たのだ。マディバとは、マンデラの氏族の名前だが、黒人たちは、敬愛を込めてそう読んでいた。一緒に深夜の誰もいない街を歩く。バンが後ろから近付いて来る。SPの二人に緊張感が高まる。少し前に、行く手を遮るようにバンが停まる。売店に新聞を届けに来たのだ。苦笑いするマンデラとSP。「何て書いてある?」とマンデラ。一面の見出しには、マンデラ大統領就任するも、前途多難とある。
    マンデラが大統領官邸に向かう。今日が就任日だ(?)。官邸の大統領執務室にマンデラが歩いていると、前大統領に仕えていた白人の職員たちが荷物を纏めている。既に手回しよく無人となっている机もあるようだ。マンデラは秘書のブレンダに全職員を集めてくれと頼む。自分たち白人職員のクビを宣告するのだと集まった職員たちに、もし良かったら今までと同じように国民のために働いてくれて欲しい。過去は過去だと言う言葉は、職員たちの心を打った。
   大統領官邸の警護室に、4人の白人のSPがやって来る。ジェイソンは「俺たちを逮捕しに来たのか!?」と色めき立つが、白人たちは大統領警護班に入れと命じられたのだと、書類を出す。こんな書類誰がサインしやがったんだとジェイソンが奪い取ると、ネルソン・マンデラと書いてある。執務室に飛び込んで、俺たちを捕まえ殺した連中を警護班に入れるなんてきちがいざただといきり立つジェイソンに、「警護班の増員要請をしただろ」と笑い、「彼らはSASで訓練を受けたスペシャリストであり、我々は、今こそ白人に対して命を賭けてでも、復讐ではなく、赦しを示さなければならないのだ」と諭した。
  1995年にラグビーのワールドカップが南アフリカで開催されることが決まっていた。しかし、アパルトヘイトに対する制裁処置として、長い間国際試合を許されなかった南アフリカのナショナルチームのスプリングボクスは、かってNZのオールブラックスと双璧の実力を持つと称された栄光は昔日のものとなっていた。今日も、イングランドのチームと対戦をするが完敗だ。観客席の白人たちは、アパルトヘイト時代の国旗をうちふるい、少数の黒人の観客は、敵方のイングランドを応援する。黒人たちにとって、スプリングボクスの緑と金のユニフォームはアパルトヘイトの象徴でもあったのだ。事実、新政権下の国家スポーツ協議会は、ワールドカップに参戦するナショナルチームのチーム名とエンブレム、ユニフォームを一掃する決議をした。しかし、白人たちとの融和を推し進めるためには、彼らの精神的な誇りでもあるスプリングボクスを葬り去ることは、マイナスだと考えたマンディラは止める側近たちを押し切って、評議会が開かれているエルステルスに向かう。復讐ではなく赦せと説くマンデラの主張は、小差だったが認められた。
  マンデラは、国内だけでなく、海外からの融資を求め、NY国連本部を始め、日本など各国を外遊した。そのニュースを家族とテレビで見ている、スプリングボクスの主将フランソワ・
 ピエール(マット・デイモン)の携帯が鳴る。それは、2週間後に官邸でお茶を誘うマンデラ大統領からだった。当日、妻のネリーンが運転する車で、大統領官邸に向かったフランソワに、自ら紅茶を注ぎ、4700万の南アフリカ全国民の代表として闘ってくれるよう話すマンデラ。フランソワにとって、今まで出会ったことのない大きな人物であるマンデラは心を打った。
  ワールドカップが近付く。初戦は優勝候補の一角オーストラリア。国内外誰も、スプリングボクスの勝利を予想するものはいなかった。マンデラとフランソワを除いては・・・。更に激しいトレーニングで疲労困憊しているチームに、黒人居住区の子供たちにラグビーを教えるよう要請するマンデラ。チーム内では反発するものが多かった。しかし、現実に、貧しいながら純粋な眼差しの黒人居住区の子供たちにラグビーを教えるうちに、選手たちの表情は柔らかくなっていく。選手たちの乗ったバスが去るのを手を振り続ける子供たちの後ろには、「一つのチーム、一つの国家」というスローガンが書かれた看板が立っている。

  勿論、アパルトヘイト、ネルソン・マンデラの27年間の投獄生活、民族融和を説いたマンデラの人物としての大きさが一つの柱であり、最も重要なテーマなのだが、ラグビー映画として血沸き肉踊ってしまう。荒ぶるなあ(苦笑)。オールブラックスの巨人ジョナ・ロムー(ザック・フュナティ)を、体を張ってタックルし続けるスプリングボクス。学生時代、何度か友人に引っ張り出されたが、とにかく痛いので、直ぐに逃げ出した紳士でも暴れん坊にもなれない自分も、見ている分にはとっても魅了される素晴らしいスポーツ。久し振りに来シーズンは国立に行こうという気に。今年のスポーツ青春映画のNO.1に早くも当確。他にスポーツ映画見るのか(苦笑)。
  マット・ディモン凄いな。インフォーマントとこの映画の撮影の間に、どの位あったのだろうか。もっとも、鍛えて筋肉質になってから、その筋肉を贅肉に変化させるのは簡単だろう。逆は根性相当必要だな。

2010年2月21日日曜日

自宅居酒屋

  今回は若者が多く、19時スタートで、閉店は朝8時。勿論、途中何度か眠りはしたが、翌日曜日は使い物にならない(苦笑)。洗い物、片付けありがとう。

  今日の献立。筑前煮、切干し大根、ピクルス、秋刀魚生姜煮、ポテトサラダ、ひじき煮、蛸と茗荷のサラダ、ゴーヤチャンプル、クーブイリチ、大根と合鴨挽肉と白滝の炒め煮、南瓜煮物、蓮根と人参と牛蒡のキンピラ、鶏牛蒡、鶏肝バルサミコ煮、牡蠣オリーブオイル漬、白葱コンソメスープ煮、博多もつ鍋風、コンビーフキャベツ、牡蠣と菜の花のパスタ、小松菜とお揚げの煮浸し・・。