2008年11月15日土曜日

牡丹と菊。

 テアトル新宿で、若山富三郎×勝新太郎の軌跡
  64年大映池広一夫監督『座頭市千両首(281)』シリーズ6作目。座頭市が、板倉村へやってきた。かって誤って斬ってしまった吉蔵の墓参りに来たのだ。その時村では上納金千両を供出したところだった。しかしその千両は運んでいる所を襲われ、千両箱は転がり落ちた。偶然知らずに千両箱の上に腰を下ろし、かかってきた盗賊を斬ったことで市は、濡れ衣を着せられる。斬られた渡世人は国定忠治(島田正吾)の子分らしい。代官と岡っ引きでヤクザの百々村の紋次は、忠治と市の犯行としながら、農民には、千両をもう一度用意するように言う。実は盗んだのは代官と紋次が差し向けた浪人たちだった。上州の百姓に信頼の厚い忠治を追い詰める一石二鳥の手だ。
   市は、なんとか赤城山に籠もっている忠治に会う。忠治は市が子分を斬ったと思っていたが、子分がそんなことに手を染めていたを知り、市に頭を下げる。紋次たちは、何百という捕り方を山に差し向ける。間一髪のところを市の助けと子分たちの命により、忠治は何とか死地をだっする。市は、紋次が開く賭場に乗り込む。かなり儲けたところで、紋次と用心棒の十四郎(若山富三郎)が現れる。十四郎は上に投げた銭を空中で2つに切り、市が出来るかと35両を賭ける。果たして市の居合いが炸裂見事まっ二つになった穴あき銭。儲けた金で飲んでいると、隣に金を盗んだ二人の浪人が。浪人の帰りを待ち伏せて市が聞くと、斬りかかってきた。今わの際に、金だったら代官に聞きに行けという一言を漏らす。
   代官屋敷に乗り込む市、捕り方に包囲されるが、十四郎は、改めてお前を殺すといって逃がす。代官と紋次は、直訴に及んだ百姓と庄屋を捕え、磔刑に処すと宣告する。翌朝、刑場に連行される行列を市は襲い、庄屋たちを逃がし、再び代官屋敷に。代官と紋次は千両をめぐって仲間割れに。残った代官の前に市は現れた。代官を斬り千両箱を取り戻し、吉蔵の娘千代(坪内ミキ子)に託す。そして、十四郎の待つ決闘の場に。
  市と十四郎の決闘は、騎乗の十四郎が、鞭を使い市を引きずりまわすのだが手に汗握る。全編殺陣が過剰というほど冴えわたっている。しかし、それを美しくしているのは、名カメラマン宮川一夫の技だ。
  72年東宝三隅研次監督『御用牙(282)』。
  北町奉行所の隠密廻り同心の伊丹半蔵(勝新太郎)は、かみそり半蔵と呼ばれている。筆頭与力の大西孫兵衛(西村晃)は、目の敵に。ある日、無宿人狩りで三次(石橋蓮司)を捕えて、島流しになった人斬りの三途の勘兵衛(田村高広)を町中で見かけたというのだ。更に調べると、勘兵衛の女お美乃(朝丘雪路)は、大西の妾になっている。何か陰謀が隠されていると見た。半蔵は、子分の鬼火(草野大悟)、まむし(蟹江敬三)に三次を加え策略をもってお美乃を捕まえ、半蔵の男の武器を使って攻め立てると、ついに、勘兵衛の島流しを見逃すことで、大西は、お美乃と金子50両を受け取ったのだと。勘兵衛と半蔵は橋の上で斬り結ぶ、半蔵はやっとのことで勘兵衛を倒す。
  更に大西に勘兵衛の放免の工作をした人間を調べていくと、大奥の最高権力者のお市の方と、出入りの奥医者稲村玄白(嵯峨善平)が関係していることがわかった。玄白の娘おゆら(渥美マリ)を拉致し、また半蔵は男の武器を使って、おゆらに、お市の方は、おゆらの身体に、役者への恋文を彫りやりとりしていることも分かった。半蔵は、筆頭与力大西と大奥の秘密を握ることで、奉行所の力が及ばない悪場所への追及を続けるのであった。
ヤングコミックに連載された小池一雄・原作、神田たけ志・画の劇画の映画化。大人向けの劇画なので、濡れ場も多いが、半蔵が黙々と男性自身を鍛えているところや、お美乃やおゆらを責めるところは、正直かなり笑える。また、大番所での責め具は、どれだけ効果があるか身をもって体験しなければ、意味がないといって、石抱きなどを、子分たちに命じて、自分で体験するところなど、勝新がまじめな顔でやればやるほど、何だか可笑しい。日本映画低迷期に、新しいエンターテイメント時代劇を作ろうと、勝新と三隅研次監督がやりたいことやったという怪作なんだろうな。モップスが、かみぞり半蔵、おとこ一匹どこへいく~的な主題歌を歌っていて、これも拾いものだった。
  阿佐ヶ谷ラピュタで山下耕作監督特集、68年東映京都『緋牡丹博徒(283)』。明治中頃、岩国の竹花組の賭場で、イカサマを見破った熊虎一家の不死身の富士松(待田京介)を救った矢野竜子(藤純子)。彼女は、熊本人吉の矢野組の組長の娘で、堅気の呉服問屋に嫁入り直前に父親を辻斬りに殺され、嫁入りの話しも破談になり矢野組は解散、女を封印し、敵討ちの渡世人となった。
   面子を潰された竹花組に襲われ危ない所を、渡世人片桐尚治(高倉健)に救われた。父親の死んだ場所に落ちていた証拠の財布に心当たりがありそうだったが、知らないと答え、財布とともに姿を消す。
  ある時、竜子は、道後の熊虎親分にお世話になっている矢野組の三下、フグ新(山本麟一)が不始末をして、松山の岩津組岩津源蔵(金子信雄)と熊虎一家が揉めているという話を聞く。熊虎一家に出向くと熊田虎吉(若山富三郎)は、一目竜子を見て惚れる。富士松が世話になったこともあり、出入りも辞さない覚悟だ。
    しかし竜子は、自分の子分の不始末だと言って単身松山に乗り込む。女と見て舐めていた岩津一家だが、竜子の度胸は圧倒する。そこに居合わせた堂島の堂本組組長“お神楽のたか”こと堂本たか(清川虹子)が、竜子の技量をかって仲裁に入り、岩津組と熊虎一家は手打ちをし、熊虎の妹の清子(若水ヤエ子)は、兄の嫁になってくれと言うが、結局、熊虎と竜子は兄弟の杯を交わす。
  次に草鞋を脱いだのは、大阪の堂本一家だった。たかの息子善太郎(山城新伍)は、ボンクラで女にだらしない。浪速千成組2代目加倉井(大木実)は、最近大阪を伸してきており、堂島の利権を堂本組から奪おうと思っていた。ある日、片桐が加倉井のもとを訪れる。博多時代に、片桐は加倉井の兄貴分、命の恩人であった。
   しかし、実は矢野組先代の辻斬りは、食い詰めた加倉井が起こしたものであり、竜子が持っていた財布は、片桐が出入りの際に加倉井に預けたものだったのだ。最初は、兄貴分を立てていた加倉井だったが、次第に裏切りを始めた。富士松は、芸者君香(三島ゆり子)と契りを交わした中だったが、借金のかたに加倉井に見受けされるところだった。竜子は、加倉井と君香のもとへ乗り込んで、見受け金に上乗せして君香を譲ってほしいと頼む。博徒同士ならサイコロで決めようと言い出しながら、負けると竜子をものにしようと卑劣な加倉井。片桐は、そこに乗り込み竜子を救う。しかし、竜子が父の仇を教えてくれと頼んでも今は言えないと言って去る片桐。
   千成組は、策略をもって善太郎を人質に、堂島の利権の譲り渡しを迫る。たかは、息子を殺せといいながら苦悩する。善太郎の見張り役をしていたフグ新は責任を感じて、既に千成組に潜りこんでいた。袋叩きにあいながら、加倉井の顔を見て、親父の辻斬りをした人物だと思いだした。片桐によって助けられるが、富士松の家で亡くなった。千成組に向かう竜子、富士松がダイナマイトを腹に巻いて従う。千成組で富士松のダイナマイトと竜子のピストルが炸裂する。途中片桐が現れ助太刀をする。片桐は、加倉井を斬ったが、自分も斬られた。竜子の腕の中で、あんたに殺人をさせたくなかったからと言って息を引き取る。慟哭する竜子。
  シリーズ第1作。よく出来た脚本と、牡丹の花をうまくつかった様式的な映像。藤純子さん美しかったなあ。
   66年東映京都『続花と龍 洞海湾の決闘(284)』
福岡若松港の港湾荷役で玉井組を起こした玉井金五郎(中村錦之助)と妻マン(佐久間良子)が、友田組(佐藤慶)らの妨害にめげず、沖仲士たちの待遇改善のために、荷主との料金交渉のためにも、小頭の組合を作ろうと奔走する姿を描く。友田の手下によって、23か所刺されて瀕死の重体になるが、生き返る。先日観た73年の加藤泰版が、群集劇のような演出だったのと比べると、やはりスターシステムの時代下で、金五郎とマンの夫婦が話の中心になっていて、志を抱いた男と、健気にそれを支える女と本筋を分かりやすく通俗である。通俗が決して悪いわけではなく、単に好みの問題だ。個人的には加藤版の方が好きだが、こちらも楽しめた。なんども映画化されている作品なので、いろいろなものを観たいなあ。

2008年11月14日金曜日

映画監督は大変だな。

    新宿ピカデリーで、中原俊監督『桜の園(277)』。90年監督自身の作品のリメイク。名門女子高櫻花学園の創立記念日に伝統行事として演劇部が上演されていたチェーホフの「桜の園」は、11年前のある不幸な出来事から封印されていた。
    バイオリンの英才教育を受けてきた桃(福田沙記)は、コンクールに通るための演奏を強いられる音楽高校を3年で退学し、バイオリンも辞めた。そして、母と姉(京野ことみ)が卒業した地方の名門女子高櫻花学園に編入する。しかし、桃は勿論馴染めない。特に学級委員の真由子(寺島咲)からは、きついことを言われてしまう。授業をサボって、今は立入禁止の旧校舎に忍び込むと、昔の演劇部の部室があり、「桜の園」の台本を見つける。何か惹かれるものを感じて、同学年の陸上部の葵(杏)、美登里(大島優子)、奈々美(はねゆり)に見せると演劇部を作って上演しようということになる。台本を持って当時部長で演出担当だった筈の担任坂野佳代(菊川怜)のところに行くと、とにかく駄目だと言われ台本も取り上げられる。何故禁止されたのかを校務員の鈴木二三郎(大杉漣)に聞くと、演劇部員が妊娠し、部員たちが隠したことで大問題になったんだと教え、何冊か台本を貸してくれた。桃たちは、禁止されても、校外のライブハウスを借りて上演することに。学園内の人気者の葵に惹かれて下級生が入ってきたが、まだ人数が足りない。ある時、隠れて練習しているところを注意しようとやってきた真由子を葵が誘う。
  しかし、練習中に美登里が妊娠したかもしれないと言い出した。動揺する部員たち。その後、妊娠は間違いだったことがわかるが、その騒ぎで学校に上演の計画がバレて、桃は謹慎処分に。断念しかかった皆だが、日常に戻っても何か物足りない。真由子は、今迄やりたいことがなかったが桜の園をどうしてもやりたいと桃に言う。つれない返事をする桃。
     ある日、桃からのメールで演劇部のメンバーが集まった。皆の前に、ペーチャの台詞を言いながら登場する桃。自然にみんな自分たちの台詞を話し、芝居は続いて行く。皆がどうしても上演しようと気持ちが一つになった時、坂野先生が現れた。皆の姿を偶然見かけて、協力してくれると言うのだ。それから本格的なレッスンが始まった。あと一息というところで、やはり学校にバレて、緊急職員会議が。みな職員会議に突入しようと言い合うが、桃は坂野先生を信じようと言う…。
   うーん。再度みんなが集まるところの前までは全く駄目だ。何だかドラマスペシャルを見ているようだ。特に、オスカー出資作品だからしょうがないのかもしれないが、監督自身がしょうがないと諦めているのではないか。先日『落語娘』観たが、同じように全然駄目だった。事務所行政の枠の中で撮っているだけに、所詮米倉涼子は米倉涼子の、上戸彩は上戸彩の出演でしかない。まあ、もともと菊川玲でしかない菊川玲は、そのまんまだ(笑)。何だかがっかりしながら見ていると、行政枠シーンが終わった3分の2を越えてから急に、スクリーンは生き生きとし始める。勿論、前作を思わせる戯曲「桜の園」のセリフ回しや、人間関係もあるかもしれない。部長の中島ひろ子と白鳥靖代が記念撮影をし、それを影から複雑な思いで見ているつみきみほ、が、学級委員の寺島咲と杏という2ショットと福田沙記になっている。そのあたり女優達は、とても繊細で瑞々しい表情をしていて、90年版を彷彿させる。まあ、その記念撮影がカメラから携帯の写メになる。
   結局、酷な言い方をすると、90年版『桜の園』は、長回しで、女子高の演劇部の空気をフィルムに閉じ込めて、透明感のある素晴らしい映画を撮ることに成功したが、カット割をしなければならなかった08年版では、全く通俗なアイドル映画になってしまった。とても残念だ。
   神保町シアターで、56年日活川島雄三監督『須崎パラダイス 赤信号(278)』。
   蔦枝(新珠三千代)と義治(三橋達也)は、隅田川にかかる勝鬨橋の上で、行く宛もなく途方にくれていた。義治は、どうする?どこに行く?と蔦枝に聞くばかりで全く情けない。あまりの甲斐性のなさと優柔不断さに蔦枝は、そこに来たバスに飛び乗る。勿論義治は後を着いて来るだけだ。
   結局、洲崎の歓楽街で下車、歓楽街を結ぶ橋の手前にある小料理屋千草に入る。女中求むの貼り紙を見て、人の良さそうな女将お徳(轟夕起子)に無理矢理頼んで居着くのだ。義治は元倉庫の伝票付け、蔦枝は、どうも洲崎の遊郭にいたらしい。いきなり洲崎に時化込もうとしていたラジオ屋の落合(河津清三郎)に取り入る。翌日お徳は義治に、蕎麦屋だめもと屋の住み込みで出前持ちの仕事を紹介する。蕎麦屋には、他に珍妙な出前持ち(小沢昭一)と看板娘玉子(芦川いずみ)がいる。義治は、全くやる気がなくぼーっとしている。お徳は、随分前に若い女郎と家出したきり帰って来ない夫を待ちながら2人の子供を育てている。
   洲崎に住んで3日目に、蔦枝は、義治に田舎に送るを蕎麦屋から前借り出来ないかと言いだす。勿論そんな金はない。義治は蕎麦屋のレジ(じゃないな、お金を入れた箱)から、現金を盗む。千草に行ってみると、既に蔦枝は落合と食事に行ったばかりだった。雨でずぶ濡れになりながら、義治は蔦枝の姿を探す。結局見つからず、店に戻った義治に、玉子はお金をそっと戻す。翌朝、蔦枝はきれいな着物を着て帰宅。数日後、落合が探してくれたアパートに引っ越していった。
   義治は、お徳から聞いた神田のラジオ屋の落合ということだけを頼りに、当てもなく探し歩く。結局断念、洲崎に戻ってきた。お徳とたまの心からの説得で、義次は、蔦枝への思いを封印して、出前持ちの仕事に専念、表情にも明るさが戻った。戻ったといえば、お徳の夫がふらりと帰って来た。
   千草のまわりに平穏が戻ったが、長くは続かない。蔦枝がひょっこり洲崎に現れる。落合によって安定した生活を得たが、何か物足りなく義次に会いに来たのだ。この機会に別れろというお徳の説得は通じず、蕎麦屋に行く蔦枝。お茶を出す玉子に、何か自分にないものを感じて苛立つ蔦枝。15分ほど待って出て行ったため、義次とはすれ違いに。その晩、お徳の夫が、女に刺殺された。お徳は愕然として、崩れおちる。付き添って交番に行った義次は蔦枝と再開する。その翌日義次と蔦枝の姿は、洲崎から消えていた。栄代橋の上で思案にくれる二人の姿があった。
  駄目な男と女のウジウジとした腐れ縁。冒頭の尾羽うち枯らしたような新珠三千代。落合を得てからの美しい姿との落差がすごいな。
     池袋新文芸坐で、63年東京映画川島雄三監督『喜劇 とんかつ一代(279)』。上野本牧町で日本一の味を誇るとん久の主久作(森繁久弥)は、上野のフランス料理の名店、青竜軒で修行したが、事情あって、青竜軒のコック長の田牧伝次(加東大介)の妹柿江(淡島千景)と一緒に店を出て、とんかつに料理人として一生を捧げている。伝次の息子の伸一(フランキー堺)も父のもとで3年間修業したが、家を飛び出して、久作たちのもとで暮らしている。ある日、東京の料理屋が集う豚魂供養の法要に久作が出席すると、師匠の伝次と久し振りに会うと厭味を言われた。そこで会った屠殺世界チャンピオンの松永仙一(山茶花究)に、娘とり子(団令子)の縁談の相談を受ける。伸一はどうかと思う柿江。しかし、既に伸一ととり子は付き合っていた。
  しかし、伸一は、自分の会社の社長の衣笠大陸(益田喜頓)の妾第2大陸おらん(都屋かつえ)の風変りな娘はつ子(横山道代)との縁談の話を受けており、結婚した折には、今買収をしている青竜軒を実質的に任せると言う。とり子は、自分に自信があるので、公私を区別して、縁談を受けろと言うが、伸一は割り切れない。伝次のほうは、青竜軒が、衣笠に買い取られたことを知り辞表を提出する。伸一は、新青竜軒の建設に全力を投入していた。構ってもらえないハツ子は、フランスから来ているマリウス(岡田真澄)と出来てしまい縁談は白紙に。いよいよ、新青竜軒の開店が迫った。何とか伝次に青竜軒に戻ってくれないかと頭を悩ました伸一は、叔父の久作に相談しようととん久にやってくると、伝次があらわれて、自分は引退するので、青竜軒のコック長は、久作にと言う。やはり素直になれない二人は険悪になるが、柿江は、久作が店を飛び出したのは伝次の気持ちは息子の伸一に継がせたいということにあることを知って身を引いたのだ。
  他に、伝次の娘婿役で、三木のり平が出演しており、(伝次の妻は小暮美千代、娘は池内淳子)。伴淳を除けば、東宝喜劇オールスターだ。なかなか良く出来ている喜劇だと思う。駅前シリーズなど人気シリーズがさすがにマンネリでパワーダウンしている中でのトライだったのかもしれない。多数の登場人物をきっちり回せる力量は、やはり川島雄三ならではだと思う。
    63年東京映画川島雄三監督『イチかバチか(280)』。
   南海製鉄の社長 島千蔵(伴淳三郎)に呼ばれて、銀座の本社にやってきた。100億を超える売上のある会社であるのに、あまりにボロい社屋に驚く北野真一。更に彼を驚かしたのは、鉄鋼不況の中で個人資産200億を投げ打って日本一の製鉄所を作るので、会社を辞めてウチに来いという話しだった。半ば強引に入社させられた北野だが、島の吝嗇ぶりにもびっくりさせられる。お湯は蓋を閉めたまま入浴、愛妻の葬儀は全く誰も呼ばずに行い、歓迎会と言って2人で牛肉の並みを100g、車も1920年代の床に穴の開いた箱型フォードだ。しかし仕事はやりがいもあり、社長秘書の星崎由美子(団令子)も美人だ。
    工場建設の噂を聞いて、色々な人間が訪れるが、島は接待をするのも、されるのも大嫌い。徹底的な合理主義者で気持ちがいい。しかし、愛知県の三河湾の東にある東三市市長の大田原泰平(ハナ肇)が、島の留守宅に強引に上がり込んで大風呂敷を広げて帰っていく。島も北野も怪しいと思うが、北野が下見に行くことにする。何故か新幹線のビュッフェで大田原が出迎える。予定地の視察などを案内されるが、50万坪のウチ、まだ半分以上が干潟でこれから埋め立て。市庁舎に案内されても、市長の顕示欲の塊のような代物で辟易するばかり。秘書の田沢トミエ(水野久美)は、美人で大田原の愛人に見えなくもない。市議会にも反対者が拮抗しており、その中でも市議の松永(山茶花究)は急先鋒で、北野にも、市民は市長の独断専行に不信感を持っていると伝える。また、宿泊の宿でも、芸者を上げて大宴会、また芸者の中のひとり〆子(横山道代)はどうも市長の女らしい。北野は島に全くの眉唾だと伝えた。
  しかし、大田原の行動は更に熾烈になる。地元紙に、南海製鉄の新工場誘致が決まったというデマが大々的に掲載されて呆れるばかり。島は接待建設資金の足しに家屋敷を売り払い会社の当直室に住むことにしたが、労働組合からも部課長からも評判が悪い。しかし、最初の日に大田原は、寝ていた島を無理矢理車に乗せ東三市に連れて行く。現地の下見中に、島は倒れて入院するはめに。北野は慌て秘書の家に行くと、由美子は大田原の愛人の妹だったことが判明、彼女は大田原のスパイだった。北野は彼女を愛し始めていただけに裏切られた気持ちで、東三市に行き島にそのことを伝える。
  市長の秘書トミエから、自分の金で接待をする誠実な人間て聞かされ大田原を信じ始めていた島も驚き、建設予定地を千葉に決めたと話して、秘書と市長の動きをみることに。果たして秘書は市長の下に、隣の風呂から彼らの話を盗み聞きした北野は、市政を私しようとしているのは松永たちだと知り、大川の部屋に飛び込んで、心おきなく飲み明かすのだ。
  市議会の市長解任決議が否決された松永は、最後の手に出た。市庁舎の屋上で、市長の糾弾集会を開いたのだ。飲食物やらパチンコ玉やらの供与を餌に、多くの市民が集まる。製鉄所の誘致より、松永らが提案する競艇場のほうが、市にとっていいと主張する。威勢のいい発言に会は盛り上がっているところに、大田原が駆けつけ演説合戦に、島も、北野も、由美子たちもやってきて大騒ぎに。最後には、島がマイクを握って、全財産の200億をみせてやる。といって市議会に札束の山を築いたのだ。   製鉄所の契約が整い、いよいよ建設がスタートする時点で、北野は退職手当を島に提出する。惜しみながらも受け取る島。大田原も誘致のメドがたったので、市長を辞めて参議院選に出るので応援してくれと言うのであった。
  城山三郎原作、菊島隆三脚本というだけあって、非常によくできた社会派コメディに出来上がっている。しかし、下卑な高笑いの(アッと驚く為五郎と言った後の笑いですな)、見る限りインチキ臭いハナ肇 と、関西弁を使う伴淳三郎、二人の怪演が最高だ。これが川島雄三の遺作になったのが惜しまれる。
   夜は、同居人と、元会社の同僚たちと、新宿のジンギスカンに、人出を見て、金曜日だったんだなと気が付く(苦笑)。

2008年11月13日木曜日

苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である。

     午前中は大門の歯科。行く途中読んだ風野真知雄の時代小説『神奥の山~大江戸定年組7』に、山本周五郎の『青べか物語』から、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」という言葉が引用されている。なんだか今の自分には、とても沁みるなあ。
   神保町シアターで、62年日活滝沢英輔監督『しろばんば(275)』。まあ誰でも知っている井上靖原作。大正5年頃伊豆湯河原、洪作は、沼津の軍隊の軍医である父(芦田伸介)と母(渡辺美佐子)と離れて、母親の実家の分家で曾祖父の妾であったおぬい(北林谷栄)と2人で暮らしていた。直ぐ近くに本家があり、そこの曾祖母(細川ちか子)は、播州の家老の娘で誇り高く、おぬいを嫌っていた。沼津の女学校を卒業して叔母のさき子(芦川いずみ)が戻ってくる。洪作は、美しい叔母が大好きだった。2学期から彼女は、洪作たちの通う尋常小学校の先生に。2学期の終業式、常に1番だった洪作が、2番に落ち、溺愛するおぬいは、さき子に文句を言う。おぬい、叔母ともに大好きな洪作は困惑する。
  2年の夏休みに沼津の両親の家に行くことになるが、内弁慶な洪作は、行きたがらずおぬいを困らす。行った後も、なんとか躾をしようとする母が怖くて、ことあるごとに湯河原に帰ろうと言い出して皆を困らせる。学校では、さき子と同僚教師の中川(山田吾一)の恋愛が生徒、村人の間で噂になり初めていた。その頃運動会があり、徒競走で洪作は頑張って5位になる。オープンに交際しようとしたさき子だったが、田舎の村では通用しない。更に、正式な披露もなく妊娠したことで、中川は他の学校に異動になる。見送りには、さき子と教え子以外はさき子の母のみだった。
   曾祖母が亡くなった。生きている時は悪口を言ったが、死んだ今はいい人だとおぬいは言う。葬儀に来た母とさき子は言い争いに。さき子に無事子供は産まれたが、労咳に。洪作は、本家に見舞いに行くが、さき子は部屋に入れない。洪作は、さき子と歌を歌う。ある夜さき子は、夫の赴任地に向かう。残り少ない人生を夫婦で過ごさせようという親心だった。別れ際、彼女は洪作に、あなたは大学に行くのだから勉強をしなさいと言った。結局さき子は暫くして亡くなる。信じたくない洪作だが、おぬいがさき子をあんなに優しい人はいなかったと誉めるのを聞いて、自分はおぬいが好きだが、それ以上にさき子が好きだったと告白し、おぬいがそれを認めたことで、何かつかえていたもやもやが無くなった気がする。
    さき子の言葉を胸に今迄以上に勉強をする洪作。ある日村の子供たちが天城のトンネルを見に行こうと誘いに来る。子供の足ではかなり遠いが、洪作たちは、ずんずんと進んで行く。途中から素っ裸になって山道を歩き続けるのだった。
   洪作か、ちょっと上の年の時分に、確かにこの映画を見た記憶がある。しかし当時は長くて退屈極まりなく、登場人物も、何だか苛立ちを感ずる者ばかりだった。しかし40年を経て50歳の今はなかなか味わい深い。こいつらみんな、何て愚かなんだ!と小学生の時には自分も変わらず愚かなことを知らない位無知だった(苦笑)。優柔不断な中川先生も、婆ちゃん子は5円安いという言葉が頭に浮かぶような(笑)おぬいの孫への溺愛ぶりも、勝手に祖父の妾に息子を預けて町に出ておいて、おぬいが育てて洪作は性格が悪くなったと言い放つ母親も、洪作が成長するために不可欠な環境のような気がする。何よりも哀しい運命を背負ったさき子を演ずる芦川いずみ。健気で切ない役が、何て似合う女優なんだ!
   55年日活田坂具隆監督『女中ッ子(276)』。秋田から初(左幸子)が、加治木家を訪ねてくる。東京に修学旅行に来た時に親切にしてくれた梅子(轟夕起子)が、東京に来たら寄りなさいとの社交辞令を真に受けて加治木家の女中になるために上京してきたのだ。主の恭平(佐野周二)は、会社から車が差し向けられるような大企業の総務部長。長男の雪夫(田辺靖雄)は昆虫収集が趣味で優等生。それに反して次男の勝美(伊庭輝夫)は、やんちゃで学校でも家庭でも問題ばかり起こして、母親の梅子は頭を痛めている。
  初も、初めは手を焼いたが、勝美が家族に隠れて犬を飼っていることを知って助けてあげることで、心を開く。洗濯屋から届いた筈の梅子のコートが家庭内で紛失した。初がこの家に着いた時のことだったので、疑われたが、実は勝美が犬を物置に隠したときに犬の敷物にしていたのだ。初は勝美に内緒にしてあげると言って、自分の部屋に割り当てられた納戸にある箪笥に隠した。
  働きものの初は、次第に加治木家の誰からも頼りにされていく。勝美の学校で運動会があったが、家族はみな見に行くことができず、初一人だった。親子参加の競争があり、先生から促されて初は勝美と参加。見事優勝する。このことは勝美の初への気持ちをより深いものにしたが、ある日、心無い友達が、初はズルをしたんだと言って、勝美を女中ッ子女中ッ子と囃し立てた。勝美たちは大ゲンカに。しかし、多勢に無勢で勝美はやられた。そこに駆け付けた初は、友達たちを学校に連れて行く。先生に言いつけるのかと思うと、走ってみせて、ズルをしていないことを証明するのだった。
  旧正月が来て、初は秋田に里帰り。秋田の子供を遊びを初から聞いた勝美は、雪の秋田の冬に憧れる。そんな時、勝美の飼い犬が梅子のよそ行きの草履を滅茶苦茶にしてしまう。怒った梅子は、クリーニング屋に言って犬を捨てさせてしまう。学校から帰って梅子に話を聞き、犬を必死に探し歩く勝美。しかし見つからなかった。翌日勝美は家出する。一人で、秋田まで初を迎えに行ったのだ。行き違いになったが、駅員に話を聞いて慌てて戻る初、雪の中で倒れていた勝美は何とか助かり、初の実家で一晩を過ごすことに。初の母親(東山千栄子)たちは、暖かく迎えた。その晩にはなまはげがやってきたり、家の中でヤギを飼っている初の家に、都会育ちの勝美はびっくりしながらも、初の故郷を堪能する。   
  翌日、馬ぞりで駅に向かおうとする初と勝美の前に、雪の中を、転びながら恭平、梅子夫婦の姿が。勝美を迎えに来たのだ。
  この事件は、家族の絆を深めた。更に勝美の飼い犬が帰ってきた。雨でずぶぬれの犬を拭こうと洋ダンスで古着を探す梅子が、初が隠したコートを見つけてしまう。家族が外出したのち、梅子は初を呼び、コートのことを問いただす。何か事情があるのかと聞かれても勝美のために何も言わず、初は暇を出されることになった。初は、東京を去る前に学校に寄る。勝美は出てくるが、女中ッ子と冷やかされるから帰れという。初の顔は曇ったが、校舎の影で嬉しそうに手を振る勝美を見て、初は東京を後にした。
  うーん、切ない。実に切ない。両親が秋田まで息子を迎えに来るところか、犬が帰って来たところで終われば、心温まるいいお話だが、ちょっと残酷な結末が用意されている。勝美は、家に帰っても、初が秋田に帰った理由を梅子ははぐらかすだろうし、生活も落ち着いてきた勝美は、秋田まで迎えに行くと言って家族を困らせることもないだろう。初の盗みと暇を出されたこと全ては、梅子と初の心の中だけの秘密なのだ。その時傷ついたり、泣いても、子供のことだ。次第に忘れていくだろう。それは、梅子以外の家族にとってもそうだろう。梅子も信頼されていた女中に裏切られた苦い思い出として。
  左幸子が、本当に素晴らしい。生き生きと秋田から出てきた初を演じている。最後の勝美との別れのシーンの色々な感情が沸き起こっている微妙な表情をアップで映す田坂監督の演出は素晴らしいが、彼女の力こそだろう。力強いまなざしは、その後の彼女の人生を物語っているようだ。
  しかし、轟夕起子、北林谷栄・・・日本のエンタテインメント業界は、もっと真剣に人材育成をしないと駄目なのではないか。勿論、俳優だけではなく、スタッフも。

2008年11月12日水曜日

網走の冬はつらかろう。

   キネカ大森で、65年東映東京石井輝男監督『網走番外地(272)』。
   橘真一(高倉健)は、幼少の頃から苦労のし通しだった。幼い真一と妹の道子の為に母親(風見章子)が後家に入った先は、吝嗇で酒飲みの酷い男だった。
  家を飛び出して極道になり、秩父一家の親分を斬って、3年の刑期を言い渡され網走刑務所にやってきた。一緒に入所したのは、強姦強盗の権田権三(南原宏治)、掏摸詐欺かっぱらいなどの大槻(田中邦衛)老人あくた(嵐寛寿郎)ら、雑居房の依田(安倍徹)は、世間を騒がせた8人殺しの鬼虎の兄分だと、先輩風を吹かす。雪の山中での木材伐採という厳しい労働が待っていた。
   2年が経ち、模範囚となっていた橘に仮釈放をと、保護司の妻木(丹波哲郎)は尽力するが、日房内で騒ぎを起こし、仮釈放は取り消された。重病の母親が病床で一目会いたがっているという妹からの手紙が届く。自分の愚かさを後悔する橘。母親はあと半年持たないかもしれない。今までの親不孝を一言詫びたい気持ちが募る。辛抱しろと言う妻木の言葉を胸に刻む橘だったが、依田たちが計画した集団脱走計画に悩む。しかしそんな橘を救ったのは、依田たちが足手まといなので、始末しようとした老人だった。殺されるどころか房内を震えあがらせた老人の正体は、8人殺しの鬼虎その人だった。しかし、網走より奥地の森林に作業に出掛ける時に、依田と権田たちは賭けに出た。2人ずつ鎖で繋がれたままトラックから飛び降りる。依田たちと、権田と組まされていた橘も巻き添えに。不本意ながら、北海道雪の原野を、鎖で繋がれた2人の逃避行が始まった。
  さすがに、大ヒットした一作目。直ぐにシリーズ化が決まったのも頷ける。刑務所内の群像劇、また雪中の妻木との追跡劇。特にブレーキが利かないトロッコ上でのシーンは、インディージョーンズを遥かに凌ぐ、手に汗握る名場面だ。
  続いて、65年『網走番外地望郷編(273)』。橘は、故郷の長崎に帰ってきた。そこでトラックに轢かれそうになり運転手に毒づく黒人の少女エミリー(林田マーガレット)と知り合う。彼女は丘の上の孤児院で育てられているが、逃亡げだしては繁華街をうろついている。橘は、かって安井組に単身乗り込んで安井組長(安倍徹)を刺して服役していたのだ。子分の橘の不始末を収めに安井の元に行き、顔を切られた旭一家の先代(嵐勘寿郎)は中気で寝込んでおり、2代目の武も、安井組にやられて入院していた。武は、橘の幼なじみのルリ子(桜町弘子)と結婚していた。母親の墓をきれいにしてくれているのはルリ子らしい。ルリ子は橘を先代のもとに連れて行く。自分のような前科者は迷惑かけるのではと恐縮する橘に、旭組は港湾荷役を請け負う廻糟問屋として、切った張ったを禁じた正業についており、橘に手伝うことを許す。
  しかし、安井組の嫌がらせは日に日に激しくなる。荷役の人間が集められなくなった時に橘を救ったのは、大槻(田中邦衛)たち網走の刑務所仲間たちだった。長崎随一の祭り、くんちの御輿の担ぎ手は橘たち網走仲間だ。安井組の助っ人、人斬りジョー(杉浦直樹)が橘の男に惚れて引き揚げた。しかし、安井たちは、大月、田所(砂塚秀夫)、先代と次々に手をかけた。その頃、橘はやっと見つけた実母の住む島原への舟に、エミリーを乗せようとしていた。そこに急を知らせる使いが来て、組に戻ると、親分の枕元で、敵討ちといきり立つ旭組の面々。網走に行くのは俺一人で沢山だと、橘は単身乗り込んでいく。一人一人倒されていく安井組。安井を倒すと、残った連中は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。独り残った橘の耳に、七つの子の口笛が。人斬りジョーは、安井への一宿一飯の義理で、長ドスを抜く。労咳のジョーは血を吐きながらも、橘を切る。トドメを刺さずに。エミリーの待つ桟橋に向かうが、出血に、だんだん意識が遠のいて行くのであった。
    うーん、いくら大ヒットしたからと言って、年内3本目。あらすじを纏めるのが苦痛な程、ストーリーはかなりいい加減だ。2作北海道だったので、郷里の長崎に持って行ったのは良かったが、何だか出演者も整理されていない。いや1,2作目と役者と配役がローテーションしていることに文句を言っている訳では決してない。旭組若親分は冒頭出たきりいなくなってしまうし、網走の仲間も微妙に旭組やら、安井組の中にそっくりさんがいる上、1作目の刑務所内のモノクロ映像が回想シーンで挿入されるので混乱する。そもそも、エマニエル坊やみたいなエミリーは何だったのか?シャネルズメイクのような気もするが、林田マーガレットというくらいだからハーフだったのか・・・。人斬りのジョーの「七つの子」の口笛はどうなのか・・・。
   しかし、そうしたもやもやは、いやもやもやすればするほど、終盤健さんが単身乗り込んでバッタバッタと敵を倒していくカタルシスは倍増、3倍増する。かくして、映画館を出る時には、スカッとして、健さん恰好良すぎる!となる。1作目とは、観賞の仕方が変わってきているのであった。
   池袋新文芸坐で、61年大映東京川島雄三監督『女は二度生まれる(274)』。
   小えんという芸名を持つ知子(若尾文子)は、九段の芸者。と言っても、芸があるわけではなく、酌をして、求められれば、枕をともにする。しかし気立てもよく、人気ものである。 ある時、建築家の筒井(山村總)と一夜を共にした。靖国神社のガイドをしている学生牧純一郎(藤巻潤)が気になりながらも、何の仕事をしているか判らない矢島(山茶花究)と熱海に泊まりがけで出かけたり(実際は他の女と再会した矢島に置いてけぼりだったが)、贔屓の会社専務に連れて来られた寿司屋の板前文夫(フランキー堺)と寝た後、気になって寿司屋に行って付き合ってみたりしている。
   売春が警察にバレて、バーで働いているときに思いがけず、筒井と再会する。それをきっかけに、知子は筒井の囲われ者になる。筒井は身よりもない彼女に、何か芸か、技術を身に付けろと言う。小唄を習い始める知子。ある時映画館で知り合った少年の旋盤工孝平(高見国一)と連れ込みに行ったことが筒井にバレて、ドスを畳に突き立て、二度と裏切るなと激高する筒井。
  それから、知子は小唄に入れ込み、師匠から普通の人が1年かかるところを3か月で習得したと褒められるまでになった。その発表会の後、筒井が十二指腸を病んで吐血して入院したとの連絡が。正妻を気にしながらも、健気に見舞う知子。筒井からの金銭が滞り、再び九段の芸者に戻る。矢島のお座敷に呼ばれ、酔わされてあわやという時に、筒井が亡くなったという連絡が入った。
   置き屋に筒井の正妻(山岡久乃)が訪ねてきた。筒井から受け取った筈のヒスイの指輪を返せとか、何百万もお金を貯めたとか、着物を沢山贈って貰ったなどと謂れのない詰問に、知子は、きっぱり否定する。ヒステリックに激高する正妻を、娘たちは連れ帰った。社会人になっていた牧純一郎が、九段で外人への接待で訪れた時には知子の胸はときめいた。しかし彼女を外人の接待に差し出そうとしたことを知った知子は、表情を失った。
筒井の墓を訪れた知子は、自分も、正妻も、娘も筒井の被害者ではないかと独り言を言って、別れを告げる。あるクラシックコンサートで孝平と再会した知子は、以前孝平が言っていた山に登りたいという思いは今も変わらないかと聞く。頷く孝平を連れて、上高地へ出かける。途中、山葵屋に婿入りしたと聞いていた寿司屋の板前だった文夫が、妻と妻の連れ子と幸せそうに乗り込んできたのに出くわす。文夫は何か言いたげだったが、知子は孝平に知らない人だと告げる。松本駅に着いて、バスに乗り換える時に、知子の気は変わった。孝平にバスの切符を渡し、自分は、信州の14才まで育った叔父夫婦を訪ねてみようかと。
  若尾文子の匂い立つような色気にやられる作品だ。事実、彼女は、この映画でいくつか主演女優賞を貰ったらしい。
  しかし、女は二度生まれるとは?二度目に生まれたのはいつなのか。ただの枕芸者だった小えんが、筒井の妾になって小唄を習って、芸を身につけようと決意した時なのか、純一郎と学生時代の交流で、お互い仄かな恋心を持っていたはずが、九段の宴席で再会。初恋の人と言って喜ばせておきながら、外人客への枕接待に、自分を指名したと聞いた時の失望なのか、あるいは、松本に向かう汽車の中で、幸せそうな文夫一家を目撃した時なのか。しかし、二度目に生まれた瞬間が、純一郎への失恋なのか、文夫の家族の目撃の瞬間だとしても、筒井との生活の中で、気の向くまま男と寝ることを辞めて、小唄を身につけようと努力をし始めた時に、彼女は変わり始めている。かってのきままに生きる小えんの他者との付き合い方は、猫のようだった。寿司屋のお茶を飲む時の猫舌は、そんな象徴ではなかったか。博華で、餃子とビール。

2008年11月11日火曜日

おんなは夫のおいどを叩いて出世させなきゃあきまへん。

     しかし寒くなった。もともと夏は暑く冬は寒い方が好きだが、暑がりの寒がりと言う面倒くさい性分だ。この所、映画を見てブログを書くだけの毎日だったが、自分で作った握り飯を持って行ったりもしたので(信じてもらえないかもしれないが)、3食自炊の日もしばしばだ。脳味噌が昭和30年代40年代漬けなので、今日が何曜日かどころか、今自分は何の時代を生きているか曖昧な気分になってきたので、今日は溜まりに溜まった本を読む。しかし現代の本より、その時代の映画監督の本を読む方が苦労しないのが困ったものだ。日が暮れ始めると、活字読むのにも飽きて結局、
    神保町シアターで、59年日活中平康監督『才女気質(271)』。
    京都木屋町の表具屋堤松江堂(つつみしょうこうどう)のおかみの登代(轟夕起子)は、しっかりもの。目を離すとコーヒーを飲みに行ってしまう夫市松(大坂志郎)の尻を叩いて仕事をさせ、失業中の息子令吉(長門裕之)の縁談で京都中を走り回って、西陣の老舗織常(下條正巳)の娘久子(吉行和子)との見合いをまとめた。しかし実は久子は、登代の娘宏子(中原早苗)の同級生で、令吉のガールフレンドでもあるが、登代は知らない。見合いの首尾は勿論上手く行き、失業中だった令吉の就職も決まって、登代は大喜びで、一流の仲人探しを、市松の母で芸妓の置屋を営む、つね(細川ちか子)に頼みに行く。また、弟で婦人雑貨屋の成次(殿山泰司)が次の区議選に出たいと言っているのを、男ならやってみろと励ましたり、妾をしていて別れ話に泣く妹の辰江(渡辺美佐子)にもっと男を見る目を養えと叱り飛ばす。
    しかし、登代の一番の気懸りは、離れに、市松の恩人スミ(原ひさ子)が息子の中国からの復員を待ちながら暮らしているのを、新婚夫婦のために、出て行ってもらうことだ。市松や宏子は反対する。そんな時に、スミの息子一夫(葉山良二)が復員してくることになり登代だけは渋い顔だ。しかし、登代は、飲み屋を営む妹の辰江の2階が空いていることを思い出し、スミ親子を引っ越しさせて、息子夫婦は無事離れに住むことに。一夫と宏子が付き合っていることが登代に知れる。反対するが、宏子は全く聞く耳を持たない。弟は、ダントツの最下位で落選。また、久子は登代が考えていたような、姑の言うことを聞き、家事全般を率なくこなすような嫁ではなかった。ある日、登代に断りもなく外出し、令吉と食事をして帰宅したことをきっかけに嫁姑の争いはピークに達し、久子は実家に帰ってしまう。更に、一夫が宏子との結婚を申し込みにやってきた。登代の反対にも関わらず、宏子は一夫と出て行く。
  さすがの登代も落ち込む。長男尚夫の七回忌がやってきた。尚夫は、勉強が出来、医学部にまで進学したが、学徒出陣で戦死したのだ。次男令吉と長女宏子に期待したが失望したと号泣する。しかし、市松が、久子と、一夫宏子夫婦を呼んでいることを知ると、離れに引き籠って取り付く島もない。
皆白けて帰っていく。市松は、残っていた令吉夫婦にも外出を促す。市松が一人酒を飲んでいると、登代が出てきた。市松の何だか田舎でゆっくり何もしないで過ごしたくなったという言葉に、登代は、市松は仕事をしているからこそ元気なのであって、働くなったら、おかしくなると言い、市松の尻を叩き始めると元気になった。離れに台所を作って、息子夫婦と生活を分けることにすると言いだす。しばらくして、一夫は、警官になり挨拶に来た。完全に復活した登代は、今日も元気に切り盛りしていた。
  中平康という監督は、計算し尽くしたクールな映像が魅力な人だと思っていた。初期の傑作と言われるこの映画では、鰻の寝床のような京の町屋を活かしたアングルなどにも唸らされるが、むしろ京都の市井の生き生きとした人間を描いた脚本と、芸達者な役者を活かした人間ドラマの展開が本当に素晴らしい。芸妓たちや、法事のお坊さん、表具屋の小僧さん、登場する人物全てに細やかなキャラクターが構築されていて、京都の暮らしが伝わってくる。結局、いつも女優なのだが、京のしっかり者の役の主人公を演じる轟夕起子は、『グラマ島~』では、男にすがって生きるしかない年増の女郎役をやっていた、見た目は一緒だが(当たり前か・・・)、全の別人だ。よく似た人かと思ったほど(苦笑)。一番の眼福は、新人だった吉行和子が、初々しく可愛い新妻の好演だ。

2008年11月10日月曜日

そろそろ映画観るのも疲れたな(笑)あるいはブログ書くほうか(苦笑)

   池袋新文芸坐で、58年宝塚映画川島雄三監督『暖簾(267)』。山崎豊子原作、菊田一夫脚色。明治の初頭のある日、浪花屋利兵衛(中村鴈治郎)が大阪の町を歩いていると、一人の小僧が付いて来た。余りに必死に追い掛けてくるので、訳を聞くと、吾助(頭師孝雄)は、淡路島から奉公先を探しに出てきたが、当てにしていた口入れ屋が潰れており、途方にくれ商家の主らしい利兵衛の後をつけていたのだ。自分も淡路の出身でもあり、思うところあって店に置いてやることにする。
   浪花屋は昆布屋の老舗、最初は奥の手伝いだったが、怒られながら、直ぐに店の小僧に昇格した。とにかくよく働き、番頭たちを差し置いて暖簾分けをさせてもらうことになり、八田吾平(森繁久弥)となった。店が順調になった頃、利兵衛と妻きの(浪花千栄子)に呼ばれる。2人は姪の千代(山田五十鈴)を嫁に取れという。実は、この店に来た時からずっと一緒だった女中のお松(乙羽信子)を嫁にと思っていたのだ。自分の気持ちを抑え、千代と結婚して幸せになれと言うお松。結局、千代と祝言を上げる。両親を亡くし叔父夫婦に育てられた千代ははっきりした性格で、初夜から大喧嘩になるが、昆布の新しい商売を思い付いて熱中する二人。
    長男辰平が生まれ、跡取りとして吾平は大いに期待する。次男の孝平(頭師正明)はラグビーに夢中で言うことを聞かない親不孝ものだ。二男一女をもうけ、商売も職人の手作業を一部機械化し、工場を建てるまでになった。しかし、ある日大きな台風に工場は全壊、致命的な損害を受けた。どこからも借金が出来ず、最後に本家に頭を下げに行くが、利兵衛亡き今“きの”は冷たく断る。資産家の後妻となっていた松が夫に頼むと言ってくれたが、千代は店の暖簾を吾平に渡し、商人の命の暖簾を持って、もう一度銀行に掛け合いなはれ!と送り出すのだった。何とか商売は続けられたが、戦争の影が店を覆う。昆布が統制品となり、手に入れにくくなり、辰平、孝平と続けて徴兵された。
   敗戦後の焼け跡に孝平(森繁)が帰って来た。ただ統制は解除されず店の再開も覚束ない。孝平がどこからかリュック一杯昆布を仕入れてくる。期待されなかった孝平のラグビーで鍛えた体力と根性で、浪花屋の再建が始まった。新しい店の開店披露の日、沢山のお得意様も見え、親不孝者と思っていた次男の働きを見て、吾平は幸せだった。松も現れ娘の静子(扇千景)の縁談が決まったという報告に、孝平の嫁にと思っていた千代はがっかりするが、孝平は店の手伝いをしているのぶ子(中村メイ子 )と結婚するつもりだという。吾平は、倉庫の昆布を調べていて絶命する。孝平たちは、昆布に囲まれ死んだ吾平は幸せだったと思うのだった。 
  何だかこのひと月というもの、森繁ばかり見ている気がする(苦笑)。しかし、芸達者だなあ。今こんな人はいないな。川島監督の演出は、最初の浪速屋と吾助が出会って、店に入り修行をしてという子役時代を、タイトルロール終わりまでに全部見せてしまう。監督川島雄三とクレジットが出て消えると、吾助は、森繁になっている。全く無駄がない。大阪の商家の関西弁、京都の色街の美しい京ことば、芦屋のモダンマダムの上品な関西弁、岸和田の極道、神戸の極道、それぞれ違うんだな。今のテレビで聞く関西弁にはない繊細な生活に密着した話し言葉が存在する。
   阿佐ヶ谷ラピュタで山下耕作監督特集。
   68年東映京都『大奥絵巻(268)』。十一代将軍家斉(田村高広)。和泉屋の二女あき(佐久間良子)は、姉で、今では大奥若年寄の浅丘となっている“しの"の引きで大奥に上がった。その美しさは、11代将軍家斉(田村高広)の目にとまり、既に御台所(宮園純子)のお伽辞退をしており、側室となる。勿論、御台所(宮園純子)、大年寄松島(三益愛子)、若年寄藤尾(小暮実千代)らは不愉快である。ある日、松島が浅丘を叱責していて、額を扇子で傷つけたところを、家斉は目撃、御台所らの猛反対にも関わらず、松島のお役を解いて、浅丘を大年寄に。
  町屋育ちのあきは、公家、武家出身の姫君とは違い、人間的な癒しを家定に与えた。ある時、浅丘は、家定とあきを、町屋のお祭りにお忍びで出かけさせた。
  このことは、復讐に燃える松島に伝わり、いっそう互いに権謀術数を巡らす事態となった。浅丘は、告げ口をした飛鳥井(宮園純子)に歌舞伎役者とのスキャンダルを偽装し葬る。松島は、家定とあきの城外への外出の件で、大奥に憧れる和泉屋の三女まつ(大原麗子)を証人に仕立てる。妹まつを見て驚く浅丘とあき。松島のはかりごとだと気がついたまつは口を割らなかった。しかし、不安に駆られた浅丘は妹を刺殺しようとする。それを止めようとしたあきは、浅丘を刺す。浅丘は自分で腹を刺して井戸に身を投げた。しかし、その事件は大奥内に知れ渡り、まつは自分がやったと嘘の供述をする。あきは、まつを逃がし、自らは御台所から贈られた葡萄酒を、毒入りと知りながら飲むのであった。
  大原麗子やっぱりいいなあ。低くて少しハースキーな声で娘役。
   68年東映京都『極道(269)』。釜ヶ崎の愚連隊島村組の島村誠吉(若山富三郎)たちは、富崎新地の富崎パラダイスを石垣組から奪い、釜ヶ崎から進出した。島村を襲ったヒットマンの流れ弾が夫に当たって、小さな子供を抱え未亡人になった千恵子(藤田佳子)に花屋をプレゼントした。島村の妻のみね子(清川虹子)は嫉妬しながらも、夫のキスで丸めこまれる。誠吉とみね子は惚れあっているのだ。兄弟分の大野(大木実)の妻菊子(北林早苗)が、金看板の天野屋一家の5代目の一人娘であることを利用して、強引に6代目を襲名した。しかし、大阪には、城西会という大組織がある。三田村会長(内田朝雄)と、その傘下の八つ藤組の八つ藤(天津敏)の利権に食い込んでいこうと思い、自分を売り込んできた弁護士の江森(金子信雄)を雇う。まず始めに。天野屋一家先代の子分が内職でやっていた、八つ藤組の資金源であるブルーフィルムを大々的に流通させるが、お互いのタレコミで壊滅状態になる。この件で、島村の子分、修(待田京介)が逮捕された。
  その頃、天野屋の代貸だった杵島(鶴田浩二)が出所してきた。杵島は、5代目が跡目を譲ろうと考えていたほどの人物だったが、城西会との抗争で重体になった時に、実は千恵子の父親に治療を受け、千恵子の看病で一命を取り留めた過去があった。大野は、杵島に城西会との抗争で迷惑をかけるので、旅に出てくれというが、千恵子の受けた恩を返すつもりか、単身、三田村、八つ藤たちの会食に切り込んで、八つ藤を刺殺、自らも銃弾に倒れる。
   島村は、城西会憎しで、江森から聞いた城西会の神保が苦労している難波の大規模な駐車場ビル大阪パーキングセンター建設の地上げに関して、3件の地権者の委任状をまとめて建築主から賠償金を脅し取り、建設会社の指定と建築後のパーキングの仕切りを任せるという一筆をとった。
   しかし、警察は、暴力団取締りを強化。まず、富崎新地を検挙、穣次(山城新伍)が逮捕された。城西会も、島村より一枚も二枚も上手だった。結局、大阪パーキングセンターの建設業者の約束は反故に。弁護士の江森は、城西会の神保ともつながっていたのだ。大野まで殺され、島村は、佐々木俊也(菅原文太)、岩田照夫(潮健児)の二人だけを連れて殴りこむ。
   カポネ風のハットと、黒いダボシャツ。アナキズムの象徴としての黒い服装に触れるブログが多いが真偽はわからない。若山富三郎と清川虹子の夫婦というのも、かなり強烈だ。
   63年東映京都『関の弥太ッぺ(270)』。長谷川伸原作。
   渡世人の関の弥太郎(中村錦之助)は川に溺れたお小夜という娘を助ける。茶屋で娘の父親(大坂志郎)と、10年前に生き別れたたった独りの肉親の妹お糸を探し、出会った時のために50両という大金を持って旅をしているという身の上話をしていると、箱田の森介(木村功)が親子連れの護摩の灰(置き引きだろうか)を探していると声をかけられる。親子と50両は消えていた。何とか追いつき父親を問いただす最中に箱田の森介が父親を斬る。虫の息で娘のお小夜を甲州街道吉野の旅籠沢井屋へ届けて欲しいと頼まれる。金も森介が持って行ったようで、貧乏くじを引いた弥太郎は、お糸を連れていく。沢井屋の女あるじお金(夏川静江)、息子銀太郎(竹内享)おすみ(鳳三千代)は怪しむが、結局預かることに。弥太郎が去った後に、お小夜と話をしているうちに、かどわかしにあった娘の子供であったことがわかる。孫娘を抱いて喜ぶお金。
  弥太郎は、訪ねた先の女郎屋で、妹お糸が咳外で亡くなっていたことを知る。
  10年後、妹を見つけることのみが生き甲斐だった弥太郎は、荒んで顔つきも変わっている。各地を旅しては、出入りの助っ人で人を斬り続けている。ある出入りの場で、相手方に加わっていた森介と、以前妹の居所を教えてくれた田毎の才兵衛(月形龍之介)に会う。飯岡の助五郎(安部徹)を裏切って、三人で酒を酌み交わすのだった。そこで、才兵衛は、10年前甲州街道吉野の沢井屋に、45両を預け賃として、孫娘お糸を届けてくれた奇特な渡世人がいて、今では大きくなったお糸が夢にまでみる渡世人を探してくれるよう主お金から頼まれたのだが、心あたりはないかと言うのだった。二人とも知らないと答える。
  しかし、箱田の森介は、博打の金に困って、45両欲しさに沢井屋に名乗り出た。みな10年前のことに、どうも印象が違うようだと思いながら、恩人との再会に喜ぶのだった。しかし、森介はお小夜の美しさに惚れ夫婦にさせろと、戸惑うお小夜に迫るだけでなく、沢井屋の人間に乱暴狼藉を働く始末。病に倒れ茶屋で寝込んでいた弥太郎は、客の話に沢井屋の出来事を知る。回復して、吉野に向かう途中、追ってきた飯岡の助五郎一家に出会う。用事を済ませたら必ず戻るのでしばし待てと、弥太郎は沢井屋に。森介を呼び出し、直ぐに立ち去れという弥太郎に、博打うちが護摩の灰の娘を嫁にして何が悪いとうそぶいて刀を抜く森介を斬る。
   沢井屋へ行き、森介は改心して旅立ち、その際に、45両も花嫁支度にでも使ってくれと預かり、またお小夜の父親は堅気の人間だったと言預かったと嘘をついた。最後に「シャバには、辛いことや苦しいことがたくさんある、忘れるこった・・・忘れて日が暮れりゃあ、明日になる・・・明日は晴れだなあ」と言うと、お小夜の表情が変わった。正に10年前、自分の命の恩人の渡世人が、沢井屋に向かう途中、子供だった自分に諭してくれた言葉だった。「渡世人さん。渡世人さん。」と呼びかけながら、追いかけるお小夜に身を隠してやり過ごし、弥太郎は、飯岡の助五郎たちが待つ場所に向かっていく。

2008年11月9日日曜日

無人島と千葉県浦安。

     朝からキネカ大森で網走番外地~シネマート六本木で裸の島を見に行くつもりが、部屋を片付け始めると止まらなくなり午後まで。それから池袋新文芸坐で川島雄三監督特集。
    59年東京映画『グラマ島の誘惑(265)』。南海の孤島グラマ島に取り残されたのは、皇族の兄弟で、航空指令海軍大佐の香椎宮為久(森繁久弥)と、軍司令部参謀陸軍大尉の香椎宮為永(フランキー堺)と、為久の御附武官陸軍中佐の兵藤惣五郎(桂小金治)に、慰安婦の引率者佐々木しげ(浪花千栄子)、北川たつ(轟友起子)太田みよ(桜京美)矢田もよの(左京路子)内田まさ(春川ますみ)名護あい(宮城まり子)と慰安婦5人。また、報道班員詩人の香坂よし子(淡路恵子と)報道班員画家坪井すみ子(岸田今日子)、またこの島にかって住んでおり夫が亡くなったので帰国するはずだった未亡人の上山とみ子(八千草薫)と9人だった。他には原住民のカナカ族のウルメル(三橋達也)しかおらず他の島民は、全員脱出してしまったようだ。
    それから奇妙なハーレムのような共同生活が始まる。皇族らしく全く働かず優雅な日常を続ける為久。兵藤は年増の慰安婦と半同棲に、為久も沖縄出身で少し知恵が弱いが純粋なあいに手を着けてしまう。為永は、未亡人とみ子をめぐってウルメルと恋のライバルに。皇族を有り難がる慰安婦たちと、進歩的な報道班員とは、仲互いし、坪井たちは、島の反対側で暮らし始めた。
   あいが妊娠し、女児を出産するが、子供は育つことは出来なかった。為久以外は、栄養失調になり始めていたのだ。マラリアに罹るものさえ。坪井たちは、米軍のB29の残骸を見つけ、薬品や食糧などを手に入れた。坪井はしげたちに、薬と食糧を与え、ウルメルを仲間に引き入れて、革命をおこさないか提案する。果たして、ムシロ旗を掲げて実力行使する女たちに、為久、為永、兵藤は逃げ出し、山中でB29の墜落現場を発見するのだった。食糧、煙草、拳銃などが見つかって、みな喜ぶが、為永が最も喜んだのは、写真の現像液とカヌーを作るために必要な鋸と鉈だった。ウルメルが現れ、兵藤は拳銃で彼を撃つ。
  為久は、民主化を受け入れ、再び皆で暮らすことになった。為永を委員長に、坪井を副委員長に、全員の話し合いで、全て決めるようになった。皆で、カヌーを作り、漁をするようになった。ただ、為永1人は、不便を愚痴りながら、相変わらずの生活を送るのであった。ある時、ウルメルが現れ、兵藤と争いになったが、心臓麻痺で兵藤は死んだ。ウルメルは拳銃を奪い、とみ子を連れ去る。そんな騒ぎの中、やっと完成したカヌーに乗って、為永とあいが島を出て行ってしまった。
  更に数年が経った。長い間見なかった敵機が飛んできた。皆逃げ惑っていると空から日本は既に負けて何年も経っているというビラが降ってきた。米軍に投降し、赤井八郎左衛門(加藤武)という怪しげな通訳を通じて、日本に帰国することになった。とみ子は、今のウルメルとの生活に満足しており、帰国しないと坪井に告げるのであった。船の上で新聞を見ると、為久が帰国したという記事が載っているが、あいはどうしたのであろうか。
  帰国して数年後、坪井が書いた「グラマ島の誘惑」という本がベストセラーになった。為久は、香椎智子為久妃殿下(久慈あさみ)から三行半を突きつけられる。為永は、好きな付録つき雑誌や、冗談グッズなどを作っていたが、失敗。一念発起で、売春防止法によって廃業した、しげの吉原の女郎屋を改装して、「吉原ソース」という、輸出向けのすき焼きの割りしたを作り始めた。為久に連れて行かれた琉球料理店で、為永は、自分は皇室とは縁を切ることを告げ、あいの死の真相を問いただす。為久の話では、カヌーで脱出したのち、あいは、何か食糧を探そうと海に潜っていったが、二度と上がって来なかった。琉球の舞を踊っている娘は、あいそっくりの妹のかなだった。その後、グラマ島で水爆実験が行われることが発表された。あの楽園のような島で水爆は爆発し、置いてきたウルメルととみ子はどうしているのか。為永、しげ、坪井たちは、世間に訴えるために動き出す。
   グラマ島というのは、ずっと何だろうと思っていたが、ビキニ環礁から連想したんだろうな。なかなか馬鹿馬鹿しくて笑える映画だ。しかし、ドタバタに過ぎる印象は残る。そのために、香椎宮兄弟を除くとキャラクターが表層的だ。ウルメルが、実は原住民でなく日本人の脱走兵であったとか、とってつけたように為久によって告げられたり、帰国してからの、報道員二人の珍妙な服装やら、しげが、唐突にどこの誰彼はよう知らんけど、水爆実験なんて絶対許されへんと独白(関西弁だったかどうかは、全く自信はないが(苦笑))したり・・・。しかし、他者に寄生して生活するしか術のない浮世離れした皇族や、権威を笠に民間人を恫喝するが全く利己的な軍人などを、思いきり笑い飛ばす視線は素晴らしいな。今では、こんなこともタブーになっている気がする。
   62年東京映画『青べか物語(266)』。山本周五郎原作。新藤兼人脚本。新宿あたりでは先生と呼ばれる文筆業の主人公(森繁久弥)は、スランプに陥っていた。鮨屋で、江戸川を越えた先の千葉県浦粕(まあ、どう考えても浦安でしょう)という漁村で過ごしてみたらどうかと言われて住むことにする。しかし、東京から川をひとつ渡っただけの町は一筋縄ではいかない。まず、煙草をせびってきた芳爺さん(東野栄五郎)に、地元では“べか”と呼ばれる青く塗られ、かなりおんぼろな猪牙船を売りつけられる。
  下品でずるく猥雑な、ここの人間たちとの交流は、“せんせい”にとってもびっくりさせられる事ばかりだ。父母に捨てられ、赤子を背負った少女の乞食、繁あね(南あね)には、かつ丼をせびられ、一緒に食事をしていると、芳爺やら、消防団長のわに久(加藤武)たちに、ビールをたかられ散々だ。また、ブックレ屋と地元ではいう遊郭の女郎たち、おせい(左幸子)おきん(紅美恵子)おかつ(富永美沙子)には、ビールの栓をポンポン抜いて、いい加減たかられる。更におせいは自分に気があるようで、深夜に押し掛けてきて、迫ってくる。なんとか据え膳を食わずに朝を迎える。
   また、漁具屋の五郎(フランキー堺)は嫁を取るが、花嫁(中村メイ子)は、母親の喪中をいいことに、1週間手もさわらせず、失踪する。わに久たちにもの笑いの種にされ、五郎の母(千石規子)は、歯ぎしりし、北海道から二番目の妻(池内淳子)を連れてくる。天ぷら屋の勘六(桂小金治)は、淫売宿から見受けしてあさ子(市原悦子)を妻にしたが、あさ子は、周りの男たちと浮気ばかりして開き直る。あさ子を注意した派出所の警官(園井啓介)は、逆に捻じ込まれてぼやくばかり。ある日、“せんせい”に振られたおせいが心中未遂を起こすが、相手の倉なあこ(井川比左志)とも、メリケン粉を飲んだ狂言自殺で、日ごろ苛められている警官が本庁の警官を呼んで、騒いでいた村人たちは一斉検挙され一晩泊められる。
 しかし、ドタバタばかりではない、“せんせい”が間借している家の増さん(山茶花究)は、足の不自由な妻きみの(乙羽信子)とのなれそめを涙ながらに語り、老船長(左卜全)は川に停留させている船で生活しているが、この川の定期船で働いていた頃の“コイバナ”をしんみりと語る。
  日がな青べかで海に出て、釣りをしたり本を読んだり、昼寝をしたりという生活を続けてきたせんせいも、東京に帰ることにする。浦粕橋を渡って、東京へ向かうせんせいと反対に埋め立て工事のためのダンプカーの列は途絶えることはなかった・・・。
   浦安が、田圃と川と干潟だけの何もなかった時代。まあ、ここに出てくる猥雑で濃厚な人間関係は、日本中どこでもあったんだろう。余所者である“せんせい”は、しかしそうした暮らしを、辟易しながらも、楽しんでいる。べか船で海に出て、本を読みながら昼寝をしていると、引き潮で干潟の中で止まっている。夕方の満ち潮で、自然と戻ってくるという、ゆったりした時間。憧れるなあ。役者はみな芸達者で、文句ない。左幸子の女郎役いいなあ。