2008年11月9日日曜日

無人島と千葉県浦安。

     朝からキネカ大森で網走番外地~シネマート六本木で裸の島を見に行くつもりが、部屋を片付け始めると止まらなくなり午後まで。それから池袋新文芸坐で川島雄三監督特集。
    59年東京映画『グラマ島の誘惑(265)』。南海の孤島グラマ島に取り残されたのは、皇族の兄弟で、航空指令海軍大佐の香椎宮為久(森繁久弥)と、軍司令部参謀陸軍大尉の香椎宮為永(フランキー堺)と、為久の御附武官陸軍中佐の兵藤惣五郎(桂小金治)に、慰安婦の引率者佐々木しげ(浪花千栄子)、北川たつ(轟友起子)太田みよ(桜京美)矢田もよの(左京路子)内田まさ(春川ますみ)名護あい(宮城まり子)と慰安婦5人。また、報道班員詩人の香坂よし子(淡路恵子と)報道班員画家坪井すみ子(岸田今日子)、またこの島にかって住んでおり夫が亡くなったので帰国するはずだった未亡人の上山とみ子(八千草薫)と9人だった。他には原住民のカナカ族のウルメル(三橋達也)しかおらず他の島民は、全員脱出してしまったようだ。
    それから奇妙なハーレムのような共同生活が始まる。皇族らしく全く働かず優雅な日常を続ける為久。兵藤は年増の慰安婦と半同棲に、為久も沖縄出身で少し知恵が弱いが純粋なあいに手を着けてしまう。為永は、未亡人とみ子をめぐってウルメルと恋のライバルに。皇族を有り難がる慰安婦たちと、進歩的な報道班員とは、仲互いし、坪井たちは、島の反対側で暮らし始めた。
   あいが妊娠し、女児を出産するが、子供は育つことは出来なかった。為久以外は、栄養失調になり始めていたのだ。マラリアに罹るものさえ。坪井たちは、米軍のB29の残骸を見つけ、薬品や食糧などを手に入れた。坪井はしげたちに、薬と食糧を与え、ウルメルを仲間に引き入れて、革命をおこさないか提案する。果たして、ムシロ旗を掲げて実力行使する女たちに、為久、為永、兵藤は逃げ出し、山中でB29の墜落現場を発見するのだった。食糧、煙草、拳銃などが見つかって、みな喜ぶが、為永が最も喜んだのは、写真の現像液とカヌーを作るために必要な鋸と鉈だった。ウルメルが現れ、兵藤は拳銃で彼を撃つ。
  為久は、民主化を受け入れ、再び皆で暮らすことになった。為永を委員長に、坪井を副委員長に、全員の話し合いで、全て決めるようになった。皆で、カヌーを作り、漁をするようになった。ただ、為永1人は、不便を愚痴りながら、相変わらずの生活を送るのであった。ある時、ウルメルが現れ、兵藤と争いになったが、心臓麻痺で兵藤は死んだ。ウルメルは拳銃を奪い、とみ子を連れ去る。そんな騒ぎの中、やっと完成したカヌーに乗って、為永とあいが島を出て行ってしまった。
  更に数年が経った。長い間見なかった敵機が飛んできた。皆逃げ惑っていると空から日本は既に負けて何年も経っているというビラが降ってきた。米軍に投降し、赤井八郎左衛門(加藤武)という怪しげな通訳を通じて、日本に帰国することになった。とみ子は、今のウルメルとの生活に満足しており、帰国しないと坪井に告げるのであった。船の上で新聞を見ると、為久が帰国したという記事が載っているが、あいはどうしたのであろうか。
  帰国して数年後、坪井が書いた「グラマ島の誘惑」という本がベストセラーになった。為久は、香椎智子為久妃殿下(久慈あさみ)から三行半を突きつけられる。為永は、好きな付録つき雑誌や、冗談グッズなどを作っていたが、失敗。一念発起で、売春防止法によって廃業した、しげの吉原の女郎屋を改装して、「吉原ソース」という、輸出向けのすき焼きの割りしたを作り始めた。為久に連れて行かれた琉球料理店で、為永は、自分は皇室とは縁を切ることを告げ、あいの死の真相を問いただす。為久の話では、カヌーで脱出したのち、あいは、何か食糧を探そうと海に潜っていったが、二度と上がって来なかった。琉球の舞を踊っている娘は、あいそっくりの妹のかなだった。その後、グラマ島で水爆実験が行われることが発表された。あの楽園のような島で水爆は爆発し、置いてきたウルメルととみ子はどうしているのか。為永、しげ、坪井たちは、世間に訴えるために動き出す。
   グラマ島というのは、ずっと何だろうと思っていたが、ビキニ環礁から連想したんだろうな。なかなか馬鹿馬鹿しくて笑える映画だ。しかし、ドタバタに過ぎる印象は残る。そのために、香椎宮兄弟を除くとキャラクターが表層的だ。ウルメルが、実は原住民でなく日本人の脱走兵であったとか、とってつけたように為久によって告げられたり、帰国してからの、報道員二人の珍妙な服装やら、しげが、唐突にどこの誰彼はよう知らんけど、水爆実験なんて絶対許されへんと独白(関西弁だったかどうかは、全く自信はないが(苦笑))したり・・・。しかし、他者に寄生して生活するしか術のない浮世離れした皇族や、権威を笠に民間人を恫喝するが全く利己的な軍人などを、思いきり笑い飛ばす視線は素晴らしいな。今では、こんなこともタブーになっている気がする。
   62年東京映画『青べか物語(266)』。山本周五郎原作。新藤兼人脚本。新宿あたりでは先生と呼ばれる文筆業の主人公(森繁久弥)は、スランプに陥っていた。鮨屋で、江戸川を越えた先の千葉県浦粕(まあ、どう考えても浦安でしょう)という漁村で過ごしてみたらどうかと言われて住むことにする。しかし、東京から川をひとつ渡っただけの町は一筋縄ではいかない。まず、煙草をせびってきた芳爺さん(東野栄五郎)に、地元では“べか”と呼ばれる青く塗られ、かなりおんぼろな猪牙船を売りつけられる。
  下品でずるく猥雑な、ここの人間たちとの交流は、“せんせい”にとってもびっくりさせられる事ばかりだ。父母に捨てられ、赤子を背負った少女の乞食、繁あね(南あね)には、かつ丼をせびられ、一緒に食事をしていると、芳爺やら、消防団長のわに久(加藤武)たちに、ビールをたかられ散々だ。また、ブックレ屋と地元ではいう遊郭の女郎たち、おせい(左幸子)おきん(紅美恵子)おかつ(富永美沙子)には、ビールの栓をポンポン抜いて、いい加減たかられる。更におせいは自分に気があるようで、深夜に押し掛けてきて、迫ってくる。なんとか据え膳を食わずに朝を迎える。
   また、漁具屋の五郎(フランキー堺)は嫁を取るが、花嫁(中村メイ子)は、母親の喪中をいいことに、1週間手もさわらせず、失踪する。わに久たちにもの笑いの種にされ、五郎の母(千石規子)は、歯ぎしりし、北海道から二番目の妻(池内淳子)を連れてくる。天ぷら屋の勘六(桂小金治)は、淫売宿から見受けしてあさ子(市原悦子)を妻にしたが、あさ子は、周りの男たちと浮気ばかりして開き直る。あさ子を注意した派出所の警官(園井啓介)は、逆に捻じ込まれてぼやくばかり。ある日、“せんせい”に振られたおせいが心中未遂を起こすが、相手の倉なあこ(井川比左志)とも、メリケン粉を飲んだ狂言自殺で、日ごろ苛められている警官が本庁の警官を呼んで、騒いでいた村人たちは一斉検挙され一晩泊められる。
 しかし、ドタバタばかりではない、“せんせい”が間借している家の増さん(山茶花究)は、足の不自由な妻きみの(乙羽信子)とのなれそめを涙ながらに語り、老船長(左卜全)は川に停留させている船で生活しているが、この川の定期船で働いていた頃の“コイバナ”をしんみりと語る。
  日がな青べかで海に出て、釣りをしたり本を読んだり、昼寝をしたりという生活を続けてきたせんせいも、東京に帰ることにする。浦粕橋を渡って、東京へ向かうせんせいと反対に埋め立て工事のためのダンプカーの列は途絶えることはなかった・・・。
   浦安が、田圃と川と干潟だけの何もなかった時代。まあ、ここに出てくる猥雑で濃厚な人間関係は、日本中どこでもあったんだろう。余所者である“せんせい”は、しかしそうした暮らしを、辟易しながらも、楽しんでいる。べか船で海に出て、本を読みながら昼寝をしていると、引き潮で干潟の中で止まっている。夕方の満ち潮で、自然と戻ってくるという、ゆったりした時間。憧れるなあ。役者はみな芸達者で、文句ない。左幸子の女郎役いいなあ。

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