キネカ大森で、65年東映東京石井輝男監督『網走番外地(272)』。
橘真一(高倉健)は、幼少の頃から苦労のし通しだった。幼い真一と妹の道子の為に母親(風見章子)が後家に入った先は、吝嗇で酒飲みの酷い男だった。
家を飛び出して極道になり、秩父一家の親分を斬って、3年の刑期を言い渡され網走刑務所にやってきた。一緒に入所したのは、強姦強盗の権田権三(南原宏治)、掏摸詐欺かっぱらいなどの大槻(田中邦衛)老人あくた(嵐寛寿郎)ら、雑居房の依田(安倍徹)は、世間を騒がせた8人殺しの鬼虎の兄分だと、先輩風を吹かす。雪の山中での木材伐採という厳しい労働が待っていた。
2年が経ち、模範囚となっていた橘に仮釈放をと、保護司の妻木(丹波哲郎)は尽力するが、日房内で騒ぎを起こし、仮釈放は取り消された。重病の母親が病床で一目会いたがっているという妹からの手紙が届く。自分の愚かさを後悔する橘。母親はあと半年持たないかもしれない。今までの親不孝を一言詫びたい気持ちが募る。辛抱しろと言う妻木の言葉を胸に刻む橘だったが、依田たちが計画した集団脱走計画に悩む。しかしそんな橘を救ったのは、依田たちが足手まといなので、始末しようとした老人だった。殺されるどころか房内を震えあがらせた老人の正体は、8人殺しの鬼虎その人だった。しかし、網走より奥地の森林に作業に出掛ける時に、依田と権田たちは賭けに出た。2人ずつ鎖で繋がれたままトラックから飛び降りる。依田たちと、権田と組まされていた橘も巻き添えに。不本意ながら、北海道雪の原野を、鎖で繋がれた2人の逃避行が始まった。
さすがに、大ヒットした一作目。直ぐにシリーズ化が決まったのも頷ける。刑務所内の群像劇、また雪中の妻木との追跡劇。特にブレーキが利かないトロッコ上でのシーンは、インディージョーンズを遥かに凌ぐ、手に汗握る名場面だ。
続いて、65年『網走番外地望郷編(273)』。橘は、故郷の長崎に帰ってきた。そこでトラックに轢かれそうになり運転手に毒づく黒人の少女エミリー(林田マーガレット)と知り合う。彼女は丘の上の孤児院で育てられているが、逃亡げだしては繁華街をうろついている。橘は、かって安井組に単身乗り込んで安井組長(安倍徹)を刺して服役していたのだ。子分の橘の不始末を収めに安井の元に行き、顔を切られた旭一家の先代(嵐勘寿郎)は中気で寝込んでおり、2代目の武も、安井組にやられて入院していた。武は、橘の幼なじみのルリ子(桜町弘子)と結婚していた。母親の墓をきれいにしてくれているのはルリ子らしい。ルリ子は橘を先代のもとに連れて行く。自分のような前科者は迷惑かけるのではと恐縮する橘に、旭組は港湾荷役を請け負う廻糟問屋として、切った張ったを禁じた正業についており、橘に手伝うことを許す。
しかし、安井組の嫌がらせは日に日に激しくなる。荷役の人間が集められなくなった時に橘を救ったのは、大槻(田中邦衛)たち網走の刑務所仲間たちだった。長崎随一の祭り、くんちの御輿の担ぎ手は橘たち網走仲間だ。安井組の助っ人、人斬りジョー(杉浦直樹)が橘の男に惚れて引き揚げた。しかし、安井たちは、大月、田所(砂塚秀夫)、先代と次々に手をかけた。その頃、橘はやっと見つけた実母の住む島原への舟に、エミリーを乗せようとしていた。そこに急を知らせる使いが来て、組に戻ると、親分の枕元で、敵討ちといきり立つ旭組の面々。網走に行くのは俺一人で沢山だと、橘は単身乗り込んでいく。一人一人倒されていく安井組。安井を倒すと、残った連中は蜘蛛の子を散らすようにいなくなった。独り残った橘の耳に、七つの子の口笛が。人斬りジョーは、安井への一宿一飯の義理で、長ドスを抜く。労咳のジョーは血を吐きながらも、橘を切る。トドメを刺さずに。エミリーの待つ桟橋に向かうが、出血に、だんだん意識が遠のいて行くのであった。
うーん、いくら大ヒットしたからと言って、年内3本目。あらすじを纏めるのが苦痛な程、ストーリーはかなりいい加減だ。2作北海道だったので、郷里の長崎に持って行ったのは良かったが、何だか出演者も整理されていない。いや1,2作目と役者と配役がローテーションしていることに文句を言っている訳では決してない。旭組若親分は冒頭出たきりいなくなってしまうし、網走の仲間も微妙に旭組やら、安井組の中にそっくりさんがいる上、1作目の刑務所内のモノクロ映像が回想シーンで挿入されるので混乱する。そもそも、エマニエル坊やみたいなエミリーは何だったのか?シャネルズメイクのような気もするが、林田マーガレットというくらいだからハーフだったのか・・・。人斬りのジョーの「七つの子」の口笛はどうなのか・・・。
しかし、そうしたもやもやは、いやもやもやすればするほど、終盤健さんが単身乗り込んでバッタバッタと敵を倒していくカタルシスは倍増、3倍増する。かくして、映画館を出る時には、スカッとして、健さん恰好良すぎる!となる。1作目とは、観賞の仕方が変わってきているのであった。
池袋新文芸坐で、61年大映東京川島雄三監督『女は二度生まれる(274)』。
小えんという芸名を持つ知子(若尾文子)は、九段の芸者。と言っても、芸があるわけではなく、酌をして、求められれば、枕をともにする。しかし気立てもよく、人気ものである。 ある時、建築家の筒井(山村總)と一夜を共にした。靖国神社のガイドをしている学生牧純一郎(藤巻潤)が気になりながらも、何の仕事をしているか判らない矢島(山茶花究)と熱海に泊まりがけで出かけたり(実際は他の女と再会した矢島に置いてけぼりだったが)、贔屓の会社専務に連れて来られた寿司屋の板前文夫(フランキー堺)と寝た後、気になって寿司屋に行って付き合ってみたりしている。
売春が警察にバレて、バーで働いているときに思いがけず、筒井と再会する。それをきっかけに、知子は筒井の囲われ者になる。筒井は身よりもない彼女に、何か芸か、技術を身に付けろと言う。小唄を習い始める知子。ある時映画館で知り合った少年の旋盤工孝平(高見国一)と連れ込みに行ったことが筒井にバレて、ドスを畳に突き立て、二度と裏切るなと激高する筒井。
それから、知子は小唄に入れ込み、師匠から普通の人が1年かかるところを3か月で習得したと褒められるまでになった。その発表会の後、筒井が十二指腸を病んで吐血して入院したとの連絡が。正妻を気にしながらも、健気に見舞う知子。筒井からの金銭が滞り、再び九段の芸者に戻る。矢島のお座敷に呼ばれ、酔わされてあわやという時に、筒井が亡くなったという連絡が入った。
置き屋に筒井の正妻(山岡久乃)が訪ねてきた。筒井から受け取った筈のヒスイの指輪を返せとか、何百万もお金を貯めたとか、着物を沢山贈って貰ったなどと謂れのない詰問に、知子は、きっぱり否定する。ヒステリックに激高する正妻を、娘たちは連れ帰った。社会人になっていた牧純一郎が、九段で外人への接待で訪れた時には知子の胸はときめいた。しかし彼女を外人の接待に差し出そうとしたことを知った知子は、表情を失った。
筒井の墓を訪れた知子は、自分も、正妻も、娘も筒井の被害者ではないかと独り言を言って、別れを告げる。あるクラシックコンサートで孝平と再会した知子は、以前孝平が言っていた山に登りたいという思いは今も変わらないかと聞く。頷く孝平を連れて、上高地へ出かける。途中、山葵屋に婿入りしたと聞いていた寿司屋の板前だった文夫が、妻と妻の連れ子と幸せそうに乗り込んできたのに出くわす。文夫は何か言いたげだったが、知子は孝平に知らない人だと告げる。松本駅に着いて、バスに乗り換える時に、知子の気は変わった。孝平にバスの切符を渡し、自分は、信州の14才まで育った叔父夫婦を訪ねてみようかと。
若尾文子の匂い立つような色気にやられる作品だ。事実、彼女は、この映画でいくつか主演女優賞を貰ったらしい。
しかし、女は二度生まれるとは?二度目に生まれたのはいつなのか。ただの枕芸者だった小えんが、筒井の妾になって小唄を習って、芸を身につけようと決意した時なのか、純一郎と学生時代の交流で、お互い仄かな恋心を持っていたはずが、九段の宴席で再会。初恋の人と言って喜ばせておきながら、外人客への枕接待に、自分を指名したと聞いた時の失望なのか、あるいは、松本に向かう汽車の中で、幸せそうな文夫一家を目撃した時なのか。しかし、二度目に生まれた瞬間が、純一郎への失恋なのか、文夫の家族の目撃の瞬間だとしても、筒井との生活の中で、気の向くまま男と寝ることを辞めて、小唄を身につけようと努力をし始めた時に、彼女は変わり始めている。かってのきままに生きる小えんの他者との付き合い方は、猫のようだった。寿司屋のお茶を飲む時の猫舌は、そんな象徴ではなかったか。博華で、餃子とビール。
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