2010年5月29日土曜日

半ズボンでベロンベロン。

    午前中は、大門の睡眠クリニック。大門で昼を食べ、代々木の学校で、体験入学の講師。

    京王線聖蹟桜ヶ丘で、小学校時代の恩師の80歳を祝う会。女子ばかりで男子は少数。50代にもなって男子女子でもないものだが、40 年前の自分から大して成長していない情けなさを思う。矍鑠などと年寄り扱いな表現が似合わないK先生。当時も自分たちの親と変わらない年だった筈だが、二十四の瞳の高峰秀子さんのような新任の先生なフレッシュさだった。お誕生日だから、少し胡麻を摺っておこう(笑)


   【今週読んだ本】小田光雄『出版業界の危機と社会構造(論創社)田代真人『電子書籍元年(インプレスジャパン)』、なかにし礼『世界は俺が回してる(角川書店)』、藤原緋沙子『愛染袴お匙帖 風光る(双葉文庫)』『愛染袴お匙帖 雁渡し(双葉文庫)』『愛染袴お匙帖 父子雲(双葉文庫)』『愛染袴お匙帖 紅い雪(双葉文庫)』『愛染袴お匙帖 漁り火(双葉文庫)』

まあ、ベロンベロンな毎日。

晴天に急いで洗濯をし、代々木の学校へ(その努力も、俄雨で微妙な乾き具合だったが…)。
エンタメの1年は、イベントの企画。キャラクター見て、グループ分けをしてみたが、上手くブレスト出来るグループと、調子だけよく盛り上がるグループと、どうやってもテンション上がらないグループに3分割。授業グループ仕分け難しす。2年には、もう15年前の本「あたるもマーケ。マーケティング22の法則」をテキストに、学問でないマーケティングを。この本が出たばかりの頃、会社で自主勉強会を始めたが、出席者の激しい減少など懐かしく思い出す。
講義終わりで、JFC(日本フリーランス倶楽部)の会長のカメラマンIさんと待ち合わせ、秋に行われるフリーランス見本市のプロデュースを依頼される。途中から副会長のS氏合流、来週、荒木町の会場の下見に行くことに、下見後は、久しぶりの荒木町飲みだな…

今日はJFCの飲み部例会なのだ。ウチの実家と超ご近所の漫画家&イラストレーター氏やら、美人コピーライターやら、阿佐ヶ谷在住の美人デザイナーやら、大ヒット中のジャズ替え歌シンガー&ゲームプロデューサーやら、コミック系編集者やら、11人でご機嫌。今日もベロンベロン。

2010年5月27日木曜日

やめてけれ呆けジッコ!ちゃっちゃとままケ。

    実籾の歌姫おがさわらあいの撮影で王子方面。8時過ぎにデザイナーN氏に迎えに来て貰う。何だか、昼弁当と昼寝をしに行ったようだ。
   白金のデザイン会社で打合せ。その後、代官山でライブを見るつもりだったが、携帯が鳴り、今日の遅くない時間にデータ送る約束の確認。あー、呆けジッコ(秋田弁でジジイ)だ。会場の前をただ通過し帰宅し、送信!!
   あまりの情けなさに、駅前まで戻り、ささら亭で飲む。こんなダメダメな時に、カウンターの隣りには、団塊ジッコ1名にアラフォー女子4人の団体。会話にいちいち腹が立つ(苦笑)。腹が立つ自分の小人物さにも腹が立つ。結局ベロンベロンで千鳥足で帰宅。酩酊していると、家は遠い。

2010年5月25日火曜日

外苑前粥屋喜々。

     外苑前の喜々の店主Sからメールが来て、全く関係なしに、やはり元会社の後輩で、今はスーパーメジャーアーティストのレーベルの A&RをやっているOと、今晩喜々で飯でも食おうと約束していたことを思い出す。別件で都内で打合せをしていたビジネスパートナーN氏も呼び出し、3人に。昨日の疲労感が抜けぬまま、最初は押さえ気味だったが、結局酒量は通常並みに。
    千駄ヶ谷まで千鳥足で歩き、中央線各駅停車に乗る。途中座ると、青梅行きだ。何とか吉祥寺から戻る。やばかった。

2010年5月24日月曜日

失速バンド@目黒ブルースアレイ。


   調子に乗って、缶ビール空け続けると、いい具合に本番は力が抜けて、自分ではミスも気にならない程度に酔い、笑いも取り、無事に終了。しかし、打上げに参加する余力は残らず、来てくれた秋田県人会3人と軽食。酒は入らず、水を飲む体たらく。
   ターコイス・ホタテでは、調子外れの「涙そうそう」。フィナーレのウィーアーサワールドでは、ディランのパートを。デブ・ディラン。(写真は「涙そうそう」らしきを歌っている。ゴーストバスターズの巨大ミシュランことマシュマロマン。photo by CM hero.乞許諾無断転載)

2010年5月23日日曜日

朝日新聞赤田康和記名記事の全文引用。

   5月21日の朝日新聞の夕刊を読んでいると、深層新層というコーナーに赤田康和という記者が、「国立美術館・博物館の事業仕分け ~理想追えぬむなしさ」と言う記事を書いている。

  『鳩山政権による「事業仕分け」第2弾(前半戦)の結果が出て約3週間が過ぎたのに、役所内にはまだ。むなしい空気が漂っている。国立の美術館・博物館の収集事業について「事業は拡充せよ」「だが投入する国費の増額は認めない」との判定を下された文化庁のことだ。美術館・博物館を運営するのは、国立美術館、国立文化財機構の二つの独立行政法人だ。仕分け人は、館の施設を結婚披露宴やパーティーの会場として貸し出してでも自己収入を増やすよう求めた。だが、両法人は収入の9割を国からの交付金・補助金に依存している。1割しかない自己収入をどこまで増やせるというのか。
  川端達夫文部科学相は18日の閣議後会見でこう話した。「大事に保管する。保存するのが本来の目的。お客さんがたくさんくるとか、収入があるとかないとかという話が目につきがちだが、できないことはできない。」
  語られる目標は素晴らしい。だが、それを実現する道筋が示せないー。美術館問題の中に、普天間問題でもがく鳩山首相にも通じる構図を感じた。
  目標を高らかに掲げることはリスクが伴う。実現できなければ、政権を信じた国民も無力感に襲われてしまう。だからこそ目標を実現しようと懸命に走りまわる人間が必要ではないか。
  国立美術館の改築工事の大変さを描いたオランダのドキュメンタリー映画「ようこそ、あむすてるだむ国立美術館へ」(今年8月渋谷ユーロスペースなどで公開予定)にヒントがある。
  この美術館、大規模な改築による館の生まれ変わりを目指したが、次々と障害にぶつかる。地域住民に反対され、設計変更で強いられる。入札も参加業者が少なく、工事費が予算を超える。だが映画からは、館の再生にかける館長や各部門の責任者の学芸員たちの熱情や意欲がひしひしと伝わってくる。   
  仕分けで示された「目標」を実現するには、副大臣・政務官級の政治家か、文化庁次長級以上の官僚が強力な指導力を発揮する必要がある。法人のお金が余ったら国に返納しなくてはならない制度もあり、そうした制度の見直しは役所の1部門では手に余るからだ。美術館の展示の充実という理想を信じ、この問題を24時間考え続けるような熱意のある担当者もほしい。
  オランダの館長はこう話していた。「私にとって大事なのは理想が守られるか否か。それが私の基準だ。」
  現実を前に妥協を強いられたとき、理想の中核部分が溶けずに残るかどうか。異国の文化の担い手たちのしぶとさに脱帽しつつ、彼我の理想の強度の違いについて考えさせられた。』


  この赤田康和という記者の文章を全部打てば何が言いたいか分るかと思ったが、私の読解力では駄目だ。しかし、これだけは言える。マスメディアの社員"文化ジャーナリスト”らしい上から目線。
  《語られる目標は素晴らしい。だが、それを実現する道筋が示せないー。美術館問題の中に、普天間問題でもがく鳩山首相にも通じる構図を感じた。
  目標を高らかに掲げることはリスクが伴う。実現できなければ、政権を信じた国民も無力感に襲われてしまう。だからこそ目標を実現しようと懸命に走りまわる人間が必要ではないか。》
  《仕分けで示された「目標」を実現するには、副大臣・政務官級の政治家か、文化庁次長級以上の官僚が強力な指導力を発揮する必要がある。法人のお金が余ったら国に返納しなくてはならない制度もあり、そうした制度の見直しは役所の1部門では手に余るからだ。美術館の展示の充実という理想を信じ、この問題を24時間考え続けるような熱意のある担当者もほしい。》

   鳩山迷走を批判するばかりで、“抑止力"としての米軍基地負担は、沖縄に押しつければいいのだという本音は一切書かない大新聞。解決策を政府に出せ!出せ!と言うだけではなく、解決策を提示することはないのか?

  《仕分け人は、館の施設を結婚披露宴やパーティーの会場として貸し出してでも自己収入を増やすよう求めた。だが、両法人は収入の9割を国からの交付金・補助金に依存している。1割しかない自己収入をどこまで増やせるというのか。》これは、赤田記者の意見なのだろうか?文化庁の役人たちの意見なのか?
  《現実を前に妥協を強いられたとき、理想の中核部分が溶けずに残るかどうか。異国の文化の担い手たちのしぶとさに脱帽しつつ、彼我の理想の強度の違いについて考えさせられた。》公的な博物館、美術館の理想的なあり方というのは何なのか?その前に立ちはだかる現実とは何なのか?国からの交付金・補助金の多寡なのか?事業仕分けなのか?借金漬けの日本の未来なのか?
  何が理想と現実なのか意見も提言もしない、記者個人が"考えさせられた”という結論の、小学生の読書感想文のような不愉快な記事。こいつらの高給を払うために、金を払うのは、本当に無駄だな。むなしいのはこっちのほうだよ。