2008年4月12日土曜日

BBQ

 コピーライター、デザイナー、カメラマン、ピアニスト、映像プロデューサー、帽子デザイナー、他フリーランサーの集まりのバーベキューで大島小松川公園。天気もよく、本当に気持ちいい。フリーターになったばかりの私に、プロのフリーランサーのみなさんは優しい。最高の休日の午後だ。
 周りを見渡すと、高度成長の頃のニュータウンとは違って、今のニュータウン(とは言わないか)は、緑やら土が多く、集合住宅も画一的なビルではない。公園もなだらかな高低がある原っぱ。子供のいる家庭には本当にいいんだろうな。生活とか暮らしとかのキーワード、コンセプトで、デザインされ、ウェルメイドな街。J-POPのような(笑)。
 ただ、私は、正に昭和30年代から40年代にかけての筋金入りの団地っ子だっただけに、その周りに旧市街が存在しない、全てデザインされた街には、住むと、やはり、それなりに居心地が悪く感じてしまうのだろうな。

毎晩飲み歩いて

毎晩飲み歩いて、非常に楽しいのだが、
少し飽きてきている。我ながら贅沢だなあ(苦笑)
昨晩も、前の会社の後輩達(みんな退社して5年以上だが)と上野で飲む。
久しぶりに御徒町で下車して、少し時間があったので、うろつく。
人が多いし、くだらないものが安い。街中がドンキホーテという感じ。面白い。

2008年4月11日金曜日

退職のご挨拶

退社の挨拶ハガキの残りを書く。第一弾は昨日出したので、届いた人から電話やらメール来る。夜は前の会社のシステムの責任者だった人と新宿ボルガで飲み。ゆっくり話したかったが、お互い辞めることで実現。イメージ通り、いやそれ以上にリスペクトすべき人物。メールの返事を書きながら、付き合いの長短に関係なく、26年のサラリーマン人生の財産なんだろう。と珍しく殊勝に思う。

2008年4月10日木曜日

湯上りのビール。

 元の会社の後輩が、私を慰労したいので水道橋に来いという。どんな飲み会かなと思ったら、ラクーアに。基本的にカラスの行水だが、風呂好き。今まで、仕事で凹むと年に一回くらいか麻布十番温泉やら、銭湯やらサウナで娑婆っ気を抜いてから飲みに行く。一時期は、そのために、パンツとTシャツを常にカバンに入れていたほどだ。ラクーアの中に入ったのは初めて。平日の夜のせいか、年配の集団が全くいないスーパー銭湯。意外に若いカップル多い。入浴中は一人のわけで、その少しの孤独感には、距離が縮まる効果が、これはこれであるのだろうか。けっこうかわいい女の子が多くキョロキョロしてしまう(苦笑)。同伴風までいる。見事な縦ロールの女の子は、さすがに風呂に入った痕跡はなかったが。和風レストラン(和風レストランとは何だろうか、食事処だよな)で、ビール飲む。休憩室で爆睡。4時間弱で伸びきったパンツのゴムのような気分に。四月馬鹿の飲み会を彼の店でやったので、気を使ってくれたのだろう。
会社に行かなくていいという開放感が、さらにゆるゆるに。
 昨日通夜の後、元同僚が、眉毛が下がって、表情が柔らかくなったと言ってくれたが、退社して1週間、これから、自分はどうなっていくのか・・・。

2008年4月9日水曜日

元の会社の先輩が亡くなっていた。合掌。

27年前のことだが、入社試験でその人に会った。制作要員の1次面接。
 こちらは一人、面接官は髭を生やしたスーツ姿の男二人と人事部員。キザな感じの一人とは、上海バンスキングの話。もう一人の文科系の全共闘くずれっぽいディレクターは、普段はどんな格好しているの?と聞かれて、ジーバンに革ジャンですね。というやり取りのみ。 どこがどうよかったのか悪かったのが、全く不明だが、そのあと、結果として制作要員2名の枠に入ったのだった。(そのとき入社した制作要員2名、宣伝要員2名は、自分がやっとのこと退社したことで誰もいなくなったのだが)
 入社して、研修という名の、長い長いライブハウスのウェーター生活が明けて配属されてみると、面接の時のキザな髭のほうは、ニューミュージックジャンル(この呼び名も死語だな)のプロデューサー、全共闘くずれっぽい髭は、フォークなどのディレクターを経て演歌、歌謡曲のディレクターだった。
 当時、 レコード会社のディレクターというのは、すでに原盤権を外部に渡していたことで、自分のイメージしていたものとは、全く違っていた人が多かったが、全共闘(こればかりもなんだな、Nさんとしよう。)Nさんは、ベテランの女性演歌歌手に、歌謡史に残る代表曲をいくつも生み出していた。当時の生意気な自分は、60年代の歌謡曲は好きでも、演歌の歌詞のリアリティの無さを軽蔑していたので、この会社に入らなければ、ちゃんと聞くことも無かったろう。宣伝部の一番下の部員として行った現場で、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、アリサ・フランクリン(他にも大好きな歌い手は多いが、生で歌うのを見ることもなく亡くなっている人が多い)のような音楽の神様に愛されている歌い手が歌うところを目撃することができた。その一人は、すでになくなったあの昭和歌謡のディーバであり、もう一人は、Nさんが関わっていたHさんだ。もう25年くらいたつと思うが、新宿厚生年金会館のステージ。その歌は本当にすごかった。すべての言葉が歌声としてコントロールされて、自分の耳から脳に入ってくる。痺れた。その後、普通のおばさんになってしまい、復帰後も何度か、拝聴する機会はあったが、あのころのすごさが自分の中で相当美化されているせいもあり、味わえなかったが、日本の音楽史に残る歌い手だという気持ちは変わらない。
 いわゆるディレクターという名称でも、A&R(アーティスト&レパートリー、この歌手に何の曲を歌わせるか)としても、当時のNさんは本当にすごかった。かなり語弊のある言い方だが、私のような小僧にも、素人と玄人、プロとの差が実感できる人だった。CGM(コンシューマージェネレーテッドメディア)なのか、1億総アーティストなのか、表現手段の大衆化は、多くの作品を生み出す。けれど、誰が天才なのかを知り、その天才をより高みに昇らせ、音楽を生み出す才能があるスタッフは本当に一握りだ。自分が直接知っている数少ないそんなディレクターNさん。Nさんが生み出した歌は、いつまでも残っていくんだろうな。ご冥福をお祈りします。阿久悠さんと、天国で、何故か魂の凍りつくような悲しい歌を作ってください。

2008年4月8日火曜日

礼拝堂

会社の後輩のご尊父様のお通夜に参列。礼拝堂でのキリスト教式。自分の父親と全く生年月日が一緒。少し感慨に耽る。親孝行しないのが親孝行という自己欺瞞に迷う。長男が父親の8年の闘病生活は、家族にとって充実した日々だったという挨拶は刺さる。

映画三昧

とりあえず、気になっていた映画を見る。コーエン兄弟の「ノーカントリー(1)」ディズニーの「魔法にかけられて(2)」、アン・リーの「ラスト・コーション(3)」、「ブラブラバンバン(4)」
ノーカントリーは殺し屋のキャラクターが全てで、スクリーン上の殺し屋のベスト5に入ると思うが、他の登場人物は思わせぶりな割にはもう一つだ。せっかく「舟歌」を愛する宇宙人の保安官役やら、いい役者総出演なのに、もったいない気がする。ラスト・コーション、上海の日本租界など、非常に丁寧に時代考証していて、日本映画のようだ。ヒロイン、タン・ウェイかわいい。トニー・レオン、男の孤独さ哀愁があった。ブラブラバンバンは、柏木ハルコのふくよかな絵のタッチを思うと、安良城紅に違和感を感じ続けたが、最後のコンクールでの指揮棒を振る姿に、これはこれでいいのではと思った。悪くはない映画だが、学校のシーンなど、集団としての高校生の暑苦しさや、五月蠅さ、汗臭さみたいなものが希薄な気がする。高校時代のちょっときれいな思い出風にまとまっちゃている感じがもったいない。予算の関係とは思いたくないが・・・。

会社を辞めた。

 3月31日、丸26年勤めた会社を辞めた。去年の正月に、今年の8月で50歳になると思ってから、尻がむずむずしていた感じがあったのだが、3月20日、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、「メタル侍」を上映し終わって、スタッフで部屋飲みし、早朝、まだ暗い露天風呂に入っていて、そういう気分になってしまった。(若干、イメージは美化されているが・・・)
 ありがたいことに、信頼する同僚、後輩から慰留され、お袋以外で、人生初めて自分のために涙をみせてくれた女性も何人かいて今までの人生で最高に幸せだったが(これも、若干、記憶は美化されている)、妙にサバサバしてしまう。4月1日、外苑北の「喜々」で、自分主催の四月馬鹿という飲み会を開く。仲のよかった人、自分のセクションのスタッフ、飲もう飲もう!!と言っていて今回初めて飲めた人やら、90人位だろうか集まる。自分の企画なので、最後に「コロムビアの26年、幸せでした」という涙の挨拶もしなくてもいいし、みんな明るく楽しく、飲み会というか打ち上げをやれてよかった。職業柄、数え切れないほど打ち上げを仕切ったりしてきて、失敗したり恥じをかいたり、楽しすぎて羽目外して世間に迷惑をかけたりしてきたが、自分の会社員生活の打ち上げを仕切れて幸せだ。まあ、失礼した人も沢山いたんだろうが、これも自分の中では美化されて、素晴らしい自分という根拠のない自信を更に強化するのだろう。