2008年10月20日月曜日

消される前に提言を。

   たまには固いことでも書こう。
   今朝の日経新聞の春秋が、伝説の宮大工故西岡常一翁について触れていた。翁は、若者に『自分で考えなはれ』『学校の先生やない』と言って仕事を教えなかったそうだ。職人の修行は、そういった部分がある。
   昨日のカンファレンスで、林海象監督は、現在51歳、自分が観てきたような日本映画を作りたかったが、当時日本映画界がどん底で撮影所に若者を採用するどころか、映画製作さえ取り止めていた時代、仕方なしに自分で借金し、バイトしながらお金を返す方法で、『もがきながら』20年以上映画を作り続けている。彼が、『撮影所は映画の学校』と言う学校は、多分翁がいう学校とは違う。立命館の先生の『撮影所が若い人材を育てる余裕がないので、各大学が映画学部や映画学科で映画人養成を担うことが出来れば』という発言は、更に少しニュアンスが異なる。
   日本映画界に多くの素晴らしい監督を送り出したのは、京都太秦の東映・松竹・大映や松竹大船を初めとする撮影所であるが、東大や京大出身の彼らが最初に撮影所でやっていた仕事は、日本映画のプロ、職人の徒弟制度の末端だ。フォース助監督など、不眠不休で、鉄拳で可愛がられる映画小社会の下っ端だ。そこで5年10年かけてチープ助監督に這い上がって、運と才能に恵まれた一握りの人間が初監督としてデビューできたのだ。一本撮れただけで終わった監督はまだましで、結局撮れない助監督は沢山いただろう。キャメラ、照明、製作、全てのスタッフはチーフになるためには同じ努力が必要だったろう。そこが、アメリカの大学の映画ビジネスマン養成の場としての映画学科とは少し違うかもしれない。アメリカ式のメソッドを教える学校を否定はしないが、今までのやり方を知識として学んでも、瞬時に周りの状況と解決方法を判断する現場で通用しないだろう。と言って、ただ映画監督になりたい人間が、いつ卒業できるか判らない撮影所の下っ端で辛抱出来るのかとの問題は勿論ある。学校と違って授業料を払う必要はないし、バイトとして割りは悪いが、少ないながら給料を貰えて、身を持って映画作りの現場を体感出来る幸せ、中長期的な展望は全くないにしても(笑)悪くない職場だと思うが、他人の人生価値観は人それぞれである。クリエイティブな自己表現を目指して映画業界に入ったら、自己を否定されひたすら肉体労働に勤しむ、監督や役者のエゴの奴隷である。
   では、大学の映画教育は意味ないのか、そうとは思わない。映画監督という職業につく資格を与えるような幻想を振り撒くのではなく、今の若者に圧倒的に欠けている映画のメディアとしてのリテラシーと、一般的な教養を学ぶ場としてである。林監督が、教授を勤める京都造形大学の普段アニメしか見ない教え子にマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』を全話観せたら、次郎長も何も知らない若者がものの見事に嵌ったと言っていた。そんな、映画館で映画を観たことのない人間の目から鱗が落とす場は不可欠だ。ただ、一昨年だったか、キネ旬主催の映画プロデューサー養成講座で、アスミックの担当者が、当時話題の『さくらん』を見た人と聞いたら、その前大コケした映画と変わらない人数、百人中4、5人しか手を挙げず傷ついていたのを目の当たりにしたが、話題の映画さえ観ない人間が、自己の潜在的な才能を見出してくれる場として映画業界に入りたいと思っているのだ。
   映画館で映画を見ない人間に、映画商売出来ないのではないか。 決してスクリーン至上主義ではない。映画は、スクリーンで見えることと、テレビモニターで見えること、YouTubeで見えることは確実に違う。映画は、テレビモニターで見ているものを拡大して大きなスクリーンに映写しているものではないのだ。それは技術的な情報量やbit数のことではなく、油絵で絵を描くのか、水彩画を描くのかの違い。いや、大きな号の油絵を描くことは、小さな油絵の引き伸ばしすることとは全く違うということだ。表現の世界では、大は小を兼ねないし、勿論小は大を兼ねない。その違いを体感させる教育だ。監督やキャメラマンが、小さなファインダーを覗いて撮影している時に、最終的に上映されるサイズと情報量を自分の脳内で変換させていることを理解させることだ。その為にも、面白いもの、難しいもの、考えるもの、つまらないものを沢山観せることだ。
   林監督も言っていたが『シルバー層は、映画を観に行って、自分たちの青年性を感ずる喜びを持っているからもいい。問題はこれからの若者だ』『映画を作るということは観客がいなければ成立しない』。本当に同感だ。何度もここに書いているが、シルバー割引や夫婦50歳割引はいい。後期高齢者医療制度のように、若者たちの負担増を防ぐというお為ごかしのような名目で(若者には仕事さえないし、多分若者の負担も際限なく増えるのだ)、官僚達の既得権保護でしかない本音を隠して、敬老という美徳を世代間の不平等にすり替える偽善的為政者を選んでいる社会としての罪滅ぼしとして、映画を観たい人間に映画を観る場を無くすことはない。かって映画界を儲けさせた世代に娯楽としての映画を提供しつつ、若者も見たければみるようなチャンスを作ることは素晴らしいことだ。しかし、本当に必要なこと、とにかく大事なのは、若い連中に映画館に行く習慣を植え付けることだ。それこそが映画業界の最優先事項だ。浸透しなかったということで打ち切られるらしい『高校生3人なら1人1000円』ではなく、2人で来れば1人1000円! いっそのこと、二十歳未満、全部子供料金800円位の施策の導入を、思い切って検討してくれー!! その成果が表れるのは、5年10後かもしれないが、その習慣はずっと続くのだ。わざわざ、携帯やi-podの液晶向けの映画を開発するよりも、手っとり早いし、安上がりなことなんだ!!!

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