2010年7月22日木曜日

今日もまたまた昨日の朝日。

  ザ・コラム(外岡秀俊)『スピードと便利さのわな』

  あれほど日本代表の活躍にわいたサッカーW杯も、固唾をのんで見守った参院選開票も、なぜか遠い日々のように思える。
  同僚と話していて、ふと、そんな話題になった。以前は遠い昔のことを「つい昨日」のように思い起こすことが多かった。記憶の保持力や喚起力が衰え、昨日のことをつい忘れるほど忘却のスピードが加速している。
  私たちはパソコン文書を上書きするように記憶をあっさり更新し、体験の集積としての過去をやせ細らせていないか。どうもその傾向は、私たちの暮らしがデジタル化されたことと無縁ではなさそうだ。
  そんなことを考えたのは、11日まで開かれた東京国際ブックフェアに足を運んだからだった。「電子書籍元年」といわれる今年、大会場には、デジタル化の激流が渦を巻いていた。
  書籍や雑誌を、携帯やiPadなどの端末に編集し、変換するソフト。携帯コミックに、効果音や音楽を入れる技術。出版も印刷も雪崩を打って競争に参入し、「スピード」と「便利さ」を求めるデジタル化が本流になりつつある。
   だが「日本では普及まで、あと2、3年はかかる」と日本文芸家協会副理事長の作家、三田誠広氏はいう。奔流をせき止める堤防がいくつかあるからだ。
   第一は日本語特有の問題だ。「今の読み取り技術では、カタカナの『カ』と漢字『力』の判別は難しい。端末によって異体字を反映できないなどの問題もあり、校正がかかせない」  
   さらに、電子化にあたって新たな契約が必要だ。そのルールづくりもできていない。紙の本の印税率は10%が多いが、三田氏は「電子本では売り上げに応じて段階的に印税率をあげ、最高で約50%」にする案を模索している。
   奔流は避けられそうにない。「下手をすると出版社も書店も倒れかねない。限られたパイを分けるのではなく、パイを大きくする発想への転換が必要だ」

  「デジタル化によって、仮想の裏社会が、現実の表社会になっていくように」
   そういうんは「近代書史」などの著作で知られる書家の石川九場氏だ。「いま起きていることの本質は通信の異様な発達。文化を創造するという生産行為には、何のかかわりもない」
  書物は、書き手が無意識の領域から、必死で新しい言葉を汲み上げてきた歴史の累積だ、と石川氏はいう。過去に公にされた意見や論を一つ一つ全部つぶし、ではその上で何をいうか。抜き身で向き合う勝負の気迫が、かっての書物にはあった。
  「チャットはおしゃべり。ツイッターはつぶやき。言葉を生む行為を軽視し、通信だけが異常に特化した結果だ。電子書籍は個人でも出版できるが、編集や校正という自制もなく、私的な言葉を垂れ流すだけだ」
  石川氏はさらにいう。「言葉は本の手触りや質感に根差し、色やにおいを引き連れて立ち上がる。ツルツルの触感しかない端末では、情報は伝わっても、言葉は立ち上がるまい」
 だが、紙の本の将来については決して悲観していない。
 「消える本は要らない。たまたま書物の携帯をとっただけの本が多すぎた。出版や新聞は、バブル期と比べて売れ行きが落ちたと嘆く。貧しいながら、苦しいなりに、前向きで生きたバブル以前の原点に戻るべきだ」
  紙の本は残るのか。本物なら残る。それが石川氏の確信だ。

  便利で無料。個人が多様な意見を発信すれば、「衆知」が瞬時に形成され、ウェブ上に民主主義が実現する。デジタル化は、そんな「夢」をもたらした。
  「ネットには、無料で人々にサービスを提供し、衆知を結集して社会に役立たせるという理想主義もあった。だが、現実にはそうなっていない」
   東大の西垣通教授はいう。たとえば米検索大手グーグルの場合は、「キーワード連動型」や「内容連動型」広告で、巨額収入をあげている。たとえれば「ネット民放」に近い。グーグルは、無料で検索する個人の情報を大量に集め、広告に結びつけるが、個人情報をどこまでどう使うかは企業秘密だ。
   もう一つは「ウェブ民主主義」の内実だ。グーグルでは、人気サイトからより多くリンクされているサイトほど検索上位にあがる。人気のあるサイトは検索上位に現れるので、より多くの人の目にふれ、影響力も増していく。「強者はますます強く、弱者はますます弱くなる」仕組みだという。これでは少数意見を排除し、むしろ同調を強いることにもなりかねない。
   「ネットの民意といっても、それは刻々と変わる最大瞬間風速にすぎない。人々はいつも主体的に選択しているわけではなく、流れに巻き込まれる。それを『民主主義』と標榜するのは、危うい」
   このところ、内閣支持率などの世論調査によって政治の評価が定まり、影響を与える傾向が強まっている。「人気投票」で政治が動くなら「ポピュリズム」に限りなく近づく」
   私たちは、「スピード」と「便利さ」のわなに落ち、何かを失ってはいないか。デジタル化の巨大なうねりにのみ込まれる前に、たまにはパソコンの電源を切って、しばし考えてみたい。

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   うーん。いくつかのブログに引用されていたが、中略が多く、ある意味揚げ足とりになるかもしれないので、古新聞袋を探して、打ってしまった暇人(苦笑)。

  本は残るのか?本、新聞というものをモノと考えれば、そりゃ残るだろう。しかし、出版、新聞と言った場合は、仕組みだ。作家と編集者、記者がいるだけではない。
   出版社であれば、取次業者との間で、出版部数を決め、見積もりを取って、印刷会社に発注し、検品して、取次の倉庫に納品する。大手書店には販促プラン含め、場所取りの提案をする。出版社だけでなく、日販、トーハンなどの取次会社、1万数千店の書店を含めた『本』なのだ。「下手をすると出版社も書店も倒れかねない。」のではなく、どこが生き残るかなのか。

   新聞社は、113社50,042人(情報メディア白書2009(苦笑))だけではなく、20,424店424,778人が働く新聞販売店までが、『新聞』なのだ。
   多分、川上のこの3人と記者には、その認識はないだろう。感傷的になっている場合ではない。小田光雄さんの出版状況クロニクルで書かれている現実との失笑するしかない御目出度さ。

   『本』『新聞』本当に必要なのか?その前に、押し紙、官房機密費・・・自浄することが出来るのか。書籍、CDの再販制度と新聞の特殊指定は、いつまで説得力を保てるのか。

   しかし、大手新聞社は、関連会社のTV局が、放送通信法の改正で地方局の救済を図ったように、自分たちもJAL並みに巨額の資金で、国に救済させるよう大衆を誘導していくんだろう。

     もう一つだけ付け加えると、何かと、旧メディアの人間は、政治のポピュリズムを、ネットのせいにするが、新聞とテレビこそがポピュリズムの元凶だと思っていないのだろうか。マイノリティの意見を吸い上げることこそが、ジャーナリズムの使命だと思うが、ジャーナリスト面したマスメディアの高給サラリーマンたちには、そんな矜持は一切ない。新聞でもテレビでも、ポピュリズムな意見しか書かれていない。むしろ、マイノリティ、弱者の意見を吸い上げているのはネットジャーナリズムだ。政治ポピュリズムの原因をウェブ民主主義と本当に思っているのなら、余りに見えている社会が偏狭だし、分かっていて責任転嫁しているなら卑怯者だ。
   
  

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