2008年11月3日月曜日

映画館居続けの一日。

   シネマート六本木で、『ヨコヅナマドンナ(243)』。マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」を聞きながら化粧をしている子供の場面から映画は始まる。オ・ドングは、高校1年生。彼の父は、元ボクサーだったが怪我で挫折、パワーシャベルの運転手をしているが、毎晩酒ばかり飲んで暴れている。ドングと弟を残して母は家出してしまった。彼は将来性転換をすることを夢見て、港で荷役のバイトをして貯金をしている。日本語教師(草彅剛)に憧れていて、いつか愛を告白すると心に決めている。夢にも出て来るが、そんな時に夢精してしまう男の自分が恨めしい。
   親友ジョンマンは、何をやっても続かず、新聞部に入ったと思ったら、漢字が書けないので、今度は高額な奨学金目当てにシルム(韓国相撲)部だという。彼に付いて部室に行くと顧問の先生が、身体つきや名前がシルム向きだと言われる。ジョンマンは直ぐに辞めたが、オ・ドングは奨学金を性転換の資金にしようと入部するが、風変わりな先輩ばかりだ。ダンスを教えろと言う先輩、勃起すると身体がくの字に固まって動かなくなる先輩、極度のくすぐりたがりで組むことも出来ない先輩、みな3年生だが、他人に心を開かない主将以外は全く弱い。最初、ランニングなど直ぐにへばって付いていけなかったが、足腰だけは強靭で、弱い先輩たちは歯が立たない。ドングはシルムの本を見るうちに、逆さ投げという技に憧れる。ある時、日本語教師がドングに声を掛け、試合頑張れと言ってくれる、ドングはルンルンだ。練習試合は、ドングたちキョンウォン高校は完璧に叩きのめされる。主将でさえライバルに逆さ投げを喰らう始末。
   父は社長を殴って怪我をさせ首に、家庭では荒れるばかりだ。ある時ドングは家出してロッテワールドで働く母に会いに行く。両親の不和の原因の一つに息子の性同一性障害も関係しているがもしれない。ある日憧れの日本語教師の結婚案内をジョンマンが持って来る。ショックを受けたドングは、直接先生に告白するが変態扱いされてしまう。落ち込むドング。更にシルムの全国大会の案内を父が見てしまい、出場を絶対許さないと暴れ出す。そんなドングに母は、これからの人生はドングか考えているよりも過酷だろうが、自分は応援すると言ってくれた。
   その後父は会社の親友が脳梗塞で倒れ、社長に頭を下げて代わりに雇ってもらう。再出勤の日、パワーシャベルの前に母親のワンピースを着て化粧したドングが立ちはだかった。こんな大事な日をぶち壊してと父は激怒、パンチが炸裂、しかし、ドングは父を逆さ投げで10m位(笑)投げ飛ばす。繁華街で座り込んで呆然としているドングの前をハイヒール、網黒ストッキングの女が通り過ぎ、顔を上げるとマドンナだ!追い掛けるとその金髪の女性は消えていた。ふと高校シルム全国大会のフラッグに目が行く、友人のジョンマンのバイクに乗せて貰って会場に急ぐ。棄権直前に間に合った。その頃、ロッテワールドで働く母の前に父が現れる。全力で逃げるが捕まった母に、ドングにどう接したらいいんだと言う父。
   試合直前のドングの前に現れる父は、酔った時の口癖の、ガードをきっちりして相手をよく見て打てと、的外れなアドバイスをする。ドングを始めキョンウォン高校は全員初戦を突破する。更に、決勝戦に、ドングと主将が残った。1Rずつのイーブンで迎えた3R、2人の疲労は極限に。最後に主将がドングを投げようとして持ち上げた時、彼の目の前にドングの鼻の下のホクロに生えた一本の毛がそよぐ…。
 なかなか楽しかった、最近の韓流映画の中では一番楽しめたかも。でもこれは06年の作品だったんだなあ。最後のライク・ア・ヴァージン良かった。太った“はるな愛”という感じ(笑)。
   続いて、『男女逆転 吉原遊廓(244)』。吉原の遊郭に、見目麗しい男の花魁が女性の客を迎える菊下楼という店があった。そこの看花魁の鷹尾太夫と、吉原の付け火の犯人に兄を殺された娘お花が男装して潜入、また太夫につれなくされて逆恨みの女(西本はるか)やナンバーワンの座を狙う薄雲は…。
   うーん予想通り、別に娯楽時代劇だから、時代考証とかヤボは言わないが、それにしても(笑)。No.1は花板、№2は2枚目って?!調理人?役者?。またロケは日光江戸村だから、吉原の後ろには山々が青々と、廓の前の道も人通りなく、雑草が生えているし、吉原っていうよりも、どっか街道の旅籠の岡場所だ!! 娘がかたきを討つ為に懐中から出したのは小太刀ではなく、何故か緑色に塗って飾り紐の付いたドス!?  鷹尾!鷹尾!ってみんな呼ぶけど、それなら太夫だろ、看板を呼び捨てかー。またキセル吸うなら煙草盆。そこら辺でひっくり返してポン、火事になるぞー。野外シーン、鶯が鳴いたと思ったら、アブラゼミ、次にはヒクラシが、正に異常気象。遊郭にいる男衆は、たった1人、番頭かと思ったら男花魁から親分と呼ばれている、主人だったのか。年季明けと言うが娘は自分で働かせてくれとの飛び込み、借金とかないんじゃないか。年季奉公じゃないだろ。尤も口をきけない若者を飛び込みで雇うとは、口入れ屋の紹介とかないと…。また大枚はたいてと言う割に、小判4,5枚、大盤振る舞いと言うなら切り餅だろ。だっちゅーのの西本はるかが男を買う、いつも同じ着物はいいとして、寝ていても着物を着たまま、帯のお太鼓とか潰れるだろ。昆布巻きでいたすのか。箱と言えば箱枕、髷を崩さないために首を載せる筈なのに、今の枕風に後頭部乗せたら意味ない。枕元に二升徳利と湯呑み茶碗、ここは吉原じゃなかったか。お花が花魁となり、花魁道中をすると主人は言うが、ただの各部屋のお馴染み客に挨拶して回りだす・・。更に、お花は頭に紫のハチマキを巻いているが、ありゃ飾りじゃなくて助六とかも巻いている頭痛鉢巻じゃないのか?と思ったらそこは微妙なんだな(苦笑)。まあ言い出したらキリが無く、江戸時代間違い探しゲームの再現フィルムとしてかなり使えるのではなかろうか(笑)。
  川崎市民ミュージアムで、74年疾走プロ原一男監督極私的エロス 恋歌1974(245)』。『ゆきゆきて神軍』のドキュメンタリー監督原一男の出世作。原の恋人武田美由紀が、2人の子レイを連れ、スガ子と暮らすと言って沖縄に出て行ってしまう。未練たらたらな原がドキュメンタリー撮影を口実に密着すると美由紀とスガ子は喧嘩ばかりして別れることに。美由紀は、男と女の関係はセックスが介在することで楽だが、女と女は難しいと言う。コザの街で、14歳の少女チチに会って裸とインタビューを撮ったり、コザで黒人兵と暮らす熊本出身の女が、バーのママに怒鳴り込むのに付き合って、彼女の壮絶な人生を聞いたりして帰る。
   美由紀は黒人兵のポールと同棲、妊娠2ヶ月、「混血児だからこそ産みたい。原くんに取材させてあげる。」という手紙が来て、原が出掛けると、カメラを挟んで言い争いになり、原は泣き出す。しかしポールとは2週間後に別れる。共同制作者の小林佐知子を美由紀は邪険にする。やっぱり面白くないらしい。次に沖縄に来た時に佐知子は原の子を妊娠しており、美由紀と佐知子は原との割り切れない思いを吐露する。しかし原のカメラは怒る美由紀と落ち込む佐知子を交互に写すだけだ。美由紀はAサインバーの栄子が産んだケニーという混血児を育てようと思うが、見つけることは出来なかった。美由紀はコザを去り東京で子供を産むことにする。最後に彼女の沖縄についての文章を纏めたビラ(見たところガリ版の小冊子のようだが、)を知人や、コザを歩く女たちに配る。知人はともかく街を歩く女たちからの反応は冷ややかなものだ。美由紀は、ビラを路上に並べ始めたが、地元のヤクザから「あることないこと書きやがって」「沖縄の悪口を書きやがって」と言ってビラを捨て殴られた。美由紀は「ないことなんか書いていない。全部自分が体験したことだ。私がウチナンチュだから駄目なのか」と言う。いよいよ美由紀が沖縄を離れる日が来る。埠頭まで見送りに来たのは、スガ子1人だった。
  美由紀は原のアパートの部屋で子供を産む決心する。佐知子はマイクを美由紀に向け、美由紀は、出産の全てを、カメラの前で行う。原は何か起きたらどうしようかと、カメラのピントもはずれがちだ(これは、本人のナレーションで説明されたが、意図的にピントを合わせていなかった可能性もある。なんせ、股間の前に三脚を立てて一部始終を撮影しているのだから)。美由紀は、その後、女たちのコミュニティーを作り、佐知子の出産もそこで行われ、原の手によって撮影されることに。今風に言うと、元カノと今カノとカレシによる出産の記録で終わる。こんなものを10代で観てしまったことが、現在の自分になってしまった沢山の失敗の内の一つ(苦笑)。ピント合っていないとはいえ、出産の最初から最後まで、それも前の女と今の女。あれだけお互いを認められなかった2人が、出産の時には共に戦う同志のような顔になる。それに対して、正視出来ず目が泳いでしまう男。あまりのインパクトに忘れていた映像が一瞬にして甦った。あれだけ現実に苛立ち迷走し、強がった発言ばかりしていた美由紀が、急に自信に溢れた“堂々人生”(笑)。やられたなあ。
   しかし、この映画はプライベートフィルム 。当時、新しい形のドキュメンタリーとして衝撃を与えたが、現在AV業界で、平野勝之、カンパニー松尾、松江哲郎ら一部の監督が、カメラの手前側にいる自分の人間性をさらけ出した作品を撮っているが、その元祖かもしれない。勿論、性欲の喚起を目的に作られたものでないことは言うまでもない。しかし、それまでのドキュメンタリー映画が岩波映画のように、人間の生き方や、そこにある現象や事件を映像として記録することによって、社会に広く訴えることを目的としたものとは違う。今、ビデオ、携帯電話のカメラの動画収録という手段で、誰もが撮影して、自分の人間をさらすことが可能な嬉し恥ずかしのプライベートフィルム。それが、35年前に制作されたということが、革新的だったんだろう。
   ポレポレ東中野で68年日活今村昌平監督『神々の深き欲望(246)』。南西諸島のくらげ島という架空の島を舞台に。神、信仰、共同体、血縁、近親相姦といったプリミティブな人間の営みを、今村昌平らしく暑苦しく、こってりと描いている3時間に及ぶ傑作だ。
  くらげ島に東京から製糖会社の会長の娘婿の技師がやってくる。くらげ島の唯一の産業でもある砂糖きびの今後を左右しかねない、部落の長である竜元(加藤嘉)は気が気ではない。島のはずれに、太(ふとり)という一家が住んでいる。家長は老人山盛(嵐寛寿郎)、長男根吉(三國連太郎)、長女ウマ(松井康子)、次男亀太郎(河原崎長一郎)、次女トリ子(沖山秀子)。彼らは、神に仕える一家であったが、戦争から戻った根吉(三國連太郎)が、葉っぱの密輸や部落中の女に夜這いしたことで、村八分のようになっている。また、近親相姦の噂があり、トリ子の精神の発達が遅れているのはそのせいだとみな噂している。20年ほど前に大嵐が島を襲った時に、巨大な岩が、一家が任せられていた神様に供える米を作る田んぼの上に乗り上げてしまった。これは、根吉の罪の報いだとされ、妹であり妻であったウマは竜元に引き取られ、根吉は鎖でつながれ、この穴を落とす為の大穴を掘っている。
  技師刈谷(北村和夫)は、前任の島尻(小松方正)が全く連絡をしてこなくなったので、とかげ島の砂糖事業の継続を検討するためにやってきたのだ。竜元は、亀太郎を技師の助手にして、不都合なことなどを隠ぺいしようと考える。島には水源が少なく、また降雨がなく、著しい水不足に陥っていた。水源の開発が、事業継続の絶対条件だが、案内された場所は工場まで5キロはあって、役にたたない。
 島は、巫女にあたるムロや祭りなど古い因習に縛られ、刈谷の調査は全く進まない。島尻も、東京に妻子がいるにも関わらず、未亡人を妻に子までなして、この世界に取り込まれてしまっているようだ。ムロの頭であるウマは、竜元に言われ、刈谷に夜の伽を申し出るが、拒絶され竜元に折檻を受ける。あるとき刈谷は、水音を聞き、制止を振り切ってたどり着くと、ムロたちが神に捧げるための井戸であった。
 刈谷はなんとか、仮調査をすることだけ竜元に認めさせるが、毎晩調査の妨害が起こる。実は、竜元の意を組んで、根吉がやっていることだった。刈谷は、機器の横で野宿することにした。老人は、トリ子に酒を届けさせ、根吉たちに婿取りじゃという。なんとか、トリ子の誘惑に打ち勝った刈谷だが、苦し紛れに、海岸で会う約束をしてしまう。すっかり約束を忘れてしまった刈谷だが、トリ子が何も食べずに海岸にいると聞いて、行ってみると果たして、ぐったりとしたトリ子が。彼女の気持ちに刈谷は応え、太家に同居して、生活を共にする。だんだん島の生活に取り込まれ、太家の一員となりきっていく刈谷。老人が急死。葬儀の後、ウマが口寄せをすると、トリ子に憑依。激しく苦しみながら、呻くように喋り出す。根吉には「岩を落とす仕事をまじめに続けろ」と、刈谷に「トリ子を捨てるな」と、亀太郎には「森を恐れよ」といつもとは全く違う口調で伝えるトリ子。
  ある日精糖会社会長が来島することになり、竜元は、無理矢理刈谷を技師の仕事に戻す。その後、刈谷は、トリ子のもとに必ず戻ってくると約束して、東京に戻って行った。
 ウマは神が自分の声を聞いてくれなくなったのでムロの座を、トリ子に譲りたいと言い出したが、竜元は認めず、再びウマを折檻する。島の者を統制する上で、ウマがノロであることは、竜元にとって好都合なのだ。会長の来島によってクラゲ島は、観光事業を始めることになり、飛行場作りのために島民の土地を買うと竜元は言い出した。あれだけこだわっていた太家の土地や、ノロの神聖な場所まで潰すというのだ。根吉もウマも反対し、立ち退きに応じない。島民は、むしろ根吉たちが、ウマが竜元の妾であることで儲けており、立ち退き料の吊上げを狙っていると噂するのであった。
 久し振りに、島のドンガメ祭に亀太郎が参加することを許された。しかし、ノロを降りると言って聞かないウマを、激しく責めていた竜元は急死、ウマに会いに来ていた根吉。竜元の妻ウナリ(原泉)は島民に、根吉が竜元を殺したのだと嘘をつく。そのころ、根吉とウマは二人で、西の無人島に向かって亀太郎が直した船舶エンジンを取付けたサバニを漕ぎ出していた。無人島で二人は、家を建て、田を耕し、新しい生活を始めようと思っていたのだ。しかし、島民は、二人を追討するサバニを出した。漕ぎ手の中には、亀太郎の姿もある。 根吉は殴打して海に捨てられ、ウマは帆柱に縛り付けられサバニごと流される。
  5年後、クラゲ島の空港に、小型旅客機が着陸、降りてきた客の中に、刈谷と、刈谷の妻(扇千景)、会長夫人の姿があった。亀太郎が機関士を務めるサトウキビ運搬用の小型機関車の客室に案内される刈谷たち。竜元の後任の長が、案内しながら進む機関車。刈谷とトリ子が会った海岸に、巨大な岩があり、海の向こうから男が帰ってくることをそこで待ちながら死んであの岩になった女の言い伝え があると説明される。トリ子岩というのだ。また、赤い帆のサバニが海を進むのを、島民はみな目撃していると乗り合わせた女は言う。亀太郎は、サトウキビ畑の中走る機関車の前を、トリ子が嬉しそうに走っていく幻影をみるのだった・・・。
  劇中、島のあちこちで蛇皮線を引きながら、島の古い言い伝えを歌っている男がいる。その歌には、島を作ったあとに、完全な身体を欲しいと祈りを捧げ、女を作ってもらって、男女が出来たという一節と、兄と妹の神が愛し合って、色々なものが生まれていったという一節がある。正にそんな神話が今も活きているくらげ島。そこに暮らす誰もが愚かしくて、悲しい。しかし、今村昌平は、それを、上から見たような神の目線で見るわけではなく、あくまでも、登場人物も我々も同じ、森の中を這いまわっている昆虫や爬虫類や鳥類のような目線で描いていく。3時間近い上映時間、今まで何度も観て来たが、全編一度も寝なかったのは、今回が初めてではないだろうか(苦笑)。根吉、亀太郎、刈谷、島尻、山盛、何だか色々な人間が自分に降りてきたような気がして、終演後、やけに疲れていたのだった。

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