2008年11月5日水曜日

昔の自分と今の自分。

  ポレボレ東中野で、71年東映京都深作欣二監督『博徒外人部隊(250)』。
  浜村組の元代貸の郡司(鶴田浩司)が出所した。出迎えたのは尾崎(小池朝雄)と鮫島(室田日出男)。横浜の港湾荷役をしのぎにしていた浜村組は、東京から進出した大島組と組んだが、港北会との抗争を仕組まれ、組長は死に、郡司は10年臭い飯を食った。大島組は大東海運となって横浜港の全てを握っている。尾崎たちに元組員たちを集めろと命じてから大島組に乗り込む郡司。大島(内田朝雄)と貝津(中丸忠雄)に死んだ親分への香典と散り散りになった子分たちへの迷惑料とで500万を出させた。元の事務所に集まっていると、やはり大島組に潰された港北会の工藤昇(安藤昇)が、大島を襲い返り討ちにあって、血だらけで逃げ込んでくる。医者を呼んで治療してやり、大島組が工藤を渡せと乗り込んできたときも仁義に反することはしないと郡司はつっぱねる。
   集まった元組員に、金を配り、やくざが生きる場所は日本中どこにもない。自分は沖縄に行くと言う。他のメンバーも同意。重傷だった工藤も同行することに。那覇を仕切っているのは港湾をシノギにしている波照間(山本麟一)と繁華街をシノギにする具志堅(諸角啓二郎)という2大勢力だった。
  郡司は、まず米人から脱税ウィスキーを仕入れて具志堅に横流ししているブローカーの日下部(高品格)を締め上げてウィスキールートを奪おうとする。黒人の用心棒達との銃撃戦になり、“イッパツ”(曽根晴美)が死ぬが、拠点になる店は押さえた。
   ウィスキールートを絶ったため、具志堅と波照間が郡司を呼び、単身乗り込むが、間一髪の所を工藤の助太刀で具志堅を倒し波照間と手を結び繁華街のシノギは手に入った。コザを仕切る与那原(若山富三郎)の弟の次郎(今井健二)とイザコザがおき、関(渡瀬恒彦)とおっちゃん(由利徹)が亡くなるが、郡司を気に入った与那原は手を引き次郎を連れてコザに帰る。
   東京から大島組が、沢山の兵隊を連れてやってきた。波照間を脅し、沖縄の全港湾のシノギを互いに分けようという話はまとまった。その話を聞いた与那原は、郡司の前に現れて、大島組に殴り込みを聞いた掛けるといい、郡司たちも助太刀することになったが、大島組に先手を打たれて次郎とともに殺される。いよいよ大島会長が沖縄にやってきた。最後のオトシマエをつけるべく、郡司、工藤、尾崎、鮫島の4人は、大島組と波照間たちの大集団に突っ込んでいった。
   戦後のどさくさを経て高度成長期に入り、社会の安定とともにヤクザ達の居場所が無くなり、新天地として、当時、未だ占領下にあった沖縄に、活路を見つけようとした郡司たちの姿は、ヤクザ映画の博徒、侠客といった存在がリアリティを失い迷走する東映の姿だったのかもしれない。沖縄の人間の表層的な扱いを見ても、沖縄ロケをしただけで重要な作品とは言えず、その数年後に爆発的にヒットした『仁義なき戦い』につながる習作というところか。沖縄は、正にその後の実録ものでも取り上げられたように、本土の暴力団の代理戦争の場となった。
   渋谷アミューズCQNで大林宣彦監督『その日の前に(251)』。
   イラストレーター日野原健太(南原正隆)の妻とし子(永作博美)が、不治の病にかかった。息子2人には元気なお母さんをみせたいからと言って、子供の見舞いを断るとし子。
  最後の外出になるかもしれない日、とし子は、イラストレーターとして成功し何人もスタッフを抱えるデザイン事務所を抱える健太が、何も仕事がなかった時に結婚して初めて2人で住んだ街を訪ねてみたいと言う。電車に乗って街に着くと、駅前のマーケットは無くなり只のロータリーに、商店街もシャッターがしまり寂れている。でも、とし子は楽しそうに、昔の思い出を語っている。ケーキが美味しいと聞いて入った喫茶店で、店の女の子(宝生舞)に、ストーカー化したDV夫(小日向文世)が刃物を出した時も、とし子は身を挺して守る。そんな妻を健太は心配そうに見守る。とし子の病気に何か自分に責任があるかのように。
  入院が決まった時も、とし子は、やけに元気だった。自分の服や歯ブラシや小物を処分し、自分のアルバムさえ捨てようとする。健太に「愛人がいるなら紹介してくれ。健太と子供のこれからを頼むから」と言ったり、健太の喪服さえ用意してあるのだ。喪服のポケットにその時の夫宛ての手紙まで入れていることを知って健太は怒った。
   いよいよ、その日がやってきた。前の晩、健太は息子たちに話す。上の子は耐え、下の子は泣き出す。3人で一つのベッドに寝て、健太は朝ご飯を作る。とし子がよく作るクロックムッシュだ。病院に向かう途中、下の息子は、タンポポの綿帽子をお母さんに持って行っていいかと聞く…。
   大林宣彦って、やっぱりロマンチストなんだなあ。とてもセンチメンタルな話。正直なところ、監督のそう言う部分が強く出た作品(『さびしんぼう』とか…んー、ほとんどそうか(苦笑))は苦手だった。今回もずうっと南原に違和感を感じていた。しかし、敏子が亡くなって3ヵ月後に看護婦から「忘れていいから」とだけ書かれた敏子の手紙を受け取って号泣する場面で、全く遅ればせながら南原でよかったんだと思う。それからは、息子2人との会話や、最後の花火大会のシーンめ、自然と受け入れることが出来た。年取ったのかなあ。あるいは大人になったのか(笑)。
   また、宮沢賢治が盛り込まれている。賢治の亡くなった妹に宛てた詩があり、妹の名は、とし子。彼女の出身地が岩手だったりする。劇中にチェロを弾きながら歌うクラムボンという名の美少女(原田夏希)が出てきて、その曲を作ったのはご丁寧にもクラムボンだ。
   神保町シアターで52年松竹京都大曽根辰夫監督『旗本退屈男 江戸城罷り通る(252)』。
   直参旗本の早乙女主水之介(市川右太衛門)は、退屈している。妹のお菊(岸恵子)や爺がやきもきしても、叔父の老中松平左近将監(市川小太夫)の娘萩乃(井川邦子)が思いを伝えに来ても、いつも逃げ出すばかり、今日も吉原で居続けだ。小僧のチョロ松(かつら五郎)が、将軍の御落胤が江戸に現れて真偽が話題になっているとの話を聞き込んできた。小姓の霧島京弥(宮城千賀子)を連れて、御落胤徳川浄海坊(高田浩吉)の行列に馬で突っ込んで顔を確かめる。主水之介は偽物だと確信を持つが、浄海坊が持参した証拠は本物だ。その夜、主水之介は、黒覆面の集団に襲われている男女を救う。家に伴い事情を聞くと、男も将軍の落しだねで、一目だけでも父親である将軍の顔を見たくて、江戸に出てきたという。主水之介は陰謀の匂いを感じ、京弥に女装させ、浄海坊の宿に潜り込ませる・・・。
  チャンバラ映画の王道。天下御免の向う傷ってやつだな、早乙女主水之介って、今じゃ読めないだろうな。さおとめもんどのすけ。 時代劇映画はあっても、チャンバラ映画は無くなった。スウォード・アクションだもな。他には、忠臣蔵と、幕末ものと、大奥もののみ。
   59年宝塚映画久松静児監督『飛びっちょ勘太郎(253)』。長谷川伸原作。
   飛びっちょの勘太郎(森繁久弥)は、渡世人。男に苛められる女を見ると、間に入らないと気が済まない。面子を潰したと逆恨みされ命を狙われるのも度々だ。
  勘太郎は、もともと中間だった。許婚の雪乃(峯京子)に、侍の大塚雄之助(丹波哲郎)が横恋慕し、祝言の日に酔って現れて、義父と雪乃を斬って、逃走したのだ。そのかたきを討つために、血の滲むような少林寺拳法の修行をして、雄之助を探して旅をしている。
   途中、目明しのやらずの留吉(藤山寛美)と知り合う。留吉が追っている女掏り、見返りのお柳(淡路恵子)や、旅芸人の女たち(島倉千代子)らを助け、雪乃に生き写しのお鶴が、かんのん忠治の親分(曽我廼家明蝶)の取り立てに苦しめられているのを逃がしてやったりする。
   やっと、磊落して賭場の用心棒になっている雄之助に出会う。追い詰め、仇を討とうとした時に、お鶴が止めに入る。雄之助とお鶴は夫婦になっていたのだ。わずか10両で女郎屋に売り飛ばした雄之助をかばうお鶴のお腹には、雄之助の子供が・・・。
  勘太郎強い強い。刀や長ドスを持った相手が何人いようが、徒手空拳で相手を倒す。しかし、森繁の身の軽いこと軽いこと。何だか、駅前シリーズのスケベ親父や渋いご老人になってからのイメージしかない自分には、駆ける、飛ぶ、自由自在な細身の二枚目が森繁とは・・・。そうそう、藤山寛美も細身で、よく動く。森繁、寛美の掛け合いの台詞の達者さ。ちょっと拾い物だった。『警察日記』に幼女役で森繁と絡んでいた二木てるみが、少し成長して、子供の巡礼として出演。もともと長谷川伸の原作で、ストーリーもよく出来ている・・・。
   シアターN『ロック誕生(254)』。水曜日で1000円だからか、満員で驚く。
   1970年初頭の日本のロックに関するドキュメンタリー。インタビューは、内田裕也、ミッキー・カーチス、近田春夫、遠藤賢司、中村とうよう、加納秀人、森園勝敏。ライブは、フラワー・トラベリング・バンド、頭脳警察、はっぴーえんど、イエロー、遠藤賢司、ハルヲフォン、ファー・イースト・ファミリー・バンド、村八分、クリエイション、四人囃子。
    すべて懐かしいし、自分には、初めて見る映像も沢山あったが、何だか不完全燃焼というか、ドキュメンタリー映画というには、あまりに表層的で浅い。ちゃんと検証するのであれば、1時間枠1クール位必要ではないのか(笑)。比較したら可哀そうだが、マーチン・スコセッシの『ブルースの誕生』に比べて、あまりにお手軽だ。インタビューを受けている顔ぶれは悪くないが、ワイドショーのコメント取材ではないんだから、もっと掘り下げて聞くことはあるだろう。ただのジジイの昔話や自慢話にしか聞こえないから、観客から失笑が漏れていたのではないのか。ミッキー・カーチスの「面白いことが随分あった。まだ言えない。なんせあの頃は、セックス、ドラッグ、ロックンロールだったから。」という言葉の中身こそ重要なのではないのか。
  70年前後に何があったのかに、真剣に迫ろうとした“いま”の映画は、自分の知る限り、若松孝二監督の『実録、連合赤軍』くらいのものではないのか。「あの頃はよかった。自分も若かったし、けっこうやったよ」というオヤジたちの昔話と、「昔は、何だか面白かったみたいで、うらやましいなあ」という日常の閉塞感に嫌気がさしている若造の現実逃避ばかりが、日本中に溢れている。自分のこのブログのように(苦笑)。

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