テアトル新宿で、押井守監督『アサルトガールズ(7)』
夜のNY、第二次世界大戦以降の戦闘シーン、空母から飛び立つ戦闘機、戦車、潜水艦、軍用ヘリ、人類が戦いを捨てた近未来。しかし、停滞した現実の中で人間の本能には、闘争や暴力と言った消せない欲望がある。そのために、脳内に直接働きかける仮想空間アヴァロンは、無数のゲームを提供した。
アヴァロン(f)
荒野、蝸牛以外の生物はいないかのようだ。何故か一本の街灯が立っていて点滅を繰り返している。はるか向こうからこちらに歩いて来る影がある。大きな対戦車砲を担ぎ、背中のリュックサックには、パエリア鍋とフライパンがぶら下がっており、音を立てている。SYとマークの入った野球帽を被った男だ。イェーガー(藤木義勝)、地面に横たわり、地中に耳を当てる。コンパス
うーん。映像美と言っても、どこかで見たことのある構図。今の漫画家が、実際の写真をトレースして背景を描くように、古今東西の映画のかっこいい構図を当てて作ったようなシーンばかりだ。それを悪いと言うわけでは無いが、見たことの無い映像を見てみたいのに叶わない。かっての日本映画には、普通の何でも無いストーリーの映画に、どうやって撮影したのだろう言うようなオープニングやエンディングが用意されていたと言い出しても詮無いことだなあ。ゲームをやらない人間なので、達成感など共感はないが、これからゲームが進化すると、仮想空間では、黒木メイサや佐伯日菜子や菊地凛子の姿になって参加出来るんだろうな。彼らの現実空間では、あんな美女でもなく、性別も違っていると考えると、なかなか気味悪いものではあるが(苦笑)。
角川シネマ新宿で、犬童一心監督『ゼロの焦点(8)』
昭和18年10月21日、神宮外苑での出陣学徒壮行会の映像。「そうですね、水泳は好きでした。」(広末NA)初めて自分のことを話した健一さんの言葉だった…。
昭和32年8月、銀座のビルにあるレストランで、鵜原憲一(西島秀俊)と板根禎子(広末涼子)の見合いが行われている。憲一の兄宗太郎(杉本哲太)、禎子の母絹江(市毛良枝)と仲人の?夫妻が席に座っている。憲一は学徒出陣で出征し、右肩に銃弾を受けたらしい。あの時生き残ったのは、自分ともう一人しかいなかったので、生き残っただけで幸せですと鵜原。鵜原は、東洋第一広告と言う会社の金沢出張所に勤務し、月に何度か東京の本社に出張していた。禎子は、山之内商事の海外部で得意の英語を活かして活躍していると仲人。「そういえば、卒論はシャーロット・ブロンテだったね。」仲人は、禎子の女子大時代の担当教授のようだ。「ジェーン・エアが好きなんです。母がぜひ読めと勧めてくれたのですが、実は母は読んでいないんです。」「映画は、妻にせがまれて見に行きました。最後がなかなか感動的で…」鵜原の兄は、話し続けている。銀座のネオンを二人で眺めながら、自分のことを殆ど語らない鵜原に親しみを感ずる禎子。
母は10歳という年の差を危ぶんだが、禎子は、落ち着きと安心を感じ鵜原に好意を抱いた。二人の結婚式。文金高島田の禎子の美しさに参列者は、みなこの夫婦の幸福を確信する。二人の結婚写真が撮影される。
一週間後の昭和32年12月1日夜9時、上野駅なホーム、金沢行きの信越線、後輩の本多良雄(野間口徹)との引き継ぎのため、最後の金沢行きを見送りに禎子は来ていた。禎子の掌に、明治ミルクキャラメルを一粒乗せ、だった一週間、8日には戻るから安心しろと言う鵜原。しかし、 鵜原の姿を禎子が見たのはこれが最後だった…。
鵜原の帰宅予定の日、晩ご飯の支度をする禎子。カレンダーには、帰宅日に丸がつけられている。しかし、鵜原は帰って来なかった。
歌い文句通り、女優で見せた。不幸せの女王木村多江は、泣かせるなあ。「沈まぬ太陽」のアル中主婦と併せて09年の気になった女優に追加表彰。中谷美紀も、顔の演技素晴らしい。その二人に比べると、大好きな筈の広末、もう一つ。ただ、主役というよりも、戦後の不幸から生まれ変われようとした男女の悲劇の狂言回しだと考えればこれでいいのかもしれない。映画自体は、エンディングテーマだけが、かなりミスマッチ。上野耕路の劇伴がかなり良かっただけに、最後いきなり「家なき子」かよと我に返ってしまう言う感じ。プロデューサーの発注の仕方が失敗だったんだろう。曲を貰ってから、いや違うタイプの曲をとは言えない中島みゆき(笑)。電通からの発注か(苦笑)丁寧に時代考証をしようとしているが、少し気になったのは、新婚家庭の病院の看板の電話番号、局番が4ケタだったような気がするのは気のせいだろうか。それが一番気になって、もう一回見るかと言う気持ちになった。
恵比寿ガーデンシネマで、スティーブン・ソダーバーグ監督『ザ・インフォーマント!(9)』
シアターN渋谷で、ロジャー・グロスマン監督『ジャームス 狂気の秘密(10)』
LAパンクの最初期のバンドだと言うことだが、名前を聞いたことしかなかった。問題児ばかりを集めたハイスクールにいたポール・ビーム(ダービー・クラッシュ)が友人のパット・スミア(ジョージ・ルーセンバーグ)に、デヴィッド・ボウイのジギー・スターダストの中のFive Yearsに感化され、5年計画でバンドを成功させると話し、楽器も弾けず、持ってさえもいないまま結成し、ダムドのライブに出掛け、勢いでオフィウムシアターでライブをやってしまうが、石灰を撒き機材を壊して叩き出されるのが初ステージ。しかし、その破壊的なステージが噂を呼び、演奏ができるようになっても、自らを傷つけ、会場、機材を壊し、オーディエンスの間では暴動が起きて、LA中のライブハウスに出入り禁止になり、たった1枚のフルアルバムは聞けるが、ライブが見られないことで伝説のバンドとなった。
そのアルバムのレコーディング中プロデューサーのジョーン・ジェットはアル中かヤク中でマグロ状態。結成当初のドラムスにベリンダ・カーライル、とは言ってもただのグルーピーみたいなものだったんだろうな。ヤク中で自滅的な行動が続き、バンドのメンバーとも距離が出来て、〝ジョン・ウォーターズの映画に出てくるような”母親とロンドンに行き、帰国後の新バンドは失敗、最後にジャームスの解散コンサートをやり盛り上がるものの、ライブが終わった後の孤独感から、ジョンレノンが暗殺されたその晩、オーバードーズで自殺。
死んだから神格化された部分が多分にあるだろう。多分死ぬ前にボロカスに言っていた周囲や世間は、死んだ途端に手のひらを返して、いかに自分が彼の才能を愛していたかを争うように語ったんだろうな。先日読んだ沢島忠監督が著作の中で、美空ひばりに関して、生前言っていたことと正反対の絶賛をする世間について書いていたが、昨年のマイケル・ジャクソンもそうだろう。こんなことを書く自分だって、ジャクソン5から大好きだったものの、BAD以降どんどんサウンドにブラックミュージックの色が薄くなり、自分の顔まで変え始めて以降、マイケルは終わったと思っていたのだがら、どうもTHIS IS ITを無邪気に絶賛する気になれず、何だか自分の不明を恥じるばかりなのだ。
とはいえ、ダービー・クラッシュは同級生。映画にも登場するベリンダ・カーライルは全く同じ生年月日、一日前がマドンナの誕生日。同じ時代の空気を吸っていたダービー・クラッシュの絶望は何だかわかる気がしてしまうのは、思い上がりだろうか。
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