角川シネマ新宿で大雷蔵祭。
59年大映京都森一生監督『薄桜記(701)』
赤穂浪士吉良家討ち入りの雪の降る夜、吉良邸に向かう隊列の中で、堀部安兵衛(勝新太郎)は、丹下典膳(市川雷蔵)のことを思い出していた。
自分が典膳に初めて会ったのは、義伯父の菅野六郎左衛門(葛木香一)と村上兄弟との決闘を知り、高田馬場に走る途中だった…。旗本の典膳は御用の旅に向かう途中だ。走る中山安兵衛に、騎乗から「襷の結び目が解けている」と声を掛ける典膳だったが、駆ける安兵衛に伝わらなかったのではと、行列をそのまま進ませ、自分は安兵衛の後を追った。
高田馬場に着いた安兵衛は、村上兄弟に多勢に無勢で、取り囲まれ窮地に追い込まれていた義叔父菅野六郎左衛門たちを救い、村上勢を次々に斬ってすてる。そこに駆け付けた播州赤穂藩浅野家江戸留守居役の堀部弥兵衛(荒木忍)は、娘お幸(浅野寿々子)の帯を襷に使えと安兵衛に投げた。決闘の場を見た典膳は、村上兄弟は同門の知心流であり、お役目もあったので、その場を離れた。
最後に安兵衛は、村上庄左衛門(須賀不二夫)と弟の中津川祐見(光岡龍三郎)を討つ。傷ついた叔父の手当てをと、近くの武家屋敷の門前を貸して貰えぬかと、安兵衛は申し入れるが、どの屋敷かも知らず、自ら名乗りもしない申し入れに一度は拒絶される。その屋敷は米沢藩上杉家江戸屋敷だった。腹を立てて去ろうとした安兵衛に、上杉家江戸家老千坂兵部(香川良介)は、名代の長尾竜之進(北原義郎)に命じて門内での治療を許した。
この高田馬場の一件は、中山安兵衛の名を世に轟かせたが、村上兄弟の真伝知心流の評判は地に落ちた。
典膳は、道場に呼ばれ、高田馬場での決闘の場にいながら助太刀もせず立ち去ったことを責められる。典膳は、自分は御用の途中で、その時にはまだ村上兄弟は存命だった。目撃した門弟は何をしていたのだと反論する。「自分たちは人に向けて刀を抜いたことはない」などと意気地のないくせに典膳を責めるだけの連中だ。師範代が、仇を討って貰えぬかと頭を下げるが、御用で回った各地で、村上兄弟の悪い評判を聞いているので断ると答える典膳に、門弟たちは抜刀する。しかし、素手のまま、次々と門弟を倒す典膳。その騒ぎに師の知心斎が人に支えられ見台に現れ、典膳に破門を言い渡した。
一方、安兵衛も、直心影流の師堀内源太佐衛門(嵐三右衛門)から、知心斎が典膳を破門にしたのは互いの遺恨になり余計な争いを避けるための配慮であり、その気持ちを知った以上、自分も安兵衛を破門せざるおえないと言って、一門のものにも、そのことを肝に命ぜよとと念を押した。
道場には、噂の安兵衛を一目見ようと町娘たちが押し寄せている。源太佐衛門は、安兵衛を呼び、町娘だけでなく、縁談、お召し抱えの話があまた来ているだろうと言う。源太佐衛門のところに、上杉藩千坂兵部より話があると言う。ちょうど、千坂の家臣長尾竜之進が妹の千春(真城千都世)を連れ、源太佐衛門の娘浪乃(三田登喜子)のもとに来ていると言う。茶室に案内され、千春を見た安兵衛の心はときめいた。
安兵衛が長屋に帰ると、やはり沢山の町娘に取り囲まれる。何とか自分の部屋に入ると、内職の筆作りの筆屋の娘お志津(加茂良子)が来ていた。健気にもお志津は、材料を届けがてら安兵衛の食事の仕度までしているのだが、先ほど会った千春のことが頭から離れない安兵衛は上の空だ。お志津についてやってきた三重(大和七海路)は「お嬢様、そんなことでは想いは伝わりません!!」と、とても歯痒い。娘たちだけでなく、堀部弥兵衛と武家の使者物部(沖時男)も仕官の返事を聞きにやってきて鉢合わせし、長屋の前で譲り合っている。
その時子犬が現れ、野次馬たちの姿が消えた。時代は正に犬公方綱吉の時代、生類憐みの令により、犬猫はおろか、鳥虫に至るまで殺してはならぬとのことで、極刑まで下されていたのだ。
ある日、安兵衛が、筆を納めに出かけた際、七面山千春院を通りかかると、想い人千春が野犬の群れに襲われていた。安兵衛が助けようとする間もなく、編み笠を被った武士が千春を庇い、犬を斬った。その武士は典膳だった。犬役人が近づいてくることに気がついた安兵衛は、高田馬場の借りを返そうと、自分は浪人であり、旗本である典膳よりも身軽だと言って、典膳を逃がす。とっさの判断で、安兵衛は、千春院に舞を奉納している風を装い犬役人の目を欺いた。千春は、ここが自分の母の菩提寺であり、そもそも、母親が兄竜之進の次に娘が生まれるようにと祈念しに通ったところ自分が生まれたので、千春という名前を貰ったのだと話す。
安兵衛が橋の上から密かに犬の死骸を捨てると、真伝知心流の門弟たちが現れた。村上兄弟の仇討だと抜刀する門弟たち。堀内源太佐衛門からの言付けもあり、安兵衛が逡巡していると、そこに、典膳が現れ、安兵衛に借りがあるのだと言って、間に入った。数には圧倒的な差はあったが、腕に優る典膳は門弟たちに手傷を負わせ、退けた。
安兵衛の気持ちは固まった。上杉藩に仕官して、千春を娶ろうと・・・。堀内源太佐衛門のもとを訪れ、報告しようとした矢先、師の思いがけない言葉に打ちのめされる安兵衛。かねてより相思相愛であった千春と典膳の祝言が決まったという。茶室からは、千春と浪乃が典膳の話しで華やいだ嬌声を上げている。二人はかねてより、七面山千春院で会っていたという。一人合点に気がついた安兵衛は、暫く気儘な浪人生活を続けると師に伝える。
雨の中、ずぶ濡れで呆然としている安兵衛に、傘を差しかける者があった。堀部弥兵衛である。既に仕官の話は断っていたが、熱心に通う弥兵衛の気持ちに打たれ、婿養子となることを承諾する安兵衛。
典膳と千春は祝言を上げ幸せな生活を送っていたが、典膳はお役目で京都に赴くことになった、翌年の雛祭りまで離れ離れに暮らさなければならない。千春は幼いころに作った夫婦雛の女雛を典膳に自分だと思って持っていてくれと渡す。雛祭りが近づき、典膳が京都から送ってくれた雛人形と自分が作った男雛相手に、独り芝居で典膳と語り合っていた千春だったが、真伝知心流の門弟5人に買収された下女が痺れ薬を入れた白酒を飲み倒れる。五人の門弟たちは、手引きした下女を斬り捨て、千春を攫い凌辱した。
江戸への帰参の途中、出迎えた下男嘉次平(寺島雄作)から、下女が今わの際に下手人は真伝知心流の門弟五人だと告白したこと、更に、千春が典膳の留守中に、赤穂藩家臣堀部安兵衛と不義密通をしているという悪質な噂が流されていることを告げる。しかし、その疑いは、偶然安兵衛と出会ったことで、これも真伝知心流の門弟たちが流していることを知る。
屋敷に帰った典膳の前に、憔悴しきった千春の姿がある。町人、農民であればともかく武士であれば例え強姦にせよ、他の男と関係をもった妻は斬り捨てなければならない。またそうしなければ武士としての面目が立たない。自害するよりも典膳に斬られるためにおめおめと生きておりましたと泣く千春に、お前には罪はない、どんなことがあっても死ぬなと言いながら、卑劣な男たちに切歯扼腕する典膳。
千春を殺さず、不義密通の汚名を雪ぐために一計を案じる典膳。江戸帰参の祝宴を義父長尾権兵衛(清水元)ら身内の者を集め開く。宴の半ば、典膳が謡いを披露していると、障子を狐の影が奔り、典膳は抜刀し、障子越しに狐を刺す。権兵衛たちが、血の跡をつけると井戸の中に大狐の死骸がある。典膳は、一同に、妻の不義密通の噂の正体はこの大狐だった、しかし、生類憐みの令の手前、この話は各自の胸に仕舞っておくよう話をする。この大狐の正体は、典膳が嘉次平にももんじ屋に密かに用意させたものだったが、千春の身内の人間は、「さすが典膳、真伝知心流の腕前だ」と言い、不義密通の疑いは晴れた。
その上で、「そちの罪ではないから咎めはせぬ。咎めはせぬが、そちの体をわしは赦すことが出来ないのだ。理屈で、頭で、赦していて、わしの体が赦そうとせぬのだ」と言って、千春との縁を切り、実家に帰す。千春を実家に帰した上で、お役御免を申し出て、卑劣な5人に復讐をしようと考えていたのだ。義父である権兵衛は、不義密通の疑いが晴れたのに離縁するとはと納得できない。しかし、夫婦お互い納得しているのだとしか言わない典膳に、千春の兄である竜之進は激高して、典膳の右手を斬り落とす。
その日は、正に京からの勅使の江戸城登城の日であった。傷ついた典膳を運ぶ駕籠からの血を警備役から咎められたのを救ったのは千坂兵部だった。その日以来典膳の姿は江戸から消えた。しかし、城内松の廊下で、播磨赤穂藩主の浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に刃傷に及ぶという事件が起こり、典膳、安兵衛、千春の運命を更に動かすことになる。
安兵衛は、大高源吾(島田竜三)友成造酒之助(千葉敏郎)神崎与五郎(舟木洋一)戸谷兵馬(伊沢一郎)らと仇討の計画を練っていた。吉良邸の前で見張っていると、茶道指南の女が出てきたというので、安兵衛が覗くと、千春であった。跡をつけると四方庵字編流茶道指南という看板の掛った庵で独り暮らしをしているようだ。
不審に思った安兵衛が数日後、典膳の屋敷を訪ねると荒れ果て無人となった屋敷に千春が佇んでいた。典膳との経緯を聞いて、何故か胸のときめきを感じてしまう安兵衛。
ある日、千春は病の床にある千坂兵部に呼ばれ、傷ついた典膳を上杉藩の温泉に送って静養させていたという。上杉家家臣として吉良家に用心棒として送り込んだ浪人たちを指揮する役目を典膳に頼みたいので、千春に迎えに行ってほしい、浪人たちの中には斬って捨ててよい五人が含まれていると言う。あの五人への復讐を暗示しているのだ。
江戸に戻った典膳たちを待っていたのは、千坂兵部の訃報だった。吉良家に入る手立てと、生活の糧を失ったという典膳に、私が生活費を出しますと千春が言う。典膳は、我々は離縁したのだ、そのために長尾家に右腕を差し出したのだと答え、嘉次平に今後この家には上げるなと命ずる。泣くしかない千春。典膳は、五文叩きの大道芸を始める。さっそく五人の仇の一人、三田四郎五郎(伊達三郎)が典膳の姿に気が付き、残りの4人大迫源内(志摩靖彦)壱岐練太郎(浜田雄史)友成造酒之助(千葉敏郎)戸谷兵馬(伊沢一郎)に告げる。
四郎五郎と?は、片手を失っており笠を被っているので顔もわからないため跡をつける。誘い出しに成功した典膳は、卑劣なお前らに使う刀はないと竹棒で二人を倒すが、心配して後を追ってきた?の銃弾を足に受ける。偶然七面山に参詣の帰りの千春の駕籠が通りかかる。倒れていた典膳を駕籠に乗せ七面山千春院に運び応急処置をする。知合いの医師への手紙をしたため嘉次平に往診を頼みに行かせる。心配そうに付き添う千春は、典膳が自分の渡した女雛を持っていることに気がつく。自分の男雛を出し、「持っていて下さったのですね」「そなたに罪はないと言っていたではないか・・・。」
二人だけのときはすぐに破られた。後をつけていた知心流門弟と助太刀の浪人たちが襲いかかる。右手を失い、左足が使えない典膳は、尋常な勝負をしろと言い、自分を広場に運ばせる。横たわったままの典膳であったが、襲いかかる浪人たちを斬り続ける。しかし、あと二人というところで気絶をする。走り寄ろうとした千春は撃たれてしまう。そこに、安兵衛が駆け付ける。安兵衛は残った浪人を倒すが、千春は安兵衛に「吉良さまの年忘れの茶会は明日の夜です。」と言い残して絶命する。最後に手を握り合って死んだ典膳と千春の姿に雪が降り積もる。
その夜、堀部家では、安兵衛とお幸の祝言が行われた。
翌日、吉良邸に向かう赤穂浪士の隊列の中に安兵衛の姿がある。吉良家の大きな門の前に並ぶ赤穂浪士。そして討ち入りが始まった・・・。
高田馬場での安兵衛18人斬りも、片腕片足での典膳の殺陣も、勿論最高だ。更に勝新の舞と雷蔵の謡をさりげなく見せる。時代劇ってこれだよなあ、と前の晩に見たTBS時代劇ドラマを思い出し悲しくなるものだ。
神谷町の元会社で、打合せ。年内どこまで詰められるか。
学校で、講義は終わっているが、冬休みに入る前に、来年のイベントのことで詰めることは山のようにある筈が誰もいない。終業式の明日に順延だが(苦笑)。
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