角川シネマ新宿で、大雷蔵祭。
55年大映京都溝口健二監督『新・平家物語(710)』
800年前、平安朝末期、一部の貴族や寺院に租税免除の領地、すなわち荘園を認めたことで、国の収入は減り、世は乱れた。正そうとした白河上皇は、そうした領地を召し上げようとしたが、貴族や寺院はまだ幼い帝を突き上げて、自分たちの利権を守ろうとしたため、権力は、帝と上皇の二重構造となった。保延六年、1137年京の都が舞台である。市が立っている。今日も米の値が上がり、女たちは、以前の値段で売ってくれと頼むが商人たちは聞く訳もない。戦が始まると刀や武具を売る者、ここの者はみな不安を感じているのだ。「西方征伐から、平家が帰ってきたぞ!!」と叫ぶ者があり、人の流れが変わった。西方で荒らし回っていた海賊を治めに行っていた平?の軍勢の行列だ。道の反対から、比叡山の僧兵たちの行列がやってくる。桓武以来の帝を安置し、また祈祷をする叡山はかなりの僧兵を組織し、権勢を欲しいままにしていた。当時、武士は地下人であり、公家、寺院の番犬と蔑まれていた。
溝口らしからぬスペクタクルなモブシーンの数々。大作映画の醍醐味は、やはり大映にあったのか。決して歴史に残る傑作とは言えないかもしれないが、日本映画のスケールを認識する上で、凄い規模の作品だ。
61年大映京都森一生監督『新源氏物語(711)』
帝のお使いが出たと女御たちが騒いでいる。今宵の相手を呼びに行くのだ。「半年もお召しがない…。」「今宵も、藤壺の君だわ」「帝にあれだけ申し上げたのに…。」「あの女も女じゃ」「身分の卑しいくせに、わきまえもせず。」
藤壺(寿美花代)が女御に伴われ、帝の寝所に出向く途中、異様に臭い部屋に閉じ込められる。腐った魚の油が撒かれた部屋で滑った藤壺は着物を汚す。心無い女たちからのイジメに泣く藤壺。
それでも、藤壺への帝の寵愛は続き、帝の子を身ごもった。訪ねてきた母親に、こんな恐ろしいところで御子を産みたくないと泣いてら実家に帰る藤壺。珠のように美しい男子光の君を産んだ。帝は、光の君に、源氏と言う姓を与え臣下とした。しかし、産後の日立ち悪く藤壺は、光の君の行く末を案じなら亡くなった。
宮中に、美しく成長した光源氏(市川雷蔵)の姿がある。女官、女御たちは、うっとりとその姿を見つめる。しかし、光源氏は、美しく女性の姿に目を奪われる。帝は、藤壺への想いを断ち切れず、藤壺に生き写しの桐壺の君(寿美花代)を寵愛していると言う。母の藤壺の生き写しと聞いて、桐壺に強い憧れを覚える光源氏。
58年大映京都市川崑監督『炎上(712)』
京都府警の取調室、「溝口吾一、21才、古谷大3年、京都市下京区究円寺。それなら、修閣寺の大事さわかっとるやろ。近くの裏山で、睡眠薬を飲み倒れているところを発見され病院で胃洗浄され、また胸に二カ所の刺し傷があったと…。究円寺の徒弟なら、国宝の驟閣を焼くことの大変さは分る筈だな。」何も喋らない溝口。「お前な、今日は、検事さんも刑事部長もいらっしゃるんだから、すっきりしてしまえ」検事(水原浩一)「黙秘権か?憲法が変わってからの制度だが、初犯なのに、どうして知っているんだ。誰かに聞いたのか?」
数年前まだ戦中のこと、詰め襟を着た溝口が、究円寺の巨大な山門の前にやって来る。食事の支度をしていた典座(大崎四郎)が、出てくると手紙を渡す溝口。そこに副司(信欣二)が帰ってくる。典座「老師宛てのお客さんだっせ」副司は、その手紙を受け取り、老師さまには私から話をしようと言う。田山道詮老師(中村鴈治郎)は、化粧水を顔に塗り鏡を見ている。そこに、徒弟が食事を運んでくる。化粧用具一式を隠す道詮。その後、副司がやって来る。「この手紙が届きました」鋏で封筒を切り手紙を読む老師。「この者は?」「すぐそこに待たせてあります」「直ぐに呼びなさい」「そうか、溝口の息子か…。君のお父さんとは、修行を一緒にしたのだ。そうか…亡くなったとは知らなかった。胸の病か?」頷く溝口吾一。「この手紙が遺書になってしまったのか…。分かった。心配しなくてよい。君のこれからは私が責任を持つ。お父さんの願い通り、徒弟として、ここにいればよい。」深々と頭を下げる吾一。
副司が吾一に「いつまでここにいるんだ。控えなさい」と退けた後、老師に詰め寄りまくし立てる。「この寺の細々したことは、本寺から私に任されていることではありませんか
。例え徒弟とはいえ、私に相談もなく、今の若者を取るとは、如何なものですか!!今日?に赤紙が来て、子供以外どんどんいなくなるこの寺の後継を考えなくてはなりません。先日私の倅を徒弟にとお話した時に老師は了解しなかった。それなのに父親が同拝と言うだけで決断されるとは納得が行きません!!」「確かにこのご時世、この寺は年寄りと子供だけになっている。しかし、知り合いの子供だからと言って後継になどと私は考えたこともない。適任者がいなければ、ご本山にお返しするだけです」副司落ち着いて、「お見苦しいところをお見せしました。こんなことで興奮する私は、人物が出来ていないのです。申し訳ありません。」
67年大映京都増村保造監督『華岡青洲の妻(713)』
加恵が初めて、於継(高峰秀子)の姿を見たのは8歳のことだった。乳母のたみ(浪花千栄子)と一緒だった。華岡家の嫁の於継は、美しいだけでなく世にも賢い女やとみな褒め称えていた。ところが、於継の夫で外科医の華岡直道(伊藤雄之助)は身だしなみに拘らず、腕はいいが変人だと思われていた。しかし、加恵の隠居した祖父(南部彰三)は、直道の法螺話を喜んできいていた。「ほんまにあんたと於継さんは月とすっぽんやな。」と祖父が言うと、直道は笑いながら「随分前からワシは於継に目をつけていたが、大地主の箱入り娘、貧乏医師のわしが貰える訳もなかった。しかし、あれが16の時、重い皮膚病になり、あらゆる医師に見せたが直すことはできなかった。そこでワシは紀ノ川を渡ったんや。もし、この病を治したら嫁にくれと言って乗り込んだ。もちろん、自分には大阪で学んだ南蛮医術を使えば治すことができると思っていた。自分の腕で、ワシはあれを手に入れたんだ。」豪快に笑う直道。「お前さんの自慢話を聞いているのが、私の体に一番いいようだ。」しかし、祖父は暫くして亡くなった。脳溢血だった。
その祖父の葬式で私は再び於継を見た。焼香に現れた於継に見とれる加恵。じっと見ていると、眼が合ってしまい、眼を反らす加恵。
それから、3年後の晩春、於継が、加恵の家を訪ねてきた。地侍を束ね、大庄屋を務める妹背さまとしては、身分違いだと思われるかもしれませんが、こちらの加恵様をうちの雲平の嫁に頂きたくお邪魔させていただきました。
紀伊国近郷地頭頭、大庄屋妹背佐次兵衛(内藤武敏)妻(丹阿弥谷津子)加恵(若尾文子)乳母(浪花千栄子)嫁雲平(市川雷蔵)妹於勝(原知佐子)
夜は元会社の同僚たちと忘年会で、新宿手羽先。
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