2009年11月1日日曜日

仁義なき太宰治。

   久し振りの実家での朝。昨日喋り続けたせいか、声が枯れている(苦笑)。
   母親はフォークダンスの発表会があると言って、サウンドオブミュージックの民族衣装のような可愛い刺繍の入ったブラウスを来て、朝早く出掛けて行った。今月末に論文集を出版すると張り切っている父親が、小金井まで出ると言うので、昼頃、2人で豊田駅から中央線特別快速に乗る。

     池袋新文芸坐で、映画夫婦渡世 中原早苗&深作欣二

     澤井信一郎監督、深作建太監督山根貞夫氏のトークショー。自分の聞き間違えでなければ、澤井監督の、最近の映画は構図を決めて、その中で役者が演技するようで、映画的というより演劇的だといった言葉が、物凄く腑に落ちた。

   73年東映京都深作欣二監督『仁義なき戦い(620)』


    学生時代に見たフィルムはどれもこれもかなり傷だらけだったので、何だか不思議な気がするくらいいい状態のプリントで、雰囲気が出ない(笑)。が、改めて見て、やっぱりそれまでのやくざ映画とは全く趣のことなり、凄惨な暴力と権力欲を、殺伐と、畳み掛けるように描いて行く実録路線は、やはり衝撃的だったと思う。ある意味、日本版アメリカンニューシネマ(笑)はここにある。救いのなさ、削ぎ落とされた情感、60年代後半の学生紛争の高揚感と、敗北感に打ちひしがれた70年代初頭の気分は、東映やくざ映画を変えたのだろうか。

   64年東映東京深作欣二監督『狼と豚と人間(621)』
   黒く汚い海に面した街がある。そこは、人間が住むようなところではなく、掃き溜めで、ブタ小屋のようなところだ。黒木市郎(三國連太郎)次郎(高倉健)三郎(北小路欣也)の三人兄弟は父親を早くに亡くした。しかし10年前に市郎が、5年前に次朗が、僅かばかりの米代を盗んで逃げ出し、三郎が母親(近衛秀子)の面倒を最後まで見た。次朗は、相棒の水原(江原真二郎)と組んで這い上がるために何でもやったが、結局街を仕切る岩崎組に潰されて、刑務所に入っていた。三兄弟の母親が亡くなり、位牌と遺体を三郎と仲間たちは3輪トラックに載せ火葬場に向かう。そこに三日前出所した次郎がやってくる。出所後直ぐに来れば死に目に会えたかもしれねえなと言う次郎を冷たい目で睨んでトラックを出させる三郎。
     開店祝いの花が並ぶクラブ・フェニックスの前に車が止まり、後部座席から市郎が降りてくる。支配人、社長がお見えですといわれ、社長の岩崎(沢彰謙)たちの前に立つ市郎。「なかなかいい店だ。お前にこんなセンスがあるとは思わなかったぜ」と岩崎は誉めるが、2日前に次朗が出所してきたことは知っているかと言われ、緊張した表情の市郎。お前の弟たちを目の届く場所で落ち着いていらせるか、金を出して旅に出すか、それがお前が今のお前の地位を守る唯一の方法だと言う岩崎。そこに、三郎が遺骨を持ってやってくる。なんだ嫌がらせかと言う市郎に、お袋の骨だと答える三郎。おまえ何で知らせなかったと言われ、生きていた時に捨てたくせに、死んでから会いに来るのはおかしいだろと言う。市朗は、言葉を失うが、金を取り出し、どこかの寺に預かってもらえと言う。
    海へ母親の遺骨を投げ捨てる三郎と仲間の姿がある。タケシ(岡崎次朗)アキラ(泗水誠一)イサオ(越前谷政二)ヒロシ(石橋蓮司)マコ(志麻ひろ子)は皆この街で育ったのだ。流れていく遺骨の白い箱を見ながら、よく2年間寝たきりの母親の面倒をみたなとサブを褒め、この街を出て、自由になりたいと口々に言う。
   その頃、次郎は、金持ちの爺さんの妾の女、杏子(中原早苗)のマンションにいた。次郎は杏子のヒモだ。海を見ながら、あの向こうにある国に脱出して自由になりたいと言う。そして、明後日2000万を手に入れる算段がある。その金を持って一緒に海外に行こうと誘い、杏子も、その賭けに乗ることにした。


西村(春日俊二)野田(菅沼正)木村(室田日出男)鞄を持った男(八名信夫)

   テアトル新宿で、冨永昌敬監督『パンドラの匣(622)』

  1945年、井戸端の桶に顔を付けている小柴利助(染谷将太)。利助の母親(洞口依子)が、「あらあら、利助何をしているの・・・?」てな調子で声を掛ける。利助は身体が弱く。太平洋戦争中の子供としては、圧倒的なコンプレックスを抱いていた。そんな役にたたない自分の身体を苛めるように、田畑を耕し、芋や南瓜を育てようとしていた。時々喀血をしていたが、家族には内緒にし、密かに倒れて死んでしまえばいいと思っていたのだ。
  しかし、その年の8月15日、ラジオからは玉音放送が流れた。何だか拍子抜けをした利助は、喀血する。母を呼ぶが、天皇陛下がお話になっているのです、後にしなさいと窘める母。「僕が吐血したのです。」と言うと、ようやく母親は「まあ。」と答える。
  山奥に久坂健康道場がある。そこは、結核患者の療養施設だった。利助は入場し、「ひばり」というあだ名をもらう。その日は、回復した西脇つくし(窪塚洋介)が退院する日だった。「頑張れよ。」「よしきた。」「やっとるか?」「やっとるで。」というやりとりと、患者、職員をあだ名で呼ぶこと、そして独自の治療法が施されていた。助手のマァ坊こと三浦正子(仲里依紗)は、涙を浮かべている。つくしが向かうバス停に向かって走るバスに、気だるそうに眠っている女(川上未映子)の姿がある。「次は、久坂療養所前」と、バスガールが言う。
  つくしは、バス停までの道で、女と擦れ違う。美しい女に振り返るつくし。患者たちと職員に、新しい組長として、大阪にある鶴島健康道場からやってきたと竹中静子としてバスの女が紹介される。男たちは、竹やんと呼ばれることになった関西弁の女に関心を持つ。ひばりは、桜の間で同室で年配の越後獅子(小田豊)や、かっぽれ(杉山彦々)、冷奴らが批評しているのには加わらない。つくしを恋しがるマァ坊に言われ、手紙を書く。新しく来た竹やんという組長は大きくて堂々としている年増女で、特別美人ではないとか、日常の出来事を書き綴るひばり。

   太宰治生誕百年映画化2本目。予告編で流れた、妙に大作アピールをする「人間失格」は非常に心配だ(笑)。映画ファーストデイのせいか、お客さんは結構入っている。自画自賛が過ぎるパンフレットは辟易だが、映画自体は悪くない。監督、製作、撮影など皆若いのに、昭和の時代を出すのに頑張っている。一言文句をいえば、廃校になっている学校を使うにあたって、もう少し、丁寧に掃除をして、古いけど清潔な感じを出していると満点だった気がする。不安なような安心なような菊地成孔の音楽がいい。川上未映子と仲里依紗、KIKI、洞口依子と女優が好みの芯を食っているのが一番かもしれない。川上未映子が、何故かボブのカツラを一度脱いでまた被るのがいいなあ。

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