55年東宝青柳信雄監督『制服の乙女たち(561)』
武蔵野にある女子高平和学園、音楽室からピアノの前奏が聞こえて来る。独唱するのは、二年の峯村知子(雪村いづみ)、曲はアーニーローリー、澄んで伸びやかに歌いきると、南先生(岡村文子)も満足そうに頷く。しかし、クラスメートの歓声と拍手が止まらないので、音楽の授業は演奏会ではありませんと注意する。次の生徒に歌わせる前に鐘が鳴り、終業を告げた。知子は、グローブとボールを持ち校庭に出て、三年の三宅京子(青山京子)にキャッチボールをしようと声を掛ける。そこにガマ先生(森川信)がやって来たので、慌てて、グローブとボールを後ろに隠す。しかし、ガマ先生は、回れ右と号令を掛けて、取り上げられ、「また、君たちか。女の子なのにキャッチボールはいけない。君たちは成績は一番なのに、窓ガラスをいつも割って」とお小言を頂戴する。しかし、二人は懲りずにボールだけで、キャッチボールを続ける。
その頃応接室では会議が開かれている。学校の有力支援者である藤原財閥の当主藤原金作(小川虎之助)と奥方の雅江(一の宮あつ子)が来て、ロンドンで勉学を修めていた息子の秀也が10年振りに帰国するので嫁選びをしたいとの申し入れだ。校長の峯村鶴代(吉川満子)は、夫で理事長の大造(十朱久雄)に、全校で優秀な生徒が記録されたホワイトリストを持って来させる。そこに上がっている5人であれば、文句なく推薦出来るでしょうと言う。2年の峯村知子は、学年一番。校長と理事長の一人娘だ。みな口々に校長と理事長の血を引いた知子さんなら文句なしでしょうと言うが、満更でもない表情ながらも、こういうことは民主的に進めませんとと言う。3年の一番は、三宅京子だ。京子の父親は大きな貿易会社を経営していたが、戦争で両親を亡くし、寿司屋を営む叔父(藤原釜足)夫妻に引き取られた。
そこに、知子京子のボールが飛び込んで来て窓ガラスを割る。教頭の小野(牧壮吉)が、後で職員室に来るようにと言った。
藤原夫妻を玄関まで送り、校長と理事長は、娘の知子が藤原財閥に嫁げば、学園経営が盤石になると、早くもその気になっている。藤原財閥の令息の嫁取り話は、学園中の噂になっている。職員室でも、生徒たちの間でも、やれ峯村知子がいいとか三宅京子がと喧しい。
当の京子と知子は、教頭に叱られ、そんなことでは、藤原財閥の嫁選びには残らないぞと言われる。そんなことは気にする二人ではないが、今後は、風紀を重んじて厳しくするという話に前校長で、知子の祖母の白鳥先生(東山千栄子)が作った自由でのびのびとした校風が台無しになることに気が滅入る。二人は学園寮で同室だったが、京子は今日はお稽古があると出掛けて行く。知子は音楽部の練習だ。部員たちは、藤原財閥の噂で賑やかだが、知子は練習をちゃんとしようと言って、部員の演奏に合わせてジャズを歌う。
その日の夕食後、副委員長の?が、学校から、寮の風紀の締め付けで、門限9時、消灯10時、寮監を常駐させると連絡が来ていると告げる。勿論寮生たちは、みんな大反対だ。取り敢えず、委員長の京子がまだ帰っていないので、週末に寮生の意見を纏めることになる。京子は、その日柔道の稽古だった。学校のストレスを汗で流し、叔父さんの店で、思う存分寿司を食べた。
京子は、寮に戻ると、知子が用意してくれた縄梯子で二階の部屋に登る。お土産の寿司の折り詰めを受け取った知子は、学園の校風がどんどん改悪されていく現実を祖母に手紙で知らせようかと、京子に相談する。日曜日に、校長理事長夫婦は、藤原家に挨拶に出掛ける。PTA会長の?が既に来ていた。藤原金作は、息子は内気な性格で、派手に出迎えに来てくれるなと言っているので、我々も羽田には行かないつもりだと言う。しかし、PTA会長も理事長も、生徒教員父母総出で盛大にお出迎えますと約束する。
羽田空港には、藤原秀也さんお帰りなさいと書かれた大段幕と生徒、教職員総出の団体が小旗を振って待ち受けている。その時、南が京子がいないことに気付く。機内で、藤原秀也(石原忠)が菅野康介(小林桂樹)に、打合せ通り僕の身代わりになって下さいねと頼んでいる。菅野は東朝新聞のロンドン特派員で秀也の信頼する先輩で親友だ。菅野は、サングラスを掛け「1日だけの財閥の御曹司も悪くない、1日俺の言うことを聞け」と結構その気だ。
菅野が片手を挙げ、飛行機のタラップを降りると、女学生が押しかけ、菅野はもみくちゃだ。秀也は、藤原家の執事の山田(沢村いき雄)に、あの男に「おぼっちゃま」と声を掛けて藤原家の迎えの自動車に乗せるように言う。山田がその通りにしたので、騒ぎに拍車がかかるが、菅野と秀也は何とか車に乗り逃げることが出来たが、哀れ、山田は女生徒たちにもみくちゃになって、取り残される。
車の後部座席で、「いやあ、大変だったな。」「先輩、だから嫌になるんですよ。」「約束通り、今日は1日、言うとおりにしてもらうよ。」
京子の叔父の寿司屋のカウンターに、菅野と秀也の姿がある。いや、10年振りに日本に帰ってきて、やっぱり寿司を食べたかったんだとご満悦の菅野。カウンターの中には京子の姿もあり、握ってみせるが、玄人はだしの腕だ。叔父の正吉が、藤原秀也さんの出迎えサボって拙かったんじゃないかと心配する。そんな金持ちっていうだけの人なんて嫌いだからと吐き捨てる京子に、菅野を秀也だと紹介する秀也。正吉は青い顔をして「こりゃ、大変失礼しました。京子お詫びしろ。」と言うが、京子はおかしいことは言っていないと言う。
菅野も秀也は、財閥の御曹司というだけでの、あの熱烈歓迎に辟易していたので、逆に京子に好感を持った。菅野は、君の名前はなんて言うのと尋ねるが、何も答えない京子。そこで恐縮しきった正吉が「いや、三宅京子と言って、私の姪です。同じ女学校を出た姉がいるんですが、ピアノを勉強しに行くんだと言って、海外に行ったものの無しの礫で、どこでどうしているものやら・・・」と答えると、「三宅さん・・・・。」と菅野は何かを考えているかのようだ。やっぱり、食べモノも女性も日本だなあと菅野は笑う。そして、久し振りの日本観光の案内をしてくれないかと言いだした。財閥の御曹司が気に入らない京子は断るが、この機会に姪の京子を幸せにと思う正吉はご案内しなさいと言う。では、私の案内したいところに行くのでもいいですかと京子は笑う。
柔道場、菅野は京子に幾度も投げられ、足元がふらついている。では次に「菅野さんも」と秀也を誘う京子。いや僕はと言うが、簡単に投げられる。一度で参りましたと言う京子。菅野は、秀也に少なくとも彼女は、財閥の御曹司ではなく、君自身に好意を抱いたようだなと言う。
知子は、郵便局の前で、掃き掃除をしているボーイフレンドの三郎(江原達治)に出会い、借りていた探偵小説を返す。三郎は、探偵小説マニアだ。
とにかく、青山京子の姉役の河内桃子の美しさが秀逸だ。特撮映画の女優かテレビの母親役と思い込んでいた自分の不明を恥じ、私家版昭和女優番付、10月2日現在芦川いずみ永久横綱を抑えて、最高位に。若い時こんなに美しかったなんて!中学の時に好きだった女の子に似ているんだな・・・。ああ切ない(苦笑)。1950年代の東宝映画、河内桃子のフィルモグラフィで見ていかなくては。
ポレポレ東中野で、ラモーナ・ディアス監督『イメルダ(562)』
フィリピンの独裁大統領のフェルディナンド・マルコスの妻にして、8年間毎日履いても余る3000足の靴というくらいのイメージしかなかった自分には、いろいろなことを教えてくれる映画だ。多分彼女は、フィリピンに帰国、数々の訴追を受けながら、国民からは熱烈な歓迎を受け、下院議員に当選、その後、自分の娘が下院議員、息子が知事選挙に出馬(彼女的には当然当選)、著書を出版したことのプロモーションとして受けたドキュメンタリー映画かもしれない。
しかし、彼女が没落した名家の娘で、母を早くに亡くしたが、その美貌と美声を、マッカーサーによって見出され、ミス・マニラになり(実は、準ミスだったが、自ら市長に抗議し、その評決を覆させた)、抗日戦線の英雄だったマルコスと出会って11日目に電撃結婚、マルコスが大統領になり親米政府を作ったことで、ファーストレディとして君臨、権勢を誇ったが、軍事クーデターによってマルコス失脚、アメリカから見放され、ハワイに逃亡、不正蓄財した財産は、10億ドルとも100億ドルとも言われ、アメリカ政府からも訴追、マルコスは祖国に戻ることなくハワイで客死、イメルダはアメリカでの裁判で無罪を勝ち取って帰国・・・まるで橋田寿賀子の"おんな太閤記"か"おしん"のような女・波乱万丈伝だ。
女も男も美しく生まれたことは才能だなあ。本当にうらやましい(笑)。才能に恵まれ、その才能故にのし上がった人間は強い。イメルダの中では、何も疚しいことのない私が、親類や周りの人たちによって、いろいろな目に遭わされてきた。自分はこれだけ苦労してきたのだから、神は自分を天国に召すだろうと回顧する。何だか、30年位前の小説のタイトル「ダイヤモンドは傷つかない」という言葉を思い出す。世間には、美しい人間への絶対的な信仰、完璧な人間への憧憬ってあるからなあ。
代々木で、元上司と待ち合わせ、旗の台の事務所まで。友人N氏の元ボスへのプレゼンは、渾身の大リーグボールを、中日のオズマにあっけなく場外ホームランされた星飛雄馬のようだったが、元ボスの繰り出す知識の洪水を浴び続けると、何だか台風一過の青空のように清々しくなっていた(笑)
元会社系列のデザイン会社に少し顔を出し、八重洲で、高校時代からの友人がやっている異業種交流勉強会で11月の講師を頼まれ、その打合せ。自分でいいのだろうかと不安を感じながら、今学校の冒頭でやっている「デジタルが、エンターテインメントの何を変えたのか?」を中心に話をすることに。
私の講義を聞いてみたいと本当に思っている方が万が一いた場合は、11月11日の夜銀座で行われるので、こっそりメール下さい。
その頃応接室では会議が開かれている。
そこに、知子京子のボールが飛び込んで来て窓ガラスを割る。
藤原夫妻を玄関まで送り、校長と理事長は、
当の京子と知子は、教頭に叱られ、そんなことでは、
その日の夕食後、副委員長の?が、学校から、
京子は、寮に戻ると、
羽田空港には、
菅野が片手を挙げ、飛行機のタラップを降りると、女学生が押しかけ、菅野はもみくちゃだ。秀也は、藤原家の執事の山田(沢村いき雄)に、あの男に「おぼっちゃま」と声を掛けて藤原家の迎えの自動車に乗せるように言う。山田がその通りにしたので、騒ぎに拍車がかかるが、菅野と秀也は何とか車に乗り逃げることが出来たが、哀れ、山田は女生徒たちにもみくちゃになって、取り残される。
車の後部座席で、「いやあ、大変だったな。」「先輩、だから嫌になるんですよ。」「約束通り、今日は1日、言うとおりにしてもらうよ。」
京子の叔父の寿司屋のカウンターに、菅野と秀也の姿がある。いや、10年振りに日本に帰ってきて、やっぱり寿司を食べたかったんだとご満悦の菅野。カウンターの中には京子の姿もあり、握ってみせるが、玄人はだしの腕だ。叔父の正吉が、藤原秀也さんの出迎えサボって拙かったんじゃないかと心配する。そんな金持ちっていうだけの人なんて嫌いだからと吐き捨てる京子に、菅野を秀也だと紹介する秀也。正吉は青い顔をして「こりゃ、大変失礼しました。京子お詫びしろ。」と言うが、京子はおかしいことは言っていないと言う。
菅野も秀也は、財閥の御曹司というだけでの、あの熱烈歓迎に辟易していたので、逆に京子に好感を持った。菅野は、君の名前はなんて言うのと尋ねるが、何も答えない京子。そこで恐縮しきった正吉が「いや、三宅京子と言って、私の姪です。同じ女学校を出た姉がいるんですが、ピアノを勉強しに行くんだと言って、海外に行ったものの無しの礫で、どこでどうしているものやら・・・」と答えると、「三宅さん・・・・。」と菅野は何かを考えているかのようだ。やっぱり、食べモノも女性も日本だなあと菅野は笑う。そして、久し振りの日本観光の案内をしてくれないかと言いだした。財閥の御曹司が気に入らない京子は断るが、この機会に姪の京子を幸せにと思う正吉はご案内しなさいと言う。では、私の案内したいところに行くのでもいいですかと京子は笑う。
柔道場、菅野は京子に幾度も投げられ、足元がふらついている。では次に「菅野さんも」と秀也を誘う京子。いや僕はと言うが、簡単に投げられる。一度で参りましたと言う京子。菅野は、秀也に少なくとも彼女は、財閥の御曹司ではなく、君自身に好意を抱いたようだなと言う。
知子は、郵便局の前で、掃き掃除をしているボーイフレンドの三郎(江原達治)に出会い、借りていた探偵小説を返す。三郎は、探偵小説マニアだ。
とにかく、青山京子の姉役の河内桃子の美しさが秀逸だ。
ポレポレ東中野で、ラモーナ・ディアス監督『イメルダ(562)
フィリピンの独裁大統領のフェルディナンド・マルコスの妻にして、8年間毎日履いても余る3000足の靴というくらいのイメージしかなかった自分には、いろいろなことを教えてくれる映画だ。多分彼女は、フィリピンに帰国、数々の訴追を受けながら、国民からは熱烈な歓迎を受け、下院議員に当選、その後、自分の娘が下院議員、息子が知事選挙に出馬(彼女的には当然当選)、著書を出版したことのプロモーションとして受けたドキュメンタリー映画かもしれない。
しかし、彼女が没落した名家の娘で、母を早くに亡くしたが、その美貌と美声を、マッカーサーによって見出され、ミス・マニラになり(実は、準ミスだったが、自ら市長に抗議し、その評決を覆させた)、抗日戦線の英雄だったマルコスと出会って11日目に電撃結婚、マルコスが大統領になり親米政府を作ったことで、ファーストレディとして君臨、権勢を誇ったが、軍事クーデターによってマルコス失脚、アメリカから見放され、ハワイに逃亡、不正蓄財した財産は、10億ドルとも100億ドルとも言われ、アメリカ政府からも訴追、マルコスは祖国に戻ることなくハワイで客死、イメルダはアメリカでの裁判で無罪を勝ち取って帰国・・・まるで橋田寿賀子の"おんな太閤記"か"おしん"のような女・波乱万丈伝だ。
女も男も美しく生まれたことは才能だなあ。本当にうらやましい(笑)。才能に恵まれ、その才能故にのし上がった人間は強い。イメルダの中では、何も疚しいことのない私が、親類や周りの人たちによって、いろいろな目に遭わされてきた。自分はこれだけ苦労してきたのだから、神は自分を天国に召すだろうと回顧する。何だか、30年位前の小説のタイトル「ダイヤモンドは傷つかない」という言葉を思い出す。世間には、美しい人間への絶対的な信仰、完璧な人間への憧憬ってあるからなあ。
代々木で、元上司と待ち合わせ、旗の台の事務所まで。友人N氏の元ボスへのプレゼンは、渾身の大リーグボールを、中日のオズマにあっけなく場外ホームランされた星飛雄馬のようだったが、元ボスの繰り出す知識の洪水を浴び続けると、何だか台風一過の青空のように清々しくなっていた(笑)
元会社系列のデザイン会社に少し顔を出し、八重洲で、
私の講義を聞いてみたいと本当に思っている方が万が一いた場合は、11月11日の夜銀座で行われるので、こっそりメール下さい。
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