渋谷シアターNで、竹藤佳世監督『あがた森魚 ややデラックス(613)』
歌いながら、苛立ち、怒っているようなあがた森魚。「今日は、二千円だか三千円だか、みなさんは払って来てくれているんですが、極楽なのは、僕の方です。不甲斐ない作品でごめんなさい!!」絶叫してステージを降りる。店を出て、追い掛けてくるカメラに向かって「子供だよ!!ここに来て、今も子供だよ!!」と吐き捨てる。
釧路空港、到着口から出てくるあがた森魚。キャンピングカーが停まっている。この車で全国を回って行くのだ。
1948年生まれ60才を迎えるあがた森魚が、キャンピングカーで全国67カ所(結果としては4本増えたらしい)をツアーで廻り、最後は2009年2月に、九段会館で、鈴木慶一、矢野顕子、緑魔子、ムーンライダースと言うかはちみつぱいのメンバーなど仲間に囲まれた豪華コンサートを行い、翌日寝台特急北斗星で北海道に行くまでのドキュメンタリー。
あがたさんは、20数年前、元の会社で三枚程アルバムを出した時に、私は宣伝担当だった。もともとデビュー当時のファンだった私は手を挙げ、オリジナリティ溢れるタンゴをやっていたあがたさんと、とても楽しい仕事をさせて貰った。世は正にバブル時代、ガロや林静一の大正ロマンから昭和デカダン、全共闘世代の中央線文化な香りから始まり、あがた流ニューウェーブバンドのヴァージンVSを経た、あがたさんのタンゴは、世紀末感漂う90年代初めての気分にとっても合った。でもよく考えると、僕のちょうど10才年上のあがたさん、当時僕がギリギリ20代だったので、まだ30代だったんだな。今では50代と60代か。しかし、変わらぬエネルギーを拝見して刺激を受ける。
監督の竹藤は、10年ちょっと前彼女が広告代理店の若いクリエーター時代に何度か楽しく飲み(彼女は忘れているだろうが(笑))、映画への志しに強く打たれた自分は名前が出る度に、金を払って映画館に行っている。感謝しろ!!!竹藤(笑)!!
でも、「半身反義」、あがたさんとドキュメンタリーが続くが、あの内面をえぐり出すような青臭い前衛映画、また作ってほしいな。
昼から学校3コマ。3コマ目は、二人しかいない音楽誌編集専攻。一人が休みだったので、突如課外授業にして(笑)、
ヒューマントラストシネマ渋谷文化村で、2002年 ポール・ジャストマン監督『永遠のモータウン(614)』
モータウンレーベルの無数のヒット曲を作り出したスタジオミュージシャンたちファンク・ブラザーズ。
公開時以来だが、やっぱり最高だ。60年代から70年代のポップスは、スタジオから生まれていた。今、音楽はLDKかワンルームマンションから生まれている。孤独な一人の作業によって。必ずしも、毎回三人寄れば文殊の智恵だとは思わないが、色々な作り方が成立しないと、豊かな畑は生まれないだろう。
無理矢理見せた学生も良かったですねと温まっていた。来週、感想を提出しろと言ったが、覚えているだろうか(笑)。
夜は学生が企画するイベントの会場下見。それまで、外苑前の粥屋喜々で、酒を呑まずに、北陸でイベント会社を経営する後輩Kと、北陸のロック映画イベントの企画の打合せをしようとしていたら、特別企画のワイン飲み会だと言う。辛いなあ(苦笑)。ビールちょびっと、水を飲み飲み、早めに抜けて、代々木上原に。会場はなかなか素晴らしく、学生たちも、皆気に入ったようだ。戻ると、酔っ払いまみれで酷い状況に。気がついたら、終電ぎりぎりだ。
千駄ヶ谷まで、後輩Kと歩いていると、魔のトライアングル、ホープ軒が現れる。やめようなと語り合いながら、通り過ぎるも、次の交差点が赤だったので、引き返してしまう。案の定、食べた途端、ダメージが大きく、運命を呪いながら千駄ヶ谷駅。一人だからでなく、心の弱い人間は二人、三人と数が増えるほど、弱くなっていく。笑い話のようだ(笑)。
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