2009年8月2日日曜日

最も好きな邦画「砂の女」

  ラピュタ阿佐ヶ谷で、武満徹の映画音楽
   65年松竹大船篠田正浩監督『異聞猿飛佐助(444)』
  16世紀末、天下分け目の決戦、関ヶ原冬の陣は、東軍が勝ち、覇権は徳川の手に渡った。しかし、、14年後の慶長19年、西の大坂城に豊臣秀頼は健在であり、東西の情報戦は激化し、間諜にあたる乱破、隠密、忍者たちが暗躍した。
  信濃路を行く猿飛佐助(高橋幸治)の姿がある。関ヶ原で共に西軍に属した浪人稲村光秋(戸浦六宏)がしきりと後を付いてくる。

   篠田正浩がこんなお金の掛かった時代劇を作っていたなんてというところだが・・・。感想は改めて
  

   64年勅使河原プロダクション勅使河原宏監督『砂の女(445)』
   教師である仁木順平(岡田英治)は、3日間の休暇を取り、昆虫採集をしに、とある砂丘にやってきていた。村人(三井弘次)が声を掛ける。「調査ですか?」「いえ昆虫採集です」「本当に県庁の人でないのですか?」「僕は、学校の教師をしています」「先生をしているんですか・・・」。砂丘の昆虫たちと触れ合う気持ちの良さで、昼寝をする。家庭での妻との関係がうまくいっておらず、趣味の昆虫採集が日常からの逃避であるようなやりとりが挿入される。村人が声を掛け、既に上りのバスはないという。街まで歩くと答えるが、村人の勧めで、泊めて貰うことにする。
   村人は、砂丘の谷底にある一軒に仁木を案内すると、「ばあさん、さっき話したお客さんだ」と声を掛け、縄梯子を降りるように言った。ばあさんと言ったが、下の家には女が一人しかいない。更に、助っ人の分の道具だと上から声が掛かる。家の中は砂だらけだ。汗をかいたので風呂に入りたいというが、明後日まで待ってもらえないかと答える女。水は貴重らしい。電気も通っていなので、ランプが一つあるきりだ。男は女と、木喰い虫の話をする。男は白蟻かと思ったが、どうも違うらしい。更に砂が木材を腐らせるという女の話は、砂とは乾燥したものだという男の常識とは噛み合わない。
   夕食は、焼き魚(鯛)と浅蜊の味噌汁。ご飯を何杯もお替りする男。男の食事が終わると、女は砂掻きをするという。夜の方が、砂に湿り気があるので、いいのだと言う。女が搔いた砂を上にいる村人たちが引き上げる。この村は郷土への愛が強いのだと言う。女がこの砂を搔かないと、隣の家が砂で潰れてしまうのだと言う。女の夫と娘は砂が崩れて、死んだと言う。一晩のつもりでいる男はどうも納得はできないものの、手伝おうかと言うが、今日はいいと言われる。水を飲もうと思って探すと、大きな甕に入った汚いものしかない。その水で、嗽をし、顔を洗って眠る男。
   翌日、男が起きると、既に11時近い。女は裸で寝ている。声を掛けようか迷いながら身支度をして、よく眠っている女に気を遣い金を置き、帰ろうとすると、昨日の縄梯子がない。これではこの擂鉢の底からは出ることは叶わない。女を起こし、村人に話してくれと詰め寄ると、言いにくそうに、女一人では砂掻きは無理なんですと言う。騙されたと知った男は、砂の壁を這い上がろうと試みるが、不可能だ。


  何年振りだろうか。やはりいいなあ。乾いてサラサラしているだけでなく、湿って重たい砂の質感と匂い、時に流れ、時に淀む空気、やはりスクリーンでないと感じることはできない。安部公房の原作含め、誰もがこの根底に流れるものを、語りたくなってしまうが、トワイライトゾーンやウルトラQのようなSFエンタテインメントとして、そのまま楽しんでいいんじゃないかと、改めて思う。勅使河原宏作品の中で、最も分かりやすいものだという恥ずかしい自説、ちょっと不安だったが、改めて思う。自分も初めて見た時はガキだったが、少年少女に見て欲しい。昨日見た「蟹工船」の百倍ヤバイと思う。

0 件のコメント: