2008年10月26日日曜日

渡世人新旧。

   またまた池袋新文芸坐で加藤泰監督特集。
    66年東映京都『沓掛時次郎 遊侠一匹(219)』。長谷川伸原作。沓掛の時次郎(中村錦之助)は、舎弟の三下、身延の朝吉(渥美清)と渡世の旅をしている。佐原の寛蔵親分の賭場で親分の一人娘で観音菩薩の刺青を背負ったお葉(弓恵子)と出会う。一方、朝吉は時次郎に貰った銭で、あいまい宿の豪快な女郎お松(三原葉子)と一夜を過ごした。寛蔵親分は中気で娘のお葉が一家を仕切っており、二人は客分として丁重に迎えられるが、時次郎は流れ者の自分たちを利用しようてしていることに気がつき、草鞋を履こうとする。朝吉は単身権六一家に殴り込んで返り討ちにあってしまう。朝吉の敵を討った時次郎だが、義理とは言え人を斬る暮らしに屈託を覚えている。だが、また次に草鞋を脱いだ鴻巣金兵ヱ衛一家で、六ッ太の三蔵(東千代之介)を斬る羽目に、いまわの際に三蔵は、妻おきぬ(池内淳子)と息子 太郎吉を託すのであった。母子を沓掛の叔父の元に預けようと三人で旅をする。初め夫を斬った時次郎を恨むおきぬだったが、次第に誠実な時次郎に心を許す。しかし、おきぬは旅先で倒れ、医者は、労咳に掛かっているのでここでしばらく静養せよという。冬を越え体調は戻ったが、おきぬは時次郎への想いと、自分たちのせいで時次郎が鴻巣一家に追われることに悩んで姿を消した。時次郎は必死で母子を探したが見つからないまま一年が過ぎた。高崎の八丁徳一家で草鞋を脱ぎ、宿屋でおきぬとの話を自分の友人の話として女将に語りながら酒を飲んでいると、母子の門付けがやってくる。果たしてそれはおきぬと太郎吉だった。しかしおきぬは寝付いてしまう。高い薬を買う金を工面するため、時次郎は、八丁徳の出入りに助太刀するのであった。
   割と早く死んじゃうのだが、渥美清やっぱりいいなあ。いきなりオープニングタイトルバックにかかって渥美清の声で「手前生国と発しますは信州でござんす。信州、信州と言っても些か広うござんす。信州は沓掛。朝に夕に竜王立ち昇る浅間の麓にござんす・・・」といきなり時次郎の啖呵が始まり「?」と思っていると、「兄貴の啖呵はいいなあ。そこってえと俺は~。手前生国と発しますは甲州でござんす。・・・・身延ってえと南無妙法蓮華経でござんす・・・。しまらねえなあ」と畳み掛けるように始まる。その後は波打ち際で、追っ手3人との斬り合い、いきなりの見せ場だ。
  62年東映京都『瞼の母(220)』勿論こちらも長谷川伸原作。余りに有名な話だが、番場の忠太郎は、5歳で母と生き別れ12歳で父親を亡くす。渡世人として日々を送りながら、顔も覚えていない母を捜している。忠太郎は舎弟の金町の半次郎(松方弘樹)に堅気になるよう諭していたが、親分の敵討ちで飯岡の助五郎を討とうとするのを止められず、仕方なしに助太刀する。半次郎を母親と妹おぬい(中原ひとみ)の元に帰すが、助五郎の一家が仕返しをしようとしているのを知り、金町で一家を迎え撃った。母を探して江戸に入った忠太郎は苦心の末、柳橋の料理茶屋水熊の女主人おはま(木暮実千代)が、母ではないかと突き止め名乗りを上げた。女一人で身代を築いたおはまは強請りたかりの類だと疑い、忠太郎が何を言っても信じない。次第に自分の子だと思い始めたが、一人娘お登世(大川恵子)の木綿問屋伊勢屋若旦那(河原崎長一郎)との縁談もあり、認めることはできなかった。忠太郎は涙をのんで水熊を後にするのであった。すれ違いでお登世たちが帰宅し、思い直した母と妹、義理の弟、店のものたちは忠太郎を必死に探す。その頃、忠太郎を助五郎一家の追っ手が取り囲んでいた。忠太郎は彼らに「親はいるか?子はいるか?」と聞き、全員返り討ちにする。母妹たちが、忠太郎の近くまで追いついた。自分の名を呼ぶ声を聞きながら、忠太郎はお尋ね者になった自分が名乗ることは出来ず、これからは、瞼を閉じれば母の顔を思い描くことは出来るのだと旅立つのであった。
  ある意味、分かりきったストーリーだが、夢にまで見た母を前にしての忠太郎の長台詞は、胸を打つ。今日の二本は、錦之助の役者としての充実を本当に感じる。勿論加藤泰のカメラアングルとカットの巧さ。見終わると溜め息が出る。
   渋谷TOEIで、いきなり綾瀬はるかの『ICHI(221)』(笑)。監督は『ピンポン』の曽利文彦。お市は、はなれ瞽女だが、仕込み杖の居合いの遣い手である。ある宿場に向かう途中浪人の藤平十馬(大沢(築地魚河岸三代目)たかお)に会う。十馬は、ある事情で刀を抜くことが出来ない 宿場は白川組長兵衛親分(柄本明)と息子の虎次(窪塚洋介)が仕切っていたが、万鬼党というならず者達に脅かされていた。万鬼(中村獅童)は劍の達人だったが、醜い顔故差別され世間を憎んでいた。小川組の賭場で市のアドバイスで大儲けした十馬を万鬼党が襲った時に、市が五人を一瞬にして倒すが、虎次は、十馬がやったと思って助っ人に雇う。八州廻りの役人が宿場にやってきた。長兵衛は、万鬼党の動きが抑えることを期待したが、万鬼党の伊蔵(竹内力)たちは、お構いなしに襲撃し、長兵衛を刺殺、八州廻りさえ目をつぶるよう脅すのであった。十馬は、刀を抜けず虎次たち白川組を大いに失望させるのだった。脚本は『大奥』の浅野妙子、撮影監督は『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』の橋本桂二。監督の曾利文彦を含めて、皆若い世代なので、テレビ時代劇とDVDで時代劇を観た世代。そういう意味では、時代劇という枠からは完全にはみ出ている。言葉も、昭和の言葉さえ、今の若者には通じないだろうから、分かる言葉を喋らすのは当然だ。しかし、残念ながら、劇場に若者は来ていなかった。マーケティングの失敗かもしれない。ただ映画そのものも、加藤泰を観てしまうと、やはり圧倒的に面白さに欠ける。柄本明が、重要な宿場町を仕切るやくざの親分というのは、嵐寛寿郎などを観てしまうと、圧倒的に軽い。何だか、やくざの親分というよりも、庄屋のようだ。『隠し砦の三悪人、THE LAST PRINCESS』もそうだったが、派手派手しく着飾った無法者たちはある種の非現実なので作れても、侍や町人の立ち振る舞いは違和感がある。そんな所作が出来る役者は圧倒的に少ないだろう。役者だけでなく、演出できる監督も。侍とか、殺陣を使ったアクション映画。昔はよかったとかという問題ではなく、残念ながら、時代劇というもののノウハウはどこにも無くなってしまったのかもしれない。うーむ。
   十馬、10歳位から刀を抜けないのなら、大小差さずに、木刀持つか、柔術でも習得しろ(苦笑)。中村獅童のメイクも、同じタイプの、加藤泰の『怪談 お岩の亡霊』のお岩の方が、はるかにすごかった。 最後に、十馬の着物を羽織った市が、襟に残った十馬の残り香を嗅ぐシーン、そのシーンは最高だった。
  青山で、友人のCMプランナー、コピーライター、デザイナーたちが、やっているフリーランス見本市にお邪魔する。10回目だという。クリエーターのジャンルというか表現するものがというか、どんどん広がっている気がする。面白いなあ。
  目黒ブルースアレイで、ブラスロックバンド、BLUFFのライブ。シカゴやタワー・オブ・パワーなどのカバーとオリジナル。このバンドは、Brass(tp×2、tb)とRhythm Section(Ds,Bassm,Keyboard)がレベル高い。

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