阿佐ヶ谷ラピュタで『硝子のジョニー~野獣のように見えて』と『霧の旗』。
『硝子の~』は62年日活製作蔵原惟繕監督。切ない映画だあなあ。芦川いずみ は、稚内の貧しい 昆布漁師の娘。父親は漁に出て拿捕され帰って来ない。少し精神の発達が遅れている彼女は、父親が自分たちを捨てて行き、また硝子のジョニーという何者かが自分をいつか助けに来ると信じている。貧しさから母親は彼女を売るが、客を取らされることを嫌い脱走、汽車の中で無賃乗車の彼女を助けたジョー(宍戸錠)を追いかけ函館に辿り着く。ジョーは腕のいい板前だったが、若手競輪選手に入れ込み予想屋をしている。そこに玉転がし(死語、女衒ですな)のアイ・ジョージが、彼女を取り戻しにやってくる。何度男に裏切られても、彼らをジョニーと思い込む彼女の純粋無垢な気持ちが男たちにとってかけがえのないものとなった時、しかし彼女は・・・。ボロを着て頭はグシャグシャ、泥だらけの顔の芦川いずみはなんて神々しく美しいんだろうか、愚かしい男達を受け入れ癒やしてくれる天女のような暗愚な女性。男の勝手な妄想でしかないだろう。
『霧の旗』は65年松竹山田洋次監督松本清張原作橋本忍脚本。強盗殺人の罪で裁判を受けるただ一人の肉親である兄の弁護を頼みに、熊本から娘(倍賞千恵子)が高名な弁護士(滝沢修)を訪ねてくるが、金を持たない彼女の願いは多忙を理由に断られる。確かに優秀で有名な弁護士は、金次第なところはあるだろうし、最高の弁護士に依頼したいという彼女の気持ちは分からないでもないが、管轄が熊本地裁だと経費がかかりすぎるし、時間も取られるので断ったら、お前のせいで兄が死んだと言われたと逆恨みして、身の破滅させられる弁護士は可哀想だな。松本清張らしい、恵まれた人間を地獄のどん底に叩き落とす社会派推理小説。倍賞千恵子の顔立ちが垢抜けないが、純真そうなだけに、後味悪いなあ。医者や法律家は、社会正義の為に滅私奉公すべきだという主張のようでいて、現実的には、他者の不幸、それも成功者の不幸は蜜の味という苦い話。
しかしこの二本の作品の主人公は、男のサディズムとマゾヒズム、相反する愛の形にそれぞれ対応する妄想上の女神かもしれない。
更に調子に乗って渋谷シネマヴェーラで浅丘ルリ子『嫉妬』『何か面白いことないか』。
71年松竹製作貞永方久監督『嫉妬』は、浅丘ルリ子が最も妖艶に女性としてピークだった頃なのだろう。大企業の経理課長の夫がバーのママと心中死する。睡眠薬を吐いて生き残った女(浅丘)を知ろうとバーに潜り込む妻(岩下志麻)。ママは、夫の会社の重役の愛人であり、重役の背任を知ったことで偽装されたのではないかという疑いが・・・。藤本義一の原作は多分フックも効いているサスペンスなんだろうが。映画の売りは岩下志麻と細川俊之との濃厚なラブシーンと浅丘VS岩下という女の対決に無理矢理持って行っていて、だれるなあ。浅丘ルリ子の超越した美しさのみの作品。
『何か面白いことないか』は63年日活。裕次郎ルリ子ものだが、蔵原惟繕監督は『憎いあんちくしょう』のようなパターン化した日活アクションに新しい風を吹かそうとしたものになっている。ネオリアリズモ、ヌーヴェルバーグなどのモノクロ映画のインサートだったり、マスコミや大衆に翻弄されるヒーロー、ヒロイン。ただテイストが一貫していた『憎い~』に比べると、何故かエンディングが唐突に、裕次郎ファンやルリ子ファンにおもねったようなそれぞれのアップと、分かり易過ぎる音楽になるのは大人の事情か(笑)。一年で裕次郎が明らかに太り始めていて、その後の太陽にほえろのボスなどを考えると、自分の免許証を見ているような気分に。
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