2009年12月25日金曜日

赤坂昔話

  朝一番で、大門の睡眠クリニック。昨日の成人病クリニックといい、中高年が集まる病院は、凄い人だ。予約制だし、ほとんど待たない病院だが、今日ばかりは通常の倍以上かかる。
  そして、元同僚と年内で閉店だと言う赤坂の成都酒家に。11時半についたが、既に殆ど席が埋まっていて、座っているお客さんに料理は全く出ていない。何とか、11時45分に着席し、料理が出てくるまでに45分。五目焼きそばを食べる。旨いなあ。
   成都酒家は、元会社が赤坂にあり、そこに新卒で入社した翌年の83年のことだろう(82年中は、研修と称して、当時その会社が作ったばかりの渋谷のライブハウスでウエイターをしていたので)。自分にとって、赤坂の四川料理というのはここだった。ランチの担担麺か夜の水餃子。生ビールサーバーが導入されるまで、ビールが小瓶しかなかったので、若造には夜の敷居は少し高かった。暫くして、領収書をきれるようになってから、アーティストやメディアの人間との会食で、ちょっといい竹コースの場合だったろうか。80年代から90年代初頭の赤坂は、バブルでもあり、サラリーマンが会社の金で飲む松の店か、自分の小遣いで飲む梅の店の両極しかなく、竹の店は少なかったなあ。今や梅か、番外の店ばっかりだ(苦笑)。いつも財布は空っぽだったが、カード可の梅~竹の店は本当に少なく、困った時の成都酒家だったかもしれない。まあ、そんな店が年内で閉店。11月末にその話を聞いて、何人かの元同僚と忘年会をやろうと言っていたが、夜の予約はもう一杯だと言われてしまっていた。80年代後半バブルによる地上げによってかなりの店が閉店し、バブルが弾けて松クラスの店がなくなり、この頃は経営者の高齢化によって閉店していく。20代の頃から行っていた店は、あと4、5軒になった。

0 件のコメント: