2009年12月8日火曜日

瀬戸の花嫁。

   午前中は、赤坂のメンタルクリニック。

   京橋フィルムセンターで、生誕百年 映画女優 田中絹代(2)
   54年大映京都溝口健二監督『噂の女(688)』
    京都の島原遊廓、老舗の置屋(茶屋でもあるようだ)、井筒屋の前にタクシーが停まる。降りてきたのは、女将の馬渕初子(田中絹代)と一人娘の雪子(久我美子)。雪子は、東京の音楽学校でピアノの勉強に行っていたが、男に捨てられ自殺未遂を図ったのだ。初子は、入り口で動かない雪子に、「なんや、上がらんかいな。自分ちやないか」お咲(浪花千栄子)は「お嬢はん、お帰りやす。」初子はお春(小林加奈枝)に「的場せんせ呼んで来てんか。あてが東京から帰ったと必ず言うんやで」診療所の青年医師的場を呼びにやらせた。
   女郎たちの部屋、「お嬢はんモダンでキレイやなあ」「そりゃ、そうやろ、音楽学校行ってるゆうし、」相生大夫(阿井三千子)「あてらが働いたお金で行っとんのやで…。」
薄雲太夫(橘公子)「田舎に帰ってみたいなあ、麦が実って、雲雀が啼いて…。妹、どないしとるやろな…。」
    的場謙三(大谷友右衛門)がやって来る。「どうでした?」「それがな…。やっぱり自殺しかけたんやで…。男に失恋したんや。そやそや、これこれ、お土産どすね。」ネクタイピンを箱から出し、的場のネクタイに付ける初子。「いやあ、雪子のことで肩が凝って…。ここ揉んでくれんか…。あー気持ちい。あの子ちょっと見たってんか?でも、勘の鋭い子やし、あてらの事気いつけてや。」

    池袋新文芸坐で、映画ファンが考えた2本立て
    54年松竹大船木下恵介監督『二十四の瞳(689)』
    瀬戸内海で、淡路島に次いで二番目に大きな島小豆島。~石切場、お遍路など~十年ひと昔と言うけれど、この物語の始まりは、ふた昔も前の話です。ここでは、四年生までが岬の分教場、五年生になって初めて、片道5キロの道を歩いて本校に通うことになるのです。
    昭和3年4月4日。五年生たちが、村の鍛冶屋を歌いながら歩いている。突然、おなごせんせ~い!!と呼んで走り出す。小林先生(高橋とよ)は結婚のため退職するのだ。「岬ともお別れ、あなたたちともお別れ。でも、あなたたちは、今日から本校に行くからいいじゃないの」「新しいおなご先生はいい先生?」「いい先生よ。大石先生と言うとってもいい先生よ。」「大きいのかい?」「いや、この間、本校でお会いしたけれど、私の肩位よ。私は小林でも大きいでしょ。」「大石じゃなくて、小石先生だ。」「あんたたち、私の時みたいに泣かそうと思ったで駄目よ。騒いでいても山から降りてきた猿か鳥だと思いなさいって言ったから、さあ学校に遅れるから、急いで!!さようなら!!」「いい嫁さんになれよ~。」
   子供たちが走っていると、自転車に乗った大石久子(高峰秀子)がベルを鳴らし、おはよう~と声を掛け追い抜いて行く。「おなごのくせに自転車に乗っとる。」「ごっついモダンガールやな」「ちょっとちょっと洋服着てた。」洋装で、自転車に乗り「おはようございます」と声を掛け走り抜ける新しいおなご先生は、岬の住人たちを驚かしたようだ。
    大石の自転車に集まる子供たちに、大石が職員室の窓から「みんな、そんなに自転車が珍しいの?乗せてあげようか?」と声を掛けると蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。分教場の男先生(笠智衆)に、「あたしの家は、あの煙突の近くなんです。自転車で50分掛かるのに、あんなに近く見えるんですよ」と気安く声を掛けると、?は、始業式の支度をしないといかんと独り言を言って、併設の官舎に行き水を飲む。妻(浦辺粂子)に「ああ困った。どうも女子高等師範を出たバリバリの先生は、イモ女を出た先生とは勝手が違うわ。」と愚痴る。

   小学生時分に、学校推奨映画として見たんだろう。ひねくれたガキにこんな長い映画落ち着いて鑑賞しろと言われても無理と言うものだ。更に、第1回文部省推奨映画と言うだけで、強い拒否反応だ。しかし、ようやく、しみじみとこの映画の良さを味わうことができた。50を過ぎて、やっと大人になりかけた哀しい自分。木下恵介と高峰秀子の凄さは、やっと判り始めたんだなあ(苦笑)。

   60年近代映画協会新藤兼人監督『裸の島(690)』
   瀬戸内海にある島々。段々畑が覆い尽くしている。
   ……耕して天に至る。……乾いた土。……限られた土地…「裸の島」……
   凪の海を漕いでくる小舟。櫓を漕ぐのは男(殿山泰司)、女(乙羽信子)も乗っている。薄暗い。舟をモやって、二人共、天秤棒に桶を下げ、陸に上がる。田圃の用水路から水を汲み上げ、舟に戻る。遠くで鶏が啼いている。帰りは女が漕いでいる。日が昇ってくる。進む先には、小さな島がある。岩だらけで、切り立っている。小さな男の子が二人走り回っている。木を集め釜を炊き、木の葉を山羊に与え、家鴨に餌をやる。両親の舟が見えたので、食事の支度を大急ぎで始める。
   夫婦は、水桶を担いで陸に上がる。天秤棒が撓り肩に食い込む。足元が悪く急な斜面を一歩一歩確かめるように登って行く。一旦家の前に起き、女は水瓶に水を移し、家族は質素な食事を取る。食器を片付けをするのももどかしく、上の子供はランドセルを背負い、舟への斜面を駆け降りる。妻は、空の水桶を下げて舟に戻り、漕ぎ始める。大きな島の小学校に子供を送り、自分は再び水を汲みに行くのだ。その頃、すでに夫は、島の天辺にあるさつま芋畑に、大事そうに一杯一杯水を撒く。乾いた土に、水は瞬く間に吸い込まれていく。夫婦の毎日は、大きな島に水を汲みに行き、小さな島の斜面を重い天秤棒を担いで登り、水を撒く。ひたすらこの気が遠くなるような繰り返しだ。

  これも海外の映画祭で賞を取った名作だと言って、見せられても、ガキには分からない。しかし、言葉さえ必要ない毎日の繰り返しが生活であること、40年振りに見ると味わい深いんだなあ。

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