2009年8月26日水曜日

両極端の映画2本。

  午後イチに、新宿で一件人に相談ごと。

    神保町シアターで、男優・佐田啓二
    57年松竹大船木下恵介監督『喜びも悲しみも幾年月(488)』
     昭和7年、観音崎灯台に続く道を有沢四郎(佐田啓二)ときよ子(高峰秀子)が登っている。下に見える国民学校で、子供たちが万歳を叫ぶ声が聞こえる。何があったんだろうか?日の丸が出ていないから祝日でもないしと二人は話す。灯台の手前で恥ずかしいから先に行ってと言うきよ子を残し、有沢は、中に入ると灯台員たちがラジオを聞いている。いよいよ上海で戦争が始まったらしい。台長の手塚(小林十九二)が有沢君と寄って来て、有沢の父親の不幸を慰める言葉を掛ける。有沢は実は女房を連れてきましたと告げる。葬式やら、開戦やら、結婚やら何でもある日だなと言う。灯台員の子供たちが万歳を叫ぶ。その夜、式を挙げ直ぐ夜行で信州を出て来たという二人のお祝いだ。しかし、有沢は今晩は当番だ。
    夜、灯台の上で、親や親類たちに手紙を書いている有沢に、きよ子がお茶を持って上がって来た。葬式の翌日に見合いをして直ぐに結婚したのだ。初めての新婚気分を味わう二人。しかし、灯台の狭い階段をカンテラを持ったきよ子が降りると、突然狂女(桜むつ子)が襲って来た。悲鳴を上げるきよ子。女は金牧次席(三井弘次)の妻だった。灯台員の過酷な生活の中、子供と二人で生活している時に、孤島で単身赴任する夫の浮気を妄想し、更に息子を事故で失ったため、発狂してしまったのだ。きよ子はショックだったが、どんなに過酷な赴任地でも、二人離れずに乗り越えて行こうて誓いあった。ひと月が過ぎ、手塚台長がきよ子に、ひと月前初めて見た時は、女学生のようだったが、もう随分と奥さんらしくなったねと声を掛ける。

   銀座シネパトスで、谷崎×エロス×アウ゛ァンギャルド 美の改革者 武智鉄二全集
   66年日活/源氏映画社武智鉄二監督『源氏物語(489)』
   光源氏(花ノ本寿)は、一度臣籍降下をして、源氏姓を名乗りながら自分の子冷泉帝の擁立により太政天皇に登りつめた。朱雀院の第三皇女の三の宮(柏美紗)を側室に迎え、その権勢は盤石かと思われた。しかし、三の宮は、柏木衛門督(中村孝雄)と密通をしていた。紫の上(浅丘ルリ子)に、三の宮が病で伏せっていて、女官たちの噂では、悪阻だと言われた。光源氏は、初めての宵以降、全く渡っていないと言うが、そんなあからさまな偽りを言うとはと、紫の上に責められる。嫉妬の余り、扇を引きちぎる紫の上。
   その時晩も、三の宮のもとに、柏木の中将が訪れていた。光源氏が現れたと聞いて慌てて逃げ出すが、光源氏は、柏木が三の宮に宛てた恋文を見つけてしまう。若い頃に犯した罪は自分に降りかかってくるのだと思う光源氏。
   少年時代の光源氏が、乳母の王命婦(月まち子)と宮中で遊んでいると、父桐壺帝(花川蝶十郎)の正室として上がる藤壺女御(芦川いずみ)を見掛ける。王命婦に寄れば、光源氏の亡き母桐壺更衣に瓜二つだと言う。幼心に、美しい藤壺女御に継母と言うより恋心を抱く光源氏。
   光源氏は、年上の熟女六条御息所(川口秀子)の下に通っていた。六条御息所は、年の離れた光源氏との関係に悩み続けながらも、別れられないと言う。その後紀伊の守を訪ねた時に、紀伊の守の父親の後妻の空蝉(松井康子)の寝所を覗く。中将(川口牡丹)を呼んでいるのをいいことに忍び込み、思いを遂げる。それだけでは済まず、再び忍び込んで、空蝉の継娘の軒端萩(紅千登世)とも一夜を共にする。その後、三条を訪れる際に通りかかった遊女夕顔(北条きく子)のところに身分を明かさず3ヶ月通い続けた。不景気という言葉や、生きるために働いている市井の人々の生活を知り、とても新鮮に感ずる光源氏。
  しかし、夕顔を荒れ果てた別荘に連れて行く光源氏。しかし、物の怪が現れ、夕顔は絶命する。光源氏は、空蝉により女も恋愛をすることを、夕顔により、女も生きる上で、恋愛をする権利を持つことを教えられる。夕顔の亡骸が運ばれて行くのを見た時に、光源氏の心に、藤壺女御への激しい想いが浮かび、抑えられなくなった。王命婦の下を訪ね、無理矢理藤壺女御に忍ぶ繋ぎを頼む。藤壺が宿下がりをした夜、王命婦の手引きで、寝所に忍び込む光源氏。藤壺女御は驚き、母として見て貰えぬかと言うが、聞く耳を 持たず、一途に想いを伝える光源氏に、一夜だけ受け入れる。
   その頃、加持の礼を高野の聖にお礼に出かけた際に、藤壺の姪にあたる紫の上という童女を見つける。紫の上を、自分好みの女に育て上げようと考える。
   たった一夜の逢瀬で、藤壺女御は懐妊し、男児を出産。喜んだ桐壺帝は、東宮を呼び出し、自分は直ぐに退位し、東宮に帝を禅譲するので、我が子を東宮にするよう求めた。ひょっとして、父の桐壺帝は、藤壺女御が産んだ男児が、自分の不義によるものだと知っているのではないかと思いショックを受けた光源氏は、藤壺女御の姿を求めて中宮を彷徨い歩き、東宮の許嫁である朧月夜(八代真矢子)と関係を持ってしまう。
   葵祭りの折、光源氏は晴れの役を得る。その姿を、正妻の葵の上(香月美奈子)は物見の車中から眺めていた。しかし、その陰で、葵の上を憎しみを持って見ているものがいたことを誰も知らなかった。葵の上の出産の日が来た。ひどい難産で、高僧や巫女たちが祈祷をするが、葵の上は苦しんでいる。高僧が物の怪を退散させ、やっと男児(本当は夕霧を産んだのだから女児な筈だが・・・)産んだが、亡くなってしまう。不審に思った光源氏が六条御息所を訪ねると、護摩の焚いた匂いがしている。六条御息所は夢を見ていたというが、その嫉妬の思いが、夕顔と葵の上を呪い殺したのだった。葵の上が亡くなったことで、紫の上が事実上の正妻となった。
   それから、父桐壺帝が崩御、更に六条御息所は、娘を連れて伊勢に下ると言う。光源氏から去っていったのは、それだけでは無かった。藤壷女御が剃髪して出家すると言う。何とか引き留めようとするが藤壷女御の決意は固かった。失意の余り、光源氏は、朧月夜との愛欲に溺れた。しかし、ある時朱雀帝(志賀山章)が朧月夜のもとに現れ、二人の不義は露呈する。
  結局、光源氏は、須磨に流されることになった。紫の上のもとに、財産の全ての目録を渡し、許されて戻る時まで、預かってほしいと頼む。牛車で下るのを見送ったのは、頭の中将(和田浩治)一人だった。互いの扇を交換し、必ず迎えに行くと声を掛ける頭の中将。
   須磨の暮らしに慣れた頃、地元の大名、明石の入道が、娘を連れてやってきた。明石の入道は、労働者を使って富を生みだし財産は持っているが、品性の卑しい下品な男だ。明石の入道が、京の教養を身に着けさせようとしているという娘の明石の上(川口小夜)も、作法どころか、琴も満足に弾けない無教養な女だ。しかし、そうした民の生きる力というものは、光源氏の心を慰める。しかし、ある時、雷鳴がなり、嵐の中、父桐壺帝の霊が現れた、自分の罪深さにこの海に身を投げたいほどだと言う光源氏に、桐壺帝の霊は、この没落した息子の姿を哀しみ、朱雀帝のもとを訪れて、約束したことと違うではないか、すぐに光源氏の謹慎を解けと迫った。あまりの怒りに、朱雀帝は恐れ、謹慎を解き、自分は仏門に入ったのだ。
   三の宮の出産を祝う宴会が開かれている。自ら過去に犯した罪が、自分の身に降りかかった人生の皮肉を感じながら、光源氏は柏木衛門督に、自分の杯を受けよと言う。男児の顔を見せ、お互いに目出度いわこの誕生ではありませんか、さあ御覧なさい、わこです。可愛いでしょう、私によく似ている、おや、あなたにも少し似ているかな、そんな筈はない、これが、年寄りの悪いくせです、すぐ酔い泣きをしてしまって、といい笑いだす光源氏。柏木衛門督と三の宮と、女官たちの顔面は蒼白だ。柏木衛門督は、宴席からよろよろと去っていく。苦悩し、心労が祟った柏木衛門督は、にわかに身罷った。三の宮も、臥せってしまった。父親に会いたいと言って、朱雀帝を呼び、私を尼にしてくださいと言う。お前は、あるお方が亡くなってからずっと、臥せってしまったねと言う光源氏に、私は、自分の意見で生き抜きたいのだ、そのために出家するのだと言う三の宮。
  紫の上も臥せっている。明石の上の娘の明石女御(山本陽子)を養女にして、今上天皇の中宮に上げたが、養母紫の上の身体を心配して宿下がりをしていたのだ。あなたを養女にしたのは、働く者のたくましい血を入れなければいけないと思ったからだと告白する紫の上。そこに光源氏が見舞いに現れる。気分が悪いので、下がってもらえまいかと光源氏に頼み、養女明石女御の手を取り、ああ、秋の風がすがすがしいことと言って、明石女御の腕の中で、紫の上は息絶えた。馬上の光源氏に、供の者たちが、煙が立ち上っていると声を掛ける。紫の上が大空に登っていくのだと言い、涙を流す光源氏。

  とても、不思議な作品だ。力作、それなりの大作だが、出来は決してよくはない(苦笑)。奇作、怪作と言う感じかもしれない。武智ピンク映画の女優陣と、浅丘ルリ子、芦川いずみという当時の日活の看板女優。昔のピンク映画的な小さな濡れ場と、大がかりなセット。中途半端なカメラアングル。スタジオシーンとロケシーンの明らかな質感な違い。時代がかった雅な台詞と、権利が・・とか、労働者が・・とか言った、どう考えても20世紀の話し言葉が混在する。役者たちの演技力もピンキリ、しかし、観れば観るほど、武智鉄二という人が何者なのか、何を撮りたかった映画監督なのか、監督への興味が増していくところが、何とも言えないなあ。何者なんだ!?

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