シネマヴェーラ渋谷で、神代辰巳レトロスペクティブ。
72年日活神代辰巳監督『一条さゆり 濡れた欲情(359)』
一条さゆりとラーメン屋の主人(小沢昭一)が連れ立って歩いて来る。男のラーメン屋に入ると客の一人がストリッパーがラーメン食べるんか?最近テレビやら出て偉そうちゃうんか、われーと絡んで来る。ストリッパーかて普通の人間やラーメン食べたかてええんちゃいますか?テレビは、テレビ局の人に出て欲しと言われるさかい出てるんです。ラーメン屋の主人が、あいつはこれもんやさかい相手にせんときと言うが、店の中では、周りの人に迷惑やさかいでましょうと言う一条さゆり。
天六から野田行きの阪神電車、野田駅で、ストリッパーのハルミ(伊佐山ひろ子)とヒモの男がやってくる。男はかなり大きなジュラルミンの衣装ボックスを引きずっている。劇場に向かいながら、ハルミはそいつか俺かどっちを取るんだと問い掛ける。私はどっちも好きで選べないので、男同士話し合って、どうするか決めて欲しいのだと言う。あの人がこんなに早く出所するとは思ってなかったんよ、じゃあこの喫茶店で待ち合わせしているので、私が劇場の社長に挨拶してくるまでに、決めといてな、あの人キレると人殺しでも見境ないけど、普段はおとなし人なんよと言う。劇場で挨拶し、ジュラルミンケースを置いて喫茶店に戻ると男はいない。逃げたのだ。
ハルミが泣いていると、大吉(粟津號)やってくる。ムショの三年間お前のこと忘れたことなかったで、お前泣いてんのんか?待たせて悪かったな、そんなに喜んでくれてワシもホンマ嬉しいわと、勘違いしている?。しかし、結局劇場に戻りながら、元のサヤにぁさまる。大吉に社長にきちんと挨拶してやと言って楽屋に行くと、まり(白川和子)が、あんたが楽屋に荷物を置いて外出したら、一条さんの鏡に「一条さゆりに気を許すな、足元をすくわれる」と口紅で落書きがあって一騒動あったと言う。私はそんなことはしないと否定するハルミ。劇場の社長に挨拶を済ませた?とラブホテルに行くハルミ。ムショの話ばかりする?に、私の父親は死刑囚だったので、刑務所の話を聞くと気が滅入って、セックスする気がせえへんようになるんよ。だから、あんたがムショに入ってから、気が滅入ってばかりで、あんたの代わりの男と浮気してしまったんよと言うハルミ。大吉は怒るが、三年間夢に見たハルミの身体を前にして許してしまう大吉。
79年東映京都神代辰巳監督『地獄(360)』
山崎ハコの歌が流れ、途中から地獄絵が映される。 天本英世のナレーション、人はいつか死ななければならない。・・・・・地獄は恐怖の夢である。人は今でもって地獄に追い掛けられて生きているのだ。昭和30年、脆い砂岩の嶮しい山を、登る男女の姿がある。逃げ続けて山小屋に身を隠す。女(原田美枝子)が男に、あの人が追って来る。私たちを殺しにくるわと言う。ライフルを持ち山を登る雲平(田中邦衛)の姿がある。生形竜造(西田健)は、血肉を分けた兄弟だ、兄である俺が土下座をして頼めばお前と子供の命だけは助けてくれるだろうと竜造。しかし、ミホは、雲平が許してくれてもシマは許してくれないだろうと言う。ミホは雲平の妻だった。しかし、雲平の兄の竜造と出来てしまい。竜造の子供を妊娠しているのだ。シマは竜造の妻だ。
神代が東映京都に呼ばれて作った作品だ。脚本は田中陽造、役者たちも文句のつけようもないメンバーだ。神代監督の演出は冴え渡っている。しかし、公開当時の印象は、新東宝のようなキワモノB級映画というものだった記憶しかない。昭和30年代のような特撮は、当時見ても愕然とした。
今日初めて調べてみると、特撮監督の矢島信男さんは、東映東京のテレビ番組では大活躍した人だったようだな。しかし、特撮の予算が少なかったのか、プロデューサーが不慣れで軽視してしまったのか、もったいない。実にもったいない。素晴らしい役者たちが、地獄で喘ぎ苦しむ演技がもったいない。岸田今日子と加藤嘉が、人間を擂り潰す石臼に、落されていく表情は、何だか一生忘れない気がする。撮影時のフィルムが残っていたとして、合成などを、CGでやり直したら、映画史に残る傑作になってしまうかもなんて妄想するのが、映画を観終わってから酒を飲む楽しみだったりする。
しかし、原田三枝子の凄さを再認識、先週上映された「ミスター・ミセス・ミス・ロンリー」観直せなかったことが、本当に悔やまれる。帰宅して、テレビをつけると、「刑事一代」をやっている。お母さん役の原田美枝子ではなく、アラ5になっても少女で女な原田美枝子を見たいなあ。
特撮研究所
72年日活神代辰巳監督『一条さゆり 濡れた欲情(359)』
一条さゆりとラーメン屋の主人(
天六から野田行きの阪神電車、野田駅で、ストリッパーのハルミ(
ハルミが泣いていると、大吉(粟津號)やってくる。
79年東映京都神代辰巳監督『地獄(360)』
山崎ハコの歌が流れ、途中から地獄絵が映される。 天本英世のナレーション、人はいつか死ななければならない。・・・・・地獄は恐怖の夢である。
神代が東映京都に呼ばれて作った作品だ。脚本は田中陽造、役者たちも文句のつけようもないメンバーだ。神代監督の演出は冴え渡っている。しかし、公開当時の印象は、新東宝のようなキワモノB級映画というものだった記憶しかない。昭和30年代のような特撮は、当時見ても愕然とした。
今日初めて調べてみると、特撮監督の矢島信男さんは、東映東京のテレビ番組では大活躍した人だったようだな。しかし、特撮の予算が少なかったのか、プロデューサーが不慣れで軽視してしまったのか、もったいない。実にもったいない。素晴らしい役者たちが、地獄で喘ぎ苦しむ演技がもったいない。岸田今日子と加藤嘉が、人間を擂り潰す石臼に、落されていく表情は、何だか一生忘れない気がする。撮影時のフィルムが残っていたとして、合成などを、CGでやり直したら、映画史に残る傑作になってしまうかもなんて妄想するのが、映画を観終わってから酒を飲む楽しみだったりする。
しかし、原田三枝子の凄さを再認識、先週上映された「ミスター・ミセス・ミス・ロンリー」観直せなかったことが、本当に悔やまれる。帰宅して、テレビをつけると、「刑事一代」をやっている。お母さん役の原田美枝子ではなく、アラ5になっても少女で女な原田美枝子を見たいなあ。
特撮研究所
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