53年大映東京吉村公三郎監督『千羽鶴(103)』。
三谷菊治(森雅之)は、栗本ちか子(杉村春子)の茶会に呼ばれ仏日庵に出掛ける。途中道を尋ねた美しい娘が千羽鶴の風呂敷包みを持っていた。実はその娘は、栗本が菊治に見合いさせようと呼んだ弟子の稲村ゆき子(木村三津子)だった。ゆき子は恵まれた家庭に育っているが、大手町の商社で英文タイピストとして働いている。栗本は、呼びもしないのに、太田夫人(木暮実千代)が、娘の文子(乙羽信子)を連れて来ていると言う。
8年前に亡くなった菊治の父は、茶道の家元で、栗本は妾だった。しかし旧友の妻であった太田夫人を友の死後面倒を見ているうちに、深い関係になり、栗本を捨てたのだ。母娘に父が渡した軽井沢の別荘を処分することになったと聞いて、訪れる菊治。誰かに頼らないと生きていけない太田夫人は、菊治に父親の姿を見て、菊治を追い求めるようになる。太田夫人と菊治の接近を快く思わない栗本は、菊治の家に頻繁に出入りし、使われていなかった父の茶室を勝手に掃除をし、料理を作り、ゆき子を招いて会食をしたり、太田夫人の行動の嫌みを言ったりしている。ある日新橋の駅で帰宅途中の菊治とゆき子は偶然出会い、一緒に東海道線で帰るが、同じ車両に太田夫人がいる。太田夫人と菊治が談笑するのを、静かに源氏物語を読むゆき子。横浜駅でゆき子は下車し、大船で下車する筈の太田夫人は鎌倉まで付いてくる。海岸を歩く2人。帰宅すると待っていた栗本は、太田夫人と海岸にいたでしょうと言う。菊治とゆき子との交際を続き、ゆき子の父(進藤栄太郎)と母親(相馬幸子)妹(加賀周子)らと会食するに至るが、栗本の勧める縁談ということが引っかかっている。
太田夫人が、菊治を訪ねてくる。茶室で話している二人。ある夜文子から電話が入り、夫人が危篤だと言う。自殺したんだわといい笑う栗本。葬儀から数日後、文子の家を訪ね焼香しているゆき子。太田夫人には、栗本さんの茶会でしかお会いしたきりですが、好感を持っていたのですと言うゆき子。文子には身よりが誰もいないと聞き、私には、両親も仕事もあるので、あなたは菊治さんにこれからも世話になったほうがいいと言うゆき子。菊治は、父の事業を清算するために、鎌倉の家を処分することにした。茶器などを整理していると、栗本が、処分するなら京都で古物商をしている兄に引き取らせますと言う。文子がやって来た。母親が普段使いにしていた志野の茶碗を形見に貰ってほしいと言う。直ぐに帰ると言う文子を送っていく菊治。栗本は茶碗を取り上げると、憎々しげに庭の石に投げつけ砕く。
その頃、海岸を歩く菊治と文子の姿がある。菊治は文子に好意を持っており、これからも交流を望むが、もうお目にかかることはないでしょうと言い、勤め先も転居先も頑なに明かさない文子。菊治の差し出した手を握るが、振り解くように走り出す文子。砂浜の影でハンカチを取り出し泣く文子。
69年増村保造版とは対照的な印象だ。増村のその露悪趣味的にドロドロとした女の性(さが)を描いたものとは反対に、格調高く、美しく描かれている。川端康成の裏と表という感じだ。どちらもいい。個人的な趣味は、太田夫人は若尾文子、栗本は杉村春子、菊治は一長一短だろうか。文子との関係やシノの茶碗を栗本が割るなど、異なる展開も多いが、比較するものではないだろう。ゆき子は、こちらの方が生き生きと描かれている気がする。
役者は生きている以上、ある役をやれる時とは限られるだろうな。役者の旬は、役によって無限にあるが、ふさわしい時に旬の役に出会えるかどうか奇跡的なことだ。
一旦西荻に戻り、八百屋、鶏屋、魚屋を巡る。
夜は、恵比寿でフリーランスのクリエーターの懇親飲み会。30前後から我々50前後まで、カメラマン、グラフィックデザイナー、WEBデザイナー、CMプランナー、イラストレイター、プログラマーらに混ざり、元会社員(無職)自由人参加させて貰う。飲み放題だろうとなかろうと、あまり変わらないと言われるだろうが、飲んだ飲んだ。二次会誘われるが、帰れるか自信なく帰宅させて貰う。少しは学習したのか、衰えたのか、両方か(笑)
その頃、海岸を歩く菊治と文子の姿がある。
69年増村保造版とは対照的な印象だ。
役者は生きている以上、ある役をやれる時とは限られるだろうな。
一旦西荻に戻り、八百屋、鶏屋、魚屋を巡る。
夜は、
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