2008年12月12日金曜日

芸事習いたくなったなあ。

  ポレポレ東中野で、山本眸古監督『小梅姐さん(355)』。
  不世出の民謡歌手、赤坂小梅の生涯を追ったドキュメンタリー。福岡筑豊の田川で生まれ、実家の前が検番だったために、歌と三味線が好きで、家族の反対を押し切って勘当までされても芸者になり、民謡を歌わせたら日本一と噂され、ビクターで新民謡を吹き込んで、東京赤坂の花柳界に移って赤坂小梅となり、コロムビアから歌謡曲「ほんとにそうなら」でデビュー、大ヒット、以来全国的人気歌手として戦中、戦後を生き、芸能界を引退したのちも、千葉の勝山で、民謡を歌ったり、人に教えたりして83年の人生を全うした。身体も人間も大きな人だなあ。最終日のせいか、意外にかなりの動員が。
   神保町シアターで女優・山田五十鈴、43年東宝成瀬巳喜男監督『歌行燈(356)』。
   恩地喜多八(花柳章太郎)は、能の恩地流の若師匠である。12月25日名古屋能楽堂での公演も終わり、家元で父の恩地源三郎(大矢市次郎)と鼓の辺見雪叟(伊志井寛)と、古市の温泉に入って行こうとすると、古市の按摩の宗山(村田正雄)の謡いは相当のもので、東京でも聞けないと大評判らしい。家元は放っておけと言うが、若い喜多八は、雪の中宗山の家に行き、東京からわざわざ聞きに来たのだと言って無理矢理歌わせる。しかし、素人芸の悲しさ、喜多八の合いの手に息が続かなくなり絶句させる。宗山も、ことここに及んで、若い男が恩地流の若師匠であることが分かり、引き止めようとするし、娘のお袖(山田五十鈴)を追い掛けさせるが、喜多八は宗山の妾と勘違いして「金で身を売るような真似をするな」と言い捨て去る。
   翌朝喜多八が目覚めると、辺見が呼びに来る。宗山は、昨夜鼻をへし折られて自殺したという。地元の人間も、新聞記者たちも増長する宗山を嫌っており責めてはいないが、源三郎は、これは喜多八の驕りであり、素人の人間の命を奪ったことは許し難いので、喜多八を恩地流から破門、謡いを禁じた。東京に帰り、喜多八の後任を弟弟子にするが、拙い芸で、辺見は喜多八を探し出すと言うが源三郎は許さない。
  2年が過ぎ、喜多八は博多節の門付けをしている。いい喉に客を取られた次郎蔵(柳永二郎)に因縁をつけられるが、ちゃんとした芸を持ちながら礼儀正しい喜多八に惚れ込む次郎蔵。次郎蔵が客を引き喜多八が唄うやり方でかなり上手く稼いだ。次郎蔵は元々桑名の料理人で、金も溜まったので、親方に頭を下げて戻ると言う。喜多八は、最近宗山の夢にうなされており、墓参りをしようと思っていると次郎蔵に告白した。次郎蔵は、事件を覚えており、そういうことなら宗山の娘のお袖を救ってやれと言う。お袖は宗山の死後、継母に鳥羽の廓に売られ、客に媚びを売れないことで、酷い目にあっているところを次郎蔵が助けて伊勢の春木屋で芸者になっていると言う。しかし歌も三味線も一向に出来ないので、困っていると言うのだ。
   喜多八は伊勢に行き、春木屋に門付けして博多節を唸っていると、姉さんからおひねりを預かったお袖が出てくる。喜多八はお袖に、舞「松風」を一週間で教え込むと言う。東京の父に向かって、謡を封印するという約束を一週間だけ破ることを祈る喜多八。
   38年東宝成瀬巳喜男監督『鶴八鶴次郎(357)』。鶴屋鶴次郎(長谷川一夫)は新内の太夫。お世話になった先代の娘の鶴八(山田五十鈴)の三味線で、鶴屋鶴次郎、鶴八として喜楽亭に上がり、人気を博している。二人は幼馴染で、お互いの技量も認め、憎からず思っているが、素直になれず、喧嘩ばかりして、鶴次郎の番頭の佐平(藤原釜足)らをやきもきさせている。
  有楽座の名人会に出演の話が来る。これは、人気だけではなく実力も認められた証であるが、些細なことで喧嘩をしている。先代からのごひいき、岩善の若旦那松崎(大川平八郎)と鶴八に焼き餅を焼いた鶴次郎は、金持ちの四谷の下駄屋の娘が、弟子入りだけでなく婿入りして欲しいという話にさも気があるかのように言う。このままでは、鶴次郎鶴八の芸も危ういと佐平は、名人会のプロデューサーの竹野(三島雅夫)に相談する。
  竹野は、打ち上げを兼ねて温泉に二人を招待する。普段と違う環境で、素直になった二人は、お互いの気持ちを確かめ合う。鶴次郎は、寄席を持ちたいという夢を語り、二人で、実現しようと誓う。鶴八に二度と松崎に会うなという鶴次郎。
  幸い喜楽亭を譲ってもいいという話があり、悩んだ末名づけた鶴屋亭は竹野を支配人にいよいよ実現の運びとなった。オープン直前になって、開亭資金の一部の金を松崎から借りていることを知って激怒する鶴次郎。怒りのあまり、他人の女に金を出す人間などないので、お前は松崎の妾だったんだろうと言ってしまう。全てがぶち壊しだ。鶴次郎鶴八は解散となった。尚二人の芸を惜しむ佐平さえ、追いだす鶴次郎。
  2年後、鶴八は松崎のもとに嫁いでいる。芸事の好きな一家で幸福な鶴八。一方鶴次郎の芸は荒むばかり。ドサ廻りをしながら、細々と寄席に上がっているが、酒で失敗することも度々だ。陰ながら鶴次郎を心配している佐平は、竹野と諮り、鶴次郎鶴八の2年ぶりの名人会復活を計画する。頭を下げる佐平に、松崎の了承を受ける鶴八。
  やはり、鶴次郎鶴八の復活は大好評で帝劇からの出演依頼まで来た。しかし、最終日舞台が引けて、鶴次郎は、2年ぶりの鶴八の三味線は聞くに堪えないものなので、これきりにすると言う。憮然と去る鶴八。佐平を飲み屋に誘った鶴次郎は、鶴八の芸は、先代を超え名人の域に達しているが、松崎と離縁してでも再び芸人に戻ると鶴八が言うのを聞いて、愛する人間の幸せを考えると松崎のもとに返したかったんだと告白する・・・。
  うーん、この結論でいいのか。鶴次郎が芸人の悲哀を舐めたのは、自分の精神的な幼さによる自業自得だろうと突っ込みたくなる。しかし、当代随一の人気者長谷川一夫と山田五十鈴は、結ばれちゃいけないんだろうな。やきもきしてしまうのは、この映画に引き込まれているということなんだろう。
  赤坂小町と、成瀬巳喜男の芸事2本。何だか、もう少し枯れたら、小唄か鼓でも習いたくなってしまう単純な自分なのであった(苦笑)。博華で餃子とビール。
  

0 件のコメント: