2008年10月14日火曜日

50年長いような短いようなというか、たいした価値のない長さかもしれない。

  朝、久しぶりに惣菜三品。ひじき炒め煮、南瓜、きんぴら。独身美人OLにお裾分けし、昼ご飯を元同僚と。
  渋谷ユーロスペースで『おろち(194)』20名位いる客自分以外ほとんど見事に女性だった。レディースデイでもないし、ジャパニーズ・ホラー?楳図かずお?木村佳乃?山本太郎ではないだろう(笑)。誰かがおろちの髪の毛の色についてブログに書いていたが、別にあくまで原作に忠実に楳図ワールドの再現である必要はないと思うが、何だか全体に世界感が無いというか、昭和25年と、その20年後という設定を考えると、美術手抜きもいいところだと思う。アンティークの小道具並べたからといって、50年以上前の世界や空気が出る訳ではないし、何だか古そうなモノ沢山集めて並べてみましたという感じ。劇中の映画だって、あれじゃ戦前の映画、もっと酷い言い方すればカメラテストだろー!結局、スクリーンの情報量は、圧倒的にテレビモニターより大きい分、やっぱりVシネ作っちまったのか、なっちまったのか。木村佳乃中越典子谷村美月、それぞれ全力投球で熱演していただけに、テレビモニターで見るとなかなか悪くないのかもしれない。別に揶揄する訳ではなく、つかこうへいの芝居のように、彼女たちが振り切って演技していただけに、もったいなかったなあ。Vシネ極妻か?! 自分と同世代の監督と脚本家は、何を作りたかったんだろうか。あるいは、製作委員会は、何を作りたかったんだろうか。
  新宿バルト9で『アメリカン・ティーン(195)』インディアナ州のワルシャワという街のフツーの高校の三年生何人かの卒業までの一年間のドキュメンタリー。アメリカの高校生は、なんてイメージ通りで、ステレオタイプな青春なんだ。しかし、こんなもんなのかも知れない。自分だけ特別に何かあると思っていたり、自分にだけ何もないと悩んだりしていても、実は他人とたいして変わらない人生だと、50年掛けてようやく自分は気づいた。そういう意味で、自分の中で、もの凄く美化されている高校時代も、日本中どこにもある、ありふれた青春だったんだろう(苦笑)。
   阿佐ヶ谷ラピュタで56年東宝鈴木英夫監督『彼奴を逃すな(196)』ラジオ修理と洋裁で小さいが幸福な家庭を築いている若い夫婦(木村功、津島恵子)。夫は向かいの不動産屋の殺人事件の犯人を目撃してしまうが脅迫状も投げ込まれ、報復を怖れ彼らは届け出る事を思いとどまる。ベテラン刑事(志村喬)は、彼らを説得しようとするが、アパートの向かいに住むタクシーの運転手まで射殺され、彼らの恐怖は更に高まる。サスペンスとしてとてもよく出来ている話だし、当時の庶民のとても小さな幸福は、少しきれいな思い出のラッピングをされている『ALWAYS 三丁目の夕日』よりもリアルなんだろう。ただその分、今の感覚で見ているとあまりにも牧歌的で、平和過ぎて、何だか滑稽にさえ思えてしまう。その違和感こそが、50年経って日本が失ったものなんだろうな。56年『彼奴を逃すな』⇒08年『おろち』。アメリカ保守の幸福感『アメリカン・ティーン』⇒かっての日本人の幸福感『彼奴を逃すな』。何だか脈絡もなく選んだ三本の映画が、色々なことを考えさせる一日になった。

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