午前中は再就職支援会社、職務経歴書を作るためのキャリア棚卸し表を元に担当コンサルと1対1面接。面接前に、泥縄で書類作っていると、同時期に退社した先輩が話かけてくる。向こうは久しぶりに会って旧交を暖めたい感じありありだっだが、こちらは面接の時間が迫っていて、それどころでなく、かなり冷たい対応だったかもしれない。面接は自分の今までをまとめるという自分好きな私としては、もっともっと僕の話聞いて聞いて!という感じで1時間で入社10年目までしかいかなかった。続きは来週。自分好きなんですよねー。というと、コンサルは『人間は、自分を愛する大きさしか他者を愛せないので、Mさんは回りの人への愛が大きいんですね』 と、どこかで聞いたような殺し文句。『○○の勝手にいうわよ』か『○ラの泉』に出演中の芸能人のように、私の目はキラキラ光っていただろう。私を正しく、正当に、真っ当に(笑)評価してくれる人がここにいる!こうやって、先行きが不安な失業者は、なけなしの退職一時金で、壷買ったり、お布施出したり、先祖のお墓を掃除したり、セミナー申し込んだりするんだろうな。
それから新宿に出て、待望の実録連合赤軍観る。3時間の上映時間では、仕事があったら、なかなか観られない。幕間に学生紛争当時の記録映像流れる。自分の小学生時代は日常だった。本編の感想は『クローバーフィールド』と一緒にまとめて書こう。180分、一気に見せるなあ若松孝二。
夜は、外苑北の粥屋で、高校時代の友達と飲み会。高校の前の都道で三億円事件が起きたことくらいしか自慢することがない全く無名の都立高校だったが、70年代には人並みに学園紛争があり、演劇部と共同で使っていた我々文芸部の部室の壁には、造反有理とかペンキで書かれていた。その闘争のお陰で制服はなく、70年代の中央線沿線のゆるーい空気が流れていた。ドゥービーブラザース、ジャクソン・ブラウン、何度聞いてもよくわからないアルバート・アイラー、何度見ても眠ってしまうゴダール、分り易いアメリカンニューシネマ、GOROの篠山紀信の激写に出た女の子、竹田かほりやら、女子プロレスやら、日活ロマンポルノやら、ブルース・りーやら、松田優作やら、暇つぶしの会話の間に、週刊FPCというガリ版刷りの会報を、特に週一でもなんでもなく、不定期に出していた。その部室で、いつも寡黙にガリを切っていたT氏は、就職情報誌の編集、CM制作会社、現在は映像、WEB関係のフリーランサー、三多摩じゅうのサブカル少年のマドンナだったK女史は、ボブの髪型と何をしているのか謎なことが当時と同じまま、ロンドンにキュレーターの勉強に行った後は、私には「これがアートというものなんだろうなあ」という感想以外、なかなかもちにくいイベントをやったり、ヨーロッパアートに関して原稿を書いたりしている。それに、自分の詩を卒業アルバムに掲載したいがために、私の詩を載せたくせに、名前の誤字にずーっと気がついていなかったI氏は、Dえもんの砂絵売りという香具師のバイトをきっかけに編集者になり、あれよあれよというまに出版社の社長になり、有名人になってしまった。クラスが一緒になったことはないが、私がいつも遠くから見ていた美少女の旧姓Kさんは、ル・コルドンブルーに留学して、主席で卒業(酔っ払った本人が自慢していたので少し怪しい)料理に関して本を書いたりしている。そんなメンバーが集まれば飲みすぎてしまう。気がついたら家で寝ていた。また、恥ずかしいことを言ったり醜態を晒したんだろうな。30年以上の付き合いだからしょうがないか。
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