2008年4月22日火曜日

クローバーフィールドと実録連合赤軍評その1

 ハリウッドの売れっ子プロデューサー、監督チームと、映画に関わりたかった肉体労働者がピンク映画界に入り、生涯をかけて映画とエロで革命を戦い続けている若松孝二。比較することは、全く無駄だが、一つだけ二つの映画に共通している点がある。今までの怪獣映画(ハリウッド版ゴジラも当然のように含めて)は、あっち側の世界で行われている破壊と殺戮を、我々は客席で観戦する。その視点はあくまでも客観的に鑑賞するものだ。あさま山荘の事件も、ほとんどの日本国民にとって、お茶の間でテレビを通じて観るものだった。その後の映画化も、基本的には、権力の側が、事件を解決していく映画だった。しかし、この2本の映画は、破壊され、殺戮される側、あるいは、弾圧され、内部闘争で暴力を受け殺され、あるいは殺害に加担する側から描かれ、観客はその側におかれる。それも、登場人物の一人が逃げながら回すビデオカメラの揺れ続ける画面と、当時の記録映像とシンクロさせたドラマ部分は、再現映像というようなヤワなものではなく、観るもの全てに当時の追体験を強要するような若松孝二の演出を通じて、平穏な環境で鑑賞しているという我々を許さない。我々は、そこで展開している事態、事件の追体験者として参加することを求められるのだ。  ( to be continued )

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