2009年8月20日木曜日

昭和の黒い陰

  池袋新文芸坐で、世界/戦争/歴史 そして追悼の八月

   81年松竹/俳優座熊井啓監督『日本の熱い日々 謀殺・下山事件(481)』
   1949年昭和24年占領下、労働運動は高揚してピークを迎えていたが、東西冷戦が始まり、アメリカからのドッジラインの指令もあり、国労10万人の首切り案など、労使の対決ムードは高まっていた。7月4日国鉄の下山総裁は第一次の人員整理案として3万7百人の名簿を発表した。それに対する国労のストライキにシベリア帰りの復員兵が合流して、上野駅が人民大会のようになっている現場を取材する昭和日報社会部の遊軍記者矢代(仲代達矢)は、社に電話をすると、下山総裁が行方不明になっているとの話を聞く。
    翌7月6日、深夜に轢断死体が見つかる。官房長官(仲谷昇)は、直ぐに左翼分子によるテロの疑いを発表する。現場を見た監察医の磯島医師が自殺と推定したにも関わらず、政治的な色彩の強い政府談話だった。しかし、遺体を解剖した東大法医学教室の主任教授の波多野(松本克平)は、轢断跡に生命反応が全く無く他殺の可能性を示唆した。しかし、解剖結果を見て、慶応大学法医学教室舘野教授(浜田寅彦)は、自殺との正反対な結論を導き出した。警視庁内部でも、捜査一課は自殺説、捜査二課は他殺説と意見は割れ、マスコミも二分する。矢代はいち早く東大法医学教室に行き鑑定結果を聞き、他殺説を取った。しかし、下山総裁を殺害したのは誰なのか手掛かりはない。事実、亡くなる前日、近辺で下山総裁と全く同じ服装と眼鏡の紳士の目撃証言が17件も出た。近くの旅館では休憩をしたと言う。矢代は若手記者(役所広司)と末吉旅館の女将ふさ(菅井きん)に取材をするが、宿帳は勘弁してくれと言われたとのことで、どうもはっきりしない。その帰り、ホーム立川駅のホームに立っていた矢代を、電車めがけて突き落とす人物がいた。九死に一生を得た矢代は、自分が死んでいたら、下山事件は左翼によるものだと推理し、それで得をするのはと考える。   矢代は再び東大に行き、早く最終結論を発表してくれと頼むが、あらゆる可能性を試しているのだと言われる。しかし、替わりに占領軍のCINと言う組織の現場検証で、列車の進行方向の反対型に下山と同じA型の血痕が見つかったらしいとの情報を得る。矢代は、ルミノール試薬を手に入れる。しかし、7月19日三鷹事件が起きた。社会部長の遠山(中谷一郎)は、矢代に三鷹へ行けと言うが、この血痕を追わせてくれと頼む。三鷹事件は、警察は三鷹と中野電車区の共産党所属の闘争委員長らを逮捕、国労左派と右派は対立、それに乗じた国鉄側により首切りは成功する。
   矢代は、若手記者の小野(橋本功)を連れて、深夜轢断現場に行き、噴霧器でルミノール試薬を撒き、広範囲に血痕があることを発見する。この情報は、他殺説を取る東京地検と捜査二課を勇気付けた。矢代に対して東大法医学教室の特別研究員として、他殺説の検証チームへの参加を要請される。枕木などから採集された血痕の血液型の精密検査に着手する。
大島(山本圭)川田(浅茅陽子)遠山社会部長(中谷一郎)小野(橋本功)伊庭次席検事(神山繁)山岡検事(梅野泰靖)川瀬検事(滝田祐介)奥野警視総監(平幹二朗)波多野法医学教室主任教授(松本克平)丸山(隆大介)堀内(伊藤孝雄)李中漢(井川比佐志)唐沢(大滝秀治)糸賀(小沢栄太郎)下山芳子(岩崎加根子)女将ふさ(菅井きん)

    64年日活熊井啓監督『帝銀事件 死刑囚(482)』
    1948年1月26日月曜日、豊島区の帝国銀行椎名町支店が閉店した15時過ぎ、月曜でもあり精算など大変慌ただしかった。支店長は体調を崩し午後には帰宅、他に5人が欠勤していた。そこに、衛生班という腕章をした男(声は加藤嘉)がやってきて、東京都衛生課、厚生省医学博士の名刺を、小林支店長代理(日野道夫)に出し、近所の伊藤さんの家で集団赤痢が発生したので、GHQのスペンサー中尉と現場に直行、伊藤家の人間がこの銀行に立ち寄ったとの証言があったので、中尉が消毒にくるが、その前に予防薬を飲んでもらうように指示を受けたと言う。
    女行員の正枝(笹森礼子)英子(山本陽子) の二人は、伊藤さんが来店した記憶はなかったが、誰かほかの人に頼んだのかもしれないと言われる。男は行員全員と、住込みの吉岡一家を集め、まず予防薬の液体を下を丸めるように嚥下して、1分後に第2液を飲むように指示し、自分でやってみせた。言われるがまま1液を飲み、次に第2液を飲むが、急に激しい吐き気に襲われ、皆風呂場と台所に言って、水を飲もうとしたが、どんどん倒れ意識を失っていく地獄のような阿鼻叫喚が広がった。正枝が何度も倒れながら、通用口から外に転がり出たことで、事件は発覚した。
   当初、集団感染かと思われたが、現場で取材した昭和新報の新聞記者の武井(内藤武敏)と阿形(井上昭文)は、社会部デスクの大野木(鈴木瑞穂)に殺人事件だと報告した。生存者の男4名女2名は新宿の国際聖母病院に運ばれた。警察、新聞記者、医療関係者、混乱する現場。武井は、白衣を盗み、病室内に潜入する。しかし、青酸化合物を飲まされたらしい患者たちは、悶え苦しんでおり、男2名は亡くなった。
   当初、集団感染とされたことで、事件現場の保存状態は酷いものだった。男が出したとされる名刺もなくなっており、犯人が自ら回収したと推察される。現金16万円と約2万円分の証券が盗まれていた。 
    
昭和新報笠原キャップ(庄司永建)鹿島(木浦祐三)北川(平田大三郎)警視庁キャップ小田(藤岡重慶)平沢貞通(信欽三)志乃(北林谷栄)蓉子(柳川慶子)小林支店長代理()
稲垣刑事部長(平田未喜三)夏堀捜査一課長(小泉郁之助)梨岡一課一係長(伊藤寿章)山藤二係長(高品格)森田東京地検検事(草薙幸二郎)佐伯(佐野浅夫)

  当時のニュース映像を挟み込ながらの展開で、どちらの映画も昭和20年代の日本の熱さをリアルに伝えてくる。熊井啓監督の構築力の素晴らしさだと思う。

   ラピュタ阿佐ヶ谷で、武満徹の映画音楽

    64年大映/昭和映画羽仁進監督『手をつなぐ子ら(483)』
    修学旅行の中高生や、観光客に交じって、社会科見学で奈良を訪れている小学6年生。バスに戻って、松村先生(佐藤英夫)がみんな戻ったなといって声を掛けるとさっき数えた時はみんないたのに、一人足りない。中山寛太(桑原幸夫)がいないのだ。松村先生が探しに行くと、のんびりと地面に絵を描いている寛太。何とか連れてバスに戻る。寛太は、すこしどんくさい。あまり成績もよくないし、ボーッとしていることが多い。
    翌日、先生は、算数のテストをやろうと言う。クラスで一番身体の大きな山田錦三(香西純太)が奇数なのか、偶数なのかという。カンニングを無くすために、半分ずつ教室でやったほうが、覗かれなくていいと言う。先生は、みんな自分自身とカンニングをしないと約束すればいいんじゃないかと言う。

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