2009年8月12日水曜日

戦争を知らないコド~モ、たっち~さ~♪

   渋谷シアターNで、34年レニ・リーフェンシュタール監督『意志の勝利(459)』
   1934年9月4日ニュールンベルグで、国家社会主義ドイツ労働党(ナチ党)の党大会が開かれた。ヒトラーの乗った飛行機が雲の上を飛び着陸、ドイツ国民の熱狂の中ヒトラーは降り立つ。ホテル・ドイッチャー・ホーフに向かう車はハイル・ヒトラーの歓声を浴びながら進む。第一次世界大戦で敗北したドイツが、二十年近い間に復興され、遂に民族的誇りを復活させる時が来たのだ。ヒトラーユーゲントたちのキャンプ場、農民たちの民族衣装による収穫祭、国家労働奉仕団、親衛隊、突撃隊……。ヒトラーは、ドイツ人は平和を愛し、従順で、勇敢であれと演説をする。政権交代の時代は終わり、優れた指導者のもと、民族を国家を統一し、全ての自由と平等を実現するのだと言う。6日間の党大会の最終日は、ヒトラーの演説の後、ヒトラー万歳、ヒトラー万歳という大歓声に包まれる。ルドルフ・ヘス副総裁の、うわずった「ヒトラーがドイツだ、ヒトラー万歳、勝利万歳」と言う叫びを延々と繰り返すドイツ人たち。
    単にプロパガンダ映画と言うレッテルを貼るのではなく、ドキュメンタリー、ドラマ問わず映画は、いや、ジャーナリズム、アート、全て人間が作り出すものは、作者の手を離れてメッセージを持ち、プロパガンダの道具になる。作品に罪があるか否か、作者に罪があるか否かと言った二元論ではなく、受け手のリテラシーの問題だろう。そう考えると、不完全で、進歩のない我々は、過去の沢山の事例を見て学習する必要があるが、果たして判断できるようになるんだろうか。
   今更のような禁断の映像の教科書と言うより、テレビで流されている日常的な、既視感のあるただのニュース映画。民族、国家、国民、一体感、誇り、屈辱、威信、忠誠、周りに溢れている言葉の数々だ。誰もが、いつでも、どこでも作れてしまう映像時代。その映像を見ている時の自分が、高揚感を感じていないとは自信を持って断言出来ない。

   ラピュタ阿佐ヶ谷で、武満徹の映画音楽
   68年東京映画小林正樹監督『日本の青春(460)』
   井の頭線が渋谷に着く。吐き出される沢山の人々。ラッシュアワーの通勤客の中に、主人公の中年男向坂善作(藤田まこと)がいる。女性インタビュアーが、あなたは蒸発したいと思ったことはありませんか?とマイクを向ける。向坂は左耳が全く聴こえず、右耳も補聴器が無ければ聴こえない。補聴器のイヤホンを耳にはめ直して、逃げ出したいと思ったことはないと答える。結婚生活と家族構成を尋ねられて、結婚20年、妻に一男一女の4人暮らしだと答える向坂。朝から、肩を丸め、重い足取りで歩く向坂。ナレーション(三島雅夫)に突っ込まれ続けている。
   向坂は、小さな特許事務所を開いている。事務員の金子和夫(橋本功)と平山妙子(水木梨恵)の二人は、所長の耳が悪いのをいいことに勤務時間中にも関わらず、応接室で抱き合っており、5時前には帰ってしまう。結局向坂一人残って仕事をしている。
    戦時中大学生だった向坂は、友人の大野久太郎(田中邦衛)と、神宮で学徒出陣式に出席し、下宿先に帰ってきた。そこの娘の芳子(新珠三千代)を二人とも好きだった。詩を読む大野。そこに郵便屋がやって来る。大野への赤紙だった。国家って何なんだと頭をかきむしる大野。
    あれから23年が経った。帰宅した向坂を待っているのは、食事をしてくるのであれば、電話して下さいと文句をくどくど言う妻の美代(奈良岡朋子)だ。妻の切りがない愚痴に、時々補聴器のイヤホンを外す向坂だ。長男の廉二(黒沢年男)が、予備校生のくせに大学に進むのを止めようと言い出したので、お父さんからピシッと言って下さいと言っている。廉二も、妹の咲子(菊容子)とも会話は噛み合わない。
    廉二が、予備校で模擬テストを受けているが、何も書いていない。横の女(酒井和歌子)が、落とした消しゴムを拾って貰えないかと声を掛けてくる。廉二は無視をし続けた上に、自分で落としたんだから、自分で拾えと言う。言ってから、言い過ぎたと反省して答案用紙に謝罪の言葉を書いて投げる廉二。休み時間、改めて謝ると、鈴木真理子だと名乗った。同じ一浪だと分かり、親しくなる二人。
     ある日、外出先から向坂が事務所に戻ると、発明家の遠山正介(花沢徳衛)が、痴漢撃退用の女性下着を持ち込んで、金子と平山に説明している。痴漢に遭った際に、ボタンを押すと強力な悪臭が出ると言う。向坂が、君は使うかいと尋ねると、痴漢と交際したほうがいいですと平山。
    金子が、そういえばお客さんに連れていかれた銀座のバーのマダムが、事務所の名前を出したら、所長の向坂さんが知り合いかもしれないと言っていたが心当たりはないかと言うが、英芳子に記憶はない。ひょっとして、この詩を読めば思い出すかもと言ってメモを読み出すが青臭い詩を聞き流す向坂。しかし、突然大野が読んだ詩であることを思い出す向坂。
   続いて向坂にも赤紙は届く。下宿最後の夜、空襲警報が鳴り、向坂と芳子は二人になった。向坂は、芳子に、高槻に入隊する前に、名古屋の大野の母親を尋ねるが、実は米軍機が撒いたビラに名古屋の空襲予告が出ていたので、死亡偽装して入隊しないのだと告白し、接吻をする。

    京橋フィルムセンターで、特集・逝ける映画人を偲んで2007-2008
    89年今村プロダクション/林原グループ今村昌平監督『黒い雨(461)』
    この映画のストーリーは、改めてきちんと書きたい。モノクロの映画で、広島原爆投下後に降った黒い雨を浴びた高丸矢須子(田中好子)と叔父の閑間重松(北村和夫)シゲ子(市原悦子)夫婦、最後の重松の言葉「あの山に虹が。不幸の象徴の白い虹ではなく、5色のきれいな虹が出たら奇跡は起きる。矢須子の病気は治る。」。
   普段なら、人間の皮膚の毛穴や、汗や垢や目脂、耳糞鼻糞をこれでもかと見せる今村昌平が、淡々と描く人の生き死に、打ちのされるのだった。キャンディーズ美樹ちゃんファンの自分にも田中好子、スーちゃん切ない。
    

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