阿佐ヶ谷ラピュタで、孤高のニッポン・モダニスト 映画監督中平康。
64年日活中平康監督『おんなの渦と渕と流れ(270)』
昭和23年初夏の金沢から始まる。沼波敬吉ぬなみ(仲谷昇)が妻の須賀子(稲野和子)に、温泉に行ってこようと思っていると言う。私も行こうかしら、でも、宴会があったんだわと言う須賀子。女中の三重(雨宮節子)に送られ家を出る沼波。近くの河に懸かった橋は途中から崩れている。川面を睨む沼波。須賀子が外出するのを確認して、三重の目を隠れて書斎に戻り、押入れに潜む。壁の穴をナイフで広げる沼波。須賀子は、土建屋の大谷浩平(北村和夫)の事務所に出かけ、北海道に役人と出張に出かけるというのを取り止めさせ、夫が出かけるなんてめったにないことなんだから、店に来て、ゆっくりしようと誘う。事務員の松川(二階堂郁夫)がニヤニヤしていると、須賀子に、下品な社員は首にしろと咎められる。
昭和14年初夏の大連、大学で英文学の教鞭を取っていた沼波は、ある人の勧めで、須賀子と見合い結婚をした。見合いというよりも、美しい須賀子の写真を見て一目で気に入った沼波は、写真結婚をしたのだ。純潔というよりも、男女関係は面倒くさいものだと言う感覚のあった沼波は童貞であった。初夜のこと、自分を迎え入れる動きをした須賀子の処女に疑惑を感じた沼波であったが、新婚生活は充実したものだった。しかし、沼波は、自分好みの女に育てようと、海外の文学書を薦め、文学について得意げに滔々と語る。しかし、高尚な議論に付いて行けない須賀子は、家庭でも学校の先生のような沼波に苦痛を感じている。
19年秋、大学の同級の小説家の田所(神山繁)が大連に講演にやってきて、沼波の家庭を訪ねた。戦況は芳しくなく、敗戦濃厚だなと話す。満鉄という新しい実験は目を見張るものがあり、新しい国家とコンツエルンとしては素晴らしいが、結局、植民地という実態のないものの上に築かれたものであるし、
大門の歯医者、インプラントの型取りの筈が、芯が顎の骨とくっ付くのが遅いらしい。若くはないからなあ(苦笑)。改めて2週間後に来ることに・・・。
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