更に映画館でよく知るクリエーター(♂)に会う。先日も呑んだばかりなのに、リアクションがない。そんなに眼が悪かったかなあと思っていたら、女子トイレに入って行く。当人だとしたらマニアックな性癖か、犯罪者だ。とてもよく似たご婦人だったのか。何だかなあ。
シアターイメージフォーラムで、88年活人堂シネマ松本俊夫監督『ドグラマグラ(114)』。
大正15年、九州医科大学精神科病棟第7号室。男(松田洋治)が気がつく。しかし、ここがどこだか、自分が誰だか、鏡に写った顔にも、全く記憶がない。隣からは、少女の叫び声がしている。男は、取り乱して激しくドアを叩いて人を呼ぶ。ドアの鍵が開いて、きちんとした身なりの男(室田日出男)が入ってきて、何か思い出しましたかと尋ねる。首を振り、あなたはと聞くと、私はこういう者ですと名刺を出す。九州医科大学法医学博士秋山鏡一郎と書かれている。精神科は、正木博士が担当していたのだが、先月亡くなったので自分が兼務していると言う秋山。
秋山に連れられ、隣の病室に行くと、少女(三沢恵里)が眠っている。眠ったまま、少女は涙を流し、お姉さまに謝りますと呟いている。目を覚ました少女は、男に「お兄様、どうしてここに」と呼びかけるが、男には全く記憶が無い。少女の名はモヨ子、記憶を失っている男、呉一郎のいとこで婚約者だったと言う。正木博士の写真(桂枝雀)が飾られている部屋で、秋山が語る話は想像を絶する複雑怪奇な話だった。
正木博士は、記憶遺伝という説を唱えていた。1100年前唐の玄宗皇帝末期の宮廷画家・呉青秀は、妻である楊貴妃の侍女・黛子の絵を皇帝に献上するために、黛子を殺して、腐敗していく様を描こうとしたが、腐敗の早さに、他の侍女を次々と殺したという。結局、自分を慕う黛子の妹・芬子と逃走の末、亡くなり、芬子は妊娠していた青秀の子と生き延びたのだ。その末裔である呉一郎とモエ子は、呉青秀と芬子の記憶を遺伝していると言う。
また、正木は、精神病治療に、解放治療という手法を取り入れている。巨大な菩薩の頭部だけがある庭に、沢山の狂人たちが、畑を耕したりしている。正木博士は、狂人でいっぱいの講堂で、あほだら経を歌い踊る。
発狂した大学生が書いたと言う「ドグラマグラ」という小説も、正木、秋山を含め、現実と交錯する内容で、男(一郎)の記憶を混乱させる。主人公は、勿論男(一郎)である。正木がポカン君と呼ぶ狂人の大学生は、正木の講義を完全に記憶しており、博士の代講することが可能だ。正木自身、細部の記憶が曖昧な時には、ポカン君の話を聞いて確かめたりしているのだ。
秋山は、なんとか、一郎の記憶を取り戻させようとする苦労する。挙式の前日に花嫁を絞殺した医学生の新聞記事を読ませる。5か月前、一郎とモヨ子の挙式の前夜、八代子は、妹の絞殺体と、娘のモヨ子がいないことに気が付く。下男の仙五郎(灰地順)と屋敷を探し回ると、蔵に明かりが灯っている。戸が開かないので、梯子に昇り、中を見ると、全裸で横たえられたモヨ子の前に、絵巻物の空白部分に、まさにモエ子の姿を描こうとしている一郎がいる。食事が出来たと嘘をつき、戸を開けさせた八代子は、二階に駆け上がり絵巻物を取り上げるが、一郎によって撲殺されたのだ。
しかし、一郎には全く信じられない。一郎の父親は不明だった。妊娠した千世子が東京に家出をして7か月目に一郎は生まれた。八代子は、誰が父親かと尋ねるが、千世子は、「男は偉い人ほど嘘をつく」と答えただけだ。絵巻物の末尾に、母千代子の筆で、一郎が、正木の子供であることが書かれている。
正木博士は、一郎に、これは秋山博士の計画的な犯罪なのだと一郎に言う。大正15年5月15日の夜10時、正木が法医学教室に黒い服の男が入っていくのを見かける。屋根裏に登り、覗いていると、黒い服の男は、棺桶から花嫁衣装を着たモヨ子の死体を取り出し、解剖台に乗せる。モヨ子の心臓は正常に動いている。もうひとつある棺桶から、モヨ子と背格好年齢が似通った腐敗したした女の死体を出し、切り刻み、内蔵を取り出して、死体を弄んだ。元に戻して、女の死体をモヨ子の花嫁衣装を着せ、入れ替えたのだ。その証拠写真を見せられる一郎。秋山は4か月間モヨ子をどこかに隠し、前日まで空室だった6号室に運び込んだのだと説明する。そして、隣室に消える正木。部屋は鍵がかかっている。通りかかった学校の小使いは、正木は一か月前に、解放教室で起きた殺人事件の後自殺し、この部屋もそれ以来鍵が締まったままだと言う。開けて貰うが、勿論誰もいない。正木が自殺した新聞記事がある。解放教室で、一郎が、他の狂人を皆殺しにしたのだ。
強い風が、一郎を包む。頭を抱え、うずくまる一郎。気を失っていた一郎が、起き上がる。しかし、ここがどこだか、自分が誰だか、鏡に写った顔にも、全く記憶がない。隣からは、少女の叫び声がしている。男は、取り乱して激しくドアを叩いて人を呼ぶ・・・。
15,6の頃だっただろうか、読めば気が狂う奇書という言葉に惹かれて原作を読んだのは。話は前後左右、時空さえ超えて展開するので頭は混乱し、何度か読み返さないと分からなくはなった記憶がある。
未見だと思っていたが、観ていたんだなあ。六本木シネヴィヴァンか俳優座劇場あたりで、睡眠不足を押してレイトショーで見たせいで、夢うつつで悪夢のように見ていたのかもしれない。
やっぱり、よく出来ている映画だと思う。木村威夫さんの美術も冴えわたっている。今だったら、CGで安直に処理されるだろう、特殊効果は、実験映画を作ってきた松本俊夫ならではの、技が冴えわたっている。邦画低迷期に、こんな映画が作られていたんだなあと改めて思う。
韓国アートフィルム・ショーケース・ベスト・セレクション境界線のヒロインたち。
05年チャン・リュル監督『キムチを売る女(115)』
中国東北部、荒れ果てた土埃ばかりの町、鉄道の敷地内のような場所に建つ壊れかけたレンガ作りの家に、32歳の朝鮮族の女チェ・スンヒ(リュ・ヒョンヒ)は一人息子のチャンホ(キム・パク)と暮らしている。夫は、あるいざこざから人を殺め死刑になった。彼女は3輪の自転車でキムチを売っているが、 露天商の資格を貰っていないので、公安の目を恐れながら場所を頻繁に変えている。ある日自動車工場の技師をしているキム(ジュ・グァンヒョン)が声を掛けてくる。同じ朝鮮族だと言い、キムチを買ってくれた。また、背の高くハンサムな男も、いつも買ってくれるようになったが、自転車の荷台に若くてきれいな娘を乗せている。
息子のチャンホには、ハングルの文字が読めるように教育したいが、この町ではほとんど使わないので嫌がっている。ある日、チャンホは友達とサッカーをしていて、ある家の窓ガラスを割ってしまう。友達は皆逃げたが、一人捕まるチャンホ。スンヒが窓の修理をしている。椅子を返しに家に入り、お金を出そうとすると、妻子と食事をしながら男は、キムチを街で売っている人だろうと言い、今度キムチを持ってきてくれればいいと言う。
ある日、3輪自転車を漕いでいると、軍のトラックがやってきて、自転車も商品ケースも没収されてしまう。呆然としていると、キムが通りがかり、自転車の後ろに載せてくれる。食事に誘い、飲めないビールを注いでくれた。カラオケに行くが、スンヒは気分が悪くなる。洗面器や水を甲斐甲斐しく運ぶチャンホ。2人の隣には、若い娘たちが4人住んでいる。貧しい農村から出てきた彼女たちは夜毎街に出て客をとる街娼だ。貼ってある新聞の種まきの季節と言う記事に田舎に帰って手伝いたいと呟く少女たち。
ある日、没収された筈の3輪自転車を売っている男がいる。買い戻すために70元取られてしまう。ガラスを割った家の主人が声を掛けてくる。自分はスといい、自動車教習所の食堂を任せられていると言う。この間貰ったキムチが旨かったので、良かったら仕入れてやると言う男。教習所に行くと、所長以下100人分の食事を作るのだと自慢する。しかし男仕事を紹介した見返りはないのかと、スンヒの手を引き、奥に連れて行こうとする。男を殴って逃げるスンヒ。スンヒの部屋にキムがいる。キスをしている二人。キムの服を脱がし、扇風機を付け、ベッドに誘うスンヒ。
3輪自転車を漕いでいるスンヒ。パトカーと警官がいる。慌てて逃げようとすると、一人の警官が追ってくる。いつも買ってくれていたハンサムな男は、ワンと言う警官だった。ワンは、露天商の営業許可証を取れるように手配してくれた。許可証を受け取り、キムの働く自動車工場に行くスンヒ。家に連れて帰り、愛し合う二人。帰りがけにキスをしていると息子のチャンホが石を投げつける。その日、以前からチャンホが欲しがっていたテレビを買って帰る。アイロンを掛けているスンヒ。チャンホにキムのことを話そうかと名を呼ぶが、テレビのボリュームを上げるチャンホ。
チャンホに営業許可証が降りたことを自分たちのことのように喜ぶ隣家の少女たち。しかし、翌日公安の車がやってきて街娼たちを連行して行ってしまう。その警官たちの一人はワンだ。翌日、老人が孫娘と凧揚げをしているのを見たスンヒは、チャンホに大きな鯉の凧を買ってやる。スプレーで青く塗るチャンホ。チャンホはいつ僕たちは前住んでいた家に戻るの?と尋ねる。答えずにいるとその後、ここにいつ戻ってくるのと聞くチャンホ。キムが来ている時に、妻と男たちが怒鳴り込んで来る。年上の女房に頭が上がらないキムは、浮気ではなく、スンヒは娼婦で金を払っていると言い訳をする。その場でスンヒが売春婦だと警察に通報するキムの妻。
その日の昼間ワンは婚約者と新居の下見に行っていた。ダブルベッドにムラムラしたワンは、婚約者を誘うが、生理中だから嫌だと拒絶される。その夜、交番の警官たちの飲み会が行われている。昼間のこともあり、鬱屈したワンは、交番に戻り、勤務中の同僚と代わってやる。手錠で繋がれたスンヒがいる。スンヒの手錠を外すが、自分と繋ぎ、宿直室にスンヒを連れて入りドアを閉めるワン。
翌朝、釈放されたスンヒが帰宅すると、チャンホがいない。線路のほうに歩いて行くと、救急車が停まっている。スンヒに気がついて、同情の眼差しを向ける人々。チャンホが塗った青い凧を揚げているスンヒ。いつものように、キムチの仕込みをしているスンヒ。
ワンの婚約者が、自分たちの披露宴にスンヒのキムチを出したいと言ってくる。キムチを売るスンヒ。道路の反対側をキムが自転車で通りがかるが、直ぐに逃げていく。キムチの仕込みをしている。ネズミが死んでいる。あれほどネズミが嫌いで、チャンホに捨てさせていたスンヒが素手で掴んで投げ捨てる。猫いらずの袋を手に、キムチの樽に戻り注ぎ込むスンヒ。
ワンの披露宴の日だ。3輪自転車にキムチの樽を積みスンヒがやってくる。調理室に運び入れ、3輪自転車を漕いで、家に戻るスンヒ。向こうからけたたましいサイレンを鳴らして数台の救急車が走ってくる。帰宅するスンヒ。家を通り過ぎ、駅舎を通り抜け、線路を横切り、どんどん歩いていくスンヒ。スクリーンは暗転し、クレジットロールが流れるが、スンヒの歩く足音だけが続いている。
凄い。素晴らしい。何事も起きず、諦観しているようなスンヒの退屈な生活。腕組みをしながら窓の外を眺め、ゆっくりとやる気なさそうに自転車を漕ぎ、停めてキムチを売っているときも腕組みをし遠くを見ている、まるで誰かを待っているかのように。少しずつ、事件とも言えないような事件が、変わらないテンポで起き、スンヒの心を侵食していく。失望とか絶望と言った感情の起伏と言うより、満月のような心が欠けていく感じ。見ているこちらは、哀しく切ない気持ちで満たされていく。音楽が一切使われていない。が、非常に音楽的な映画だ。やられた。
大門の歯医者に行き、二週間前に続き、インプラントの土台作り。前回よりも痛みは少なかったが、上顎の骨が弱いということで、相当量入れられた人工骨粉末。鼻をかむと、どうも副鼻腔に圧力がかかるようで、口の中がジャリジャリする。花粉症なのに困った。困った。
大正15年、
秋山に連れられ、隣の病室に行くと、少女(三沢恵里)が眠っている。眠ったまま、少女は涙を流し、お姉さまに謝りますと呟いている。目を覚ました少女は、男に「お兄様、どうしてここに」と呼びかけるが、男には全く記憶が無い。少女の名はモヨ子、記憶を失っている男、呉一郎のいとこで婚約者だったと言う。正木博士の写真(桂枝雀)が飾られている部屋で、秋山が語る話は想像を絶する複雑怪奇な話だった。
正木博士は、記憶遺伝という説を唱えていた。1100年前唐の玄宗皇帝末期の宮廷画家・呉青秀は、妻である楊貴妃の侍女・黛子の絵を皇帝に献上するために、黛子を殺して、腐敗していく様を描こうとしたが、腐敗の早さに、他の侍女を次々と殺したという。結局、自分を慕う黛子の妹・芬子と逃走の末、亡くなり、芬子は妊娠していた青秀の子と生き延びたのだ。その末裔である呉一郎とモエ子は、呉青秀と芬子の記憶を遺伝していると言う。
また、正木は、精神病治療に、解放治療という手法を取り入れている。巨大な菩薩の頭部だけがある庭に、沢山の狂人たちが、畑を耕したりしている。正木博士は、狂人でいっぱいの講堂で、あほだら経を歌い踊る。
発狂した大学生が書いたと言う「ドグラマグラ」という小説も、正木、秋山を含め、現実と交錯する内容で、男(一郎)の記憶を混乱させる。主人公は、勿論男(一郎)である。正木がポカン君と呼ぶ狂人の大学生は、正木の講義を完全に記憶しており、博士の代講することが可能だ。正木自身、細部の記憶が曖昧な時には、ポカン君の話を聞いて確かめたりしているのだ。
秋山は、なんとか、一郎の記憶を取り戻させようとする苦労する。挙式の前日に花嫁を絞殺した医学生の新聞記事を読ませる。5か月前、一郎とモヨ子の挙式の前夜、八代子は、妹の絞殺体と、娘のモヨ子がいないことに気が付く。下男の仙五郎(灰地順)と屋敷を探し回ると、蔵に明かりが灯っている。戸が開かないので、梯子に昇り、中を見ると、全裸で横たえられたモヨ子の前に、絵巻物の空白部分に、まさにモエ子の姿を描こうとしている一郎がいる。食事が出来たと嘘をつき、戸を開けさせた八代子は、二階に駆け上がり絵巻物を取り上げるが、一郎によって撲殺されたのだ。
しかし、一郎には全く信じられない。一郎の父親は不明だった。妊娠した千世子が東京に家出をして7か月目に一郎は生まれた。八代子は、誰が父親かと尋ねるが、千世子は、「男は偉い人ほど嘘をつく」と答えただけだ。絵巻物の末尾に、母千代子の筆で、一郎が、正木の子供であることが書かれている。
正木博士は、一郎に、これは秋山博士の計画的な犯罪なのだと一郎に言う。大正15年5月15日の夜10時、正木が法医学教室に黒い服の男が入っていくのを見かける。屋根裏に登り、覗いていると、黒い服の男は、棺桶から花嫁衣装を着たモヨ子の死体を取り出し、解剖台に乗せる。モヨ子の心臓は正常に動いている。もうひとつある棺桶から、モヨ子と背格好年齢が似通った腐敗したした女の死体を出し、切り刻み、内蔵を取り出して、死体を弄んだ。元に戻して、女の死体をモヨ子の花嫁衣装を着せ、入れ替えたのだ。その証拠写真を見せられる一郎。秋山は4か月間モヨ子をどこかに隠し、前日まで空室だった6号室に運び込んだのだと説明する。そして、隣室に消える正木。部屋は鍵がかかっている。通りかかった学校の小使いは、正木は一か月前に、解放教室で起きた殺人事件の後自殺し、この部屋もそれ以来鍵が締まったままだと言う。開けて貰うが、勿論誰もいない。正木が自殺した新聞記事がある。解放教室で、一郎が、他の狂人を皆殺しにしたのだ。
強い風が、一郎を包む。頭を抱え、うずくまる一郎。気を失っていた一郎が、起き上がる。しかし、ここがどこだか、自分が誰だか、鏡に写った顔にも、全く記憶がない。隣からは、少女の叫び声がしている。男は、取り乱して激しくドアを叩いて人を呼ぶ・・・。
15,6の頃だっただろうか、読めば気が狂う奇書という言葉に惹かれて原作を読んだのは。話は前後左右、時空さえ超えて展開するので頭は混乱し、何度か読み返さないと分からなくはなった記憶がある。
未見だと思っていたが、観ていたんだなあ。六本木シネヴィヴァンか俳優座劇場あたりで、睡眠不足を押してレイトショーで見たせいで、夢うつつで悪夢のように見ていたのかもしれない。
やっぱり、よく出来ている映画だと思う。木村威夫さんの美術も冴えわたっている。今だったら、CGで安直に処理されるだろう、特殊効果は、実験映画を作ってきた松本俊夫ならではの、技が冴えわたっている。邦画低迷期に、こんな映画が作られていたんだなあと改めて思う。
韓国アートフィルム・ショーケース・ベスト・
05年チャン・リュル監督『
中国東北部、
息子のチャンホには、
ある日、
ある日、
3輪自転車を漕いでいるスンヒ。パトカーと警官がいる。
その日の昼間ワンは婚約者と新居の下見に行っていた。
翌朝、釈放されたスンヒが帰宅すると、チャンホがいない。
ワンの婚約者が、
凄い。素晴らしい。何事も起きず、
大門の歯医者に行き、二週間前に続き、インプラントの土台作り。前回よりも痛みは少なかったが、上顎の骨が弱いということで、相当量入れられた人工骨粉末。鼻をかむと、どうも副鼻腔に圧力がかかるようで、口の中がジャリジャリする。花粉症なのに困った。困った。
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