やっと、熱が下がる。丸3日寝ていたので、熱は下がってもフラフラだ。汗をかく度に着替えていたTシャツの山を一気に洗濯し、干してから、赤坂メンクリに。フラフラはしているものの気分もいいので、軽く昼食べ、
渋谷シネマヴェーラで69年大映東京、増村保造監督『女体(176)』ルリ子かっこいい!あんな原色のファッション似合った日本人は当時いなかったんじゃないか。ダイアナ・ロスかパム・グリアか。褐色に日焼けさせたのか、全身ドーランなのか判らないが、60年代のブラックビューティ!!ファッションとしては完璧だ。ただ人間としては滅茶苦茶。目の前にあるものを全て欲しがっては、全てぶち壊す。増村監督がルリ子に当てて書いたということは、狂気の女を演じさせたかったということなのだろうか。そうだとしたら監督は満足したのだろうか。なにせ、ボブのカツラとミニのワンピースで何だか堅い会議室のようなところで机を相手に踊っているというのか悶えているルリ子出てきて?!と思っていると大学の理事長の息子に強姦されたので二百万寄越せと強請りに、大学まで一人でやってくる女だ。自分の個人的な感想だが、非常に奔放で自分の欲望に忠実な役、似合うし、凄く格好いいのだが、ルリ子はセックス・シンボルたるかということだ。だったのかでもいいのだが。エロス、あるいはエロいかというと、そんな匂いがしないんだなあ。今後のルリ子研究の課題としておこう(笑)。 何だか透明で無臭な女。
というテーマには、微妙に関わりのありそうな69年日活製作浦山桐郎監督の『私が棄てた女(177)』30年振りに観て、改めて、やっぱり奇妙な肌触りの映画だと感じる。遠藤周作の原作は、大学生と、雑誌の文通欄で知り合って、セックスの相手として同衾しただけのミツという女に出した年賀状への修道女からの返事の手紙でなりたっているような作品の記憶だが(読み直した方がいいな・・・(苦笑))、主人公吉岡(河原崎長一郎)の屈折、60年安保への政治的敗北や人生への屈折など、浦山監督自身の投影なのか、徹底的に描かれている。ある意味、吉岡のあまりにひどい屈折が、周囲のありとあらゆる人間の不幸の原因でさえある。ただの、自意識過剰で、悪人にも善人にもなれない、しょうもない奴。10代の自分は、もう少し吉岡の苦悩に同情的だった気がするが、この年になってずいぶんと印象もかわるものだ(苦笑)。
阿佐ヶ谷ラピュタで、62年大映東京川島雄三監督『しとやかな獣(178)』新藤兼人オリジナル脚本。ブラックコメディだが、狭い2DKの団地をとても効果的に映像化した川島演出で、猛烈な拝金主義の元軍人一家と彼らを取り巻く人々との虚々実々な駆け引きが、鮮やかなスピード感で展開する傑作。こりゃすごい。ファム・ファタル若尾文子の匂い立つような色気、怖い。ルリ子と文子、凄い女優だ。
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