本当は今日初日の映画を観ようと新宿に出るも、どれも舞台挨拶があるせいか、小さめの作品も立ち見。そこで「チャーリーウィルソンズウォー」。『世界を変えたけれど、試合の最後でしくじっちまった。』エンドロールに出る本人の言葉。昨日観たミストではないが、あの時ああしていればよかったと言っても始まらない。人間誰も彼も平等に愚かしい。旧ソ連に侵略されているアフガンにアメリカが送った大量の武器は、その後、民族間紛争に使われ、今も、アフガンの人間の命を奪い続けている。宗教が、他民族、他者との争いを正当化して、紛争は、アフガン、911、イラク、世界中に増殖する。戦争というスクラップな経済活動は、軍事産業だけでなく、富める人間に更に富をもたらし、その結果に生み出される貧しく不幸せな人の心に、宗教は更に絶対的なものになっていく。そんなことは、ほとんど描かず、冷戦時代にソ連に侵攻されたアフガンの人々を救うために孤軍奮闘したアメリカの下院議員の活躍を描くこの映画、後味悪いなあ。この話の先に911があり、イラク戦争があったことをハリウッドは忘れたいのだろうか。それともゲリラ達に、アメリカに恩があることを思い出して欲しいと願っているんだろうか。冷戦下、ソ連を崩壊させ、共産主義から世界を救ったことで、表彰されるチャーリー。ただ、この映画では、チャーリーは、社会主義陣営の最期の息の根を止めたlことになっているかもしれないが、アジアでは、パンドラの箱を開けちまっただけじゃないだろうか。誰も皆が納得する解決策を提案できない。というか、幸福な未来を誰も描けなくなってしまった現実。勿論、チャーリーが悪いと、別に責める訳じゃない。社会主義国家でも共産主義国家でもどっちでもいいけど、東側の失敗は誰にも否定出来ない。でも、チャーリーによって守られたという資本主義陣営も、誰も幸せにしていない。体制の問題でも何でもないのかもしれない。人間は他者を救うことは出来ないのか。じゃあ自分はどうする!?、単純に、チャーリーズ・エンジェルに囲まれて仕事をするチャーリー、憧れる、羨ましい。 自分と自分の近しい人間の幸せをエゴイスティックに求めるしかないのか。
結局、今晩も博華で餃子にビール。おかあさんに、今日はお飲みになりましたねと言われてしまう(苦笑)
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