2012年10月23日火曜日

日本橋で日本橋を観る。

   日本橋三井ホールで、東京国際映画祭、『日本橋で日本映画を観る』 。当日券並ばせたあげく、開場してから、たった2名を売り切れですと帰しておきながら、2割ほど空いている客席と、15席取りながら5席しか埋まっていない関係者席。更に、上映中に、山本冨士子きれいだなとか言わでもがなの私語を続ける関係者席の2名(自分の直ぐ後ろなんだなー)に殺意を覚えたので、かなり不愉快を覚えつつ、映画は最高なので・・。

    
     56年大映東京市川崑監督『日本橋(16)』            

     緞帳が上がると極めて狭い路地がある。青白いうなじの芸者の後ろ姿。駒下駄のカランコロンという音がして、女の姿は消える。「きゃー、出た!」「見てー!」「若さんの幽霊よね。」若い芸妓たちが悲鳴を上げる。      
    
      芸者のお孝(淡島千景)が、玄関を開けようとして、表札が曲がっていることに気付き、真っすぐするが、何故か反対側に曲げる。芸者たちが「姉さんお帰りなさい」と口々に声を掛ける。お孝「あんたたち、9人もいて、全然片付いていないじゃないか。猫の手にも役に立たないんだから。もう日がくれちまうよ。ほら片しておくれでないかい」少しだけ片付いた部屋に座り込み「あー、広い家はいいねえ」婆やに「ご近所の挨拶はどうしたんだい?」「蕎麦を蒸してます」「遅いねえ。そんなもん取れば良かったじゃないか、今から、持って行ったんじゃ、恥ずかしいだろ。」湯気を立てる蒸籠見て、「ずいぶん豪勢に作ったねえ。」  お酌のお千代(若尾文子) 「来ました、来ました」 お考「あんたまで、お若さんが出たって?えっ、赤熊が!?」玄関に立つ 赤熊と呼ばれる五十嵐伝吉(柳永二郎)の異様な風体「いくら、おらから逃げようたって、日本橋の中なら、すぐにばれるだ」「貴方から何故わたしが逃げなくてはならないの?芳町の家が狭くなったから引っ越してきたんだわ」    

      日本橋元大工町に、自殺した芸者のお若の幽霊が出ると噂の路地がある。そこに、稲葉屋お孝(淡島千景)が引っ越してきた。九人の芸者を置き、手狭なので、怪談話を笑い飛ばしてやってきたのだ。お孝を、赤熊と呼ばれる五十嵐伝吉(柳永二郎)が訪ねてくる。赤熊は、北海道の出身で、一時は海産物の商いでかなり羽振りが良かったが、すっかり身を持ち崩し、緋熊の毛皮を身にまとう乞食に落ちぶれていた。かって入れあげたお孝が忘れられず何かとつきまとっていた。お孝は、所詮芸者の自分とは、飽きたら別れるという約束の関係、昔のことを持ち出されてもしょうがないと叩き出す。     

     ある夜、お孝は、半玉のお千代を連れて、待合いのお鹿の座敷に上がった。女中上がりの女将(沢村貞子)は、自分の店を恐縮するが、お孝はそういうことには拘らない気性だった。しかし、隣の座敷に一人でいる客が、この界隈では一番の人気芸者の滝の屋清葉(山本富士子)に熱を上げていると聞いて嫉妬心を燃やす。お孝は、清葉の客というだけで、冷静ではいられなくなるのだった。赤熊こと五十嵐伝吉も、元は清葉に振られていた客で、意趣返しに自分から声を掛け、いい仲になったのだった。お座敷を出る時に、清葉とすれ違ったお孝は、少し前まで、女将への言葉とは正反対に、こんな安い座敷に清葉姉さんともあろう人が上がるのは、問題だと皮肉を言う。     

      清葉を呼んだ客は、実は東京帝国大学の医学博士の葛木晋三(品川隆二)だった。葛木は、幼い時に両親を亡くし、ただ一人の肉親の姉が身を売り男の妾になって、弟を大学にまで進ませながら、穢れた自分は遍路に出るので探さないでくれと行方不明になってしまった姉の面影を清葉に見て、告白したのだ。清葉を穢れた身の上と思ったことはない、5年間夢にまで見て通ってきたのだと思い詰めた告白をする、清葉は葛木の気持ちを嬉しく思いながらも、旦那のいる身で、老母と娘の面倒も見ている。葛木の気持ちには応えられないと言い、別れの杯を交わす。    

     帰宅した清葉に、母(浦辺粂子)が、「お座敷の途中で、呼び戻して悪かったね。旦那さまが、急にいらっしゃると言うもんだから」葛木の純情に応えられずに、別れの杯を交わして来たのだと泣く清葉に、母は娘を芸者にしかできなかったふがいない自分を恨め、本宅に妻子を持ちながら、更に浮気をして妾を泣かす旦那となんざ別れればいい、清葉の娘と自分は賃仕事で暮らしていくからとさめざめと泣く母娘。そこに旦那(高村栄一)が、今晩大阪に立つので忙しいとやって来る。娘の寝姿を満足そうに眺め、障子も閉めずに寝間に入る旦那。娘の部屋の障子を閉め、急須を載せた盆を捧げ寝間に入る清葉。    

      日本橋川に架かる一石橋(いっこくばし)に、清葉と別れて来たばかりの葛木が佇んでいる。姉の形見の雛人形を研究室に飾っているが、そこに供えるべく栄螺と鮑を新聞紙に包んで懐中に忍ばせておいたのだが、清葉との決別に新聞包みを投げ捨てる。すると、それを不信に思った巡査の笠原信八郎(船越英二)が葛木を誰何する。氏名を尋ねられ、名刺を出すものの、草臥れた名刺にご自分のものでしょうなと全く信ずる様子のない笠原。雛祭りの栄螺と鮑を捨てたと言ってみたものの理解される筈もない。 お考は、近くの料亭に駆け込み、いらない皿に、どんなものでもいいので、鮑と栄螺を載せてくれと頼み、自分も笠原の前で日本橋川に投げ、葛木の窮地を救うのだった。あんたの名前を聞いておこうと言われ、その妻とでも並べて書いておいて下さいと艶然といい、そのまま、自分の家に、葛木を連れ帰るお考。翌朝、窓から水差しの水を捨て、着物を着る葛木を手伝うお考の姿がある。

   お千代には、植木屋であったが、今は身体を悪くして寝ている甚平(杉寛)という老人が、唯一の身寄りである。お考には、時々やってきては、金を無心する蒟蒻島の小母(岸輝子)がいる。

  お考にイロが出来たと知って、赤熊がやってきた。一度目は全く相手にしなかったが、赤熊は、自分の息子を、清葉の、滝の屋の前に捨て子をして、「妻には死なれ、子供も手放した」と現れた時には、絆されて家に上げるお考。

  ある日、稲葉屋に、いつぞやの巡査、笠原がやってきた。葛木に謝らなければならないと言う。嘘をついているに違いないと東京帝大の医学研究室を訪れたところ、そこにいたのは正に葛木であった。姉の形見の対の土雛と1体の京人形が研究室に飾られているのも見た。といいつつ、東京帝国大学葛木晋三とその妻と書かれた手帖の1頁を千切ってお考に渡し、奥さんと何度も言って去った。笠原の葛木の奥さんという言葉は、お考を甚く感激させ、手帖の頁を仏壇(神棚だったか?)に飾り、手を合わせる。
   そして、部屋の芸妓たちを集め、今後おかみさんと呼ぶように、借金を帳消しにしてやってもいいと言うのだ。また、2階で旦那然と、布団に腹這いで煙管を燻らしている赤熊を叩き出そうとする。布団の下にあった短刀を抜き、お考を殺そうとする赤熊と揉み合う。しかし、開き直ったお考は諸肌を脱いで、殺すなら殺せ、その代わり、背中に葛木の名を刻め、1文字2文字なら耐えて見せると見得を切る。その迫力に圧倒された赤熊は階段を転げ落ち、短刀をもったまま気絶する。

   葛木の研究室の橘博士(伊東光一)が3年(5年?)のドイツ留学から帰国し、その歓迎会が料亭塩瀬で開かれた。勿論、葛木も出席しているが、清葉も呼ばれていることに気が気でないお考。

  


  路地の奥のお稲荷さんにお百度を踏み始めるお考。


腕白大将(川口浩)

   改めて、WEBで検索をすると、賛否両論というよりも、ネガティブな評価が多い「日本橋」。

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